遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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2013年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年06月

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“モミジ”をテーマにした頂上作戦【佐渡屋太郎-vol.284】

佐渡屋太郎が所有する106鉢のなかで最も愛している「赤モミジ」の妖艶な姿

いまは13年5月16日(木)の16時05分。今日は朝の4時に起きて、前回のブログ記事をアップして、それからひと仕事してやっと終了した。その後、今回のテーマとなるモミジの写真撮影をして一応、ブログを書ける態勢が整った。お気付きかどうか知らないが、これを明日までにアップすれば、3日連続のアップとなる。こんなことは07年9月21日、このブログを始めたころ以来の快挙である、と自分では思っている。だいたい“挿し木おじさん”を書いたあたりから、植木への思いが噴出して、頭がおかしくなったようだ。そのせいか、これまで3時か4時に寝て8時か9時ころ起きるという習慣が、近頃では11時から12時ごろに意識がなくなり、4時か5時に起きるという毎日になっている。

お陰で仕事をはじめ、いろんなことがどんどんと片付いてきた。そして、このブログを書きたいという気持ちも高まってきている。それは植木がテーマであるからだ。これまで月に2本か3本しか書かなかった男が、大きな変身である。別に心を入れ替えたわけではない。それもこれもすべて植木が原因である。あの生命力に溢れた植木たちの姿が、私を書かざるを得ない状況に追い込んでいったのである。テーマが植木なので読者数は少ないが、それでもいいのだ。これは私自身と植木の記録であり、完全な自己満足の世界であるのだから。

前回、ツバキのことを思い入れたっぷりに書いた。書き終わったとき、頭の中にかなり強い力でモミジの姿が浮かんできた。そして、そのときモミジは「何で私のことを書いてくれないのよ」と、強い調子の女言葉で私を非難したのだ。私にとって、ツバキは健気に頑張る“子供”のような存在だ。一方、モミジは昔に憧れた“永遠の美女”のような存在なのである。しかし前回も書いたように、昨夏に佐渡から土ごと鉢に入れて持ってくるという作戦が大当たりして、モミジたちは100%の活着率を見せた。それ以来、少しモミジに対する愛情が薄れていたのかも知れない。

それはまるで、憧れの女性と結婚して日常生活を送るうちに、空気のような存在になってしまう現象に似ている。私はこれまで何年間も、生きるか死ぬかの緊張感を持って、モミジを凝視しつづけてきた。しかし元気よく新葉を伸ばし、まったく死ぬ心配のなくなったモミジに対し、存在していて当然という“慢心”が心の中に宿ってしまったのである。さらに、「挿し木などに愛情を移してうつつを抜かし、私を見る時間が少なくなり、その目の力にも昔の強さがなくなったのは何故なのよ」とも言われてしまった。その指摘は確かである。こうなると女性は怖い。“永遠の美女”が鬼の様相になり、激しく私に迫ってくるのだ。しかし昨日、ツバキの記事を書き終わってやっと分かった。やはり、私が一番愛しているのはモミジであった。今日はそのお詫びの気持ちを込めて、ベランダにある5鉢のモミジを丁寧に撮影したのである。

この5鉢のなかでどれが一番すきかと言うと、これまた他のモミジに怒られそうだが、私は冒頭に写真を掲げた「赤モミジ」が最愛の存在だ。ベランダや室内にある計106鉢のなかで、最も大切にしている。いまは仕事部屋から見える位置に置き、仕事に疲れると「赤モミジ」を眺めて、疲れを癒している。5月の薫風にしなやかな細枝と美女の細指のような赤い葉を揺らす姿は、美しさを超えて何かエロチックでもある。もっと言えば、細身の女性が真紅のスカートを揺らして踊っているような姿さえ連想させる。

この鉢のなかには「赤モミジ」が1本、「青モミジ」3本が同居している。そしてこの鉢のモミジは他の鉢に比べて、格段に成長が早い。とくに2本の「青モミジ」などは、どんどんと驚くほどに背が高くなり、支柱がなくてはまっすぐに立てないくらいになっている。やや過保護でないかと私自身も思っているのが現状だ。上の部分を切って挿し木にしようと思ったが、素材がモミジだけに私には怖くてできない。過去の数多い失敗が、激しいトラウマとなっているからだ。ただ、その成長の早さには原因がある。この「赤モミジ」は、佐渡の“畑のジャングル植物園”の「親赤モミジ」の下に生えていた。そこには私の母親が植木の栄養のために籾殻をまいてあり、それをたっぷりと掬って鉢に詰めてきたからだ。

採集時の「赤モミジ」は背丈こそ20cmくらいで小さかったが、その割には幹が太く、枝も張っていた。少なくとも2年生、もしかしたら3年生ではないかと思っている。この1年近くでさらに幹は太くなり、枝もさらに張ってきてなかなか妖艶な姿になってきた。しかし、昨年に持ってきた直後に、根元近くから1本の枝がまっすぐに立ち上がり、いまでは50cmほどになって2又に分かれている。こんな“走り枝”は切ってしまえばいいのだが、モミジに弱い佐渡屋太郎にはこれもできないのである。少なくとも今年一杯は彼女たちの成長を見守りながら、存分に遊ばせてやりたいと思っている。

10年6月に佐渡から拉致してきた「赤モミジ」の姉

実は、この「赤モミジ」には姉がいた。その姉も同じ場所に生えていたのだ。思い返せばちょうど3年前の10年6月、佐渡屋太郎はその姉を拉致して大阪に連れてきた。その姉は太い幹を心ない私の母親に切られ、その切り口の脇から1本の枝を真っ直ぐに立てていた。成長すればその枝が新たな幹になるはずだった。太い幹を持っていたため、掘り起こして拉致しようとする私に、彼女は激しく抵抗した。親木と太い根でつながっており、それを佐渡屋太郎はスコップの先を何回も突き立てて断ち切り、傷だらけになった彼女を無理やり親から引き剥がしたのである。今回、過去の植木の写真を探していて偶然、在りし日の彼女の写真を発見してしまった。それが2番目の写真である。

