遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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ホール企業のカジノ投資【佐渡屋太郎-vol.287】

友誼大馬路の入口で壮大な姿を見せる金碧娯楽場(カムペックカジノ)

いまは13年6月20日(木)の18時05分。目下、各誌6月号の取材で動き回っているところ。6月12日(水)には、念願であった佐渡高校の先輩である、国立民族学博物館館長の須藤健一氏にも会ってきたし、一昨日の18日(火)にはラグビーの平井誠二氏の講演の取材で感動もした。これからはさんざん歩き回ったマカオの件で、何とか旅行誌での企画を通すために、担当者との打ち合わせを重ねていく予定だ。一方、カジノ件も急速に事態が動き出してきている。前回、ブログをアップして安心していたら、その日にダイナムのニュースが入ってきた。

そのニュースとは、ダイナムジャパンホールディングスが、今年初めに設立した香港子会社を通して、マカオで高級ホテルやカジノを運営する澳門励駿創建(マカオ・レジェンド・デベロプメント)の、香港市場におけるIPO(新規株式公開)に参加するというもの。具体的な出資は、売却制限が課せられる戦略投資家として、澳門博彩控股(SJMホールディングス)などとともに、ダイナムは3500万米ドル(約33億円)を引き受ける。なお、マカオ・レジェンドは6月17日から一般投資家向けの公募を開始し、27日の上場を目指しており、今回の株式公開で最大6億米ドル(約560億円)の資金調達を行なう計画であるという。

ダイナムジャパンホールディングスに関しては、12年8月の香港上場当時から、カジノ運営への参入が今後の大きな選択肢の1つとして挙げられていた。この間、様々な情報も飛び交ったが、その一端がやっと水面上に現れてきたことになる。今回の投資についても同社は、マカオ・レジェンドへの出資により、エンターテインメント事業やカジノ事業の知識が得られるとその目的を説明した。一方、マカオ・レジェンドはマカオの半島部で、テーマパークの「マカオ・フィッシャーマンズ・ワーフ」や5つ星ホテル「ザ・ランドマーク・マカオ」、さらにこのホテルの3フロアでSJMホールディングスからサブライセンスを受け、古代エジプトの王宮をイメージした「ファラオズ・パレス・カジノ」を運営している。

友誼大馬路の入口でカムペックカジノと並ぶようにして立つ総統娯楽場(プレジデントカジノ)

このマカオの富豪・周錦輝氏が率いるマカオ・レジェンド対して12年8月、カジノ王・スタンレー・ホー氏を総帥とするSJMホールディングス(蘇樹輝CEO)が株式4%を4億8000万HKドル(約62億6200万円)で取得した。そのため、同社の持ち株比率は、周錦輝氏とその母=58.3%、李志強氏(マカオ・ジョッキー・クラブ菫事総経理)=18.4%、陳婉珍氏(スタンレー・ホー氏の第3夫人)=17.9%、SJMホールディングス=4%となっているという。このあたりは外資に対するマカオ現地企業の連合軍というべきか。株式公開での資金調達分は、「マカオ・フィッシャーマンズ・ワーフ」の改修やミュージアム、ヨットクラブ、2棟のホテル増設に当てられる。この再開発計画は2015年末の完了を目指しており、それらホテルが完成すれば、同社はマカオ最大級のホテル運営業者になると言われている。

というわけで、今回は「ザ・ランドマーク・マカオ」の外観写真を堂々と冒頭に掲げたかったのであるが、それができない無念さで一杯だ。半島部の探索については、vol.286で書くつもりであったが、いろいろなカジノに関する動きが起こり、いままで果たせないでいる。かいつまんで言うと、5月21日に朝起きてから「G2E」前取材が始まるまで、私は限られた時間のなかで半島部の主要なカジノを必死で歩いて見て回った。「ポンテ16」にはじまり、「グランドリズボア」「リズボア」「ウィン・マカオ」「MGMマカオ」までが当初の目的であった。

