遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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木を愛(め)でる(2012佐渡日記⑥)【佐渡屋太郎-vol.266】

故藤本義一氏の葬儀で、取材陣に囲まれる藤本統紀子さんと娘さん

いまは12年11月8日(木)の18時20分。10月分の原稿も書き上げ、久しぶりでゆったりとした時間を過ごしている。先月の月末は、原稿の締切りと取材が重なり、大変な目に遭った。いちばん痛い時期に取材が入ってきたわけである。そのため、朝の6時すぎに起きて原稿を書き、11時すぎに取材に出かけるというパターンの毎日であった。一応、月末締めの原稿は書き上げたのだが、その後も取材や雑事、さらに紅葉見学と外へ出る日が続いた。そして、やっと昨日でそれらの用事もひと段落が付いた。今日は、以前から気に掛かっていたジージャンのポケット付けをした。

佐渡屋太郎は裁縫が大好きだ。そして自分で言うのも何だが、なかなかの腕前であると思う。こんなことを始めたのは、放浪時代のことだった。たとえば、インドなどでは色合いのいい生地はあるが、形が気に食わないものが多かった。そんな時には、自分で理想の形やサイズに修正したし、生地を買ってきてズボンや上着などいろんな物を縫い上げた。何しろ、時間は余るほどあった。夜、異国の安宿のベッドの上で、酒を飲みながら縫い物をするのは、旅に疲れた心を癒すのに格好の作業であった。さらに、気に入った衣服を作ることは、気持ちを前向きにし、また次の街へ行く気力を養ってくれた。

今日の修正物となったジージャンは、夏に佐渡から持ってきたものだ。多分、古着屋で買って、あまり着ることもなく佐渡に送ったようだ。先日、寒い日があったので取り出して着てみたのだが、両脇に手を入れるポケットがないことに気づいた。なぜ、こんな物を買ったのだろうと思った。そこで、他のジャンバーのポケットの構造を研究し、内袋を作って脇を切って取り付ければ、ポケットになることが分かった。切り口は15cm以上ないと手がスムーズに入らないし、奥行も最低15cmなくては手がすっぽりと隠れない。内袋の形は四半円で、内袋と切り口とを折り返しにして接合し、内袋をジージャンの内側に縫い込んでいった。出来上がりをY嬢と、先月から同居をしているY嬢のお母さんに見せたらビックリしていた。つまり、それくらいの腕前なのである。今日は実に心が癒される午後を過ごすことができた。

幹と枝が急成長して野放図な姿になった「ウラジロガシ」

思い返せば、月末からいろんなところに行った。京都の出町柳と円町、奈良、西宮、伏見、紅葉観光の鞍馬と貴船など。なかでも印象に残ったのが、11月2日(金)に西宮で執り行われた故藤本義一氏の葬儀の取材だった。式場には芸能関係者も多く参列し、実に華やかな葬儀であった。中でも、星由里子さんと富司純子さんの美しさには圧倒された。多くの参列者の中にあってもそこだけが、光り輝いているような“美のオーラ”を発していた。喪主である藤本統紀子さんも、実にきれいであった。棺が収められた霊柩車の前で、娘さん2人と報道陣のカメラに囲まれたが、その悲しみをたたえた表情に、私は妖艶さを感じて慄然とした。人に見られることに慣れ、その中で驚くほどの存在感と美しさを表現する術(すべ)を心得ている人であると感心した。果たして、佐渡屋太郎はその魔力に惹き込まれ、カメラのシャッターを押しまくったのである。

取材の帰り道、不思議な思いに襲われた。恥ずかしながら高校時代の私は、佐渡という日本海に浮かぶ孤島で、親に隠れながら「11PM」を見続けていた。両親が裏の家に引き払った後、前の家で電気を消して「11PM」を見ていた。そのせいで目が悪くなり、数学の時間にはメガネを掛けないと黒板の字が見えないようになった。その頃、まさか大阪制作版の司会者であった藤本義一氏の葬儀に、取材とは言え、自分が行くことになるとは夢にも思っていなかった。考えてみれば、そんなことはまだまだある。高校の修学旅行で京都に行った。覚えているのは金閣寺と、四条京極で小遣いのすべてつぎ込んでやった“射的”だけである。そのころ、まさか将来、その金閣寺の裏山に住むことになるとは夢にも思っていなかった。

さらに、私が高校3年生の時の担任であり、剣道部の顧問でもあったS先生は、京大農学部の出身であった。慶応の医学部を受験し、午前中の数学でほぼ満点を取ったと思い、昼食を採って安心して昼寝をしていたら、寝過ごしてしまい午後からの試験を受けられなかったという逸話を持つ“大物”だ。その先生が修学旅行でバスに乗っていたとき、「これが俺の通っていた学校だ」と、私に教えてくれた。今から思えば、今出川通りを百万遍から銀閣寺口まで向かうときだったと思う。そのとき、まさか私がその後に京都の今出川通りにある出版社に勤めることになるとは、夢にも思わなかった。さらに仕事ではあるが、先生の母校である京大に毎週のように通うことになるとも、夢にも思わなかった。人生に不思議なことはあるものだ。記憶の糸を辿っていくと、様々な因縁や物語が連なって出てくる。これも年を取ったということなのだろうか。

芯切りと枝落としをして手頃な大きさになった「ウラジロガシ」

京都に来たのも、放浪時代のちょっとしたきっかけが原因だった。あのとき、ある人に声を掛けなければ、私はこことはまったく別の地で、まったく違った仕事をして、まったく別の人生を送っていたはずだ。“運命”とは、実に不可思議で、予想をはるかに超える破天荒なものであると思う。これは私だけのことではない。先々月と先月、社長インタビューの4ページの記事を続けて書いた。その時、彼らの人生を人ごとながら振り返ってみて、いくつかの運命的な出会いや転機があったことを中心にして記事を書いた。書いていて、人ごとながらとても面白かった。翻って自分のことを考えてみたら、もっと破天荒で面白い人生であることに気づいた。それ以来、いろんな因縁のことを考える癖がついてしまった。