同時に拉致してきた5本くらいの青モミジに比べ、彼女は長生きをした。それは太い幹と、分断されたとはいえ太い根を持っていたからだろう。当時の浅はかな佐渡屋太郎は、他のモミジはダメになっても彼女だけは生き残るだろうと思っていた。しかし、彼女から新たな葉が出ることはなかった。葉が1枚ずつ真紅から茶色に変わり、床に落ちていったのだ。そして翌年、彼女の体全体が死色となり、2度と葉や枝を出すことはなかった。私は姉を殺してしまった。だから妹には姉の分まで生きて大きくなってほしい。姉を殺しておいて、何と都合のいい男だろう。盗人猛々しいとはこのことだ。私はいい加減な男であった。姉の“死体”はいまでも、ウバメガシとツブラシイが同居する鉢に埋まっている。

“奇跡の蘇生”を成し遂げたのに、その存在さえも忘れていた「大姉御」に力強い姿

と、思いながら写真を見ていたら、また凄いことを発見してしまった。この写真の左奥に黄色いバケツがあるのが見えるだろう。その中に入っているのは何とモミジである。葉が枯れてきたので、それをすべて取り払い、最後の蘇生方法として水に付けてみたのだ。実はこの“10年6月もの”のなかで、生き残ったモミジが1本だけあった。それがバケツに浸かっている大柄な彼女なのである。そのことを私はすっかり忘れていた。ここまで書いて慌ててベランダに飛び出し、追加の写真を撮ってきた。この“大姉御”はベランダの片隅で堂々と生きていたのだった。何がモミジは5鉢だ。6鉢ではないか。あの奇跡の復活を遂げた“大姉御”を忘れているではないか。彼女の奇跡の復活に関しては以前、このブログでも熱を込めて書いたことがあるような気がする。しかし、あまりにも成長して立派になりすぎたので、愛情が薄れたどころか、その存在まで忘れていた。何と私は薄情な男なのであろうか。

ベランダの片隅にあった「むつ紅」の無残な死体。赤土に植え替えて“奇跡の蘇生”を願ったのだがいまだ反応はない

ここにきて、今回のブログの内容を大きく変更しなければならなくなった。書きはじめは5鉢を1つずつ説明して、その成長ぶりを報告しようと思っていた。1回に掲載できる写真は6点までなので、5鉢+過去の「赤モミジ姉」の写真で美しくまとめようと思っていたのである。しかし、「赤モミジ姉」の思わぬ話の展開から、“大姉御”の忘却へと、過去から現在に至る私が犯した“悪行”の数々が露呈してしまった。さらに、“大姉御”の写真を撮っているとき、これまたベランダの片隅に「むつ紅」の“死体”があるのも発見してしまった。私は姉の殺害のあと、どうしてもまた「赤モミジ」が欲しくなり、葉の切れ込みが深い「むつ紅」をホームセンターで見つけ、ついフラフラと買ってしまったのである。お前は赤いモミジなら何でもいいのか。姉に対する操(みさお)、佐渡の「赤モミジ」に対するこだわりはないのか。そんな声が女性読者から聞こえてきそうだ。ただ、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からないが、このブログには女性読者はほとんどいないのが現状である。

勢いよく枝を伸ばす“12年もの”の2号。この鉢には他に4本のモミジの小苗が育っている

「むつ紅」は樹高が65cmもあり、堂々とした風格を持った女性であった。小股ならぬ葉股が切れ上がった“粋なお姉さん”といった印象だった。1年目は枝を伸ばし、幹の下部からも太枝を出すなど順調な成長を見せていた。6号鉢からすぐに8号鉢に植え替えてやるような勢いだったのである。しかし2年目、新葉を出すたびに憎きアブラムシにやられるようになった。これほどの体格を持ちながら、アブラムシにやられるとは相当な“お嬢さん”ではないか。もっと逞しい“粋なお姉さん”であってほしかった。葉がほとんど落ちたころに思い余って、再度の植え替えをしてみた。元は赤土で育てられたようだ。しかし、無知な佐渡屋太郎は培養土で植え替えをしてしまっていた。根を見ると元からあった赤土からほとんど、新根が出ていなかった。これでは抵抗力も発揮できず、アブラムシにも負けるわけだ。私はここでも無知によって、立派で華麗な「むつ紅」を死なせてしまったのである。

こうして考えると、まさに死屍累々の上に、いまの5鉢(+1鉢、そして死体1鉢)の現在があると思い至らざるを得ない。そのすべての罪は、私の“無知”と“薄情”と“無節操”と“恩知らず”と“軽薄”と“いい加減さ”と“変質的な収集癖”の成せる業(わざ)である。果たして、これまで何本のモミジを殺してきたのか。その記憶さえも曖昧になってきている。何しろ、死から“奇跡の蘇生”をして現に生きている“大姉御”の存在を忘れるほどのボケナスの私である。その深い反省の上に立って、これから優美で嫉妬深いモミジのお姉さんたちをはじめ、多くの植木たちと付き合っていかなければならないと肝に命じている。

“12年もの”のなかのモミジ3号。この鉢の中にも、もう1本のモミジの小苗がすくすくと育っている

私にとっては、非常に意外な展開の“ブログ3連発”の最終章となってしまった。しかし、忙しい中で果敢に挑戦した甲斐はあった。これらの記事を書くに当たって、過去の写真ファイルを09年まで遡り、改めて眺めてみた。すると、そこにはこのブログでは書き切れなかった数多くの、そして1つひとつの植木との濃密でドラマチックな思い出が詰まっていた。自らの生殺与奪権をこんな私に託してくれた今まで出会ってきたすべての植物や植木に、この“ブログ3連発”の最後にお礼を述べさせてもらいたい。

