遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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マカオからの帰還【佐渡屋太郎-vol.285】

香港について第1枚目に撮った中環駅から見た風景

いまは13年6月5日(水)の18時20分。一昨日の6月3日(月)の早朝、マカオの件を含めた5月末日締切りの原稿がすべて私の手から離れた。思い返せば、マカオから帰って家に着いたのが、5月23日(木)の23時30分。その日は疲れのためにバタンキューで寝て、翌朝から“原稿地獄”が始まったのである。まず、最初に手を付けたのが、急ぎの週刊誌の仕事。マカオで撮影した500枚を超える写真から23枚を選択して送り、先割りで仕事が始まった。いま、その頃のことをいま思い返してみると、随分むかしのことのような気がする。それから必死になり、10日間にわたっていろんな原稿を書き続けた。最初の原稿や写真を掲載した週刊誌は、もう6月3日(月)には手元に届いている。週刊誌の仕事は実に早い。ましてや、マカオに行ったことなど、遠い彼方の出来事のように感じる今日この頃だ。

とにかく、久しぶりで仕事らしい仕事をした爽快感に包まれている。すべての仕事が終わった昨日は、自分へのご褒美としてネットで買った井上陽水の「40th Special Thanks Live in 武道館」というDVDをパソコンで流しながら、ベランダで「ミカンの木」(はっきりとした樹名は未調査)、「金のなる木」、「山椒」の植え替えを行なった。近頃これらの木は盛んに成長して木と鉢のバランスが崩れ、ずっと気になっていた植木たちであった。いまはゆったりとした鉢に入り、気持ちよく根を伸ばしていることだろう。私も久し振りにゆったりとした時間を過ごさせてもらった。それにしても、井上陽水のDVDがよかった。これは大きな収穫であり、発見であった。

そのDVDは昨日の昼間に掛けっ放しにしていたばかりでなく、夜はテレビの画面で見ようとしたのだが、サッカーのオーストラリア戦を見てしまった。今日も朝から掛けっ放しにして、銀色夏生の『しげちゃん田んぼに立つ』と、稲本正の『森の博物館』と、鶴田静の『野菜いっぱい 大地の食卓』を読んだ。やることは一杯あるのだが、何かボーッとして1日が過ぎてしまった。これが仕事の終わったときの“開放感”というものだろう。今夜はY嬢とこのDVDの感激を共有するために、テレビの大画面で井上陽水を見るつもりだ。すでに私は酒を飲み始めており、準備が万端にまで整っている。昨夜の本田も確かによかったが、やっぱり陽水のあの美しい歌声や繊細な感性に、私はより大きな感動を受けることを、昨日から今日に掛けて発見してしまったのである。

中環から上環まで歩くうちに見えてくる海とビル群の香港的な風景

さて、問題のマカオの件である。原稿を書いているときは、早く仕事を終えて香港やマカオの思い出に浸る時間がほしいと思っていた。しかし、マカオのことを何回も書くうちに、そんな気も失せてしまった。しかし、「マカオからの帰還」という今回の記事にマカオのことを書かないわけにはいかないだろう。だから、これから何回かに分けて、マカオレポートを書いていくことにした。また、帰ってきてから原稿を書くために、膨大な資料を読んでカジノの最新情報も収集した。それらも自分の中で整理しながら書き加えていきたいと思っている。

まず、最初は「グローバル・ゲーミング・エキスポ(G2E)アジア」取材にたどり着くまでの道程から。当初、展示会は5月22日(水)~23日(木)に開催されるので、21日(火)中にマカオに着けばいいという指示だったので、飛行機のチケットを取って安心していた。その後、資料が送られてきて読んでみると、21日の11時30分からメデア用の説明会や出展企業への取材時間が設けられていると書いてある。その件を雑誌社編集長に伝えると、チケットをキャンセルして取り直しても、21日の前取材をしてくれという返事だった。こうして“前乗り”が決定し、慌ただしい取材旅行の幕が切って落とされた。何か多難な前途を予感させる始まりであった。

