遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

パチンコ業界情報なら遊技租界!最新!本日のパチンコ業界ニュースからパチンコ業界の製品情報まで話題満載ブログ!

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

P業界の課題とマカオ半島部のカジノ【佐渡屋太郎-vol.290】

02年の外資へのカジノ解放後、04年5月に先陣を切ってオープンにこぎつけた「サンズ・マカオ」

いまは13年7月13日(土)の18時50分。このところ、京都では4日間連続で35~37℃の「猛暑日」が続いていた。しかし、今日は16時過ぎから雷とともに激しいスコールが降り、涼しい風がこの部屋にも吹き込んでくるようになった。いま水風呂に入ってきて、その涼風の有り難さをしみじみと感じている。これまでは何とか“2000円の風”の扇風機で頑張ってきたが、今週はさすがの佐渡屋太郎もギブアップしてしまった。14時になると冷房を付けて17時まで読書時間にして、前に古本屋から105円でゲットしてきて、部屋に積んであった村上春樹氏の『1Q84』のBOOK1とBOOK2を読了した。今日は早速、アマゾンでBOOK3を注文したところだ。

その注文の際、新作『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年』のカスマーレビューを読んで、腹を抱えて笑ってしまった。それは“アンチ村上派”の年若い読者が書いた文字数の多いレビューであった。そんなに嫌いなら読まなければいいと思うのだが、かなり細部まで読み込んでいて、主人公の格好を付けた態度にケチを付け、そのモテぶりに激しい嫉妬をしている。いかにもいまの若者らしい視点で、多分にひねこびてはいるが、自虐的な視点で笑いのツボに引き込んでいく。なかなかの力作であったが、多分この本の本質や著者が言おうとしたことは全然ちがうところにあると思う。その点について、私はまだその本を読んでいないので、これまでの著作からの類推でしか判断することができない。しかしそれは多分、当たっていると思う。入口で嫌悪感を持ったのなら仕方ないが、もっと奥の方に考えなければならないことや、恐れなければならない現実的な問題があると私は思う。

せっかく笑いを取っているのに無粋だが、世に中には次元の違う視点や人間の動きがある。このレビュー氏がそのことに関心を持ち、それに向き合わない限り、この本はレビュー氏にとって何の価値もないと思う。売れているから、またはテレビで取り上げられたからといって、読もうとしなくてもいいのではないか。無理して読む必要はないし、本は茶化しの対象でもない。書く人は真剣に書いているのだ。これは本の宿命であるが、いろんな読まれ方に耐えなければならない。それが難しい問題だ。このレビューに限らず、ネットという媒体を通して、“狭量な考え方”が大手(おおで)を振って歩いている現実に危機感を覚える。笑ったあとで、何だか虚しくなった。

06年9月、スティーブ・ウィン氏がマカオへの記念すべき第1歩としてオープンした「ウィン・マカオ」

一方、マルハンの「韓流プロジェクト」の情報を集めているとき偶然、私の知っている人のコラムを見つけた。テーマはホール業界の“社会的認知”に関するものだった。古い評論家の言葉を持ち出して多分に叙情的で、幾分ペダンティックな匂いもしたが、結局なにを言いたいのか分からなかった。その中でパチンコは法的に“遊技”として認められているのに、一般大衆にはなかなか認めてもらえないという嘆きがあった。しかしこの“パチンコは遊技である”という基本が、時代錯誤な考え方になっていると私は思う。そして、その考え方や現状の姿が、ホール業界が“社会的な認知”を得られないそもそもの源泉になっていると思う。

つまり、“パチンコはギャンブルである”というところから始めないと、結局は“社会的な認知”というところまで行き着けないのではないか。これはこのブログで何回も言っているので繰り返しになる。確かに、パチンコで勝ってタバコやチョコレートや缶詰をもらって喜んでいた時代は、“パチンコは遊技”であったかもしれない。しかし時代は変わり、一時期は10万円を突っ込んで100万を得るという、まさにホールが“鉄火場”と化したこともあった。そんな姿も知っているので、多くの一般大衆は“パチンコはギャンブル”であると考え、なぜ賭博が禁止されている日本でパチンコが許されているのかという“矛盾”を感じている。