いま生きている106鉢と、佐渡屋太郎に命を奪われた数え切れない植物の皆様、「本当にありがとう。君のことを私は死ぬまで忘れないよ」と、またいい加減なことを言いながら、貪欲な殺人鬼・佐渡屋太郎の“ブログ3連発”の幕を閉じることにしたい。しかしマカオから無事に生きて帰り、地獄の原稿書きが終わったら、まだまだ植木のことで書きたいことや見てもらいたい写真が数多くある。今後は“濃い”カジノ情報とともに私的な植木情報も適宜発信していくつもりだ。なお、“濃い”カジノ情報の原稿依頼は、このブログのコメント欄にて常時、受け付けております。(佐渡屋太郎)


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“爆発”するツバキの近況【佐渡屋太郎-vol.283】

“11年もの”の鉢。シラカシの葉で見えにくいが、ここに太郎、次郎、三郎の3本が頑張っている

いまは13年5月15日(水)の17時40分。今日は昼過ぎにこのブログのvol.282をアップしてから、ひと仕事してやっといま終了した。来週からマカオ行きなので、それまでに片付けておかないといけない仕事が山積している。しかし、数日前からなかなか仕事に集中できない日々が続いている。その原因はツバキである。いまツバキの木の葉芽が膨らみ、一気に黄緑色に輝く新葉を開き、枝がどんどん伸びているのだ。そして、その新芽の数が私の想像を超える多さで、まるでツバキの木がこれまでに溜め込んだエネルギーを、一気に爆発させているように思えるほどの凄まじさだ。

いま興奮状態にあるので、少し気を落ち着けて順序立てて説明していこう。私はこれまでモミジとツバキには大きなコンプレックスを持ってきた。その背景には、これまでに数々の苗木を殺してきた“暗黒の歴史”がある。ツバキに関して言えば、佐渡の“畑の楽園”からツバキの苗木をはじめて持って帰ったのは09年6月のこと。それから、同年8月、10年8月と合計10本を超える苗木を採集してきたが、ことごとく鉢上げに失敗するという“屈辱”の歴史をくり返してきた。

そして11年8月、起死回生を目指し、元気がよく将来性のある苗木を6本持って帰り、全身全霊を込めて鉢上げをした。その結果、長い時間は掛かったが、そのうちの3本が何とか根付いてくれたのである。これを分類しやすいように“11年もの”ということにしよう。さらに、12年2月には不安からくる気の迷いで、スーパーで見かけた鉢植えのツバキ1鉢を衝動買いしてしまった。しかし、佐渡のツバキの“神”が怒ったのかどうかは知らないが、そのツバキは同年4月に枯れてしまった。この1件でも生まれつつあったツバキ育成の自信が見事に砕かれ、屈辱の泥沼に突き落とされた。

ところが12年8月、鉢上げに関する画期的な方法が閃いた。佐渡に帰る1日前のことであった。背景には、その前年から弟の車で一緒に大阪に帰ってくるようになっていたことがある。そこで佐渡で採取するとき、その土ごと鉢に入れて持ってくるという方法を思いついたのである。これでダンボール箱3箱分ほどの鉢上げ苗木を持って帰ってきた。この方法がバカ当たりして、モミジに関しては100%、ツバキに関しては80%の生存率を記録するようになったのである。この年に採取してきたツバキの苗木は合計5本で、何とそのうち4本が堂々と生き延びているのだ。この1群を分類上“12年もの”と名づけている。

つまり現在、我がベランダには、“11年もの”が3本、“12年もの”が4本で、合計7本のツバキがあることになる。それらのツバキから一気に新葉が吹き出しているのだ。これは私でなくてもその“喜び”で、尋常な精神状態を維持するのは難しくなるだろう。積年のコンプレックス、数々の屈辱が一気に払拭され、天にまで舞いそうな何とも晴れやかや気分に浮かれている。さらに、その新葉の開きと新枝の成長速度が早く、大げさに言えばまるでニョキニョキと葉と枝を伸ばしているのだ。それで仕事をしていても落ち着かず、1時間ごとにベランダに出ては、その成長の姿を見てニヤニヤとしている佐渡屋太郎なのである。

まず、“11年もの”から詳細に見ていこう。それが冒頭の写真だ。昨秋、どんぐりを埋めたシラカシが成長して見にくいが、この鉢には前述の通り、3本のツバキが植わっている。その蘇生の物語は以前、このブログでも書いた記憶がある。いま考えれば生息地は赤土であったのに、培養土の鉢に植えてしまったために、この3兄弟は大いに苦労したに違いない。知らぬこととは言いながら、佐渡屋太郎は残酷なことをしたものだ。いまは3兄弟の生命力の強さに感謝して、頭を下げるのみである。

“太郎”の幹下部から2本、根元から1本の芽が出て葉を拡げようとしている様子

まず、長男の“太郎”は昨春に新葉を出して、私を安心させた。さらに昨秋には幹の下部から2本の新葉と新枝を出し、今冬には根元から1本の新葉と新枝を出している。そして今春、先端部分から3本、幹の下部から2本、根元から1本の新芽を出して、一気に多枝ツバキに変身しようとしている。次男の“次郎”は昨春、枯れたと思っていたら根元からすごい勢いで新芽が出て、高さ15cmで葉を7枚付けるほどに成長した。いまはその先端から1つの芽が出て新葉を拡げている。三男の“三郎”は昨秋に根元から新芽が出て4枚の葉を拡げた。そのとき、3兄弟すべての蘇生を確認して喜んだが、今春はその根元の先端にある葉芽が日ごとに膨らんできている。

