遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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景品問題の底流にあるもの(序章)【佐渡屋太郎-vol.257】

植え替えが終った「ポインセチア」。前回の植え替え前の写真と比較参照のこと

いまは12年7月12(土)の15時55分。先々週からこの部屋に、「スイーッチョン」というウマオイを声が聞こえてくるようになった。また昨日、京都での打ち合わせから帰ってバスを降りたとき、1匹のセミの声を聞いたような気がして、足を止めてそれが確かにセミの声であることを確認した。そして今日、朝おきて窓を開けると、「ジィー」というセミの大合唱が始まっていた。おまけに、網戸にもセミが一匹とまっていて、写真を撮ろうと思って近づいたら、逃げられてしまった。

ここに引っ越してきたのは、昨年の9月28日のことだった。したがって、ここでの“夏”は、まだ経験していない。春先からベランダの植物が上新庄にいた頃に比べ、格段にたくましく成長していることを実感していた。そして、夏を迎えるに当たって、この男山はいくら家が立ち並んだとは言え、やはりその名の通りの“山”であり、まだ“野生的な自然”が色濃く残っていることを思い知らされている。その象徴が前々回に紹介したイモリであり、今回のウマオイやセミのうるさいくらいの大合唱だ。

田舎生まれの佐渡屋太郎にとっては、それらは歓迎すべき状況である。それどころか、自分の中の“野生”が徐々に蘇ってきていることを感じる今日この頃だ。カエルやガマの声がうるさくて、試験勉強ができなかった中学生の頃を、いま懐かしく思い出している。そんななか、今週はいま私が抱えている“最大で最後の懸案”をやっと片付けた。この懸案は実に厄介な問題をいくつも孕んでおり、ここ3年間にわたり、佐渡屋太郎の肩に重くのしかかってきたものだ。そして、ついにこれ以上逃げられない“土壇場”に追い詰められてしまったのである。

2年前、「だいどう豊里」の駅前に生えていたものを挿し木した「ツゲ」

そこで佐渡屋太郎は、ここ10年間に経験したことがなったくらい、考えに考え抜いた。この問題から派生する状況の1つひとつを丁寧に想定し、それにどのように対処するかを書き止めていった。あまり容量の大きくない頭ではあるが、連日その作業を続けると、頭がフラフラするような激務であった。酒を飲みながら考えていたので、その影響が大きかったのかもしれない。しかしその結果、これまで見えなかったこの問題を円満に解決できる、実に“細い道”が目の前に浮かんできたのだ。これを佐渡屋太郎の“奥の細道”と名付けることにした。

今後はこの“奥の細道”に沿って、交渉と闘いを展開していけばいい。これ以上のことは私には考えられないし、これで私側の勢力が負けても本望である。あとは、神の意思と時の流れに身を任せるしかない。つまり、この“奥の細道”を考えることが、私の任務であったわけだ。やるだけのことをやったので、後悔はない。あとは“天命”を待つばかりとなった。これでやっと、いま抱えている懸案の全てが終了した。

それによって、今後に向けた“ある挑戦”の1本に、目標を集約することができるようになった。実に爽快である。ウマオイとセミの大合唱を聞きなから、体に力がみなぎっている。いま自分が、人生の中でなかなか遭遇できない“劇的なシーン”に立っていることを、男山の頂上付近で感じている。実にドラマチックな展開であり、よくできたシナリオであると思う。

昨年の冬に買ってきて一度は死んだが、見事に生き返ってくれた「南天」の木

ただ正直に言うと、やや疲れた。本来なら今日は祝杯を上げて、酔いつぶれたいところだ。しかし、このブログを今日中に書かなくてはならない。しかも今回のテーマは、私が最も興味を持っているパチンコ業界の“換金問題”に対し、密接に関係する景品問題である。どうして、こんな過酷な巡り合わせになるのだろうか。これも“自業自得”なのかもしれない。今回の元ネタは業界誌の記事であった。その企画の趣旨は、先頃から急速に進む行政による“規制強化”を、警察庁からの「通知」を元にして、その根拠となる法令を傍証し、求められるホール業界の将来像を探っていこうという試みである。

