遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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夏を総覧する(2012佐渡日記⑦)【佐渡屋太郎-vol.267】

今年、佐渡地方を襲った春の嵐によって荒らされた我が家の竹薮

いまは12年11月14日(水)の18時55分。一昨日から今日に掛けて、また裁縫にのめり込んでしまった。単行本の仕事もあり、その他に溜まっている原稿、1日も早く提出しなければならない書類もあるのだが、どうもやる気が起こらない。それで逃避行動に走ってしまったのである。前回このブログでも書いたジージャンのポケット付けの成功により、“裁縫熱”が再発している。一昨日は京都での打ち合わせから帰ってきてから、古着屋で買ってきたジャケットの内ポケット付けを行なった。内ポケットにはいつも名刺入れを入れることにしているが、そのジャケットには内ポケットがなかった。では、どうするのか。自分で付けるしかないだろう。そのため、一昨日はジャケットの内ポケット付けに没頭した。

そうして考えると、自分が持っている衣類で、ポケットがなくて不便をしているものがいくつかある。それで思い出したのが、以前に通販で買った伸縮するジーパンであった。“伸縮自在”という機能性に惹かれて買ったのだが、届いて履いてみたら、尻ポケットも前ポケットもないことに気づいた。これでは外に履いていくことができない。財布、鍵、ハンカチを入れるという基本的な“機能性”が欠けているからだ。それでずっとタンスの中に眠っていた。ポケット付けにハマっている佐渡屋太郎にとっては、絶好の獲物であった。それで昨日、買い物から帰ったあとで取り出し、尻ポケット付けを敢行した。黄色い糸で縁どりもする徹底的な作業を夜まで掛かって完成させた。

続いて今日は、前ポケットに挑戦した。これは前回のジージャンのポケットと同様の手法である。まず、内袋を作る。寸法と形は他のジーパンを参考にした。横が16cm、深さが27cmにして、内股にかけて緩やかなカーブを付けると、中に入れたものが落ち着き、手を入れたときの感触もよくなる。その後はジーパンの足の付け根部分に曲線の切れ込みを入れ、内袋の入口と接合していくわけである。この時は内袋を内部にしつけ糸で固定してから、接合作業に入ると仕事もしやすいし、きれいに仕上がる。とくにジーパンの切り口と内袋は折り返しをして、きれいに縫い合わせるところがポイントとなる。あとは、内袋をしつけに沿って、ジーパンの内側に縫い付けていけば完成となる。

佐渡屋太郎のアイデアによって作られた“竹置き場”とモミジの苗場

まあ、これも一種の原稿書きからの“逃避行動”ではあるが、そう毎日つづけて原稿を書いていては、頭をやられてしまう。今回、縫い物も気分転換の1つになると認識を新たにした。縫い物なら、毎日やっていても飽きないような気もする。そのほか、木工や物の修理も大好きだ。いずれは自分の工房を持ち、いろんな物を気の向くままに作ってみたいという夢を持っている。いつになったら実現できるのか。今日、駅前でやっていた“手作り市”のイベントを見てきたが、陶器の一部を除き、あとはおしなべて定形にはまったものばかりで、創作欲を刺激されるようなものはなかった。昔、インドはゴアのフリーマーケットで鍛えた腕で、アッと言わせるような物を作ってやろうかとも、密かに思っている佐渡屋太郎である。

さて、今回はいよいよ「2012佐渡日記」も、締めに入らなくてはならない時期となった。夏を回想しているうちに、もうそろそろ冬を迎えようとしているではないか。これも仕事に追われて書く回数が少なく、しかもインターバルが永かったことが要因である。すべて私の怠惰が為せる業であるが、そもそもチンタラ書いていくのが、このブログを始めたころの姿勢であった。そこで今回は、差し迫っている状況を勘案したうえで、これまで6回に亘る佐渡日記で掬いきれなかった所業を写真で見ながら、回想していくという形でまとめていこうと思う。まず、ここまでに掲げた2点の写真のうち、1点目は春の嵐で荒らされた竹薮の惨状である。昨年、あれほどきれいに整備したのに、1年経つともうこんな状態になっていた。