“12年もの”のA鉢。1号(左)からは8つ、2号の幹の中間部分から4つの新芽が出ている

一方、“12年もの”は2鉢に分かれている。まず、A鉢に2本あり、その2本を1号と2号とすると、1号は“12年もの”の5本のうち、最も将来性のある“成長株”である。もともと2又に分かれていたが、昨秋にそれぞれの枝から新芽を出して、いち早く根付きを確認させてくれた。そして、今春はさらなる驚きを私に与えてくれた。何と左右側の枝にそれぞれ4つ、計8つの新芽を出したのだ。樹高も30cmほどあり、“11年もの”の成長頭である“太郎”の28cmをすでに超えるほどになった。今回の爆発的な成長が一段落したあと、果たしてどのような樹形になるのか。今後の大きな楽しみの1つだ。

“12年もの”であるA鉢1号の先端部分。合計8つの新芽から葉が開こうとしている

同じA鉢に同居する2号は、不幸な生い立ちを持っている。佐渡から持ってきてよく見たら、先端部分の芽が欠落していた。こんな場合は、新たな芽を葉の付け根や根元からだすのだが、その気配もしばらくは見せなかった。しかし、秋が深まるころになってようやく、根元と幹の中間部分から芽を出したのだが、それもしばらくして枯れてしまった。ただ、葉は青々としているし、本体が枯れる様子は全然なかったので、いずれどうにかなるだろうと思い続けてきた。そして今春、だいぶ逡巡はしていたが、昨秋に芽を出して枯れた幹の中間部分から4つも新芽を出してくれた。そしてよく見ると、幹の上部にも1つの新芽があった。問題は根元である。確かに枝のような突起物は茶色から緑色に変わって爆発する気配を漂わせているが、先端に新芽は確認できないので、今後の展開を注視するしかない。

同じくA鉢の2号。昨年芽を出して枯れた幹中間部分から何と4つの新芽を出している


次のB鉢にも2本の苗が植わっている。その中の3号はオーソドックスなタイプで昨秋は新芽から順調に葉を出し、今春もその先端部分から2つの新芽を出している。幹の部分に新芽はないかと探してみたが、確認できなかった。一方の4号は問題児で数奇な運命を辿っている。もともと小さな苗であったが、その親木が葉をすべて落としたころに、根元から新芽が出てきた。それで葉を3枚出して冬を超え、今年はツバキのなかでは最も早く新芽を膨らませ、新たに2枚の葉を出した。

“12年もの”のB鉢に同居する3号(右)と4号。このあと割り箸に固定してあった4号の親木が折れた

小さくて数奇な運命にややひねくれてはいるが、内に秘めた“爆発力”は相当なものであると、私は見抜いている。こんな苗が一番かわいい。葉はいずれも小さいがさらに今年の新芽はまた膨らみ始めているので、“11年もの”の次郎のように、急激な成長を見せるかもしれない。ただ、この写真の撮影が終わったあと、鉢の雑草を取っていたら、枯れた親木がポロンと折れてしまった。根は付いていなかったので、幹が朽ちたのだろう。その後、4号に取り立てて変化がないので、やっと“親離れ”したということなのだろうか。いろんな障害を受けながらも坦々と生きている。

実はこれ以外にC鉢があり、そこに5号が植わっていた。しかし昨秋、葉がすべて落ち、4号と同様に根元から新芽が出てきたのだが、それも早々に枯れてしまった。その鉢を別の植木用に使うために掘り起こしてみたら、5号にはちゃんと根が残っていた。それでその死体を挿し木用の鉢に植え替えてみた。果たして、“奇跡の蘇生”があるのかどうか。しかしこれらのツバキ諸君は、それぞれに私の想像以上に頑張ってくれている。これは実に有難いことである。佐渡屋太郎は過去の“無知”による過ちを悔いながら、そのツバキ種全体の憤懣を私にぶつけるように、爆発的な成長を見せる7本のツバキにただ驚くばかりだ。これまでに殺した20本近いツバキたちに懺悔をしながら、心してその成長を見守りたいと思う。(佐渡屋太郎)

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木々の成長と開花【佐渡屋太郎-vol.282】

花が咲き出した「サザンカ」改め「マルバシャリンバイ」のA鉢

いまは13年5月13日(月)の17時25分。今日は天気がよかったので、午前中から気になっていた鉢の雑草取りや挿し木の枯れ枝の除去を行なった。さらに午後からは植木の写真撮影をして、続いてこのブログを書くために過去の写真探しをしていたら、こんな時間になってしまった。1日が飛ぶように過ぎていく。しかし、探し求めていた写真が見つかり、自分自身としては大満足の1日であった。

このように植木にかまけているうちに、マカオ取材がもう来週に迫っていることに気付き、やや焦っている。今回の取材対象は、「G2Eアジア」(グローバル・ゲーミング・エキスポ・アジア)で、国際的なゲーム展示会と会議が行われる。その展示会レポートを書けというのが依頼内容だ。昨日、展示会への出展企業を調べてみたが、エースクリエイションテクノロジーシステム、アルゼゲーミングマカオリミテッド、コナミオーストラリア、松井アジアなどの日本関連の企業をはじめ、カジノ関連の131社がいまのところ出展することになっているようだ。

今月のはじめから、この取材のために多くの時間を使っている。パスポートが切れていたため、その申請と受け取り。取材日程の打ち合わせからチケットの予約。さらにカジノ雑誌編集長の紹介で、同じテーマで一般経済誌にも原稿を書く事になったので、その入稿日程の打ち合わせなど、割と忙しく動き回っている。Y嬢からは遊び回っていると思われているようだが、佐渡屋太郎はやるときはやるのだ。したがって、今月末は原稿の締め切りラッシュで、ひどい状態になると思う。そのまえに、このブログの原稿をあと2本くらい書いておきたいと思い立った。私的には今春の植木動向に関して、まだまだ書き足らない。これをすべて書いてスッキリした気分で、原稿地獄に突撃していこうと心を決めたのである。