ほぼ時間一杯のときに辿り着いた星際娯楽場(スターワールドカジノ)

その目的を果たすと、さらに「ザ・ランドマーク・マカオ」のある友誼大馬路へも当然のことながら行き、井岡一翔の彼女・ソンミの父親が携わっているという「金碧娯楽場」(カムペックカジノ)から「総統娯楽場」(プレジデントカジノ)、その奥の「星際娯楽場」(スターワールドカジノ)までは歩いた。ただ、そのさらに奥にある「法老王娯楽場」(ファラオズ・パレス・カジノ)までは時間がなくなって行けなかった。もう300m歩けばその先にあったのに、実に惜しいことをしたと思う。ただ、そこまで行っていたら、「G2E」の前取材には遅れていただろう。そこで今回は、悔しながらも「ファラオズ・パレス・カジノ」の手前にあった3つのカジノホテルの写真を掲載して、お茶を濁しておくことにする。
 
一方、今回のダイナムのカジノ参入の動きで思い出すのは、6年前にマルハンが取った行動である。マルハンは07年10月、マカオ半島西部に建設される「ポンテ16」への出資を決定。具体的には「ポンテ16」の49%の権益を持つワールドフォーチュン社の株式を10.2%(約55億円)、その親会社であるマカオサクセス社の株式を18.2%(約73億円)を保有したのだ。これらの投資の総額は約128億円。そのときマルハンは、「今回の契約は当社が海外事業へ出資することで、パチンコ業以外のレジャー事業についてノウハウを学び取る事を目的とし、将来はカジノ行を中心とした大型レジャー施設の展開を視野に入れた、当社の中期事業戦略の一つとして位置づけております」とリリースで説明している。

マルハンが出資して08年2月にオープンした「ポンテ16」

しかし、同社は数年後にその投資分を損金処理したと記憶している。このマカオサクセスは、スタンレー・ホーが率いるSJMホールディングスと強固な関係を持っていることで知られる。私も初日に泊まった福龍新街の安宿から、天にそびえる「ポンテ16」の勇姿を何回も見上げたものだ。さらに08年5月、今度はカンボジアのプノンペンに「マルハンジャパン銀行」を開設。続いて12年7月、ミャンマーのヤンゴンに駐在所を設立。12年11月、カンボジアのプノンペンに本拠を置く大手マイクロファイナンス機関のサタパナ社の95.1%の株式を取得。13年2月にはラオスの首都ヴィエンチャンに「マルハンジャパン銀行ラオス」を開業するなど、インドシナ半島に舞台を移し、積極的な金融活動を展開している。

その間、カンボジアやベトナムのカジノホテルとの交渉も行なっているようだ。ベトナムでACDLが建設している大型IRを除けば、カンボジアやベトナムのカジノホテルは小規模なものが多い。マルハンもIRへの夢を断念したわけでなく、少なくともインドシナ半島では、水面下で積極的な動きを続けている。パチンコの現状を見るまでもなく、大手ホール企業の将来的な構想の中には当然、カジノオペレーターとしての展開が組み込まれているはずだ。そして、その“将来”もすぐそこに迫っているが、その割にはホール企業のトップ集団の動きは遅いようにも感じられる。高い“授業料”を払いながら、懸命に手練(てだれ)の“カジノ王”や“マカオの富豪”に食らいついていっているというのが現状なのだろうか。

日本の“パチンコ王”が、どのように“カジノ王”に取り入り、凌駕していくのか。永年、パチンコ業界に携わってきた私は、マルハンやダイナムがアルゼやコナミ、さらにはソニーやパナソニックなどの協力を得ながら、純日本産の大型IRが展開される日を夢見ている。最先端のノウハウや技術力、企画力、アイデア、ホスピタリティで、世界を圧倒する力を日本は十分に持っていると私は思う。しかし昨今の国勢を見ると、いつしか日本人の多くが投げやりになったように感じられる。社会が緩んできて、やる気が失せてきている。この“どんよりとした空気”を一新するには、何か壮大なドラマが必要であると思う。政治の体(てい)たらくや無能化はさておき、民間のプロとプロがガッチリと手を組み、世界を圧倒するような壮大な創造物が見たい。それが何よりの起爆剤になるのではないか。

