遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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“カジノ王”とマカオの変遷【佐渡屋太郎-vol.289】

マカオ半島部のランドマークとして威容を見せる「グランド・リズボア・ホテル」

いまは13年7月6日(土)の16時02分。いま室内の温度計は31℃で、湿度は79%。とにかく蒸し暑い。しかし、佐渡屋太郎は昨年買って“2000円の風”と名付けた扇風機と、氷入りの麦茶で頑張っている。今週は締切りも終わったので時間があると思っていたら、佐渡行きの切符の予約やカードの解約、植木の植え替え、Y嬢母の病院の予約や薬の受け取りなどで、アッという間に過ぎ去ってしまった。昨夜はアメリカ村にあるS君のアミューズメント・ポーカーの店に行き、種々の打ち合わせや取材をしてきた。とにかく、いろんなことがいろんな方向に向かって動き出している。そして、来週からはまた本格的な取材の日々が続く。今月から来月初めの取材は盆前に原稿を片付けなければならないので、この1ヵ月は恒例の“激戦”が展開されることになるだろう。

さて、今週はカジノ関係のニュースもなかったので、やっと「マカオ半島部のカジノ」に取り掛かれると思っていたら、3日前にある考えが浮かんできた。それはカジノホテルの説明をする前に、マカオにおけるカジノの歴史を見ておく必要があるのではないかという素朴な疑問であった。では、それをいつブログの記事にするのか。それは「今でしょ」というわけで、今回のテーマに据えることになったのである。実は、マカオから帰って最初に読んだ本は、『ゴッドギャンブラー―マカオカジノ王スタンレー・ホー―』(楊中美著、青木まさこ訳、日本僑報社、2004年刊)と、『裸のラスベガス王―スティーブ・ウィンの光と闇―』(ジョン・L・スミス著、小幡照雄訳、柏書房、2002年刊)であった。

この2冊は非常に対照的で、前者は内容が薄過ぎ、後者は内容が濃過ぎるくらい入念な取材がされていた。個人的には“カジノ王”と呼ばれ、今年91歳になるスタンレー・ホーの生き方に大きな興味を持っている。調べてみると、前者は「この著書が日本初のスタンレー・ホー伝なのである」という説明があったので、迷うことなくアマゾンで注文したのだ。しかし、手に取ってみて大きく落胆した。私も8年間、書籍編集の仕事をした経験があるが、これは全くの“やっつけ仕事”である。いくら台湾版の翻訳書だとはいえ、もう少し写真を加えるとか、略年表を付けるとかの“芸”があってもよかったのではないか。そうした編集担当者の熱意が全く感じられなかった。

マカオから帰って最初に読んだ『ゴッドギャンブラー―マカオカジノ王スタンレー・ホー』(楊中美著、青木まさこ訳、日本僑報社、2004年刊)

ただ内容的には面白く、ホー氏の壮大な生き方の片鱗は窺えた。しかし、話が飛び過ぎて内容が薄く、整理が不十分であるし、著者自身の考察やスタンレー・ホーという人物に対する切込みが乏しい。加えて、内容的に事実と反する部分や肝心な出来事の年月が抜けている部分、さらに翻訳でも語句の選択がおかしな部分が少なくなかった。きっと、時間的な余裕がなかったとかいろんな事情もあったことだろう。しかし、これだけの人物の伝記としては大いに食い足りないものが残った。死後にならないと、本格的な伝記は出てこないのだろうか。たとえば、内容的におかしな部分として、日本の読者に分かりやすい箇所を抽出してみる。これはカジノ経営権を得たスティーブ・ウィンの調印式の模様を記述した部分である。