同じく10年8月に佐渡から採取してきた「マルバシャリンバイ」のB鉢

これで一応、カジノ情報も入れたので早速、本題に入ることにしたい。今回のテーマは植物たちの“成長”である。今年4月の中旬、2鉢あるサザンカの芽から葉とは異なる白いマッチ棒状のものが何本も出てきた。そして先端の白い玉はみるみる膨らんできて、何と白い小さな花をいくつも咲かせたのである。このサザンカを佐渡の畑で採取してきたのは、3年近く前の10年8月のことだった。しかも、これを取るのが目的ではなかった。当時、大阪に帰ってきてモミジの苗を鉢上げしようとしたとき、その根元に小さな双葉の苗が2本あることに気付いた。それでその2本の苗を、別の子鉢に植え替えたのである。いわば、想定外で偶然によって我が家にやってきた植木たちであったのだ。当初はツバキの苗だと思っていたが、成長するにつれて葉の形が丸くて、ツバキとは違うことに気付いた。

しかしこの2本はとにかく、順調に育っていった。やがて小鉢内で葉が重なり合い、窮屈そうになったので、別々に5号鉢に植え替えた。もう、このころには一端(いっぱし)の植木として、他の鉢と肩を並べるようになった。そして、単独の鉢に入ったことによって、さらに成長のペースを早めていった。どんどん背が高くなり、枝分かれもして横幅も出てきた。そこで6号鉢に植え替えたら幹も太くなり、全体的に堂々とした風貌になってきたのである。昨秋、佐渡の母親に電話を掛けてついでに、この木の種類を聞いてみたら、採集場所からみて「サザンカ」であろうということだった。

10年10月に小鉢から5号鉢に植え替えた当初の「マルバシャリンバイ」はこんなに小さかった

あの大川栄策が歌う「さざんかの宿」のサザンカである。その歌詞には「赤く咲いても冬の花」とある。しかし、我が家のサザンカは花の色は白で春に咲いた。そこで、いま図鑑を調べてみたら、「マルバシャリンバイ」(丸葉車輪梅)が一番良く似ていたので、今からこの名前に訂正したい。「シャリンバイ」より寒さに強い樹種であるという。こんな難しい名前の木が、よくあんな畑のジャングルに生えたものだ。サザンカなら花が大きくて綺麗だが、これも奇遇で巡り合うことになった木である。これからも成長を見守っていきたい。このうちの1本を枚方の家の前庭に移植しても面白いかもしれないと、いま閃いた。

そんな花の開花に喜んでいたら、これも強い木である「ヤマモモ」の先端にも丸い膨らみがいくつも出てきた。この木は3年前の10年5月に、和歌山にキャンプに行ったとき、煙樹海岸で採取してきたものだ。この時はウラジロガシと一緒に取ってきたが、これも2回も頭を切るほどに大きくなり、いまはすっかり太い幹になっている。その頃は盛んに木の鉢植えが欲しくなり、キャンプ場でもいろんな木の苗を物色していたことを思い出す。この「ヤマモモ」はいずれ背が高くなり、大きくなるという雰囲気を持っていた。しかし、木の姿にあまり面白味がないので、隅の方において冷遇してきたのは確かだ。

高さが65cmほどになり、ついに花を咲かせた「ヤマモモ」改め「トベラ」

それでも確実に成長して背を伸ばしたので、いまでは8号鉢にいれ、我が家では大樹の部類に属するまでになった。昨年夏ころに、一番日当たりのいいところに置いていたモミジの「むつ紅」が枯れてしまったので、その場所に置くようになった。そしたら、先端が枝分かれし、さらに今年の春先から根元から盛んに若枝を出すようになった。恐るべき成長力である。そして、その勢いで5月に入ってから花を咲かせるようになったのである。しかし、その花は小さな白色であった。しかし、「ヤマモモ」の花は赤色だ。そこで、また図鑑を調べてみた。

10年7月、やや成長して6号鉢に植え替えた当初の「トベラ」(写真右下)

そこでこの「ヤマモモ」は、実は「トベラ」という樹種であることが判明した。海岸付近に多く見られ、乾燥に強いというから確かだろう。漢字名では「海桐花」や「扉」と書く。根に臭気があって、魔除けとして扉に付けたことがその由来であるという。花ははじめ白色だが、咲くにつれて黄色に変化するそうだ。いま、新葉や花にアブラムシがたかって、それを取るのが日課となっている。いつも手がベタベタだ。私は基本的に優等生があまり好きでなく、根が付いて順当に成長を始めると、だんだんその木から興味が薄れていく傾向にある。やはり、植え付けたばかりで死ぬか生きるかのギリギリにあるときが、一番スリルがあって深い愛情を注ぐことになる。

しかし、こうした優等生も時間が経つと、一人前に花を咲かせるようになるのだ。そのことは確かに嬉しいし、一緒に過ごした年月を思うと感慨深いものがある。それで、私はこれらの木々が小さかった頃の写真を探し始めた。その頃の姿が最も印象深く、その木に関するいろんな思い出があるからだ。先の「サザンカ」改め「マルバシャリンバイ」については、モミジも根元にくっついていた4cmほどの双葉を発見したときの喜びを昨日のことのように憶えている。そして、陶器の小鉢に2本ならべて植えたときの可愛い姿。ただ心の底では、根が付く前に死んでしまうだろうと思っていた。それが次第に葉を大きし、背を伸ばして幹も太くなっていった。その逞しさは、次々と枯れていったモミジやツバキに対する佐渡屋太郎の悲しみを、少しは癒してくれたのである。

一方、「ヤマモモ」改め「トベラ」も実は危機的な時期があった。採取してきたときは、“大”と“小”の2本があった。そのころにあった木といえば、ザクロや南方系のハイビスカスやガジュマル、そしてブーゲンビリアくらいのものであった。果たして地取り(じどり)してきた名前も性質も知らない木を、自分が育てられるかどうか大きな不安を持っていた。そんな不安の中で、毎日この「トビラ」や「ウラジロガシ」を見つめていたような気がする。しかし、「ウラジロガシ」はいつまで経っても成長の兆しを見せず、「トビラ」の“小”は次々と葉を落としていった。そのなかで、葉を光らせて確実に背を伸ばしていった「トビラ」の“大”は、確かに不格好ではあるものの、私の心の拠り所となってくれたような気がする。