南湾湖の東岸から遠望する半島部南端に立つマカオタワー(338m)

それがたとえば大型IRであるとは断言しないが、何か誰にでも見える象徴的な対象は必要だ。人間は何かに向かって努力していないと腐ってしまう。それには自分を駆り立てってくれる目標が必要となる。そして同じ目標に向かって必死に歯を食いしばって頑張っている仲間を発見すると励まされ、共に手を取り合ってさらに強い力が体の底から湧き出してくる。その対象がたとえば大型IRであると断言はしないが、これは1つの面白いテーマではあると思う。私はNHKの「プロジェクトX」と、シンガポールの「マリーナベイ・サンズ」を見たときの感動を思い浮かべながらこれを書いている。

これまで日本では多くのテーマパークが失敗したが、生き残っているテーマパークもある。リゾート法による奔走で経験した多くの失敗例もあった。とにかく、日本人は1つの方向が決まると、付和雷同して皆が走り出す傾向がある。今回のIRも多分にその傾向が見られる。しかし、それらの多くの失敗例と自らの性向を勘案して、多くの人を永年にわたって惹きつけられるものをどのように作っていくのか。

この点を真剣に考えることは、別にIRでなくても、これからの日本にとっては必要なことだと思う。さらに、それは日本という国のことだけではなく、個々の商品でも、街づくりでも、会社づくりでも、人づくりでも結局は同じであるような気もする。別にIRでなくてもいいが、真のプロの目による鋭い洞察と技術で、真に皆が心の底から感動し、永年にわたって愛され続けるものを、絶え間ない努力によって作り上げてもらいたいと思う。今日はずっと海外の大型IRの本を読んでいたので、いささか夢見がちになってしまった。(佐渡屋太郎)

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カジノをめぐる最近の動き【佐渡屋太郎-vol.286】

過去最多の127名が参加した大阪商業大学で開催されたギャンブリング*ゲーミング学会の「第9回シンポジウム」

いまは13年6月12日(水)の19時40分。カジノ関連の原稿が終わってホッとしていたら、日本国内の“IR推進法案”をめぐる動きが一挙に激しくなってきた。そんな渦中の6月8日(土)、大阪商業大学(大阪府東大阪市)で開催されたギャンブリング*ゲーミング学会の「第9回シンポジウム」の取材に行ってきた。今回は過去最高となる127名の参加者があり、こちらも大層な盛り上がりであった。それも大阪府や大阪市の職員をはじめ、近郊の堺や泉佐野、さらには熱海、徳島、長崎などの地方からわざわざ駆けつけた関係者も多かった。地方のIRへ掛ける情熱には並々ならぬものがあり、参加者はみな真剣な表情で、シンポジウムに聞き入っていた。

マカオでは、日本ことを“最後のカジノ未解禁国”と呼び、関係者の誰もがビッグマーケットとしてその動向を注目していた。その熱気で体を焦がしながら日本に帰ってきたのだが、日本もまたカジノフィーバーの渦中で激しい揉み合いを続けていた。帰国したのは5月23日であったが、まずは原稿を書き上げて早々の6月5日、関係者が注視していた安倍首相の「成長戦略第3弾」の発表があった。しかし、関係者の期待をよそに、カジノを含む統合型リゾート(IR)推進法案が盛り込まれなかった。その余波を受けて、カジノ関連と言われる日本金銭機械などの株価が大幅安となる事態も引き起こしている。