「調印式の様子はマカオ人をさらにびっくりさせた。ラスベガス王スティーブン(ママ)・ウィンの脇に、日本のパチンコ王の岡田和生が立っていたからだ。このときスティーブン(ママ)・ウィンは、岡田の会社が自分と同じ四十七%の株を持つパートナーだとはじめて世間に公表した。岡田は日本国内の四十五%のパチンコ機のシェアを持つ最大のパチンコ機メーカーのオーナーで、国内第二位のパチンコチェーン店を経営し、納税長者番付けの上位の常連だった。今回、岡田は百五十億円の資金を投入したという。中国政府は日本資本と日本人客をもマカオに巻き込もうと企んだのである」(同書・187ページ)

ただ、私としてはこの本に書かれている事柄を、時系列に並べ直して、スタンレー・ホーのこれまでの人生を“総覧”してみたかった。彼の人生の多くの部分がマカオのカジノと関わっている。その人生を総覧してみれば、すなわちマカオにおけるカジノの歴史が分かるのではないかと考えたのである。それで本のページをめくりながら、まる1日かけて作ったのが以下の略歴である。部分的に私が持っている資料で補足したところもあるし、年月が書かれていない部分も多かったので、調べ直した部分もある。内容的には元がもとだけに全然自信はないが、こうして一覧表ができると、ホー氏の生気に満ちた果敢な人生にただ驚くばかりだ。

この本や他の資料でスタンレー・ホー氏の人生を顧みて、いくつか重要な点があった。それを私自身の備忘録として列記しておく。①母語の広東語や北京語のほか、独学で英語、日本語、ボルトガル語が流暢に話せるようになったこと。②マカオ聯昌公司の秘書時代、自分が担当した船が武装集団に襲われたが、隙を見つけて敵の銃を奪って船を守ったという勇敢さがあること。ちなみにその功績によって100万ドルのボーナスが与えられ、その後、石油精錬工場を作って独立する資金にした。③英領香港時代、大叔父(祖父の兄)の何東(ロバート・ホー・トン卿、ジェーディン・マセソン商会総買弁)によって、何東一族は香港の“四大一族”の1つという毛並みの良さはあったが、それをもとに優れた実務能力によって、次々と人脈を広げていったこと。

さらに、④大米洋行の社長時代、その莫大な収益を狙っていたヤクザ集団の友楽会から脅され、マカオから出て行くように最期通牒を突きつけられる。ホーは泣く泣く香港に去るが、そこでいち早く不動産業に目を付けて、莫大な資金を得る。その資金をもとにマカオに帰ってカジノの独占経営権を取得するわけだ。状況を先読みしてビジネスを考え、迅速に行動すること。これが後年の世界各国への投資に結びついていく。⑤4人の妻との間に17人の子供を作ったほどの精力の強さ。第4夫人と出会ったのは66歳のときで、その後に3男と2女をもうけている。略年表を見れば分かるが、その後のホー氏は精力的にマカオのインフラ整備を進めていく。ただ、後継者としていた第1夫人との長男は32歳でなくなり、カジノの独占経営権の切れる2001年には、第2夫人との長男は23歳で大学院を卒業していなかった。それで79歳になっていたホー氏は、あと5年間の独占経営権の延長を申し出たが、中国指導者は認めなかったという。このあたりが人生の悲哀と言うべきか。

ホー氏が作ったカジノやホテルが並ぶ殷皇子大馬路の一帯

しかし、こうして略歴を作ってから、本を読み返すと、またいろんな背景や事情が分かってくる。それでいま何をやっているかというと、この本に登場するホー氏と関係のあった人々の調査である。そのため、『アジアの億万長者』(ジェフ・ヒスコック著、丘山健訳、廣済堂、2002年刊)という本なども読んでいる。この本は別の意味でも面白い。いろいろ文句を言ったが、このホー氏の伝記はあと何回も読み返す必要があるだろう。それほどにホー氏の人生は興味深い。

