遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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ダイナムの“一点突破”についての雑感【佐渡屋太郎-vol.274】

『中内力自伝「選択」すべては出会いから生まれた』(中内力著、2004年、神戸新聞総合出版センター)

いまは13年2月9日(土)の18時40分。この原稿を書こうと思って、パソコンを立ち上げたら、リクルート元会長であった江副浩正氏が亡くなったことを知った。実に、感慨深いものがある。20歳代の前半から中盤に掛けて、私のライター人生はリクルートが発行する雑誌の記事を書くことで始まった。当時は編集プロダクションに泊まり込み、『就職情報』『とらば~ゆ』『Beruf』などの記事を書いていた。昼間は取材で、夕方に事務所に帰ってきて徹夜で原稿を書き、家に帰れるのは日曜日だけという生活であった。江副氏のことを耳にすると、いつもあの頃の生活を思い出してしまう。

私は学生時代に8ミリ映画を撮っていたので、無茶苦茶な生活には慣れていた。したがって、そんな毎日には驚かなかったし、その後も似たような生活を続けている。ただ今思えば、あの頃のヒリヒリとしたような興奮状態が懐かしい。その背景に、リクルートの躍進があったのは確かだろう。新たな雑誌が次々と立ち上がり、担当者も次々と代わり、新たな仕事がどんどんと入ってくる。あした何が起こるか分からないような“ときめき”に突き動かされながら、穴蔵のような事務所で原稿を書いていた。

私自身のことで言えば、学生の頃からアルバイトの1つとして原稿書きをしていたが、就職することなど考えていなかった。卒業後は窓拭きのアルバイトを続けながら、自分で納得できる8ミリ映画を1人で撮る計画だった。しかしその事務所の社長に、「考えが甘い」とドヤしつけられ、半ば強引に引きずり込まれてしまった。これも“運命”ということなのであろうか。最初の給料は8万円で、「俺が授業料をもらいたいくらいだ」と言われた。その社長は学生運動くずれのまったく無茶苦茶なおっさんであった。

『大往生したけりゃ医療とかかわるな―「自然死」のすすめ―』(中村仁一著、2012年、幻冬舎新書)

大学生の終わり頃、私は通称“ブランコ”に乗って、ビルのガラス拭きをしていた。日当は1万円の高給取りであったのだが、その会社に入って給料は1/3くらいになってしまった。そこで最初の頃は仕方なく、休みの日に窓拭きをしていた。しかし、しばらく経つと、給料は毎月あがっていった。そのころのリクルートはまさに“飛ぶ鳥を落とす”勢いであった。書いても書いても次々と原稿の発注はくるし、新たな雑誌も発行されていった。新たな企画を立ててページ枠を取ってくると、また給料は跳ね上がった。

事務所はより広いところに引越し、形だけの新卒1期生の私に続いて新卒採用も行うようになった。それまで椅子を3つ繋げて寝ていたが、新しい事務所には折りたたみベットが用意されていた。この状況を喜んでいいのか、悲しんでいいのか。それから私はほとんどアパートに帰ることがなくなり、会社の近くの銭湯に通い、朝は総務のおねえさんに起こしてもらうという生活になった。社長の同志でもある制作第1課(ちなみに、2課は『住宅情報』の担当であった)の編集長とともに、“泊まり込み”の毎日だった。あの頃のことを考えると、真っ先に浮かんでくるのが、暗い部屋のなかで机上のライトだけに照らされた編集長の後ろ姿だ。

暗闇のなかでそこだけ明るくなった机に向かい、編集長は猫背でシコシコと原稿を書いていた。その後ろ姿を見ながら、「俺も頑張らなければ」と若き佐渡屋太郎は自らの尻にムチを打っていたのである。その光景こそが、当時の雰囲気のすべてを象徴している。いま思えば泣きたくなるくらいに懐かしい。編集長は埼玉に家を買ったのに、月曜には1週間分の着替えをボストンバックに入れて、会社にやってきた。以前は「プレイボーイ」など週刊誌のライターをしており、夜中にその頃の仲間であり、いまは東京都知事となった猪瀬直樹氏からもよく電話が掛かってきた。私はたまたま編集長の大学の後輩であったことから、徹底的にしごかれ、なぜかいつも2人で徹夜をしていた。編集長からは「3年で一人前にしてやる」と言われたが、私は3年になる前にインドへ旅立ってしまった。したがって、私はいまだに“半人前”ということになる。

『日本中枢の崩壊』(古賀茂明著、2011年、講談社)