また、貸玉料金の総額ではあるが、ホール企業トップの2兆円や数千億円という売上額を見て、他業界の人々は大きな“不公平感”を持っている。なぜ、パチンコ業界はあんなに儲かるのか。しかし、あれは“特別な業界だから”と考えて一線を画し、その代わり“白い目”を向けて自らの視野から黙殺していくのである。何が“特別”であるかと言えば、禁じられているギャンブルを合法的に営業していることであり、“白い目”というのは差別視ということである。ホール企業は株式上場できれば、“社会的認知”が得られると考えてきた。そして、ダイナムが香港で上場を果たした。しかし、そのとき私は考えたのだが、仮に日本でホール企業が10社も20社も上場したらどうなるのか。もしかしたら、これまで積もり積もっていた一般大衆が抱く“矛盾”に対する不満や、他業界が持っていた“不公平感”が、一気に爆発するのではないかと。こうなると“社会的認知”とは真逆の話になってくる。

香港のギャクシー・エンターテイメントが06年10年にオープンした「ギャラクシー・スターワールド」

これで思い出すのが、“自衛隊は軍隊ではない”と政府与党が叫んでいた時代のことだ。防衛費の国家予算3%枠をめぐって、与野党が激しい攻防を繰り返していた。しかし実際の姿を見れば、日本の自衛隊は世界でも有数の軍備を保有している。“黒”を“白”と言いくるめるのは官僚の得意技だ。しかし、時代や周辺国の状況が変わり、“国防軍”はどうかと思うが、少なくとも“自衛軍”と言えるようになり、一般大衆もそれで大方が納得するようになった。翻ってパチンコを見てみると、現状を容認するために“遊技”という概念や、“3店方式”なる奇妙奇天烈な論理を作り上げてきた。これも官僚の得意技であろう。しかし、実態を見てみると、“遊技”とは到底言えないような多額の金額で玉やメダルが買われ、さらにホールの近くで換金も行なわれている。いつの間にか、パチンコは立派にギャンブルとしての“軍備”を持つようになったのである。その一方で、決して少なくないパチンコ依存症者や経済的な破綻者を生み出してきているのも確かだ。

しかし、単なる“遊技”ということで、その管理は他のギャンブルに比べれば信じられないくらいに甘い。遊技機は一応、国や都道府県の検査を通っているが、パチンコに関して言えば実質的に出玉の調整をホール側が行なっている。また、収支関係の監督官庁への報告義務もない。行き過ぎれば警察による裁量主義的な指導はあるものの、“遊技”の幅はそのときどきで大きく変化し、遊技機規則はあるものの“爆裂機”が出るたびに様々な問題を引き起こしている。その警察も大量の天下りをパチンコ業界に送り込み、その関係性には大きな疑問を持たれていることも確かだ。こんな現状ではなかなか“社会的認知”は得られないだろう。

ただ、カジノ解禁を背景とはしていたが、特別法を作ってパチンコを根本的に見直し、社会的に認められる仕組みを再構築する動きも業界内にあった。しかし、大多数を占める中小ホール企業の総意によって、その動きも封じられてしまった。このとき私は愕然としたが、冷静に考えれば、いくら規制は厳しくなっても今のままがホール業界にとって一番いいのである。変に改革を断行されると、管理はきつくなるし、経営環境も厳しくなる。ホール業界の“社会的認知”は得られても、その時には自分のホールや会社がなくなっているということも考えられる。これでは笑い話にもならない。そんな防衛意識が働いたのではないか。しかし、自分たちで自分の所属する業界を変えられないというのは、組織として非常に脆弱で、どこまでもお上(かみ)に隷属していくしかない道を選んだということではないか。そのとき私は、ホール業界のそんな本質を見たような気がした。