仕事面で考えると、3年の月日はバタバタしているうちに、あっという間に過ぎてしまう。しかしその間、生き残った植木たちは確実に成長し、時間の流れを体現してくれている。これが植木育ての“醍醐味”でもある。今回は過去の写真をメインにして、その成長ぶりを私自身が記録として残しておきたいために、自己陶酔的に原稿を書いている。しかし、1回では写真が入りきらないことが分かった。そのため、原稿はここで切ってアップし、続きは次回に回すことにしたい。(佐渡屋太郎)

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新天地の開拓【佐渡屋太郎-vol.281】

無残に頭を切られてしまったウメの木。太い2本が“大”で、手前の細い幹がまだ生きている“小”

いまは13年5月5日(日)の18時55分。昨日はY嬢の枚方の実家へ行った。近頃は毎週のように通っている。今回の任務はY嬢母の依頼で、枯れたウメの木を切ること、切り残してあったヤツデの幹を切ること、そして前庭と裏庭にある沈丁花の枝をすかすことであった。先週、枚方実家に行ったとき、ウメの木が切られていて驚いた。切られたウメの木は、何を隠そう私の挿し木用の親木であった。その枝とヤツデの幹が駐車場に散らばっていたのだ。Y嬢母はボケているので、ときどき信じられないような行動を取ることがあるが、せっかく葉が出てきたウメを切るとはまさに狂気の沙汰である。

その日、本人はデイサービスに行っていたので、私はその無残に切り落とされた幹や枝をゴミに出せるように細かく切り、男山に持って帰ってきた。今回、その事情を聞くとウメの木は前庭に“大”と“小”の2本があり、“大”の方は枯れているので前から切りたかったのだという。しかし、力がないので上部の方しか切れなかったらしい。問題は生きている“小”の方だ。これに関しては、これから葉が繁って鬱陶しくなるので、頭の方を切ったということだった。一応、理屈は通っている。そういう場合は、もう少し待って伸びた枝を整枝すればいいのだと教えたが、切ってしまった幹は戻らない。実にもったいないことをしたと私は思う。

枯れたウメの木はさらに小さく刻んで、仏像彫り用に持って帰ってきた

しかし私自身、ウメの木が2本あったことを知らなかった。その2本は非常に近接していたため、“大”の木が葉を繁らせていたと勘違いしていたのだ。今回は“大”を根元から切り、ヤツデも上の方だけ切られたものを元から切ってスッキリとさせた。そして“大”のウメの木は仏像彫りに使えるのではないかと思い、さらに40cmくらいに分断して持って帰ってきたのである。ここ数ヵ月、こんな日々がつづいている。その間、私は物干し場の朽ちかけた柱や梁を補強し、雨漏りがするトタン屋根や雨樋を修理した。また、茂りすぎて頭をもたげている植木は支柱で補強し、鉢が小さすぎる植木は大きな鉢を持っていて植え替えた。はたまた、日当たりの悪いところにあった植木は工夫して日当たりのいい場所に移動し、庭に散らばっていた落ち葉を掃いて綺麗にした。

物干し場では朽ちかけた柱や梁の補強や穴の開いた屋根の補修を行なった

このように佐渡屋太郎は毎週、枚方に行って粉骨砕身、働いているのである。いまでは、その日が待ち遠しいくらいになっている。庭を良くすることなら、どんな苦労も厭わない。こんなに庭いじりが好きだったのかと、自分でも驚くくらいだ。その甲斐あって、物干し場の雨漏りは直り、半ば死にかけていた植木たちは生き生きと蘇ってきた。1日の作業を終えて、キャンプ用の椅子に座り、綺麗になった庭を眺めるときが私の“至福の時”となっている。これは佐渡に帰ったとき、夜に酒を飲みながら、前庭でモミジの鉢植えを眺めているときの気分に似ているといま気付いた。実に風流で、健全な趣味ではないだろうか。

さらに私を喜ばせているのは、その労働の対価として庭に植わっている木々の子供たちを鉢上げして持って帰れることだ。この庭には私が欲している樹種がいくつかあり、もちろんY嬢母に許可はもらっているが、私のオファーを彼女が断ることはない。その理由は、昨年の秋から冬に掛けての4ヵ月弱に亘り、私の住む男山に引き取って同居していたからだ。その間、私は昼食を作ってやるなど、粉骨砕身の世話を行ない、図太い信頼関係を築き上げたのだ。さらに“植物好き”という共通の趣味が、私とY嬢母を強く結び付けているのである。いまでも時間があると、公園や植物園などに花や木を見に連れて行っている。一方、Y嬢父は家事、とりわけ料理や修理、さらに庭仕事などに一切の興味はないし、やろうとしてもできない。その代役を佐渡屋太郎は楽しみながら率先垂範して行なっているわけだ。

枚方から掘り起こしてきた貫禄のあるヤマブキの木

これまでに鉢上げして持ってきた植木は、ヤマブキ=1鉢、ナンテン=3鉢、ヒサカキ=2鉢がある。“挿し木”を本流としている現在の私にとって、根がついている苗木は贅沢すぎる素材である。圧巻はヤマブキだった。5年生くらいの幹を持った逸物が、裏庭の日当たりの悪いところに植わっていた。そこから挿し木で増やしたであろう鉢植えの2鉢も、元気に枝を伸ばしている。これは絶対、立派は盆栽になるという確信が湧いてきた。しかし、世の中はそんなにうまくいくものではない。その“絶対”の素材が、いま生死の境をさ迷っているのだ。土が合わなかったのかもしれない。

