遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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『アミューズメント』完成と永久シード選手【佐渡屋太郎-vol.233】

2月13日に送られてきた『アミューズメント』の見本

いまは2月15日(水)の16時40分。近頃、やけに雑事が多くなり、多くの時間を取られている。しかし、1つひとつ片付けていくと、やはりスカッとして気持ちがいい。それも今までそんな雑事を溜めに溜め込んできた私に、その責任の全てがある。さらに根源には、好きなことは人に反対されても突進していくが、嫌いなことになると尻を叩かれてもギリギリまでやろうとしないという性向が私にはある。まったくいい年をして、“困ったおっさん”である。

しかし先週から心を改め、馬鹿になったつもりで、1つひとつ分らないことは人に聞き、自尊心に封印して、“屈辱”に耐えてきた。ある件では怒られ、ある件では呆れられ、ある件では同情されながら、佐渡屋太郎は1つひとつの案件を解決してきたのである。この1週間で、人間がだいぶ丸くなったように感じる。果たして、何件の書類に記入し、何件の手紙を書き、何件の電話をしたことだろうか。しかし、“馬鹿佐渡屋太郎”に徹したお陰で、随分と肩の荷を下ろすことができた。

本来、佐渡屋太郎は“馬鹿”ではないかという声も聞こえてくる。そんなことはどうでもいい。私にはまだ最大の案件が、3つほど肩に食い込んでいるのである。来週も“馬鹿佐渡屋太郎”で突っ走ることにする。この案件が解決したら、きっと飛び上がって喜ぶことだろう。ガッツポーズの1つも出るかもしれない。その日を思い浮かべ、もうしばらく“忍耐の日々”を送ることにしたい。必ず、“黄金の成果”が得られるはずだ。そのことを信じて、馬鹿道を突進していきたい。

そんな中、今週は嬉しいことが2つあった。1つ目は、『アミューズメント』が出来上がり、見本が送られてきたことである。これは大学生を対象にした就職用の業界研究本で、「最新データで読む産業と会社研究シリーズ」というシリーズ本の1冊。私が昨年11月、必死になって原稿を書いていたものの中の1つだ。こうして完成品を手に取ると、それまでの苦労が一瞬のうちに消え去ってしまう。この仕事はもう10年以上も続けているが、こうした感激がつらい作業を支えている。

しかし、産業界全般、とりわけパチンコ業界は“不振”の渦中にあり、編集作業も大変だったようだ。来年度に向けた対策の相談依頼も受けている。こんなときこそ、柔軟な発想を持つ若い人たちにパチンコ業界に入ってもらい、業界改革の原動力となってほしい。ホール企業側の採用動向も心配だが、顧客側の視点を持った若者に期待するところは大きい。もう、お上(かみ)至上主義、事なかれ志向、自らの力で改革も行なえないような年寄りに任せていては、業界に未来はないと思う。

さらに、この本の編集者とは今春、別の媒体で仕事をすることになっている。いま、その準備で打ち合わせを重ねている最中だ。個人的には非常に興味のあるテーマでもあるので、大いにやる気になっている。その取材を通して、パチンコ業界のこれまでの経緯と今後の歩み方について、個人的にもじっくりと考えてみたい。いろんな媒体が、パチンコ産業に対して興味を持っていることは確かだ。しかし、この業界に拠って立つ強固な信念と、産業としてのあるべき将来像、さらに目標に向けて改革を行なう推進力が、果たしてあるのかどうか。少し不安ではあるが、この点を確認してみたい。

一堂に会した左から青木、尾崎将、中嶋、尾崎直、片山の永久シード選手

2つ目の嬉しかったことは、ゴルフの永久シード選手の全員を、目の前で見ることができたことである。それは2月13日に開催された「杉原輝雄お別れの会」の取材の場でのことだった。マスコミスペースに一番近い最前列に、日本ゴルフ界を支えてきた永久シード選手が勢揃いして着席したのだ。その顔ぶれは、青木功、尾崎将司、中嶋常幸、倉本昌弘、尾崎直道、片山晋呉の各氏だ。倉本氏はジャパンゴルフツアー選手会の会長であったので、中央の席に座っていたが、他の5氏は肩を触れ合うようにして並んで座ったのである。こんな豪華なショットは久し振りだ。

