遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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佐渡屋太郎の偉業(佐渡日記2011②)【佐渡屋太郎-vol.237】

畑の家の横に並んで植えられた松の木の列

いまは3月15日(木)の14時05分。ネットを見たら、今日は特別のニュースはないみたいだ。ということは、いよいよ「佐渡屋太郎の偉業」を書くときを迎えたということか。待ちくたびれて、ややテンションが下り気味ではあるが、この機を逃してはまたいつチャンスが巡ってくるか分らない。ここはやるしかないと心を決めた。思い返せば、佐渡に帰ったのは昨年の8月のこと。あの緑に溢れた輝く世界は、いまから思えばまさに私にとって“楽園”であったと言える。

今回の佐渡では、以前にも書いたように弟の佐渡屋次郎が“楽園の整備”に参加することになった。そこであいつの担当として、“畑の家”の西側にある雑木林の枝切りを任せることにした。体力の塊のような弟には、最適な仕事であったと我ながら感心している。一方、兄である佐渡屋太郎の任務は、“植木ジャングル”のなかにある松の枝漉きと、竹林の整備であった。この任務は芸術的なセンスと繊細さを必要とする点で、まさに私に打って付けの仕事であったと言える。

まず、松に関して言えば、これは生前の父が自分の欲望に任せて、見境なく植えたものである。東京のおじさんが佐渡に家を新築するとき、この中の2本がプレゼントされ、入口を飾る“男松”と“女松”となってその価値を示した。いまではすっかり成長し、鬱陶しいくらいの威容を見せ付けている。他の松も年々成長し、やがて“植木ジャングル”全体の風通しを悪くするようになった。

その結果、松に何の愛情も持たない母によって、残酷にも切り倒されることになる。以前は2列にわたって並んでいた松は、いまでは1列になってしまった。しかし、その1列も枝が張ってきたので、それをかっこよく整枝し、さらに松葉も漉けというのが、母の指令であった。見ると、2階ほどの高さのある脚立が置いてあった。聞けば、いとこのMが途中まで作業をしてくれたのだという。その後を私が引き継ぐことになった。では、作業はどのように行なわれたのか。

母親の指示のもと、佐渡屋太郎に枝打ちされた松の木たち

当然ながら、私は脚立に上って枝を切る。最初は、その下に母がやってきて、私の作業をじっと見ていた。それに対して私は、息子の手際よい仕事振りに、見惚れているのかと思っていた。しかし、時間が経つと「その横の枝も切れ」、「もっと松葉を漉かせ」といった言葉が発せられるようになった。長女で、女王様のように育った母には、いつも周りに“家来”がいた。自分にできないことがあると、人に指示して事を解決していくという行動パターンを、小さい頃から取ってきた。その態度は年老いても変わらない。

それどころか、年を取ると自分でできないことが増えてくる。したがって、1年ごとに周りの“家来”が忙しくなるという構図だ。その“家来”とは、日常的にはいとこのMであり、帰省したときの私と弟である。夏場の労働は、年を追うごとに厳しさを増してきている。私も小さい頃から、常に周りに“子分”がいて、いろんなことをさせてきた。しかし、その私でも母に勝つことはできない。容赦ない上から目線の指示が、脚立の上の私に何回も飛んできた。その指示に私は逆らうことができない。まるで“奴隷”のように、汗みどろになって佐渡屋太郎は松の枝を切り、松葉を漉いていったのだ。

実は、今回の真のテーマは“竹薮”である。竹の美しさに初めて目覚めてしまった。まず、この“竹薮”と私の関係から話を始めていきたい。これまでの私と“竹薮”を結びつける唯一の関係は、“筍”(たけのこ)であった。佐渡屋太郎は小さい頃から、この竹薮でできる筍を食べ続けてきた。具体的に言うと、筍の味噌汁と野菜の煮付けに入っていた筍と油揚げとあずま揚げ(全国的に言うとさつま揚げ)が大好物だった。この筍は細くて長かった。そして、竹になる前くらいの硬くてガリガリと噛み砕いていく食感がたまらなかった。だから、京都に来て、長岡京の朝掘りの筍を食べても全然、歯ごたえがなく、少しも美味しいとは思わなかった。

今年、初詣に行った岩清水八幡宮の竹林

私にとって筍とは、我が家の竹薮で生まれた筍だけだった。とにかく、佐渡にいた18年間、ひたすら食べ続け、佐渡を離れてからも毎年、6月頃に送ってもらっている。いま、調べてみたら、全国的に売られているのは、“孟宗竹”の筍で、それは「春一番に発生し、春の味覚の王様」と言われている。一方、我が家のものは、どうやら“淡竹”(はちく)で、「耐寒性があるため、比較的寒い地域でも成育し、筍は美味しいと言われるが、市場に出回ることは少ない」という。これがコリコリとして、実に美味しいのである。市場に出回ることが少ないのなら、佐渡の特産品として通販で売り出しても面白い。