20日は5時に起きて、関空へ。路線はせっかくだから香港の街も見ておきたいと思い、香港から船でマカオに入ることにした。それも香港国際空港からの直通の船ではなく、わざわざ中環(セントラル)まで電車で行き、そこから上環(ションワン)まで歩いて船に乗った。しかし、これは大正解であった。当初は、帰りに香港で遊ぶための肩慣らしというつもりであったが、結局は帰りには時間なく、今回の香港は中環から上環までだけになってしまった。これまでの経験から身につけた“行ける時には行っておく”という教訓が生きたわけだ。

上環のフェリーターミナルに繋留されたマカオ行きのターボジェット

さらにマカオでも、初日は半島部に泊まることにした。アジアの空気を吸うと、つい昔の放浪時代の気分に戻ってしまう。その結果、どこに泊まっても取材経費で落ちるのであるが、敢えて安宿が集まっている福隆新街に向かってしまう“悲しい性(さが)”が私にはあった。しかし、これも大正解である。ここで知り合った安宿のカウンターのお姉さんや、近くの食堂のおばちゃんとの何気ない触れ合いが、“世界は一家、人類はみな兄弟”という若い時に得た教訓を再確認することとなったのである。翌日からは、雑誌社が取ってくれていた「ヴェネチアン・マカオ・リゾート」のスイートルームに移動することになった。その“落差”は実に面白かったが、できればあの「大利迎賓館」にずっと泊まっていたかった佐渡屋太郎である。

参考までに言っておくが、今回はカジノに関する記事は何もない。初回はただ、だらだらとマカオの雑感を書いていこうと思っている。この“助走”がないと、なかなか頭が戻っていかない。しかしいま考えてみると、その“落差”こそが、観光地におけるIR(統合型リゾート)の実像を体感できる貴重な経験であった。狭い路地に机や椅子が出されて、酒を飲みながらワイワイと騒いているマカオでも最も古い商店街であり、下町的な雰囲気の福隆新街。片や埋立地に人工的に作られた巨大なカジノリゾートホテル群が並ぶ整然としたコタイ地区。日本の東京であれば、浅草の飲み屋街とお台場に作られる巨大なIR施設といった構図だろうか。この“落差”が、夢と現実が織り成すコントラストの面白さであると実感した。

ビクトリアハーバーからマカオを向けて爆走するターボジェット

しかし、この福隆新街にたどり着くまでが大変だった。当初はマカオフェリーターミナルから、マルハンが出資した「ポンテ16」行きのシャトルバスに乗ろうと思っていた。それに乗れば、福隆新街は目と鼻の先である。しかし、「ポンテ16」行きのシャトルバスはなかった。それで仕方なく、途中まで行く「リズボアホテル」行きに乗ることにした。ところが、方向音痴の佐渡屋太郎は予想通り、道に迷ってしまった。当日のマカオは気温31℃、湿度95%。重いカメラバッグを肩に掛け、コロコロを引きながら、地図と道路標識を見ながらの格闘が始まった。そして、歩きながら昔の懐かしい感覚が蘇ってくるのを感じた。

昔は新しい街に着くと、第1日目はまず闇雲に歩くことから始めた。そうすれば、街の雰囲気やだいたいの構造が分かってくる。その間、気になる店や休憩できる広場や公園など、いくつかの目印を頭に刻んで、自分なりの地図を作るわけだ。しかし、あの頃は時間が無限にあったし、1日中あるき回っても平気な体力があった。そのときに得たのは、「間違ったと気づいたら、すぐ引き返す」という教訓である。これができそうでなかなかできない。同じ道を引き返すのは屈辱的な行動であるし、この道を歩き続ければいつか目的地に着くという自分勝手な幻想を抱いてしまうことが多いのだ。また、「分からなかったら、人に聞け」という教訓もあるが、インドではこれで何回もひどい目に遭った。インド人は自分が分からなくても決して分からないと言わない。その上、勝手な方向を人に教えるのだ。

猛暑のなか、1時間以上は歩きまわっただろうか。そして、大体の見当を付けて歩いて体力が限界に近づいたころ、急に視野が開ける広場があった。そこで水を飲みながら休憩し、周りの建物を眺めてみると、見覚えのある風景が目の前にあった。何とそれが「セナド広場」であった。つまり、アホな佐渡屋太郎は南湾大馬路を行ったり来たりしながらさ迷い、やっと新馬路に出てきたわけだ。これをまっすぐ行った突き当たりには「ポンテ16」があり、新馬路の1本南側に目指す福隆新街があることになる。急に目の前が明るくなった。これが“第1の彷徨い(さまよい)”ある。