次のナンテンは、裏庭で家と物置小屋の間に親木とともに育っていた。本来、ナンテンは日陰でも育つので、よくトイレのそばなどで見掛ける。実は昨秋、池田市に盆栽を見に行った帰り道で、何気なくナンテンの苗木を買ってきた。よく見ると3株あったので、それを分割して3つの小鉢に植え替えた。しかし、そのうちの2鉢が枯れて、何とか1鉢だけ生き延びているのが現状だ。ナンテンごときを枯らしたのは、私にとって大きな屈辱だった。それからナンテンに対する異常な執着が生まれてきた。だから、物置小屋前に枝を伸ばしている親木のそばの子供を、2本ほど引き抜いてきたのである。しかし、それも鉢上げした途端に元気をなくし、生死の境をさ迷っている始末だ。そこで、ヤマブキの鉢植えに寄せ木してあったナンテンを見つけたので、丁寧に根を掘り起こして持ってきた。小さいが、今のところ元気に枝を伸ばしている。

3つ目のヒサカキは、その意外な展開に驚いている。まず、枚方の家の前庭に埋め込んだブロックの穴から、ヒョロヒョロと幹を伸ばしている苗木があった。それを引き抜いたら砂地であったために、長い根の先端まで引き抜くことができた。樹高は1mくらいあった。しかし、それを鉢上げして持って帰ってきたものの、何の変化も見られなかった。そのころ、次回に詳しく書くが、ガジュマル、ナンキンハギ、シラカシの“再切り詰め”を行なった。するとそのヒサカキだけ背が高いのが気になって、思い切って幹の半分から切断し、さらに異様に伸びていた枝も切って同じ鉢に挿し木をした。これで鉢の中には根付きの“大”、根なしの上部幹の“中”、同じく根なしの小枝である“小”が同居することになったのである。

さて、その結果はどうなったのか。まず、“小”の先端が育ち、新たな葉を出した。次によく見ると、“中”は先端ではなく2節目の芽が膨らんで新たな葉を出そうとしている。この2本の挿し木の成功は確実になった。しかし、すぐにでも新葉を出すと期待していた“大”は、全く変化する気配を見せていない。ただ枯れる様子もないので、時間を掛ければしっかりと根付いてくれるものと期待している。あと1鉢の小さい方のヒサカキは、裏庭にある花壇外の通路に生えていた。根もすっぽりと引き抜くことができたので、楽勝で根付くと思っていた。しかし早々に葉が落ちてしまったので切り詰めて、いまは“奇跡の蘇生”を待っているところだ。枚方から持ってきた3種は、それぞれ意外な展開を見せてくれている。

植木移住計画の第1弾として持っていったペチュニアと金のなる木

一方、そのお返しに男山から枚方まで持っていった鉢もある。まず、Y嬢母は女性らしく花が好きなので、ペチュニアの咲いている2鉢を持っていった。続いて、ベランダの場所を取って仕方なかった金のなる木の“大”を厄介払いして、枚方の家の玄関に置いてみた。これがなかなか堂々としていい味を出している。さらに、我が家には大きくなりすぎて手がつけられな“お化け金成木”もある。これも大きな鉢に植え替えて、持っていこうかと考えている。私としては、これからどんどんと移住を進める計画だ。しかし、そのためにはまずそれらの鉢を置くスペースを作らなければならない。

実は5年前、事務所を移転したとき、そこに置いていた約80鉢を持って帰らざる得なくなり、そのうちの40鉢くらいを無理やりY嬢母に引き取ってもらった。いま生き残っているものを点検すると、街道桜、ウメ、ボケ、金のなる木、青年の木、ハイビスカス、お茶の木くらいのものだ。何とも悲しい結果であるが、押し付けた私に文句を言う資格はない。それで分かったのであるが、植木を育てる“腕”はどうも私のほうが上でないかということだ。何しろ、掛ける“情熱”に関しては、少なくともY嬢母に負けない自信はある。ただ近頃、私に刺激を受けて庭の整備に力を入れるようになった。その結果、ウメの木の切断事件を引き起こしたわけだ。一方、Y嬢父も私が水をやる姿を見て、自分が水やりをすると言い出した。しかし父の悪い癖は、自分の気に入った植木にしか水をやらないことだ。本当に困った性格である。だから最低1週間に1回は、私が点検に行かなくてはならなくなったのである。

私が里子に出した街道桜、ウメ、ボケなども何とか生きていた

Y嬢の両親はほとんど同じ時期にボケの症状を発症した。父は記憶力が減退し、母は理解力が著しく衰えるようになった。父は同じ話を何回も繰り返し、母は得意の手芸はもとより、料理をすることもできなくなった。どちらかが正常であれば、これほどの事態にはならなかっただろう。父は母がぼけたことを認めようとせず、何でも母に頼んでくる。しかし、母はもう銀行でお金を下ろすこともできなくなっている。それで父に怒られ、我が家に避難してきたわけだ。もちろん、父も自分ではお金を下ろすことができない。今はヘルパーさんに食事を作ってもらっており、その休みの日だけ、Y嬢やその姉であるS嬢が世話をしている。そのとき、私は外回りの補修担当とY嬢父の話し相手として駆り出されているわけだ。同じ話に何回も相槌を打つのは、思っている以上に大変な仕事である。しかし、この苦労はなかなか分かってもらえない。

いまは2人で何とか暮らすことができている。この状態がいつまで続いてくれるのか。それでも信じられないような事件が頻発し、Y嬢はその対応に疲れ切っている。しかし、植木のことしか考えていない私でも、男手があるというのは何かと心強いのではないか。私も自分のばあさんがボケて死ぬまで、10年ほどその姿を佐渡に帰ったときに見ているので、大体の流れは分かっているつもりだ。Y嬢家問題に関しては私も乗りかかった船なので、興味深く眺めつつ、最後まできっちりと付き合っていくつもりだ。