そして、失望の色が広がっていた6月7日、今度は日本維新の会が、政府が指定した地域と事業者に限り、カジノの運営を認める法案を衆議院に提出した。その骨子は、内閣に本部を設置し、政府が法律の施行後1年以内を目処に開業に必要な法整備を行なうように定めたものだった。この動きに対しては、超党派の「国際観光産業振興議員連盟」(IR議連、細田博之会長)を差し置き、抜け駆け的な行動であるとの批判もあった。しかし、IR推進法案が確かに生きているのだという、1つのパフォーマンスにはなったのではなかろうか。ただ、これから参議院選後のデリケートな時期に差し掛かるだけに、IR推進法案を政治的な駆け引きには使ってもらいたくないという慎重論が大勢を占めたようだ。

“IR促進法案”提出の経緯や理由について語る日本維新の会の松波健太衆議院議員

シンポジウムのパネルディスカッションでも、この間の動きが大きな関心事となって俎上に載せられた。それによると、永田町はすでに選挙モードに入っており、IR法案どころの話ではなくなっているという。その中での日本維新の会による法案提出で、逆に自民党はトーンダウンしながら選挙を待つという方法を取ったようだ。つまり、選挙後に新たに国民の審判を受けた議員団で、再びこの問題を包括的に考えようとする方針だ。ただ、法案はできているので、参院選後の国会提出、さらに年内の法案成立の路線は崩れていないという。パネルディスカッションには、当事者である維新の会の松波健太衆議院議員も出席しており、その件に関して次のような説明を行なった。

まず、今回の法案提出について。「成長戦略第3弾」で薬のインターネット販売解禁などが挙げられたが、これらの日本経済に与える影響は微々たるもので、何としてもIR推進法案を入れてほしかった。維新の会ではこのIR推進法案から決して逃げないという意味で今回の法案提出を行なった。内容的には超党派の法案とほとんど変わりがなく、相違点としては、①実施法を作る期間を2年から1年にした、②収益を東日本大震災に回すことを削除した、③有識者からなる推進会議に国会議員が入ることを削除した、という3点のみ。多分、この法案は吊るされたままになるが、参院選後の国会では安倍首相も本腰を入れざるを得なくなるのではないかということであった。

こうした説明を聞けば、IR推進法案が「成長戦略第3弾」に入らなかった理由も、維新の会による法案提出もおおよその背景は理解できる。しかし、99年の石原都知事(当時)によるお台場カジノ構想から始まり、06~07年における郵政解散前の法案骨子の取りまとめ、さらに11年の民主党政権下での紆余曲折と、この問題に関しては翻弄され続けてきた14年にわたる長い歴史がある。今回も“またか”という悲観論が拡がったのも無理はないだろう。だからこそ、成長戦略の一環として、IRの推進に積極的な姿勢を見せている安倍政権下での今後の動きが、IR実現の“ラストチャンス”であると多くの関係者は考えているのだ。また、シンガポールでの成功が、大きな追い風となっているという背景もある。

錚々たるメンバーが集まったパネルディスカッション

さて、今回のシンポジウムにおけるパネルディスカッションのテーマは、「成長戦略としてのカジノ合法化の行方と今後の課題」。パネラーは先述の松波健太氏(日本維新の会衆議院議員)に加え、橋爪紳也氏(大阪府立大学観光産業戦略研究所所長)、美原融氏(大阪商業大学アミューズメント産業研究所所長)、佐々木一彰氏(日本大学経済学部専任講師)、栗田朗氏(博報堂カジノ・エンタテイメントプロジェクト代表)、岡部智(電通ソーシャル・ソリュウーション局カジノ&エンタテイメント事業部長)の6氏で、光電舎社長の小川正夫氏がコーディネーターを務めた。

このなかではIR促進法案の年内成立を前提に、実施法ができる1~2年の間に、“日本版IR”をどのように創っていくかがメインテーマとなった。まず、法案自体の目的は、IRの“量と質”をコントロールすることにある。では、それらコントロールをどのような判断基準で行なうのか。これを裏付けするのが実施法の役割でもある。そして判断基準には、選考過程の明確な説明ができ、誰もが納得できる“公平性”が求められる。具体的に言えば、その最大の焦点となるのは、認可を与える“数”と“地域”と“運営民間業者”の絞り込みだ。これは最終的に政治判断になってくるだろう。しかし、その元になる判断基準は今後の議論によって、実施法として固めていかなければならない。それには今後起こりうることの予測が必要であるし、日本の国情に合わせた安全で効果的な運用の形を追究していかなければならない。