“淡竹”は細くて割りやすいので、茶筅などの茶道用具に利用されているというが、佐渡でも竹製品は昔から多く作られていた。そんな材料として植えられたのかもしれない。そう言えば、小学校の同級生の家は竹細工が本業だった。庭に竹を積み上げ、その父親は竹を割り、器用に細く裂いて竹篭を編んでいた。それをずっと見ていた記憶がある。その友達も中学生になる前に、いつの間にかいなくなってしまった。

その後、京都に来て古道具屋をやっていたとき、佐渡の竹細工を何とか商品にできないかと考えたこともある。ランプシェードや洗濯物籠、壁飾りなど、いろいろとアレンジしてみた。今では、インドネシア製のものがどんどん入ってきている。しかし作りが荒くて、編む技術は佐渡の職人に及ばない。いまも竹で何かできないかと考えている。佐渡の職人が死ぬ前に、何とかサンプルだけでも編んでもらいたいと思っている昨今だ。

整備途中の我が家の竹薮

次に、竹薮での思い出だ。最も強烈な思い出は、小学校4年生くらいのとき、この竹薮で切り株を踏み抜いたことだ。その日、私は父が畑へ竹を切りにいくというので、勝手に付いていった。「そんな草履で竹薮に入ると、危ないぞ」という父の忠告も聞かず、父とは離れて仕込みの釣り竿になりそうな竹を探していた。そのとき、足元にグサッという刺激があった。何か異物が入り込んできたような感触だ。見ると、左足の踵に古竹の切り株が食い込み、血が流れていた。

これは大変なことになったと、子供心にも思った。なぜかは知らないが、竹の切り株は怖いと聞いていた。だから、足を引きずりながら父のところへ行き、「竹を踏んだ」と報告した。父の反応はなかった。忠告を聞かなかった私を怒っているようだった。仕方なく、私は自転車に乗り、1人で病院に行くことにした。左足のゴム草履は真っ赤に染まっていた。いつも行く病院は休みだった。それで少し遠くにある病院へいくことにした。その病院は、私の弟が流産したときに往診にきた先生の病院だ。母はそのときの処置が悪くて流産したと言っていた。それ以降、我が家ではその病院にいかなくなった。

流産した弟のことを思い出し、私はここに来たことを後悔し始めていた。しかし、その年老いた先生は親切だった。「1人で来たのか」と聞き、「うん」と答えると、「強いな」と言ってくれた。ただ、そうした症状には興味がないのか、踵から古竹を掻き出す治療は、すべて看護婦さんがやってくれた。看護婦さんは私以上にビクビクしながら、掻き出し作業を行なった。一方、私は「強いな」と言ってもらった手前、治療がいくら痛くても、泣くことができなかった。帰りがけに先生が、「黴菌が入って足が腐ることもあるから、腐り始めたらまた来い」と言ってくれた。幸いその後、私の足が腐ることはなかった。

高校で剣道部の頃は、裸足で学校の周りをランニングしていた。足の皮は靴が要らないくらい厚くなっていたはずだ。しかし、その頃でも踵には傷跡が残っていて、面を打つときなど強く踏み込むと、ピリッと痛みが走ることがあった。そして、いま左足の踵を見てみたら、確かに傷跡はまだある。そこはコチコチに固まっていて、返って足底を補強してくれているようにも感じる。あれから40年以上の歳月が流れたが、竹薮と私を繋ぐ接点が体の中に消えずに残っていていた。いまはその傷を“少年期の勲章”のように感じている。

切り取った竹を積み上げた竹置き場

さて、今回の竹薮に関して母からの命令は、倒れた竹を取り出し、枯れた竹を切ってきれいにしろというものだった。一昨年の夏、自宅の補修に必要な竹を切りに来た東京のおじさんから、「もう少し、漉かした方がいいぞ」と母は言われていた。私も近くにいて、その言葉を聞いた。その後、母は私の“フジとの闘い”に刺激を受け、竹薮に入って16本の竹を切ったようだ。しかし、足腰が弱いため、切った長い竹を藪から持ち出すことができなかった。「持ち出そうとして、何回か倒れた」と電話で連絡もあった。だから、仕方なく「そのままにしておけ。俺が夏に行ったとき、何とかする」と答えておいた。

