遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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人間の「はな」と犬の「ハナ」のこと【佐渡屋太郎-vol.269】

ポカラのペワ湖で一緒に船に乗る「ハナ」

いまは12年12月14日(金)の13時40分。目下、年末から新年向けの原稿ラッシュの渦中にある。1年で最も忙しい時期と言ってもいい。昨日はだいぶ頑張って、一気に長い原稿を書き切ることができた。そこで、今日は気分転換を兼ねて、午前中はブログの原稿でも書いてみようかと思った。ただ、スキャナが壊れていることが数日前に判明した。放浪中にアナログカメラで撮った紙焼きを、スキャナでデジタル化してブログに掲載する準備をしていたときのことだ。仕方ないので今日は朝一でプリンターの会社に電話をして、あれこれと試してみたが、どうも「切り取り機能」が故障しているらしい。

ただ、この忙しい時期にコピーが使えないと大混乱が起こってしまう。そのことを言ったら、電話の女の子から別のスキャン方法を教えてもらえたので、最悪の状況は回避することができた。修理に出すのは年を越してからにした。そんなことをしているうちに、貴重な午前中の時間は過ぎていってしまったのだ。しかし、いまスキャンされた30年近く前の画像を見ていると、時間の軸が歪んできて、眩暈(めまい)を感じるほどの混乱が起きてくる。あの頃は体を動かして、より遠くへ行くことだけを考えていた。そして、行き着いた終点には、何か自分でも驚くような結末が待っているような気がしていた。きっと誰かが私の人生のシナリオを書いており、自分はそれに忠実に従っていくことしか頭になかった。その遠大な物語もそろそろ終わりに近づこうとしている。

近頃、いろんなことの因縁を探って考えるようになった。そして、その1つひとつにいろんな意味があったことに気付かされる。だから、毎日のように「そういうことだったのか」とか、「そう言う意味か」と独り言をつぶやいている。前回は8ヵ月で流産した長女の「はな」のことを思い出して、彼女の存在(あるいは不存在)がもたらした意味が分かった。そして、その処置の仕方も閃(ひらめ)いた。それは「なは」を思うときの“拠り所”を作らなければならないということだ。近いうちに、観音菩薩像か20歳になった女の子のフィギアを木で彫ろうと思っている。“身代わり地蔵”から抜いてきた「はな」の魂が宿る“依代”(よりしろ)を、自分の手で作ってやらなければならない。これが私に課せられた喫緊の宿題である。

ペワ湖の向こう岸に草を食べに行くため、必死になって泳いでいるバフ(水牛)

実は、私には「ハナ」という名を付けた女性が、あと1人いた。彼女と初めて出会ったのは1987年6月で、今から25年前のことだ。場所はネパールのポカラ。チベットからカトマンドゥを経て、ポカラに着いたのは6月20日だった。当時の日記を出して調べてみると、6月30日のところに、「雨の中、ハナをボートに乗せてペワ湖の“中の島”行きを決行。ダムサイドへも遠出する」と書いてある。そして、7月5日の項には「ハナとともにポカラの夕日を見る。17時30分、ポカラ発パトナ行きのバスに乗る」と書いてあった。前回、人間の「はな」のことを書いたら、急にもう1人の「ハナ」の姿を見たくなってきた。

その「ハナ」とは犬のメスで、私とともにポカラから国境を超え、インドのブッダガヤまで一緒に旅をした。しかし後から考えると、「ハナ」が何を考えていたのか、「ハナ」は私にとってどんなことを意味していたのかが分からなくて、いつも考えが“堂々巡り”をしていたのである。まず、前回のブログを書いたあとすぐに、「ハナ」の写真を探した。86年から87年の大放浪の写真はおよそ700枚で、2冊のアルバムに収められている。1年間で36枚撮り×フィルム46本=1,656枚の写真を撮り、その中から選び抜いたものだ。しかし、そのなかに、「ハナ」の写っているものは4枚しかなかった。1枚はポカラでのもの。あとの3枚はブッダガヤのガンジス河沿いで撮ったものだ。いま思えば、非常に貴重な写真だ。