2点目は、今年わたしが作った“竹置き場”である。いとこのMのところから大型のハンマーを借りてきて、竹の支柱を打ち付けて作った。これならどれだけ多くの竹を切り出しても、きれいに収納することができる。竹薮の奥にあった収納所を参考にしたが、我ながらなかなかのアイデアであったと自画自賛したい一品である。さらに、写真をよく見てほしい。手前には父が竹薮の中にまで植えたモミジの一部がある。そして、その下にはモミジの苗がいくつも育っていた。今回、京都に持ち帰ってきたモミジは、ここから採集したものである。もちろん、土も一緒に掘り起こして持ってきた。成功率9割を記録した“モミジ苗の宝庫”を、私は竹置き場を作りながら発見したわけだ。この発見は、私にとってとても大きな感激を与えてくれた。

伐採された幹と枝、さらに竹に点火され、勢いよく燃え始めた焼却場の“焼きイベント”

3点目となる上の写真は、切った木の枝や幹、さらに竹を燃やしているときのものだ。竹薮の横に更地があり、そこを焼却場として使っている。ここも元は竹薮ではなかったかと思う。そこを切り開き、砂利を撒いて何も生えていないスペースを作ったようだ。もともとこの焼却場は、いとこのMのところから3m幅の土地を分けてもらい、畑に車が入れるようにしたことが始まりだった。それまでは、Mのところの畑の細道を歩いて通らなければ、我が家の畑には入れなかった。その車道は3年前に私が砂利を運ばされたところで、車を方向転換するためのスペースとして、ここが切り開かれたのであろう。その北側に穴を掘り、焼却場として使っている。いまはMもその道の反対側に焼却場を作ったので、そのスペースへ車の尻を入れ、車の切り返しを行なうようになった。畑の横の杉の木が切り倒されたとき、その丸太が積み上げられていたこともあった。

ちなみに写真の右端に写っているのは、弟である佐渡屋次郎の尻だ。木の伐採の2日目には、弟は“焼き”に専念することになった。それにしても火を見ると、何故か心が沸き立ってくる。私も火柱が立ってくると、しばし枝切り作業を中止して、その神秘的な姿にしばし見入ってしまった。弟は昨年から、伐採物をいかにうまく燃やすかということを研究している。当初は火を点けてもすぐ消え、やっと燃えたと思っても途中で消えてしまうことが多かったからだ。そして、今年は燃やすコツが分かったと言っていた。穴の中に空間を作らず、木を底の方に次々と差し込んでいく方がいいようだ。しかし母によると、あまり大量の物を燃やしているのを消防署に見つかると、罰金を取られるようになったという。昨年はヘリコプターが飛んでいたので、ビクビクしながらの作業であったが、今年はそれも忘れて切り落とした幹や枝を盛大に燃やした。

枝切りを行なった成果によって、明るくなった“竹薮の道”

上の4点目の写真は、竹薮の北側の道である。これを今回、“竹薮の道”と命名することにした。その道の南側には防風林となる杉の木、北側には各種の植木が並んでいる。いずれも父親の手によって植えられたものだ。杉の木に関して言えば、すでに大きくなりすぎて切り倒された畑の西側のものに比べれば、かなり成長が遅いようだ。遅れて植えられたものかもしれない。この杉が本来の使命である“防風”の役割を果たさず、昨年せっかく整備した竹薮が、春の嵐でだいぶ被害を受けてしまった。それで今年の夏も、昨年に増した労働を我ら3人に課すことになったわけである。切り出した倒竹の本数は、40本以上もあった。