さて、肝心のマカオにおけるカジノ歴史だが、大まかに言うと次のような流れになっている。清朝末期のマカオには200店を超える賭博露店があり、頻繁に流血事件や殺人事件が起こっていた。それに頭を悩ませていたポルトガル政府は1840年、賭博場開設の入札制度を導入し、私的な参入を一切禁止した。これが事実上のカジノ公認となり、政府は賭博場から税金を徴収することができ、管理もしやすくなった。これによって最初に賭博場の独占経営権を獲得したのは大富豪の盧九(本名=盧華紹)で、第1代目のカジノ王となった。第2代目のカジノ王は、1938年に独占経営権を取得した傳老榕。しかし、61年の入札日を前にして死去。そこに彗星のように現れてきたのがホー氏の率いる「四天王同盟」で、様々な妨害を退け、62年に独占経営権を取得した。

53年にヤクザ集団の友楽会にマカオを追い出されてから9年、香港で巨額の資金を蓄え、第3代カジノ王として再びマカオに帰ってきたというわけだ。その後、ホー氏は持ち前の先見性と行動力によって、賭博場を近代的なカジノホールに変えていった。さらに、ホテルや高速船などインフラ整備にも精力的に取り組んだ。しかし、1999年にマカオが中国に返還され、マカオ政府は2001年に外資にもカジノ経営権を開放することを決定した。2004年、アメリカのサンズがマカオに初めてのラスベガス式のカジノをオープン。2006年にはマカオのカジノ収入がラスベガスを超えた。現在、マカオには32のカジノがあり、2015~16年までにはさらに4~5つの大型IRがオープンする予定であるという。こうして名実ともにマカオは世界一のカジノ王国となったわけだが、その礎を築いたホー氏の精力的な活動は今後さらに大きな意味を持ってくると思う。そんなことを頭に入れながら、略年表を見れば面白さも少しは増してくるのではなかろうか。私も酒を飲みながらときどきこの略年表を眺めて、ホー氏の人生ドラマを想像して楽しみたいと思っている。(佐渡屋太郎)

1970年、6,000万香港ドルを投入して建設された1,000室近くの客室やカジノを擁する「リズボアホテル」

【スタンレー・ホー(何鴻桑)の略歴】
1921年11月25日(0歳)=シャーディン・マセソン社の買弁であった何世光の次男として生まれる。
1935年(13歳)=父が株価暴落で母とホーと妹を残し、長男と長女を連れてベトナムに逃亡。
1940年9月(18歳)=香港大学入学
1941年12月(19歳)=日本軍の香港侵攻。香港大学を中退、マカオ聯昌公司の秘書となる。
1941年12月10日(19歳)=太平洋戦争勃発。
1942年(20歳)=第1夫人となるマカオの貴族弁護士であったクレメンティア(黎婉華)と結婚。1男3女をもうける。
1943年末(21歳)=マカオ聯昌公司を退職。何賢と共同事業を始める。マカオ貿易局の幹部に抜擢され、供給部長に就任。
1944年(22歳)=マカオの燃料油の専売権を取得して、石油精錬工場を設立。
1945年8月15日(23歳)=日本が無条件降伏。マカオ政府を代表して輸入制限商品の取り扱いを開始。何善衝と共同で商社「大米洋行」を設立して社長に就任。
1946年(24歳)=船会社を設立し、香港―マカオ間の連絡船を就航。
1948年(26歳)=第1夫人クレメンティア(黎婉華)との間に、長男・猶光が生まれる。
1953年(31歳)=友楽会の代表がマカオから撤退するように最期通牒を出したため、マカオから香港に戻る。香港で友人とともに不動産会社「利安建築公司」を設立。
1955年(33歳)=香港での不動産業が成功し、1,000万米ドルの資本を持つ大実業家となる。
1961年10月(39歳)=霍英東、葉徳利、葉漢とともに「四天王同盟」を結成。ホーが設立した「マカオ旅遊有限公司」が全マカオの賭博独占経営権を取得。
1962年3月31日(40歳)=ポルトガル政府から正式に賭博独占経営権に関する契約書が発行され、カジノホール「新花園」が開業。
1962年(40歳)=第2夫人となる中国軍人の娘・藍瓊纓と結婚。1男4女をもうける。娘の1人であるパンジー・ホー(何超瓊)はグループの持株会社である「信徳集団有限公司」の総経理を務め、もう1人の娘のジョシー・ホー(何超儀)は香港の人気歌手。
1963年9月(41歳)=「信徳公司」を設立し、香港―マカオ間に高速船「路環号」を就航。
1970年(48歳)=6,000万香港ドルを掛け、1,000室近くの客室を擁するリズボアホテルを建設。ホテル内に大規模カジノを開設。
1970年(48歳)=イランで2,500万米ドルを投じて競馬場を建設。
1971年10月25日(49歳)=台湾に代わって中国が国連の常任理事国となる。
1972年3月10日(50歳)=中国の国連大使の黄華が国連非植民地化委員会の委員長となり、マカオは中国の領土であり、適当な方法を持ってマカオ問題を解決すると宣言。
1972年(50歳)=信徳船務公司を信徳企業公司に改名。