その写真をスキャンしようとしたとき、プリンターのスキャナが故障した。この時、改めて私は「ハナ」の力を思い知らされた。そう、「ハナ」は物凄い力を持った犬であった。最初に出会ったのは、ペワ湖沿いのレストランだった。私が庭に置かれたテーブルで夕食を食べていると、外から1匹の犬がまっすぐに私の坐っている椅子の下に来て、いきなり寝転んだ。私はしばらくそこにいたが、エサは何も与えなかった。そして、席を立って山の方に借りていたロッジに帰ろうとしたら、その犬も立ち上がって付いてきた。人懐っこい犬だとは思ったが、途中で帰って行くものだと思っていた。

途中の細道にバフ(水牛)が5頭ほど寝ていて、道を通ることができなかった。しかし、後ろを歩いていた犬が急に前に出ると、吠えもせずにあの巨大なバフを追い払った。でも、ロッジの前では帰るだろうと思っていた。私の泊まっているロッジでは、若くて大きなシェパードを飼っていたからだ。侵入者には容赦なく飛びかかってくる勇ましい犬だった。私が門の戸を開けると「ハナ」も平気で付いてきて、敷地の中に入った。シェパードは低い唸り声を上げたが、凍りついたようにその侵入者に手も足も出なかった。私が自分の部屋のドアを開けると、するっと「ハナ」は部屋の中に入り、ベッドの下に潜り込んで、さも自分の家ででもあるようにスヤスヤと寝入ってしまったのだ。

私は毎日のようにペワ湖にボートを出し、昼寝をしたり泳いだりしていた。私が船を出すと、「ハナ」も当然にように乗り込んできた。そんな日々を過ごすうちに、また懐かしいインドへ3年ぶりで入ることにした。そして、日記にあるように7月5日、「ハナ」とポカラ最後の夕日を見て別れを惜しみ、パトナ行きの夜行バスに乗り込もうとドアを開けた。すると、「ハナ」はすごい勢いでバスの中に入っていき、私の座ろうとする席の下に潜り込んだ。さすがの私も、これは黙認することはできない。何しろ、これから国境を越えるのだ。近くに遊びに行くのとは訳が違う。3回ほど「ハナ」を抱きかかえてバスの外へ出した。しかし、新しい客が来てドアを開けるたびに、猛然としたスピードでドアの隙間から体を入れ、また私の席の下に潜り込んでいる。一緒に乗っているネパーリーたちや車掌がそれを見て、「ジャパニーズ・クッタ」といって喜んだ。「クッタ」とはヒンズー語で「犬」のことだ。彼らは私が日本から連れてきた犬だと思っていたのだ。私は「ネパーリー・クッタ」であると説明した。

ブッダガヤにやっとの思いでたどり着いた私と「ハナ」

私は仕方なく、国境でのイミグレーションでは帰るだろうと、最後の希望に賭けることにした。その夜、バスの中で「ハナ」は1回も吠えなかったし、動き回ることもなかった。まるでいるかいないか分からないように、静かに寝入っていた。このとき、これは犬ではなく、人間ではないのかと初めて思った。ネパールで沈没した日本の旅行者が人間から犬の姿にされ、日本に帰りたくて私に付いてきたのではないかというストーリーを考え出した。そう思わないと理解できないような「ハナ」の行動であった。当時、ネパールにハマリ込んだジャンキーは、バフに姿を変えると言われていた。その証拠に、バフの群れに向かって「鈴木」とか「佐藤」などいくつかの名前を呼び掛けると、必ず振り向くヤツがいる。そいつがたとえば「鈴木」の成れの果ての姿であるというわけだ。だから、犬に姿を変えるヤツがいても不思議ではない。それが「ハナ」の元々の姿ではないのかと考えたのだ。

結局、ボーダーでも「ハナ」は帰ろうとしなかった。イミグレーションのオフィサーに、「おい、ジャパニーズ、その犬はインドのビザを持っているのか」とからかわれた。しかし、インドに入ると、強い「ハナ」が急に弱くなった。リキシャーに乗ると、インドの大きくて狂犬病のような犬の群れが吠えながら追いかけてくるのだ。やつらの目的は、侵入者である「ハナ」だった。仕方なく「ハナ」をリキシャーに上げて抱き、飛びついてくる犬たちから守った。それから汽車に乗りパトナからガヤに行き、ガヤからオートリキシャーでブッダガヤまでやっとの思いでたどり着いた。その時、私はネパールから送ると盗まれるので、インドから送れと言われたチベット絨毯を持っていた。さらに、ラジカセやカメラ3台、ウォークマン3台など売り食いするための30kgの荷物を抱えていた。それに加え、新たに「ハナ」という荷物も増えたわけだ。ブッダガヤに着いたときには心底、憔悴していた。