MGMがパンジー・ホー氏と組んで07年12月にオープンした「MGMマカオ」

ただ、そんな猶予期間もそろそろなくなろうとしている。いま関係者が必死になって頑張っているカジノ法案が通れば、その次はパチンコの改革となる。その時点でパチンコを“遊技”として押し通せるのかどうか。仮に押し通せたとしても、厳しい管理下に置かれるのは確かだろう。個人的にはカジノを“大ギャンブル”、パチンコを“小ギャンブル”として整合性を取るのが一番すっきりとしていて、一般大衆が納得しやすいし、実態に即していると思う。そこにはカジノに準じた納税や運営者の資格審査、遊技機や環境管理、経営管理が必要となる。それほど賭博の違法性を阻却するということは、重い責任や厳しい管理を必要とするものなのである。

それでも“パチンコは遊技である”と主張するなら、ギャンブルと一線を画す明確な基準が必要だろう。そのなかで実質的に換金が行われているということが認められるのかどうか。これまで風適法を作ってきた官僚は、自らの“無謬性”の鉄壁は崩したくはないだろうが、苦心の末に作った“3店方式”の論理は急激な隘路にはまり込んでいくのではないだろうか。個人的な考えでは、もうそろそろ限界に近づいてきていると思う。これ以上、“屋上屋を架す”というようなことができるのか。近頃、カジノ規制の本をいくつか読んでいるが、つくづく日本のパチンコの特異性に驚かざるを得ない。海外のカジノのプロたちや法律の専門家は、この“3店方式”をどのように見るのか。また、この“3店方式”をパチンコ業界にだけ認めている根拠はどこにあるのか。それで全業種的な公平性は保たれているのか。国民は納得しているのか。

それよりもパチンコをギャンブルと認めて、現状のシステムを再構築化した方がずっと分かりやすいし、一般大衆の理解も得やすい。これだけ飽きやすい日本人が70年以上もパチンコに通い続けているのは、遊技機の面白さに惹かれてというよりは、ギャンブルの“魔力”に依るものだろう。それはゲームセンターに設置されたパチンコ機やパチスロ機の状況を見れば一目瞭然だ。ギャンブルには強い常習性もある。そのギャンブルとしてのパチンコを支えているのが換金である。その現状を“直ちに違法とは言えない”として容認してくれた警察庁の見解は、ホール業界にとって実に有難いのもであったが、それが逆に業界の“社会的認知”を阻む大きな要因になっているという皮肉な現実を作り出した。

誰が見ても“ギャンブル”であると思うパチンコを、現行の法律がいくらかの制限はあるものの、“遊技”であるとして守っている。その“嘘臭さ”に多くの国民が鼻白み、いつの日か正当な判断が下される日が来ると信じているわけだ。日本人は面と向かって相手を非難することはあまりしないが、その代わりに“白い目”で見ることになる。それが差別視であり、社会的な“非容認”である。この大元(おおもと)を変えない限り、パチンコが社会に認められる存在になる日は永遠に来ないと私は思っている。前フリの話題であったが、いささか熱くなりすぎた。こんな問題をホール業界はいつまでダラダラと抱え続けているのだろうか。それにしても自己解決能力がないというのは致命的な欠陥で、そんな業界に“遊技”の運営を任せていること自体にも管理上の問題がある。カジノを勉強すればするほど、運営者の“意識の差”を感じてしまう。この問題には私もいい加減、飽きてきたが、尊敬する先輩のコラムに火を付けられて年甲斐もなく燃えてしまった。