2008年にオープンした58階建て、地上260mの高さを持つ「グランド・リズボア・ホテル」

1972年(50歳)=「フィリピン賭博場公司」と合弁でマニラ湾以南の海上での水上カジノを開設。
1973年(51歳)=信徳企業公司を香港の株式市場に上場。
1974年4月25日(52歳)=ポルトガルで革命勃発。「共和国救国委員会」が独裁政権を打倒。
1974年6月18日(52歳)=ポルトガル国連大使が中国の国連大使に、マカオの主権を中国に返還したい考えを伝える。
1975年(53歳)=香港―マカオ間の夜間快速船を就航。
1975年7月11日(55歳)=ポルトガル新政府は「マカオ組織法」を制定。マカオは中国の領土に属し、当分はポルトガルの管理下に置かれるが、自治政策を推進することを明記。
1975年(53歳)=マカオ政府が示した賭博税の引き上げに即同意。10年分の規約書では年間賭博税は3,000万マカオドル(従来の3倍強)となり、マカオ政府の年間税収額の20%強に相当。
1975年(55歳)=ポルトガルで最大の船会社と全欧最大の娯楽場を買収。
1975年(53歳)=「マカオ旅行娯楽公司」から葉漢を追放し、同社の全権を掌握。
1976年8月(54歳)=マカオ立法会が創設され、立法権がリスボンからマカオに移行。
1977年(55歳)=第2夫人・藍瓊纓との間に長男・猶龍が生まれる。
1979年2月8日(57歳)=中国とポルトガルがパリで国交樹立の声明を採択。
1981年(59歳)=第1夫人クレメンティア(黎婉華)との長男・猶光(当時32歳)がボルトガルで交通事故に巻き込まれ死亡。
1982年1月(60歳)=鄧小平が「一国二制度」を発表。香港とマカオの主権の帰属と台湾統一問題を解決すると説明。
1982年5月(60歳)=ポルトガルが憲法を改定し、マカオをポルトガル管理下の中国領土と規定。
1982年5月(60歳)=マカオ立法会が「新賭博法」を可決。マカオを永久に賭博区にすると規定し、賭博税は賭博会社の収入の25%とする。
1983年(61歳)=凱悦ホテル、新皇都ホテル、東方ホテルを開業。さらにリズボアホテルの規模を超えるカジノホテル「回力」(客室数1,000室超)7億ドルの投資によって建設。
1985年11月23日(63歳)=マカオ政府はホーの新会社とドッグレースの独占経営権の契約を締結。
1985年(63歳)=第3夫人となる陳婉珍と出会う。陳婉珍は第1夫人でクレメンティア(黎婉華)の看護婦で、のちに1男2女をもうける。現在は東華三院副総理。
1988年1月31日(66歳)=葉漢が経営していたマカオ競馬場の株式の51%を、「マカオ旅行娯楽公司」名義で4億5,000万マカオドルを投じて購入し、筆頭株主となる。
1988年(66歳)=マカオ政府からカジノ船の経営権を取得。
1988年(66歳)=第4夫人となる広州のダンサー・梁安琪と出会う。後に3男と2女をもうける。