その姿を見ていたインド人がいた。それがラジェスとリアジほかの仲間たちである。小さい頃から菩提樹の数珠を日本人に高値で売りつけ、その儲けで大きくなったようなインド商人の若者だ。日本語も堪能で、長じてからはその巧みな話術で日本人の女の子を騙し、いい思いをしている悪党でもあった。そいつが着いたばかりの私に寄ってきて、「どこから来たのか」と聞いてきた。私が「ポカラから来た」と言うと、「俺は小さい頃からここで多くの観光客を見てきたが、ネパールから犬を連れてきたのはあんたが初めてだ」と言ってニヤリとした。佐渡屋太郎はインドで1年間、十分に鍛えられていたのでラジェスからは結局、何も買うことはなかった。しかし、あいつは毎日のように私の泊まっているホテルに来て、取り留めもない話をしては、いろんなところに連れて行った。結局、ブッダガヤには7月6日から15日までの9日間いたことになる。14日にガンガの中洲までわたり、夕日を見たときの写真が今回、掲載したものだ。

ガンガ沿いで撮った私と「ハナ」の貴重なツーショット

ラジェスとリアジとは7月10日に、酒を飲んだと日記に書いてある。その日はネパールから抱えてきたチベット絨毯を、ラジェスの店で本格的に梱包してもらい、発送も頼んだ。その時は一抹の不安もあったが帰国後、無事に届いていたのであいつもまんざら悪人ではなかったようだ。だた、内容物に不信を持たれ、税関まで引取りに行かなければならなかった。チベットの国旗にも描かれている“ホワイトライオン”が織り込まれた最高の一品である。その頃から、ラジェスは「あの犬をどうするのか」と聞いてくるようになった。その時の私の目標は、ユーラシア大陸を陸路で横断し、ポルトガルのロカ岬までいくことであった。とても、「ハナ」を連れて行くことはできない。

その一方で、「ハナ」の様子は激変していた。食事をするために外へ出ると、尻尾を股の間に巻き込み、とても怯えているのだ。ポカラではそんな「ハナ」ではなかった。何しろ、バフも恐れる猛者であった。しかし、ブッダガヤではインド犬の群れに追われ、池に落ちたこともあった。その姿を見て、私は大きく落胆した。そして考えた。この犬はブッダガヤに来たかったのではないのか。インドに来て何をしようとしていたのか。その気持ちや目的が分からないことに、私は苛立ち、大きく悩んでいた。私はブッダガヤに着くと、太い丸太を拾い、外に出るときは常に持って歩いた。「ハナ」に向かって飛びかかってくる狂犬どもを、叩きのめすためだ。私もそのときは、1匹の犬であったと思う。真剣にインド犬たちと毎日、正面から向き合っていた。

そんな日を過ごし、デリーに向かう日が近づくとともに、ついに私はラジェスの問いを撥ねのけることができなくなってきた。そして、「もし、俺がこの犬を連れて行かないとしたらどうする」とラジェスに聞いた。その問いに対してラジェスは、「俺がお前の代わりに飼ってやる。そして、また犬の顔を見にここに来い」と言ってくれた。別れの日の朝、ラジェスはホテルにやってきて、「ハナ」を抱きかかえて家に連れて帰った。不思議と「ハナ」は大人しかった。毎日にようにラジェスと顔を合わせるうちに、微かな信頼感を持ったのかもしれない。何しろ、あいつは日本の女の子をたぶらかすことに関しては、第1級の腕を持ったインド商人である。