“IR促進法案”の現状と今後の課題について語る大阪商業大学アミューズメント産業研究所所長の美原融氏

選考に関しては、数と地域を決めて、自治体に運営民間業者を選ばせるという方法もあるし、区域ごとに数だけ決めて、運営民間業者が選定した自治体に交渉して申請するという方法もある。海外のオペレーターは各地域ごとに“ビジネス”としての厳しい査定をしている。ただ、ここで問題となるのは、たとえば東京と沖縄を同一線上で競わせていいのかということだ。東京や大阪はシンガポールのような“都市型”のIRを目指し、観光客誘致の国際競争力を付けようとしている。一方、沖縄や熱海などはヨーロッパやオーストラリアのように、地域の活性化の手段として“地方型”のIR誘致を考えている。そこでこのパネルディスカッションでは、“都市型”と“地方型”のカテゴリーに分けて数を決め、そのなかで競争させてはどうかという意見も出てきた。つまり、その方が“公平性”が保たれるのではないかという判断である。

こうした議論が深まるなかで、日本にあるべきIRとはどのようなものなのかという具体像が次第に出来上がっていく。東京や大阪がシンガポールやニューヨークのように魅力のある都市になるには、どのような都市機能が必要なのか。また、熱海や沖縄が活性化するには、自らが持つ地理的・歴史的な観光資産をどのようにIRに盛り込み、街づくりをしていくのか。これはIRによってもたらされた、自分たちの都市や街を考え直す格好の契機でもある。これまで日本は、何をしなくても多くの外国人が訪れる国であった。しかし、世界の各都市が観光客誘致に努力を重ねるなかで、次第にその存在感が薄れつつある。

これまでのカジノ問題の経緯や今後における地方型IRの可能性を語る博報堂の栗田朗氏

今回、マカオに行ってつくづく感じたが、観光都市としてのインフラは非常に大切である。マカオはいま、新交通システムの建設を三菱重工業が受注して進めている。これができていれば、私はあんなに歩き回ることはなかったはずだ。この件に関しては、次回か次々回で、前回の続編として書くつもりだ。そんな目で見ると、日本の各都市も外国の観光客からすればまだまだ足りないものがある。いくら大きな観光資源を持っていても、努力を怠ればいつの間にか後塵を拝することになる。

IRの誘致をきっかけに、日本の都市や地方のあり方を徹底的に考えてみることも必要だろう。そうした検証の努力が、次への成長を生み出すステップになると思う。このシンポジウムでは、国立台湾科技大学の劉代洋教授による「台湾カジノ法案の内容と今後のカジノ政策」というとても興味深い発表もあった。これも次回か次々回に取り上げてみようと思っている。しかし、カジノに関しては勉強すればするほど、次々とテーマが出てくる。このブログも当分はネタに困ることはないだろう。今、アマゾンで注文した本が連日にように届き、それらを読むごとに次第に目の靄(もや)が少しずつ晴れていく快感を味わっている。ただ、日ごとに本と資料の“山”が高くなっている。まさか、佐渡の畑の家のように、床が抜けることはないと思うが、近頃、部屋の中を歩くと変な音がするようになった。(佐渡屋太郎)

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マカオからの帰還【佐渡屋太郎-vol.285】

香港について第1枚目に撮った中環駅から見た風景

いまは13年6月5日(水)の18時20分。一昨日の6月3日(月)の早朝、マカオの件を含めた5月末日締切りの原稿がすべて私の手から離れた。思い返せば、マカオから帰って家に着いたのが、5月23日(木)の23時30分。その日は疲れのためにバタンキューで寝て、翌朝から“原稿地獄”が始まったのである。まず、最初に手を付けたのが、急ぎの週刊誌の仕事。マカオで撮影した500枚を超える写真から23枚を選択して送り、先割りで仕事が始まった。いま、その頃のことをいま思い返してみると、随分むかしのことのような気がする。それから必死になり、10日間にわたっていろんな原稿を書き続けた。最初の原稿や写真を掲載した週刊誌は、もう6月3日(月)には手元に届いている。週刊誌の仕事は実に早い。ましてや、マカオに行ったことなど、遠い彼方の出来事のように感じる今日この頃だ。