まずその記事では、これまでに発送された「通知」を、「広告・宣伝規制、構造設備維持義務」、「賞品提供」、「その他」(駐車場における児童の社内放置、モバイル連動サービス、パチスロ技術上の解釈基準変更など)に3つに分類した。その上で、各分野における行政の具合的意図を探ろうとしたのである。実に鋭い企画の意図であったが、少し突っ込みが足りなく、教条的な内容になっていた。これは業界誌の限界であろう。思っていることの半分くらいしか記事にできなかったはずだ。その書けない部分を代弁してみようと思ったのが、今回の記事を書こうと思った私の動機である。したがって、少し過激になるかもしれない。

その記事を読んでいて、私が改めて痛感したのは、パチンコ営業が生来的に抱えている“矛盾”である。前回のブログで日本のシステムにおける“劣化”のことを書いた。しかし、パチンコというシステムは“劣化”というような範疇ではなく、そもそも“誤謬”の上に成り立っているのではないか。つまり、本来は“ギャンブル”であるものを、“遊技”であるとして風営法の中に入れたことが間違いではなかったのかと思う。その結果、そこから様々な“矛盾”が発生してきて、その“矛盾”を隠すために規制強化が行われているように感じてならない。

小鉢に植えていたが、次第に大きくなって植え替えを決意した「ヤブコウジ」

その背景には、パチンコ店がもともと多くの個人によって経営されていたことが挙げられる。他の競馬や競輪、競艇などは、特別法によって賭博法による違法性の阻却(そきゃく)が行われ、厳しい法的管理の基に運営が行われている。しかし、パチンコは当時、零細な経営者が多く、統合することも直接管理することもできなかった。また当時は、勝った玉をタバコやお菓子に替えるような、ささやかな“遊び”でもあった。だから、この本来はギャンブルであったパチンコを“遊技”とすることによって、水商売やゲームセンターと同じ風俗営業として、風営法の管理下に置いたのである。

パチンコ業界としては、“遊技”になることによって営業を存続させてもらったことは、行政に感謝しなくてはならない。しかし、逆に行政は風営法下にパチンコを置くことによって、大いなる“矛盾”に苦しむことになる。その後、パチンコは徐々に本来の“ギャンブル”としての爪を延ばし始めた。“ギャンブル”がどれほどの強い集客力を持ち、さらに金銭感覚を狂わせるような常習性を持つことは、これまでこのブログで検証してきた通りだ。その結果、遊技人口が3000万人を超え、遊技機メーカーが次々に上場し、ホール企業のトップも2兆円を超える巨大産業に膨れ上がってしまったのである。

パチンコは、時代の流れの上に咲いた“徒花”(あだばな)ではなかったのかと、最近の私はつくづく思うようになった。それも、“誤謬”の上に咲いた恐るべき成長力を秘めた巨大な“徒花”である。他業界の取材をしていると、何であんなギャンブルを野放しにしているのか、という意見をよく聞く。さらに、それらの人たちはパチンコ業界の売上額を聞いて驚き、そのあとで激しい軽蔑の言葉を吐く。その多くは、自分の商売と比較した“不公平感”である。

その“矛盾”を、改めて感じる出来事が2つあった。1つ目は、8月2日に香港での上場が決定したダイナムに関する記事だった。そこで記者は、ホール企業がなぜ日本では上場できないのか、合法性を問い直す時期ではないかと訴えていた。その中で、記者は“パチンコのギャンブル性”という言葉を使っていたが、私に言わせれば“パチンコはギャンブル”なのである。ギャンブルであることを認めた上で、合法化しなければ誰も納得はしない。上場できないという事実が、パチンコが“遊技”であることを認めない社会の声なのである。これはホール業界のみならず、行政に強く認識してもらいたい事実だ。