ブッダガヤで「ハナ」が安心できるのはガンガの川沿いしかなかった

1度、ラジェスの仕事振りを見たことがある。相手は日本の坊さんの団体であった。その団体に向かい、ラジェスは「先生、これは仏様が悟りを開いたところの菩提樹の実から作った数珠です。これはここでしか買えません」と真剣に語りかけていた。坊さんは、「感心な若者だ」と言っていた。この「先生」という言葉に、あいつの商人としての腕前を実感した。20年間の経験のうちに、あいつはこの言葉を編み出したのだ。そして、私に教えてくれた10倍くらいの値段で、腕に掛けた数珠は飛ぶように売れていた。所詮、「ハナ」も1人の女であったということか。その夜は100ルピーでウイスキーを買って、ラジェスとリアジと別れの酒を飲んだと日記に書いてある。「ハナ」の様子を聞いたら、盛んに鳴くので首輪を付けてつないでいると言っていた。「頼むぞ」と言ったら、ラジェスは「ノー・プロブレム」と答えた。その後、私たちはフラフラになってオートリキシャーに乗り込み、歌を叫びながらガヤに向かい、私は22時発のニューデリー行きの汽車に乗った。

これが「ハナ」との付き合いの全貌である。これまで断片的に書いたことはあったが、出会いから別れまでを通して書いたのは初めてだ。結局、「ハナ」と一緒にいたのは26日間であった。私はその後も旅を続け、出発してから1年間を掛けて目標のロカ岬にたどり着いたが、「ハナ」との思い出が1番強く残っている。その証拠に、いまでも置いてきた罪悪感に捕われているのだ。その後、ブッダガヤに犬を置いてきたとインド人に言うと、あそこでは犬を食うとか売り物にするという話を聞いた。日本に帰ってきてから、「ハナ」が妊娠したリアルな夢を見て、喜んだこともある。しかし、私はそれからラジェスとは連絡を取ってもいないし、ブッダガヤにも行っていない。

「ハナ」を引き受けてくれたインド商人であるラジェス(右)とその相棒のリアジ

そして、その5年後に私の元妻は2度目の妊娠をした。何ヵ月かの時点で検診をしたら、胎児は女の子であるという。その時、私は瞬時に「はな」という名前を付けた。犬の名前を人に付けることに少々の抵抗感はあったが、何しろ「ハナ」は犬というより人間であると思っていたし、私には他の名前を付ける気持ちは全くなかった。「ハナ」が人間として再生してくるような、不思議な因縁を感じていた。しかし、前回に書いたように人間の「はな」は8ヵ月で流産してしまった。それ以降、元妻は子供を産もうとはしなくなった。そこでまた、私はその流産の意味を考えたわけだ。最初に考えたのは、犬の「ハナ」が人間の「はな」に嫉妬して殺してしまったのではないかということだ。もちろん、その責任は私にある。

当時の私は、犬の「ハナ」が人間の「はな」になることによって、佐渡屋太郎は「ハナ」を日本に連れて帰ったというストーリーを考えていた。しかし、その手前勝手な物語は、流産によって見事に否定されてしまった。「ハナ」は怒っていたのではないか。その怒りは犬の祟り、ヒマラヤの祟りとなって、私に天罰を加えたのではないか。しかし、あの時点で私は「ハナ」を置いてくるしか方法はなかったし、それは「ハナ」にとっても安楽に暮らせる道であるという判断があった。ただ、なぜ「ハナ」の名前を「はな」に付けたのか。これも私にとっては当然の成り行きだった。この因縁が永年にわたる私にとっての謎だった。

あれから25年が経った。「ハナ」の怨念も、私と「はな」が天罰に当たることで静まっているころではないだろうか。その「はな」も佐渡から連れて帰ってきたし、「ハナ」の魂も呼び寄せなければならないと思っている。しかし、「ハナ」は一体、どこに行きたかったのだろうか。25年を経ても、私には未だに分からない。もし、他に行きたいところがあれば、ラジェスの家から逃げ出すチャンスはいくらでもあるだろう。その土地に慣れれば、ポカラでの強さを回復することもできるだろう。ただ、いくら長生きしても「ハナ」がいま生きていることはない。その魂を受け継いだ子や孫がこの世にいるのかどうか。「ハナ」の像も彫らなければならない。結局、「ハナ」は私が死ぬまで頭の中にいる存在となった。いま、ブッダガヤに強く呼ばれているような気がする。また、ラジェスに会いにいかなければならない。(佐渡屋太郎)
 
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