一方、南側に植わった各種の木々の幹や枝切りは、母の命令によって私の任務となった。それらの木々は、もう植木と呼ぶような生易しいものではなくなっている。古いもので植えてから40年以上も経っている。私が小学6年生のとき、引率教師であった父と新潟で開催された全国植樹祭に行き、昭和天皇の列席の元で土産にもらってきたネムノキの一種も、すでに大木になっていた。最も本数が多く、成長していたのはモミジであった。それらの幹や枝を今夏、容赦なく切り落としていったわけだ。その結果、それまで暗くジメジメしていた“竹薮の道”は写真のように、明るく爽やかな姿に変貌したのである。これから杉の成長度は一層、高まることだろう。また、南側の雑木の下には、様々な名も知らぬ多くの種類の苗木もあった。中木の枝もきれいに落としておいたので、それら苗木も成長力のあるものは、他を押しのけて存在を主張してくるはずだ。気に入った木があれば、掘り起こして京都に持ってきてもいい。夢は膨らんでくる。

昨年に続いて、今年も行なった「ささげ豆」の支柱立て

5番目の写真は、畑に植えられた「ささげ豆」の苗だ。これからツルを伸ばして、ドンドン成長していこうとしている。そのツルが巻き付く支柱立てを、今年も母からやらされた。最初に見たときは、1~2列目と3~4列目の苗は背の高さが違い、さらに葉の形も微妙に異なっていた。それで1~2列目だけに支柱を立てて家に帰った。家で母に聞くと、3~4列目も「ささげ豆」であるという。そこで佐渡滞在の最終日、いとこのMに軽トラを返したあと、畑の家で我が蔵書を整理して別れを告げたあとで、残りの支柱立てを行なったのだ。そして、これが今夏の佐渡における私の最後の仕事となったのである。

先日、ナシと一緒にこの「ささげ豆」も送られてきた。調理法を聞くと、サヤごと野菜と一緒に煮込んで食べろという。私はこの2年にわたり支柱立てをして、ものすごい勢いで伸びてくるツルは見ているが、肝心の「ささげ豆」の実自体は見たことがなかった。多分、インゲン豆かエンドウ豆のようなものだと思っていた。しかし、送られてきたものは、サヤが黄色くて固く、なかの豆は緑色であった。昔、佐渡にいたころ、野菜の煮込みに入っていたような気もする。指示のとおり、煮込んで食べたが、やはりサヤは少し乾燥していて硬かった。一方、豆は甘みがあり、ほっこりとしておいしかった。母は私の支柱を立てがうまかったので、今年は成りがよくて豊作であったという。多分、お世辞であろうが、ここまで言われると、来年も支柱立てをせざるを得ないだろう。母はさすがに、おだてに弱い私の性格をよく知っている。

引越し時に送った荷物を再整理した一部の様子

最後の6枚目の写真は、裏の家の2階である。この部屋は私が中学校まで使っていた。積み上げてあるのは、私が09年8月に引越ししたとき、佐渡に送った荷物のほんの一部だ。今年は母がまた荷物を整理しろとうるさく言うようになった。そこで畑に家に置いてあった10個のダンボールから、パソコンやプリンターやビデオテープなどを取り出して、机の上や本棚などに置き、半分の5個に減らした。ダンボールに入っているから荷物と感じるのであって、そこから品物を取り出して整理すれば、あたかも前からあったように思ってしまう。このトリックを使うことにした。

さらに裏の家の1階の物置き部屋には、12個のダンボールと2箱の大きなラックが積み上げてあった。そのうち、12個のダンボールを2階に持って上がった。最初、「2階にそんな荷物をもって上がるな、下の部屋に置いておけ」と言ったからその指示に従ったのだ。しかし、その荷物の山が年月の経過とともに、目障りになってきたということだろう。ここに置いてあったダンボールの中身は、衣類やカバン、雑貨などである。すでに2階には雑貨やコレクション品を詰め込んだ衣装ケースが6箱ほど積見上げられていた。ここで今回の作戦は、まず衣装ケースに詰め込んだ雑貨やコレクション品を取り出して、部屋の机上や棚のなかに入れる。次にダンボールに入れてあった衣類を、空いた衣装ケースや新たに買ってきた収納ケースに押し込むというものだった。