とにかく、久しぶりで仕事らしい仕事をした爽快感に包まれている。すべての仕事が終わった昨日は、自分へのご褒美としてネットで買った井上陽水の「40th Special Thanks Live in 武道館」というDVDをパソコンで流しながら、ベランダで「ミカンの木」(はっきりとした樹名は未調査)、「金のなる木」、「山椒」の植え替えを行なった。近頃これらの木は盛んに成長して木と鉢のバランスが崩れ、ずっと気になっていた植木たちであった。いまはゆったりとした鉢に入り、気持ちよく根を伸ばしていることだろう。私も久し振りにゆったりとした時間を過ごさせてもらった。それにしても、井上陽水のDVDがよかった。これは大きな収穫であり、発見であった。

そのDVDは昨日の昼間に掛けっ放しにしていたばかりでなく、夜はテレビの画面で見ようとしたのだが、サッカーのオーストラリア戦を見てしまった。今日も朝から掛けっ放しにして、銀色夏生の『しげちゃん田んぼに立つ』と、稲本正の『森の博物館』と、鶴田静の『野菜いっぱい 大地の食卓』を読んだ。やることは一杯あるのだが、何かボーッとして1日が過ぎてしまった。これが仕事の終わったときの“開放感”というものだろう。今夜はY嬢とこのDVDの感激を共有するために、テレビの大画面で井上陽水を見るつもりだ。すでに私は酒を飲み始めており、準備が万端にまで整っている。昨夜の本田も確かによかったが、やっぱり陽水のあの美しい歌声や繊細な感性に、私はより大きな感動を受けることを、昨日から今日に掛けて発見してしまったのである。

中環から上環まで歩くうちに見えてくる海とビル群の香港的な風景

さて、問題のマカオの件である。原稿を書いているときは、早く仕事を終えて香港やマカオの思い出に浸る時間がほしいと思っていた。しかし、マカオのことを何回も書くうちに、そんな気も失せてしまった。しかし、「マカオからの帰還」という今回の記事にマカオのことを書かないわけにはいかないだろう。だから、これから何回かに分けて、マカオレポートを書いていくことにした。また、帰ってきてから原稿を書くために、膨大な資料を読んでカジノの最新情報も収集した。それらも自分の中で整理しながら書き加えていきたいと思っている。

まず、最初は「グローバル・ゲーミング・エキスポ(G2E)アジア」取材にたどり着くまでの道程から。当初、展示会は5月22日(水)~23日(木)に開催されるので、21日(火)中にマカオに着けばいいという指示だったので、飛行機のチケットを取って安心していた。その後、資料が送られてきて読んでみると、21日の11時30分からメデア用の説明会や出展企業への取材時間が設けられていると書いてある。その件を雑誌社編集長に伝えると、チケットをキャンセルして取り直しても、21日の前取材をしてくれという返事だった。こうして“前乗り”が決定し、慌ただしい取材旅行の幕が切って落とされた。何か多難な前途を予感させる始まりであった。

20日は5時に起きて、関空へ。路線はせっかくだから香港の街も見ておきたいと思い、香港から船でマカオに入ることにした。それも香港国際空港からの直通の船ではなく、わざわざ中環(セントラル)まで電車で行き、そこから上環(ションワン)まで歩いて船に乗った。しかし、これは大正解であった。当初は、帰りに香港で遊ぶための肩慣らしというつもりであったが、結局は帰りには時間なく、今回の香港は中環から上環までだけになってしまった。これまでの経験から身につけた“行ける時には行っておく”という教訓が生きたわけだ。