マカオ半島の中心部を彷徨い歩きながら、偶然に辿りついた「セナド広場」

さらに、ホテルについて一服してシャワーを浴び、明日のために「ヴェネチアン」の下見に出かけることにした。すでに時間は19時30分になっていた。ここから“第2の彷徨い”が始まることになる。まず、ホテルから新馬路に出ようと歩きだしたのだが、すでにアホな佐渡屋太郎はいきなり最初の方向を間違えていた。福隆新街の路地を面白がって巡っているうちに、完全に方向感覚を失ってしまったのだ。新馬路に向かっているはずが、行けども行けども来るときに目印にしていた「セナド広場」にたどり着かない。それどころか、次第に周りの景色は町工場街の雰囲気になっている。やっと状況が飲み込めたのは、港湾局の建物を見つけたときだった。何と西のバス停に向かっているはずの私は、火船頭街から川辺新街へと一路、南に向かって歩いていたのである。

ちょうどそのころに、激しいスコールが降り出した。幸いに傘は持っていたが、そんなもので太刀打ちできるような生易しい雨ではない。滝のような大雨で、たちまち道路を水が流れ出した。最初はマカオの住民とともにアーケードで雨宿りしていたが、そこも雨がどんどんと吹き込んでくる。次にシャッターの閉まった店の前にもたれこんですわっていたら、中からオヤジが出てきて追い払われた。しかたなく、路地の奥まで入り込んで座っていたら、下水から溢れてきた雨水が川のようになって私の方に向かってくるではないか。弱り目に祟り目であったが、実に楽しい思い出となった。最後は近くにあった飯店に入ったら、おばちゃんがタオルを出してくれた。こんな優しさに旅人は悩殺されるのである。

福隆新街の近くの路地に立ち並ぶ古くからの商店

その後、雨も小降りになったので来た道を戻り、「ポンテ16」が見えたときには、ささやかな達成感さえ生まれてきた。これであの安宿「大利迎賓館」にたどり着ける目処が付いた。時間は22時すぎ。香港に着いてから歩き詰めの1日であった。そこで、「ヴェネチアン」への下見は諦め、コンビニでビールとつまみを買ってホテルに帰ることにした。しかし、新馬路を街の中心に向かって歩いてみたが、なかなかコンビニが見つからない。“泣きっ面に蜂”とはこのことで、神はどこまで私に試練を与え続けるのだろうかとマゾヒスティックな心境に陥ったが、これも1つの快感ではある。結局、最初に道に迷った南湾大馬路にコンビニはあったのだが、このとき私の頭の中で今まで迷いに迷った道々が一気に繋がっていったのである。これは頭の中で私のマカオ半島中心部の地図ができあがった瞬間でもあった。

この新馬路を軸にして考えれば、どこにでも行けるという自信が沸々(ふつふつ)と湧いてきたのだ。そして、“マカオは狭い”ということを実感した。半島部の主要施設なら、歩いて十分に回れるという自信が湧き上がってきたのである。これは翌日に、また大きな災難を佐渡屋太郎にもたらすことになるのだが、それは次回の話題にしよう。しかし、重い足を引きずりながらホテルに帰ってから、いろんなことを思い出した。アジア特有の外の喧騒が、あの頃へ時間を引き戻してくれたのだろうか。1986年4月、シルクロードのトルファンで香港大学の学生カップルと出会い、一緒に食事をした。その時、私は「1997年の香港返還をどう思うか」と聞いたら、「そんなことは食事中にする話題ではない」と女子学生に激しく叱られた。あとで男子学生に聞くと、彼女の家族はカナダへの移住を計画しているという。彼女はいまどこにいるのだろうか。私にとっての香港の象徴であった九龍城も取り壊されてすでに久しい。すべて今は昔の物語となった。しかし香港とは今後、新たな関係ができそうな予感がする。(佐渡屋太郎)

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