しかし、この作業は思っていたほど簡単なものではなかった。日中の時間は、畑での過酷な作業に使われる。ヘロヘロになって夕方に帰って来てからは、シャワーを浴びたあと、母の調理助手としての役目が待っている。夕食後は私の一番大切な飲酒の時間となる。もうこの段階になると、仕事をする気などまったく失われている。このタイムスケジュールの中で、いつ荷物の整理ができるのだ。しかし、それがあったのである。私の母は5時頃には起き出し、前の家と裏の家をつなぐ廊下をバタバタと行き来しながら、朝食作りや洗濯物干しを行なう。その物音が2階に寝ていても響いてくる。私が佐渡にいた頃もそんな物音で、目を覚ましていたことを思い出した。その頃はうるさいと思いながらも、もうひと眠りしてよく学校に遅刻していた。

ただ、年を取ると目覚めは早くなる。さらに、永年の徹夜作業の連続で、一度起きると二度と寝付けない体になってしまった。原稿書きに疲れてバタンキューで死んだように熟睡し、目が覚めればまたすぐ起きて原稿を書き出すという生活を続けてきたからだ。その甲斐あって、母の物音で目を覚まし、すぐ起き上がって早朝に荷物整理をするということが可能になった。その結果、12個のダンボールは6個に減らすことができた。この努力によって、1階の物置には私の荷物はすべてなくなり、かすかに廊下の脇に2個の大ラックが横たわるだけという状態になった。そのラックも上に荷物が置けるので、一見すると物置台にようにしか見えない。これも1つのトリックである。

この成果を母に見せて納得させ、「これから二度と俺の前で、荷物のことを口に出すな」と迫ったら、「分かった」という返事を聞くことができた。これであと2~3年は私の荷物も安泰であろう。来年はさらに衣装ケースを買い足し、ダンボール6個分の衣類の整理をしたいと思っている。しかし、この作業によって、裏の家の2階は、私の荷物で溢れることになってしまった。元は両親の寝室と私の中学校までの勉強部屋であった2部屋が、完全に私の荷物部屋になったのである。しかしこの間、私はほとんど物を捨てずに、難関を乗り越えてきた。

しかしただ1つ、新たな心配事ができた。畑の家で本の点検をしていたら、床が落ち込んでいる箇所を1つ見つけてしまったのだ。父が生きているとき、本の重みで床が抜けるといって、床下の柱を交換してさらに本数も増やし、床も頑丈なフローリングに張り替えてくれた。実に有難い父の息子に対する思いやりであった。現在、畑の家にある3室にわたって、私の蔵書が置かれている。引越しによって、さらにその数は4割ほど増え、何回も言うがほぼ2万冊に達していると思われる。ここまでになるとは、さすがの父も想像していなかっただろう。今回、床の落ち込みを発見したのは、最も多くの本を置いてある真ん中の部屋の1箇所だった。そこはスチール製の本棚が2列並んでいるところの南側である。3年間、必死になって重みに耐えてきた床が、ついにその重みに負けそうになっているのだ。私はその床に向かって、「もっと頑張れ」と叫びたい心境だった。さらに「もっと根性を出して、意地を見せろ」と叱咤激励したい。

お前がへばると、わが蔵書たちの“終の棲家”が崩壊してしまうのはないか。佐渡屋太郎のコレクションハウスの構想は、ひとえにお前たちの双肩に掛かっているのだ。“一難去ってまた一難”である。来年は真ん中の部屋の本を、とりあえず北と南側の部屋に少しずつ分散させなければならない。私の知り合いの古本屋のオヤジは、心臓発作で階段から足をすべらせ、その脇に積み上げられていた本に埋まって死んだ。本好きにとっては見事な“死に様(ざま)”であったと思う。それは“殉死”と言ってもいいだろう。私も畑の家で、床が抜け、本に埋もれて死ぬのだろうか。しかし、まだまだ死にたくない。これから、その根本的な対策を考えなければならない。こうした絶えることのない試練が、佐渡屋太郎を鍛え続けている。(佐渡屋太郎)

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