上環のフェリーターミナルに繋留されたマカオ行きのターボジェット

さらにマカオでも、初日は半島部に泊まることにした。アジアの空気を吸うと、つい昔の放浪時代の気分に戻ってしまう。その結果、どこに泊まっても取材経費で落ちるのであるが、敢えて安宿が集まっている福隆新街に向かってしまう“悲しい性(さが)”が私にはあった。しかし、これも大正解である。ここで知り合った安宿のカウンターのお姉さんや、近くの食堂のおばちゃんとの何気ない触れ合いが、“世界は一家、人類はみな兄弟”という若い時に得た教訓を再確認することとなったのである。翌日からは、雑誌社が取ってくれていた「ヴェネチアン・マカオ・リゾート」のスイートルームに移動することになった。その“落差”は実に面白かったが、できればあの「大利迎賓館」にずっと泊まっていたかった佐渡屋太郎である。

参考までに言っておくが、今回はカジノに関する記事は何もない。初回はただ、だらだらとマカオの雑感を書いていこうと思っている。この“助走”がないと、なかなか頭が戻っていかない。しかしいま考えてみると、その“落差”こそが、観光地におけるIR(統合型リゾート)の実像を体感できる貴重な経験であった。狭い路地に机や椅子が出されて、酒を飲みながらワイワイと騒いているマカオでも最も古い商店街であり、下町的な雰囲気の福隆新街。片や埋立地に人工的に作られた巨大なカジノリゾートホテル群が並ぶ整然としたコタイ地区。日本の東京であれば、浅草の飲み屋街とお台場に作られる巨大なIR施設といった構図だろうか。この“落差”が、夢と現実が織り成すコントラストの面白さであると実感した。

ビクトリアハーバーからマカオを向けて爆走するターボジェット

しかし、この福隆新街にたどり着くまでが大変だった。当初はマカオフェリーターミナルから、マルハンが出資した「ポンテ16」行きのシャトルバスに乗ろうと思っていた。それに乗れば、福隆新街は目と鼻の先である。しかし、「ポンテ16」行きのシャトルバスはなかった。それで仕方なく、途中まで行く「リズボアホテル」行きに乗ることにした。ところが、方向音痴の佐渡屋太郎は予想通り、道に迷ってしまった。当日のマカオは気温31℃、湿度95%。重いカメラバッグを肩に掛け、コロコロを引きながら、地図と道路標識を見ながらの格闘が始まった。そして、歩きながら昔の懐かしい感覚が蘇ってくるのを感じた。

昔は新しい街に着くと、第1日目はまず闇雲に歩くことから始めた。そうすれば、街の雰囲気やだいたいの構造が分かってくる。その間、気になる店や休憩できる広場や公園など、いくつかの目印を頭に刻んで、自分なりの地図を作るわけだ。しかし、あの頃は時間が無限にあったし、1日中あるき回っても平気な体力があった。そのときに得たのは、「間違ったと気づいたら、すぐ引き返す」という教訓である。これができそうでなかなかできない。同じ道を引き返すのは屈辱的な行動であるし、この道を歩き続ければいつか目的地に着くという自分勝手な幻想を抱いてしまうことが多いのだ。また、「分からなかったら、人に聞け」という教訓もあるが、インドではこれで何回もひどい目に遭った。インド人は自分が分からなくても決して分からないと言わない。その上、勝手な方向を人に教えるのだ。

猛暑のなか、1時間以上は歩きまわっただろうか。そして、大体の見当を付けて歩いて体力が限界に近づいたころ、急に視野が開ける広場があった。そこで水を飲みながら休憩し、周りの建物を眺めてみると、見覚えのある風景が目の前にあった。何とそれが「セナド広場」であった。つまり、アホな佐渡屋太郎は南湾大馬路を行ったり来たりしながらさ迷い、やっと新馬路に出てきたわけだ。これをまっすぐ行った突き当たりには「ポンテ16」があり、新馬路の1本南側に目指す福隆新街があることになる。急に目の前が明るくなった。これが“第1の彷徨い(さまよい)”ある。