しかし今から思うと、あの頃の3年弱でやった仕事は、今の10年分くらいに匹敵すると思う。次々と大きな仕事をさせてもらった。リクルート隆盛の波に乗って、実に貴重な体験をいくつもした。ある大企業を取材したときは、5人の重役に取り囲まれての取材であった。そこで「リクルートさんはこんな若い人が記事を書いているのですか。さすがですね」と言われた。当時の私は25歳。そこでアホな佐渡屋太郎は、「もう4~5年くらい遊んでもいいか」と思ってしまった。また、いつも怒られていた今はなき父親からも、「30歳になるまでにはしっかりしろ」と言われ続けていた。その言葉を悪用し、結局は30歳になるまで国内・国外への放浪を続けることになったわけである。今思えば、もう3年くらいフラフラしていればよかったと思っている。そうすればもっと筋金入りに人間になれたはずだ。

その会社を辞めると告げたとき、編集長は実に悲しそうな顔をした。それから辞めるまでの1ヵ月間は、口も聞いてもらえなかった。そのころ、私は編集長とは違う雑誌を担当していたので仕事には支障はなかったが、辞めるまでに3号分の原稿を書かなければならなかった。そんなある日、旅の支度もあり、久しぶりでアパートに帰って溜まりに溜まった衣類の洗濯をした。場所は中野天神町のコインランドリー。洗濯の間の時間潰しに、会社から持ち帰った『就職情報』を読むことにした。『就職情報』は編集長の担当で、特集のタイトルは「辞める決心」というものあった。その記事を読み進めるうちに私は“釘付け”になってしまった。何と、その事例の2つ目に仮名ではあったが、明らかに私のことが長々と取り上げられていたのだ。そこには編集長によって観察された私の行動と心理描写が、リアルに書かれていたのである。

その内容は、概ね辞めることに肯定的なものであった。これは雑誌の性格上、そうならざるを得ない。しかし、あの人は転んでもただでは起きず、何でもネタにして、記事に仕立て上げる“技”を持っていた。結果的に、私は編集長に最高のネタを提供することになったのである。これが最後の恩返しと言うべきか。しかし、私はその記事を読みながら、なぜか涙がボロボロと落ちてきたことを憶えている。淡々としたテンポのいい文章であった。それが編集長の文章の“真骨頂”であり、当時の私はそんな文章に憧れて懸命に仕事をしてきたのである。そんな毎日がもう少しで終わる。あの毎日が過去のものになろうとしている。そして、編集長も今の私には通り過ぎる人になろうとしている。そのことが悲しかったのかもしれない。しかし、そんな“悲しさ”を私は旅に出て、嫌というほど味わうことになる。“会うは別れのはじめなり”である。その点では、私は随分と“強く”なった。

『官僚の責任』(古賀茂明著、2011年、PHP新書)

実は先日、江副氏の本を古本屋で見つけた。「リクルート事件」に関し、自分の見解を述べたかなり厚い本であった。暇なときに、じっくりと読んで昔の思い出に浸ってみよう思って買ったはずであった。その矢先の江副氏の訃報であったので、何かの因縁めいたものを感じる。しかし、この記事を書く前に、その本を探したが見つからなかった。いま、この仕事部屋はどんどんと本が積み上がり、凄いことになっている。昨年の終りから取材に出るたびに、15冊から20冊の古本を買い込んでくるからだ。さらに取材に行くと、参考資料としてよく本をもらってくる。今週は仕事がらみで4冊の本を読んだ。

そのうちの2冊は前回にも書いたダイナム関係のものである。3冊目は取材の時にもらってきた『中内力自伝「選択」すべては出会いから生まれた』(中内力著、2004年、神戸新聞総合出版センター、2004年刊)。中内力氏は、長男である功氏とともに1957年にダイエーを創業した中内家の四男で、69年にダイエーを退社後、シンエーフーズ、神戸ポートピアホテルなどを創業して活躍した。ダイエーでは功氏が営業、力氏が財務・人事・総務・店舗開発を担当。ある人が「ダイエーは兄貴と君、二人がいるからうまくいっている。車にはハンドルとアクセルとブレーキがいる。アクセルだけの車になったらえらいことになる」と言ったそうだが、その通りになってしまった。私は力氏の方が経営の才能があったように思う。番頭役を切った途端に会社が暴走を始め、社長がワンマン、裸の王様になって破綻するケースは私もよく見てきた。

4冊目は、『大往生したけりゃ医療とかかわるな―「自然死」のすすめ―』(中村仁一著、幻冬舎新書、2012年刊)。昨年は多くのセミナーを取材したが、中村先生の話が最も印象に残っている。この本はすでにベストセラーとなっているが、年配者の方にはぜひ一読を勧めたい。内容を私流に解釈すると、60歳を過ぎたら死ぬ覚悟を持てということだ。病院で無理な延命をされて苦しみを長引かせるより、昔のように寿命を素直に受け入れ、枯れるように死んでいくのが本人にとっても幸せであると中村先生は説く。医療の実態や限界に関しても分かりやすく教えてもらった。人間の体はうまく死ねるようにできている。その死に様を若い人たちに見せてやることも、老人たちに残された重要な役割であると痛感した。