因縁といえば、植木とも様々な出会いがあり、別れがあった。その付き合いは、今から振り返れば、意外性と驚きの連続であったような気がする。まさに、佐渡屋太郎が大好きな“ドラマ”をいくつも体験してきた。やや強引であるが、やっと今回のテーマである植木にまで話を持ってきた。今回の目的は、前回に収容しきれなかった“芯切り植物”の写真を掲載することである。ただ、それだけが目的だ。もっと言えば、これらの写真を見ながら、私が楽しむことが目的である。

まず、2番目の写真は、「ウラジロガシ」である。これは3年前の2009年6月、和歌山へキャンプに行ったときに採集してきたものだ。それまでほとんど成長しなかったが、昨年の春から幹が伸び始めた。そして、今年はさらに成長の拍車が掛かり、写真のような野放図な姿になってしまった。急成長している幹は3本あり、いちばん太いものは今年の春に芯切りを行なった。その後、3番目に太かった幹が急激に伸びだし、さらに各幹の枝も四方八方に張り出してきた。そのため、3本の幹を切りそろえ、さらに枝も落としたのが3番目の写真である。全体にこざっぱりして、扱いやすい大きさになったので、親近感も湧いてきた。

淀川河畔から採取して3年が経過した旧「淀川1号」と呼ばれた「トウネズミモチ」

4番目の写真は、旧「淀川1号」で、その名のとおり3年前の2009年7月に淀川の川岸から採集してきたものだ。巨大な親木の下で30cmくらいに育っていた。しかし、親木と太い根で繋がっており、シャベルを何回もその根に突き刺して断ち切り、やっとの思いで掘り起こしたことを憶えている。当初は根元にもう1本の細い幹があったが、いくら待っても葉が出ないので切り落とした。これが鉢上げから3ヵ月くらいで根付き、成長を始めた。しかし、昨年秋に葉が落ち、また今年の新葉も6月くらいに落ちてきた。それで調べてみると予想通り、鉢に根が回っていたので、6号鉢から7号鉢に植え替えてやった。芯切りはすでに2年前に行なっていたので、今回は気になった徒長枝を切って形を整えて、写真のような姿になった。いまは、順調に葉が増えて生命力を取り戻した。

見事な復活を遂げつつある佐渡に残してきた「捨てツバキ」と「捨てモミジ」

5番目の写真は、佐渡に残してきた「捨てツバキ」と「捨てモミジ」である。いずれも“畑の家”の周りに置かれ、見捨てられていたものを2011年の8月に前庭に持ってきた。上から写真を撮ったので高さが分かりにくいが、いずれも60cmくらいはある。まず、「捨てツバキ」は、父がどこからか持ってきて鉢植えにしたものであるという。その後、ずっと畑の家の裏に置かれ、クモの巣が張っていた。4~5年前に鉢が傾いていたので、下に土を入れて直してやったことを憶えている。そのときはさほど、植木自体には関心がなかった。しかし昨年、前庭に持ってきて、鉢を洗い、土を足し、枯れ枝を切って形を整えてやった。その甲斐あってか、昨年の冬にはきれいな白い花を付けたという。

一方の「捨てモミジ」は母が鉢上げをして、ジャングル植物園のなかに放置していたものだ。やはり、母の仕業であった。水もやらず、何も構わなかったので、何年か前に枯れてしまった。しかし、もう死んだものと思っていたのが、いちど生き返ったことがあるのだそうだ。前庭に持ってきたときは、瀕死の状態だったが、幹の下の方に新芽が出た跡があったので、助かるという確信のもとに、土を足し、枯れ枝を落として養生をしておいた。その心が通じたのか、今年は下の方から徐々に生き返ってきた。来年は日当たりがいい前庭の好環境によって、どこまで回復して本来の姿を取り戻していくのか。これも帰省の大きな楽しみとなっている。

2年が経過して順調に成長して木らしい姿になってきた「トウネズミモチ」

6番目の写真は「トウネズミモチ」で、2年前に上新庄の公園から苗木を採集してきたものだ。いま、4本ほど根付いて成長している。しかし、大きくなって分かってきたのは、旧「淀川1号」と同じ種類の木であったいうことだった。これにはガックリした。しかし、着実に大きくなり、少しずつ幹も太くなり、木らしくなってきたので、可愛さが増してきた。なかでもこの写真の「上新庄1号」は成長頭(がしら)で、今春から1本の幹と2本の枝が急に伸びだし、1mくらいになった。そこで今回、芯切りと枝落としをして手頃な大きさにした。

いずれも、まだ発展途上の若木であるが、しっかりと根付いて枯れる心配はなくなった。さらに今回、芯切りと枝落としもためらいなくできるようになった。今後は、それぞれの木々の成長に合わせて、整枝を行ない、雑木仕立てにしていく楽しみが増えた。個人的には、曲を創り過ぎた盆栽はあまり好きではない。もう少し大らかに、自然な形の植木に育て上げていきたいと思っている。今回、芯を切ったので、これからは幹や枝が太っていく成長段階に入る。今年も取材に行って見つけた木の実を鉢の脇に埋め込んだ。秋は成長の速度が落ち、冬枯れの時期が忍び寄っている。しばし我慢をして、来春の発芽や急成長を心待ちにしたい。(佐渡屋太郎)

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