マカオ半島の中心部を彷徨い歩きながら、偶然に辿りついた「セナド広場」

さらに、ホテルについて一服してシャワーを浴び、明日のために「ヴェネチアン」の下見に出かけることにした。すでに時間は19時30分になっていた。ここから“第2の彷徨い”が始まることになる。まず、ホテルから新馬路に出ようと歩きだしたのだが、すでにアホな佐渡屋太郎はいきなり最初の方向を間違えていた。福隆新街の路地を面白がって巡っているうちに、完全に方向感覚を失ってしまったのだ。新馬路に向かっているはずが、行けども行けども来るときに目印にしていた「セナド広場」にたどり着かない。それどころか、次第に周りの景色は町工場街の雰囲気になっている。やっと状況が飲み込めたのは、港湾局の建物を見つけたときだった。何と西のバス停に向かっているはずの私は、火船頭街から川辺新街へと一路、南に向かって歩いていたのである。

ちょうどそのころに、激しいスコールが降り出した。幸いに傘は持っていたが、そんなもので太刀打ちできるような生易しい雨ではない。滝のような大雨で、たちまち道路を水が流れ出した。最初はマカオの住民とともにアーケードで雨宿りしていたが、そこも雨がどんどんと吹き込んでくる。次にシャッターの閉まった店の前にもたれこんですわっていたら、中からオヤジが出てきて追い払われた。しかたなく、路地の奥まで入り込んで座っていたら、下水から溢れてきた雨水が川のようになって私の方に向かってくるではないか。弱り目に祟り目であったが、実に楽しい思い出となった。最後は近くにあった飯店に入ったら、おばちゃんがタオルを出してくれた。こんな優しさに旅人は悩殺されるのである。

福隆新街の近くの路地に立ち並ぶ古くからの商店

その後、雨も小降りになったので来た道を戻り、「ポンテ16」が見えたときには、ささやかな達成感さえ生まれてきた。これであの安宿「大利迎賓館」にたどり着ける目処が付いた。時間は22時すぎ。香港に着いてから歩き詰めの1日であった。そこで、「ヴェネチアン」への下見は諦め、コンビニでビールとつまみを買ってホテルに帰ることにした。しかし、新馬路を街の中心に向かって歩いてみたが、なかなかコンビニが見つからない。“泣きっ面に蜂”とはこのことで、神はどこまで私に試練を与え続けるのだろうかとマゾヒスティックな心境に陥ったが、これも1つの快感ではある。結局、最初に道に迷った南湾大馬路にコンビニはあったのだが、このとき私の頭の中で今まで迷いに迷った道々が一気に繋がっていったのである。これは頭の中で私のマカオ半島中心部の地図ができあがった瞬間でもあった。

この新馬路を軸にして考えれば、どこにでも行けるという自信が沸々(ふつふつ)と湧いてきたのだ。そして、“マカオは狭い”ということを実感した。半島部の主要施設なら、歩いて十分に回れるという自信が湧き上がってきたのである。これは翌日に、また大きな災難を佐渡屋太郎にもたらすことになるのだが、それは次回の話題にしよう。しかし、重い足を引きずりながらホテルに帰ってから、いろんなことを思い出した。アジア特有の外の喧騒が、あの頃へ時間を引き戻してくれたのだろうか。1986年4月、シルクロードのトルファンで香港大学の学生カップルと出会い、一緒に食事をした。その時、私は「1997年の香港返還をどう思うか」と聞いたら、「そんなことは食事中にする話題ではない」と女子学生に激しく叱られた。あとで男子学生に聞くと、彼女の家族はカナダへの移住を計画しているという。彼女はいまどこにいるのだろうか。私にとっての香港の象徴であった九龍城も取り壊されてすでに久しい。すべて今は昔の物語となった。しかし香港とは今後、新たな関係ができそうな予感がする。(佐渡屋太郎)

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