取材で奈良に行った時にお土産でもらってきた「スーパーダックフット」

“遊技”であるとして、様々な“矛盾”に対して“屋上屋を架す”(無駄なものをこしらえること)ことを繰り返していても、さらなる“矛盾”が噴出してくる。そもそも、パチンコを“遊技”としたことに、誤謬があったのである。その根本の間違いを正さない限り、社会がパチンコを認めることはないだろう。パチンコを“遊技”として主張しても、近い将来に必ず破綻がやってくる。永年、賭博を認めてきた行政は責任を問われるだろうが、“パチンコはギャンブルである”と言ってすっきりした方が、行政にとってもパチンコ業界にとっても、健全な方法ではないだろうか。その基盤に立って、新たなパチンコのシステムを考える方が、いまの何倍も建設的で前向きの議論ができる。

2つ目は、退職した警察官がTVで、「これからの警察官の天下り先として、監視カメラ業界を狙っている」というコメントを聞いたことだ。パチンコ業界でも、換金所への監視カメラの設置を強く訴える警察の講話を何回も聞いた記憶がある。そこで思い出したのが、“3店方式”のことだ。言うまでもないが、パチンコでは換金することを、法律で禁じられている。パチンコ店が換金をすれば、まさにギャンブルになるからだ。そこで、“3店方式”なる奇妙な方法が考え出された。

それによれば、パチンコ店の顧客は勝ち玉を景品に替えたところから、ストーリーが始まる。その景品を持ってホールの外に出たら、たまたまその景品を買ってくてる店(換金所)が近くにあった。そこで顧客は自分の意思で、景品をその店に売って現金を手にした。だから、ホールは顧客に勝ち玉に相当する景品を提供しただけで、換金行為は行っていない。顧客が景品の中でもその店が買ってくれる特殊な景品(特殊景品)を選び、それを近くにあった店に持ち込み、自分の意思で景品を売り、その対価として現金を得たという理屈である。

昨年の冬に買ってきて、この春から急激に成長してきた「シャコバサボテン」

これは“屋上屋を架す”の典型的な事例であろう。遊技の結果によって、現金に相当する物を得たら、これは歴(れっき)とした賭博であり、賭博法に反することになる。それを回避するために、“特殊景品”(換金賞品)を使っているのである。一方、その引き取り先の換金所では、多くの強盗事件やいくつかの殺人事件も起こっている。あんな人気(ひとけ)のない掘っ立て小屋に、何百万円、何千万円の現金が置かれているのだ。狙われるのが当然だ。さらに、景品業者や換金業者のなかに警察関係者がいる。監視カメラを取り付ける前に、生命の危険がある換金所自体を廃止させるのが、本来の警察の役目ではないかと私は思うが、皆様はどのように思うだろうか。

こんなまやかしのシステムを以て(もって)、パチンコはギャンブルではないと主張するのは、何とも“前近代的”以外の何者でもない。パチンコファンのみならず、国民の多くはその実態を既に知っている。まさに、現代における“裸の王様”というしかない。私もこれまで数々の“裸の王様”を見てきたが、その人たちの多くの特徴は、過去の栄光や実績を引きずって、最も重要な今後に向けた思考が停止していることだ。もう、この人たちには何を言っても通じない。状況によって、鉄槌を下してもらうしかない。

今の世の中では、“前近代的”なタブーはなくなりつつある。そのタブーを打ち砕くことによって、両者の緊張関係は収束し、現実的な前向きで健全な発想が生まれてくる。いま議論の的になっている原発の問題も、そんな流れの中にあると思う。その特異で権威主義的な世界に染まってしまうと、企業や人は変わってしまい、独自の“不可触”な世界を作り上げる。それが、いわゆる“タブー”となるのだ。しかし、一度その実態を多くの人が知ってしまうと、その臨界が解け、現実的な議論が始まるのである。そして多くの場合、タブーを廃した現実的な議論の方が、国民にとって利益につながることも、私たちは歴史的な事象から学んでいる。

今日は年来の課題から解放されたこともあって、いきなり本質的な議論に入ってしまった。今日は飲みすぎて、これ以上書けないので、細かい景品に関する規制は次回に回すことにする。今回の写真は、今週に植え替えを行った植物たちの雄姿を掲載することにした。いま、すでに夕暮れどきを迎えているが、窓の向こうで「ジィー、ジィー」と「ミーン、ミーン」というセミの二重奏が始まっている。いよいよ、夏の本番である。この暑さに負けないように、今年もしぶとく生き残りたい。(佐渡屋太郎)

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