STDMからのサブライセンスで08年2月にオープンした「ポンテ16」

さて、遅ればせながらいよいよ引っ張りに引っ張ってきた「マカオ半島部のカジノ」の始まりである。あまり熱くなりすぎたので、これまでの前半だけで1回分にしようと思ったが、それでは許されないだろう。やるときはやらないと相手に見くびられてしまう。今回のマカオ取材における行動の原動力になったのは、“生活習慣の変化”である。それまで取材や差し迫った原稿がないときは夜中の2時か3時に寝て、9時か10時に起きるという習慣であった。しかし、4月ころから22時から24時までに寝て、4時から5時までに起きるという習慣が、何と現在まで続いている。その変化はある偶然によってもたらされた。

それまでは寝ると思って寝たことはなかった。本を読みながらであるとかテレビを見ながらでないと眠れなかった。しかしある日、非常に疲れた日があって、うつ伏せになって足を60度くらい広げたらとても気持ちよく、自然に眠りに落ちていった。これで思い出すのが学生時代、窓ふきのアルバイトをしていたときだ。そのころは、首を右側に傾けるだけで、どこでもすぐに寝入ることができた。その寝入りの早さに、見ている人を驚かせたこともある。その頃の特技の復活というべきか。22時を過ぎると、うつ伏せになって寝入り、いまでも4時か5時になると自然に目が覚めるようになった。そして鳥の声を聞きながら、次第に明るくなっていく外の景色を見ながら、10時の朝食まで“朝仕事”をしている。マカオでもその習慣は生きていて、初日はあれだけ歩き回ったのに翌朝の5時には目が覚め、ガイドブックを読んで作戦を練り、6時には“大利迎賓館”を飛び出してマカオ半島部のカジノホテルの取材と写真撮影に出掛けたのである。

さらに言えば、2日目の朝は説明会での録音を聞き、前取材でもらった展示会のガイドブックを読み、取材先を決めて9時半に展示会場に向かった。最終日となる3日目の朝は、5時に起きて帰りの荷造りをし、船や飛行機の時間を確認してその日の予定表を作り、6時には外へ飛び出してコタイ地区のカジノホテルの取材と写真撮影に出掛けた。これまでの怠惰な生活から一変した、何と勤勉な日々であろうか。自分でも驚いてしまう。それによって、限られた日数と時間の中で、本来の仕事とは別に多くのカジノホテルを見て回ることができた。

さて、問題のマカオ半島部で見るべきことは、“第1次カジノ展開”ともいうべき、最初の外資カジノの開業がこの半島部で行われたことだ。2002年にこれまでスタンレー・ホー氏が持っていたカジノ独占経営権の満期に伴い、マカオ政府は外資にもカジノ経営権を解放する決断を下した。このときの入札の結果、カジノ経営権を獲得したのが、ホー氏(澳門旅遊娯楽股份有限公司=STDM)とスティーブ・ウィン氏(ウィン・マカオ)とシェルドン・アデルソン氏(サンズ・チャイナ)が経営する3社であった。その展開がどのように行なわれたかを時系列で見ると、次のようになる。

【マカオ半島部におけるカジノホテルの動向】
●2002年=外資企業へのカジノ経営権解放。
●2004年5月18日=「サンズ・マカオ」オープン。
(所有=ラスベガス・サンズ、敷地=2万1270㎡、総工費=2億4000万米ドル[約211億2000万円]、VIPルーム=51室、テーブルゲーム=269台、ゲームマシン=1086台)
●2006年9月6日=「ウィン・マカオ」オープン。
(所有=ウィン・リゾーツ・リミテッド、敷地面積=6万5000㎡、第1期総工費=12億米ドル[約1056億円]、客室=600室、テーブルゲーム=390台、ゲームマシン=1270台)●2006年10月19日=「ギャラクシー・スターワールド」オープン。
(所有=ギャラクシー・エンターテイメント、カジノスペース=1300㎡、総工費=4億2000万米ドル[約369億6000万円]、38階建て、客室=507室、テーブルゲーム=290台、ゲームマシン=300台)
●2007年12月18日=「MGMマカオ」オープン。
(所有=MGMリゾートインターナショナル、敷地面積=6万6000㎡、総工費=12億5000万米ドル[約1100億円]、35階建て、客室=600室、テーブルゲーム=385台、ゲームマシン=888台)
●2008年2月1日=「ポンテ16」オープン。
(所有=SJM/マカオ・サクセス、敷地面積=2万5110㎡、総工費=9億米ドル[約792億円](推定)、客室=408室、テーブルゲーム=107台、ゲームマシン=270台)
●2008年12月18日=「グランド・リズボア」オープン。
(所有=SJM、敷地面積=3万8000㎡、総工費=3億8500万米ドル[約338億8000万円]、58階建て、客室=430室、テーブルゲーム=240台、ゲームマシン=480台)
●2010年4月21日=「アンコール・アット・ウィン・マカオ」オープン。
(所有=ウィン・リゾーツ・リミテッド、カジノスペース面積=3200㎡、総工費=6億米ドル[約528億円]、客室=414室、VIPテーブル=37台、高級スロット=33台)

