遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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アフガン人のゾウのこと(後篇)【佐渡屋太郎-vol.33】

写真キャプション=雪解け水の沐浴場に入る美少女とばあさん

 いまは12月8日(土)の20時35分。今日は事務所に置いてある自転車「ベンツ号」のタイヤチューブの交換修理をした。やはり、想像していた通りの大仕事になった。少しチェーンの調子はおかしくなったが、パンクはこれで完全に直った。その復活した「ベンツ号」に乗って、酒を買いに行って帰ってきたところだ。

 しかし、自転車が使えないと、不便で仕方ない。「namBa HIPS」がオープンする前に、千日前のホールを視察したいと思っても、“足”がなくてできなかった。また、ちょっとした買い物をしようと思い立っても、もう歩いて行く気はしない。そのため、近隣への行動がすべてストップしていたのである。今日は仕事も一応の区切りが付いたし、何より事務所の酒が切れたので、ついに“大修理”をする決心がついたというわけだ。いま、「ベンツ号」で買ってきた酒を飲みながら、この原稿を書いている。ウィ~、満足、満足

 それにしても近頃のこのブログは、旅行関係のものかと思われるほど、横道にそれ出している。まあ、“横道”が大好きな佐渡屋太郎なので、仕方がない。しかし、これから 果たして“パチンコ”に帰っていけるかどうかが、少し不安になってきている今日この頃である。

 この“横道”は元を辿れば、中村医師の本がキッカケだった。しかし、私が若い頃に行けなかった「カイバル峠越え」と「カラコルムハイウェー」への思いが、この年になってもまだ体の中に残っていることを知って驚いた。また、いつの日かその思いを何とか果たしたい。そこでアフガンのゾウの話に戻っていくのである(前フリが長過ぎる!)。


写真キャプション=このブログでは2回目の写真掲載となるアフガン人の「ゾウ」 そう、また今回も写真を掲載したアフガン人の「ゾウ」とは、いつの日かアイツの生まれ故郷であるカブール(アフガニスタンの首都)で、また会おうと言って別れたのである。そのことを中村医師の本を読みながら、思い出したわけだ。これで3回分も話を引っ張るのだから、佐渡屋太郎も“悪”よのぅ~。ただ、昔のことに思いを馳せながら書いているので、原稿が一向にはかどらない。ここでガツンとストック原稿をつくるつもりだったが、逆に日々の原稿に追われている有様だ

 前に書いたとおり、ゾウとはダラムサラで最初に会った。それから私たちと微妙な距離を取りながら、何かと理由をつけながら、ずっと付いてきたのだ。私たちとは、私とそのとき一緒に旅をしていた女性の相棒である。「近頃、ゾウを見かけないな」と話しながら次の街へ移動すると、そのバス停の前にあるチャイハネから、さも私たちを偶然に見かけたように「へ~イ、グレート・ジャパニーズ・タロー!」と大声を掛けてくる。わたしたちの方が先に街を出ると、あとから追いかけてきて泊まっているホテルへ必ずやってくる。よく、このホテルが分かったなと聞くと、ジャニパーズの2人組を見かけなかったと尋ねれば、誰でも教えてくれると胸を張っていた。

 しばらくそんなことを続けるうちに、人懐っこくて何か憎めないゾウに対し、「アイツはアホだが、悪いヤツではなさそうだ」と見解が一致した。そして、マナリではほぼ1ヵ月、毎日のように会って、いろんなことをして遊んだ。聞くと、アフガンのカブールで生まれ、14歳のころから1人でインドに来て、“ヒッピー”をしていると言っていた。兄さんの1人はイランでテレビ局に勤めているとも言っていた。当時は私より年上で、30歳だったと記憶している。では“ヒッピー”をしているとは、どういうことなのか。そんな野暮なことは聞かないでほしい。

 カブールはその昔、インドからヨーロッパへ陸路で向かう旅行者の“溜まり場”として有名だった。ヒッピーもたくさんいたことだろう。そんなヒッピーを見ながらゾウは育ち、自分も“ヒッピー”になってしまったというわけだ。そういう意味で言えば、マナリもヒッピーの溜まり場であった。ゾウもここに来るのが目的であったようだ。もう何回もマナリには来ていると言っていた。

 あるときは、山の中にある沐浴場に連れて行ってもらった。それが冒頭の写真である。この沐浴場は雪解け水を引いており、驚くほどに冷たいのである。奥側のばあさんの顔がその冷たさを何よりも如実に語っている。私も入れと勧められたが、片足を入れただけで神経が麻痺してしまった。ゾウはここでも大人たちには冷ややかな目を向けられていたが、子供や若い娘たちには結構な人気者であった。そして、ゾウをみると子供たちは、「レッツ・ゴー、ゾウ」「レッツ・ゴー、ゾウ」と口々に叫び出した。

 そのときのゾウの姿を、私は今でも忘れることができない。やおら着ている服を脱ぎ捨てると、パンツ1丁になって沐浴場に歩き出し、いきなり冷たい水をめがけて飛び込んでいったのだ。その表情はいつもの“にやけたイヤらしさ”が消え、実に真剣そのものだった。その雄姿が下にある写真である。要するに、大阪流に言うと“カッコをつけていた”のである。結局、ゾウは続けて3回の飛び込みを行ない、最後は子供たちに手を振りながら帰って来た。


写真キャプション=冷たい木浴場に飛び込む「ゾウ」の雄姿

 アイツはその姿を見せたくて、あの山の中の沐浴場まで私たちを連れて行ったのかもしれない。そして、私たちに付いてきたのも、私の相棒とお友達になりたかったのかもしれない。それはそれでいいだろう。確かに面白い男だった。私も旅の途中でいろんな人間にあったが、マナリの山中でゾウと過ごした1ヵ月は、かなり鮮明な思い出となって残っている。何かこのゾウは、このブログを一緒にやっている“猪八戒”と似ていると思うのが、どうだろう。読者の皆さんの公平な判断を仰ぎたい。

 それにしてもゾウはいま、どうしているのだろうか。私はそれからカイバル峠越えをしてカブールに行きたかったのだが、戦争中でそのルートを断念せざるを得なかった。仕方なく、パキスタン南方のバルチスタン砂漠を越え、イランのシラーズから北上してテヘランに入る“大迂回の南ルート”を進むしかなかった。その途中、イランの兵隊には随分いじめられた。

 私が描く夢は、カブールで年老いたゾウがチャイハネをやっているというものだ。そこにグレート・ジャパニーズ・タローが突然、訪ねていく。ゾウは歓迎してくれて、互いに抱き合う(お前は「世界ウルルン滞在記」の再会シリーズのレポーターか!)。店の奥では、キレイだが気のきつそうな奥さんが、2人を不思議そうに見ている。ゾウは涙を流しながら私の耳に口を近づけ、「あのときのお前の相棒を連れてきたんだろうな」と厳しく問いただすのである。

 いずれにしても、ゾウはゴアあたりで野垂れ死にしているか、インドでその商才を生かして莫大な財を成しているかのどちらかだろう。カブールはいまだゾウが帰れるほどに環境は整っていない。これは実に悲しいことだが、そんなことは世界に一杯ある。「お前の名前は日本では“象”という意味だ」と言ったら、「俺もカブールにいるときは“エレファント”だった」とゾウは答えた。そんなことを思い出しながら、私は中村医師の本を読んでいたのである

 これで1週間前の12月2日(日)に書いた原稿の説明は終了する。それにしても、このテーマで1週間を乗り切った。もう、そろそろパチンコに帰っていかないといけないだろう、と思っている佐渡屋太郎であった。(佐渡屋太郎
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| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 00:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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