したがって、竹薮が2011年夏における私の課題になることは、すでに2010年の冬には分っていた。ただ、16本の竹を藪から出すだけだろうと、安易に考えていたことは否めない。まず、ホームセンターに行き、新たな鋸(ノコギリ)と鉈(なた)を買うとことから作業は始まった。弟がメンバーに増え、母も作業をするというので、道具が足りなくなったからだ。その後、個々のメンバーは自分の持ち場へと散っていった。私は薄暗い竹薮に入っていった。

この倒れた竹をどうするのか。藪から持ち出しても解体作業はしなければならない。それならいっそ、藪の中で解体すれば、取り出すことも楽になる。これが私の考えであった。まず、鉈で枝を打ち払う。その後、幹だけになった竹を鋸で2~3mほどの長さに切って、まとめて藪の外にある竹置き場に運ぶという段取りだ。まず、母が切ったのであろう茶色くなった竹を枝打ちして、幹を切断していった。要は、この単純作業の繰り返しである。ただ、藪の中には大量の藪蚊(やぶか)をはじめ、蛇やカエルなどあまり気持ちのよくない生き物たちの棲家でもあった。

私は暑がりなので、母の言うことも聞かず、Tシャツに短パンという格好である。さらに死んだ父のいうことも聞かず、またゴム草履を履いて藪に入った。藪蚊は足に集(たか)ってくるが、ある程度あつまったところを手で叩くのが快感になった。手のひらが自分の血で赤く染まることに達成感を覚えるのだ。そこで新たな発見をした。それは「キンカン」の威力である。休憩時間に「キンカン」を塗っておくと、痒みを感じることもなく、腫れ上がることもないということだ。さすが「キンカン」である。

実は剣道をやっていた頃も、「キンカン」に助けてもらった。剣道部では防具や胴着、袴は卒業した代々の先輩のものを譲り受けることになっている。洗わずそのまま箱に入れられたものを引きずり出し、自分の体の大きさに合うものを選ぶのだ。この段階で1年生のほとんどが、歴代の先輩が育ててきた“インキン”も譲り受けることになる。まず、1年の秋頃から袴の下にパンツを履かなくなる。

そして2年生になると、先輩と同じように部室で下半身丸出しになって椅子に座り、窓の敷居に両足を拡げて股間を日光消毒するようになる。このとき剣道部の伝統として、使っていたのが「キンカン」であった。あの患部に滲み、脳天まで突き上げてくるような痛さを懐かしく思い出す。あの痛さが、「インキン」を焼き殺してくれるのだと固く信じていた。よく窓の外をテニス部の女子部員が、キャーという悲鳴を上げながら走り去ったものだ。

以前に比べ、明るくきれいになって生まれ変わった竹薮

さて、母の切り倒した竹を整理して、宙を見上げると、他の竹にしだれかかっているものが多くあった。根元を見ると、大体が腐っている。これを次々に切り倒していった。その数は40本を超えていたと思う。その枝を払い、短く切りそろえていく作業は決して楽なものではなかった。さらに、背丈の届く高さにある枝を、鉈を振り回して切り落としていった。その作業を進めていくと、藪の中が明るくなってくる。さらに、もたれかかって“斜線”になっている竹を切り倒していくと、藪の中は土から天に向かってまっすぐに伸びる生命力に溢れた“直線美”の世界が現出してくるのである。

つまり、今回の佐渡屋太郎が成し遂げた偉業は、いままで溢れていた夾雑物を、竹薮から一掃したことにある。そのことによって本来、竹が持っていた美しい姿を取り戻してやったのだ。簡単に言うと、我が家の“竹薮”は佐渡屋太郎によって、“竹林”に生まれ変わったのである。私自身も出来上がった“竹林の美”にうっとりとしてしまった。薄暗く、不気味であった竹薮が、明るく、生命力に溢れ、涼やかな静けさを持つ美的な空間に変貌した。

佐渡の竹薮から苗を持ってきて鉢上げした竹の鉢植え

佐渡から帰ってきてから、この京都の男山でも竹薮を周辺にたくさん見かける。その多くは竹が倒れ、他にもたれかかっている竹も一杯ある。そんな汚い竹薮をみると、鋸と鉈を手にして飛び込み、徹底的に掃除してやりたいという衝動に駆られるようになった。その点で言うと、よく観光写真で見る嵐山の竹林はさすがである。今年はその竹林を、じっくり鑑賞しに行かなくてはならないだろう。さらに切り倒した竹の再生法も考えなくてはならない。

私は小さい頃に竹を踏んで、その破片を体の中に入れることによって、“竹の精霊”が宿ったのかもしれない。その精霊が今回の竹薮掃除をすることで、蘇ってきたのだろうか。異常なくらい竹が好きになった。佐渡から帰ってから、何回もあの竹林のことを思い出している。今年の春には、例年にはない立派な筍が出てくることを確信している佐渡屋太郎である。(佐渡屋太郎)

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