スタンレー・ホー氏が率いるSJMが08年12月にオープンした「グランド・リズボア」

これだけのデータを調べるのに、思わぬ時間が掛かってしまった。次のコタイ地区のデータも同時に収集したこともあるが、カジノに関してはしっかりとした基本情報が意外に少ない。その間、いろいろ面白い情報も得られたので、“怪我の功名”にはなってくれるだろうが、溢れるほどの観光情報は私にとって何の価値もなかった。ちなみに総工費については、円表記にした方が分かりやすいと思い、当時のレートであると思われる1米ドル=88円で計算してある。

この一覧表から分かるのは、カジノライセンスを得た当初の3社(STDM→SJM、ウィン・マカオ、サンズ・チャイナ)から拡大した6社(前記3社に加え、MGMチャイナ・ホールディングス・リミテッド、メルコ・インターナショナル、ギャラクシー・エンターテイメント)は、先を争うようにまず半島部にカジノを作ったということだ。3社から6社になった経緯は次回に説明する。ちなみに「ポンテ16」はSTDM(SJM)からサブライセンスを得て、カジノを運営している。したがって、利権の30%はSJMが持ち、128億円を出資したマルハンの利権は5%であったという。マルハンは2010年度の決算で、そのうちの60億円を特別損失として計上している。今回、ダイナムが出資したレジェント社もSJM傘下であり、今後の動向が注目されるところだ。

また、ウィン氏の動きに遅れを取れないと思っていたMGMは、ホー氏の第2夫人との娘であるパンジー・ホー(何超瓊)氏と50%対50%の出資による合弁事業を立ち上げ、STDM
からのサブライセンスによって「MGMマカオ」をオープンした。その後、パンジー・ホー氏は所有する50%の株式のうち、21%(20%を一般投資家、1%をMGMリゾーツ)を売却して香港一の女性富豪となり、MGMリゾーツは経営権を握ることになる。こんなダイナミックな“離反集合”が繰り返されていたのが、外資へのカジノ経営権解放後のマカオの現状であった。

そして、そのなかで半島部に拠点を持った各社は、埋立地であるコタイ地区へと“第2次カジノ展開”を推し進めていくのである。物語はいよいよこれから佳境に入っていく。しかし、今回はこれが限界だ。前フリで熱くなりすぎて、エネルギーを使い果たした。また、取材の合間を縫って書き継いできたが、今回の記事ために集めた多くの新たな資料がまだ整理されていない。ここで少し休憩をとって頭を冷やし、資料を整理しながら、半島部から橋を渡っていよいよ現在の“本丸”となっているコタイ地区に攻め込んでいくことにしようと思う。(佐渡屋太郎)

┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘
banner_22.gifにほんブログ村 パチンコブログへ人気ホームページランキング
ブログランキング★まじめな話題 ブログランキング★パチンコ ブログランキング★パチスロ
┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘





スポンサーサイト

| 最新機種情報 | 13:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://yugidasuka.blog112.fc2.com/tb.php/518-6f916e55

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。