それにしてもプロゴルフ界は実に、マスコミに対してオープンだった。式中のフラッシュ撮影もOKであったし、式場以外の展示会場も自由に撮らせてくれた。最高の取材環境と言える。しかし、そんなときに限って、補助用のバッテリーを持っていくのを忘れてしまった。実は持って行ったのだが、忘れたと勘違いしていたのだ。2重の凡ミスである。前の晩に充電して、マスターのバッテリーをカメラに入れるのを忘れていた。それでてっきり、補助用を置いてきたと早合点したのだ。当日はできる限り、ショット数を減らして取材を行なった。本来なら、この5氏が並んだショットは5カットくらい撮っている。帰って見たら3カットしかなかった。何枚でも撮れる環境にありながらこの始末だ。何とも情けない。

祭壇前に整列した永久シード選手の6人

しかし、杉原輝雄という人は、実に偉い人であった。勝負に対する執念深さから、“マムシ”と呼ばれた。また、ゴルフに全身全霊を捧げつくした人でもあった。勝つために、自分ができる努力はすべてやり尽くしたと言ってもいいだろう。遼くんが若手なので一番先に行って練習しようとグリーンに出たら、朝もやの中で1人、コツコツとボールを打つ人がいた。それが最長老の杉原輝雄氏であったという。この話を聞いていたら、思わず泣けてきた。「あの人ほど努力をした人はいなかった」と中嶋常幸氏も語っている。

小学生のときに、茨木カンツリー倶楽部でキャディーのアルバイトを始めた。中学を卒業すると、同倶楽部に就職した。そして夜間高校に通いながら、研修生として練習に励み、1957年に20歳でプロテストに合格した苦労人であった。その後も努力を重ね、身長162センチの小柄ながら、青木、尾崎に次ぐ通算63勝を上げた。杉原氏ももちろん、永久シード選手であった。青木や尾崎との死闘の名勝負は、いまや伝説になっている。その死闘を支えた杉原氏のエネルギーは、前述のように勝つことに対する“執念”であった。

60歳のとき、前立腺癌が発覚する。しかし、杉原氏は手術を拒否した。選手としてのブランクができるからだ。この人は精神力で癌を打ち負かせると思ったに違いない。私もこの人の強靭な精神力なら、癌など蹴散らしてくれると思っていた。それにも増して、こんなに努力をしている人に対し、“天”は必ず救いの手を差し伸べてくれるはずだと信じていた。しかし、“マムシ”はそんな甘い考えは持たない。何しろ、現実的だった。加圧トレーニングなど、更なる激しい練習に取り組んだのである。そのときの映像も流れた。

祭壇前で弔辞を読む倉本昌弘氏

その激しいトレーニングでぶっ倒れる姿を見たとき、また泣けてきた。癌を殺すという執念を、その厳しい眼差しに感じた。この“マムシ”はひょっとすると、癌と刺し違えようとしているのではないか。そこには、執念を超えた“殺気”があった。これほどまでに、ゴルフに打ち込んだ人であった。その結果、06年にレギュラーツアーにおける世界最年長予選通過記録となる68歳10ヵ月、10年に世界新となる中日クラウンズの51年連続出場を達成した。また、07年9月13日には、日本プロゴルフゴールドシニア選手県大会で優勝。同日に開催されたSRIXONチャレンジで長男の敏一氏が優勝し、“親子同日優勝”という快挙もあった。

お別れの会で参会者に配られた記念のゴルフボール

故人が真の意味で偉かった人であると、葬儀やお別れ会はある種の感動に包まれる。逆に言えば、数多くの取材を経験すると、故人がどれほどの人であったのかが、地位や業績を除外して分ってくる。その目で見ると、この杉原という人は、第1級の“偉い人”であった。自然と頭が下がるし、その生前の努力や執念が、多くの後進に1つの“生き方”を黙して示してくれている。感動的な取材であった。この執念と努力の1/100でも我が物としたいと思い、もらってきた記念のゴルフボールを机の上に飾り、朝起きるとお祈りをしている佐渡屋太郎である。(佐渡屋太郎)

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