南湾湖近くから遠望した「リズボアホテル」と「グランド・リズボア・ホテル」

1989年(67歳)=香港―マカオ間に快速船「北星」と「南星」を投入。さらに超高速船「日星」と「祥星」も導入。
1989年6月4日(67歳)=中国で第2次天安門事件が起こる。
1989年(67歳)=信徳企業が香港島で5万9,400㎡の住宅用地と商業地5万9,400㎡を購入。
1989年(67歳)=タイの企業と共同でフィージー島に300室のホテルと28階建ての高層マンションを建設。
1990年(68歳)=信徳企業が香港島で1万4,500㎡の高級住宅用地を購入。
1990年4月(68歳)=「中国航空ロケット基金会」を設立。さらに中国宇宙工業省と合弁でマカオ宇宙衛生通信サービスとマカオ宇宙衛星テレビ会社をつくって、マカオの通信・テレビ放送インフラを整備。
1990年(68歳)=信徳企業公司を「信徳グループ」に改名。
1990年11月(68歳)=香港―マカオ間に直通便の飛行機を就行。
1990年(68歳)=北朝鮮の外国人向けホテルである高麗ホテルにカジノバーを開設。
1991年(69歳)=信徳グループが香港株式市場に上場。
1991年(69歳)=巨費を投じてマカオ南湾の埋め立てを始める。
1992年(70歳)=カジノのフランチャイズ制度を推進する。 
1994年4月17日(72歳)=マカオと大陸を結ぶために巨額の投資をした「中国マカオ友好大橋」(全長4414m)が開通。
1995年4月(73歳)=ポルトガル皇太子から国家が国民に贈る最高の栄誉である「大十字勲章」を授与される。
1995年11月(73歳)=20億ドルあまりを投資したマカオ国際空港が開港。政府の飛行場専売営業公司に次ぐ2番目の株主となる。
1996年(74歳)=オーストラリアで購入していた商業ビルをカジノホテルに改装。
1997年7月1日(75歳)=香港が中国に返還される。
1998年(76歳)=マカオ国際空港の乗客輸送可能数が200万人を超える。
1998年(76歳)=信徳グループの総資産が140億香港ドルに達し、関連企業は100社を超える多角経営グループに成長。
1998年5月(76歳)=マカオ特別行政区基本法起草委員会の副主任委員に選出される。
1999年1月(77歳)=マカオで「第1回ヤクザ一層作戦」を実施。
1999年5月(77歳)=マカオで「第2回ヤクザ一層作戦」を実施。
1999年10月(77歳)=マカオで「第3回ヤクザ一層作戦」を実施。
1999年12月20日(77歳)=マカオがポルトガルから中国に返還される。
2000年1月1日(78歳)=フィリピン・マニラ湾でカジノ船の営業を開始。
2000年2月(78歳)=マカオ旅行娯楽有限会社の名義で台湾に事務所を開設。
2000年3月(78歳)=中国政府はカジノ業の世界大手をマカオに誘致し、競争を通してさらなる繁栄を追求する戦略を公表。
2001年3月(79歳)=ホーが持つカジノ独占経営権が満期を迎えると、マカオ特別区政府は入札を通して3つの賭博業の免許を発行することを公布。
2001年12月19日(79歳)=1998年から建設を始めていた「マカオ・タワー」(338m)がオープン。
2002年2月8日(80歳)=マカオ特別区政府は賭博業免許の22社による入札結果を発表。第1号免許はスタンレー・ホー、第2号はスティーブ・ウィン、第3号をシェルダン・アデルソンに授与。カジノ税率は31%から35%に引き上げられた。
2004年(82歳)=第1夫人のクレメンティア(黎婉華)がガンで死亡。
2007年2月11日(85歳)=「グランド・リズボア・ホテル」内のカジノとレストランがオープン。
2008年12月(86歳)=58階建て、地上260mの「グランド・リズボア・ホテル」がオープン。

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