そして、やっと今回のテーマであるダイナムに辿りついた。この件に関しては、いろんな観点から書いてみたいと思っているので、今回はさわり程度にしたい。まず、この香港上場の件を聞いたとき、頭に“一点突破”という言葉が浮かんできた。ホール企業の上場は“悲願”とも“究極の夢”とも言われてきたが、ついにダイナムジャパンホールディングス(ダイナムJHD)によって、最初の“風穴”が開けられた。それはジャスダックでの申請却下以降に漂っていた上場への絶望感、さらにここ数年の広告規制などで痛めつけられた業界の現状を考えれば、まさに見事な“一発逆転”であったと思う。しかも、日本ではなく香港での上場という点は、いかにもホール業界らしい背景が感じられ、一層ドラマチックであった。

『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』(佐藤優著、2007年、新潮文庫)

しかし、こんな“ウルトラC”の技を使わなければ、上場できなかったという状況を考えるにつけ、日本の硬直化した政治・行政システムに怒りを感じる。新たなことに対する決断ができず、自分たちの既得権の存続に血道を上げる管理者たちが、どれほどこの国をダメにしてきたことか。それは今回の上場だけでなく、様々な分野に立ち遅れを作ってきた。昨秋から仕事の関係で、『日本中枢の崩壊』(古賀茂明著、2011年、講談社)、『官僚の責任』(古賀茂明著、2011年、PHP新書)、『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』(佐藤優著、2007年、新潮文庫)、『体制維新―大阪都』(橋下徹・堺屋太一著、2011年、文春新書)など政治・官僚ものを読み続けてきたが、怒りは高まる一方だ。

要するに、政治家は政策実現にために責任を取る勇気がなく、官僚は国益よりも省益を優先して自らの権力保持に努めるというお馴染みの構図である。この構図を変革するのは、従来のシステムを抜本的に変えるしか方法はない。その方法も上記の本で提案されている。ただ、ここまで原因が分かっているのに変えられないのは、それが激しい“権力闘争”を伴うからだ。国民はその闘争に勝ち抜けるヒーローの出現を待ちながら、何回も失望を体験してきた。しかし、もう後がないところまで来ている。民主党にはつくづく失望し、最後には怒りさえ感じた。口先だけの非難ではなく、国を動かす力を持たなくてはならない。実に、何もできない政権であった。一度、解党して各議員の志と実力を点検した方がいい。さて、安倍氏はここまで快調に決断を下して難題を動かしつつあるが、果たしてどこまでやってくれるのだろうか。

そんな目で見れば、パチンコ業界も天下りの巣になっている。大手遊技機メーカーからホール組合の事務局まで、警察出身者は代送りでそのポストを確保している。また、ホール現場においても気まぐれな“裁量主義”によって、行政は権力を振りかざしている。政治家にも多大な献金をしていたようだが、ことホール企業の上場には何の役にも立たなかったというべきか。その背景にはホール企業の約4000社のうち、上場を志向する企業が極少数であったという事情もある。さらなる皮肉は、上場における最大の懸案であった“換金の合法性”に関し、責任を持って立証したのが、日本の弁護士であったことだ。“直ちに違法とは言えない”と明言を避けた監督官庁の尻込みとは、好対照をなした決然とした態度である。この国の管理者は“決断”ができないのだろうか。

『体制維新―大阪都』(橋下徹・堺屋太一著、2011年、文春新書)

韓国や中国のビジネスマンと話すと、日本との取引における“決断の遅さ”を多くの人が指摘する。そんな相手とはビジネスはできないとも言う。日本人の特性でもある“曖昧さ”は、スピードを重んじる昨今のビジネストレードにおいては大きな障害となるし、行政の“裁量主義”を許す土壌ともなっている。結局、誰も責任を取りたがらないのである。だから、事が前に進んでいかない。その結果、すべてにおいて後手後手にまわり、格好のチャンスを逃し、さらには取り返しのつかない事態に陥る。まさに今の日本の縮図でもある。

その中での“一点突破”はとても勇気のいることであるし、相当な思いがないと途中で潰されてしまう。たとえば、その試みが失敗すれば、“それ見たことか”と誰もが口を揃えて批判する。しかし、成功すればどこからともなく擦り寄ってきて、その試みを褒め称え、何の良心の呵責もなくその恩恵に与(あずか)ろうとするのである。これが日本人のいやらしさでもある。その点では、今後における日本の証券会社や証券取引所、さらに政治家や行政の動きが見ものだ。いつから日本はこんなダメな国になったのであろうか。いつから、こんな“腰抜け”だらけの国になったのであろうか。ダイナムの“一点突破”の快挙を見るにつけ、他国の“決断”を仰がなければならなかった国民の悲しみを感じる。以前、拉致家族が米国の大統領に、涙ながらに救済を懇願する姿を見たときにも同じ気持ちになった。いつから日本はこんなダメな国になったのであろうか。また、怒りがぶり返してきた。(佐渡屋太郎)

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