その一方で、私の植木問題も喫緊の課題として、浮上してきている。しかし、この問題について考えることは、実に楽しい。いずれ家を半分くらい潰して、日当たりのいい広い庭を作る構想などが次々に浮かんでくる。2階の1部屋を潰し、植木用のベランダを作るという方法もある。また、1階の1部屋をガラス張りにして、植木用のサンルームを作れば南方系の植物も育てられるのではないか。いまは妄想の段階だが、自分でも何をやりだすのか分からないほどに、“夢”が頭の中を駆け巡っている。大工仕事も好きなので、改築はなるべく自分でやりたい。しかし、差し当っての私の任務は、来週の来訪時に駐車場の鉄扉のペンキ塗りをすることだ。現実は何とも厳しい。(佐渡屋太郎)

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“挿し木おじさん”と化した佐渡屋太郎【佐渡屋太郎-vol.280】

見境なく植えられた“挿し木”の育成鉢

いまは13年4月24日(水)の19時58分。前回のブログで、難しいテーマを書き上げた。そして、やっと本来書きたかったテーマに辿り着くことができた。目下、佐渡屋太郎のおっさんは、タイトルにもある通り“植木狂”の日々を送っている。まず、朝起きてすぐベランダに飛び出して、植木の成長を見て回わる。その後、外出の用事のないときは、10時から関西テレビの「よ~いドン!」を見ながら朝食を食べ、それが終わるとまたベランダに飛び出していく毎日を過ごしている。大体、午前中はベランダで植木の水遣りや手入れ、さらに観察の時間に当てている。

とくに先月あたりの春の訪れとともに、それぞれの植木が一気に成長をはじめ、その変化を見るのが何よりの楽しみになってきた。とても仕事なんかやっていられないほどの興奮と緊張の日々の連続である。数年前から“ベランダの雑木林化”に取り組んでいるが、昨年あたりからやっとその成果が出始めているのだ。いま数えてみたら、ベランダに101鉢、室内に5鉢が並んでいた。前回、数えたときは80鉢くらいだったから、また確実に“植木病”が進行していることが分かる。しかし、いまベランダでいくつものドラマが展開されているのだ。その“生死の境”をさまよう植物たちの姿が私に日々、新たな感動を与えてくれている。これを見ずして、何を見れというのか。近頃では気になる苗が夢にまで出てきて、私を呼んでいるほどになった。いよいよ“植木狂”の一線を超えようとしている。

とくに、今春は“挿し木”に明け暮れている。この男山一帯、さらにこの建物のある周りは様々な木々がまさに林立しており、私はその全ての木々を鉢植えにしたいという野望を抱いている。その結果、新芽が吹き出した小枝を折り、持って帰って“挿し木”をするようになった。用事で街へ行くとき、打ち合わせや取材で外へ出るとき、私は手ぶらで帰ったことはない。常に、手には手折った小枝を握りしめているのだ。4月の初めころから、“挿し木”した樹種を思いついた順に挙げると、①ボケ、②ソメイヨシノ、③梅、④クチナシ、⑤テンダン、⑥エノキ、⑦ハクチョウゲ、⑧ハナミズキ、⑨シロヤマブキ、⑩サツキ、⑪ツツジなど、と切りがない。

どの“挿し木”が果たして根付いてくれるのか。緊張とときめきの日々が続いている

初めは赤土を入れた“挿し木鉢”に植えていた。しかし、すぐに満杯になってしまったので、すでに木が植えてある鉢の隅に挿していくようになった。挿すときは、その小枝が太い幹に成長した姿を思い浮かべて陶然とする。しかし、日数を経るごとに生死の闘いに敗れ、葉が黒ずんで頭を垂れてくる苗が出てくる。するとまた、それと同じ樹種の小枝を採集してくるのだ。こうなると、もう“執念”である。何とか1本でも根付いてほしいと切望して、採集の日々を送っている。今年の佐渡屋太郎は“挿し木おじさん”と化し、新たな樹種の植木化に全身全霊を注ぎこんで取り組んでいる。

だから、私も毎日が闘いの連続である。1鉢、1鉢を点検しながら“一喜一憂”を繰り返している。いまの私にとって、これより楽しく興味が惹かれることはない。そして、そろそろ今春の努力に対して、神の審判が下ろうとしている。まず、ボケ、ソメイヨシノ、クチナシ、サツキ、ツツジは何とかなりそうな気配である。あと、自分が小枝を折りながらも、何の木か分からないものも2~3種類ほど、元気よく新葉を出している。ただ、20日間も持ちこたえていた苗が、急に元気をなくしていく例も少なくない。ウメはかれこれ10本以上も挿したが、ことごとく失敗に終っている。いま、最後の3本が瀕死の状態にある。だから、1日とて気を抜くことができないのだ。

昨夏、佐渡から持ってきた鉢からイチゴが芽を出して繁茂してきたので、別の鉢に移植した

私は毎日、鉢を点検しながら“気”を苗たちに送っている。飼い主である私が弱気になっては、この子供(苗)たちが根付き、成長することはない。したがって、私は午後になると、グッタリと疲れて仕事をする気が減退してしまう。しかし、激的な変化を見せ、柔らかな黄緑色の新葉を出す苗が1つでもあると、そんな疲れは一気に吹き飛んでしまう。もう少し、こんな緊張の日々が続くことだろう。立派に根付き、鉢上げするまでになった苗たちの姿をこのブログの読者の人々にも、いずれ写真でお目にかけたいと思っている。こうなると、また鉢数は一気に増えることになる。しかし、私は新たな植木たちの“新天地”を見つけたのである。

その件については、次回に詳しく説明するが、結論だけ先に言うと、その“新天地”とはY嬢の枚方の実家である。都会によくある狭い庭だが、ここに我が鉢たちの移住計画を着々と進めつつある。一所懸命に努力していれば、必ず神は“救いの手”を差し伸べてくれるものだ。ただ、その対象が植木であることに、周りから失笑を買っているが、佐渡屋太郎は真剣である。いずれ、佐渡の“畑の楽園”の第2弾とも言える“枚方の楽園”を作ることを考えると、体中の血が沸き立ってくる。なぜ、これほど木に対する愛情や執着がでてきたのか。それは自分でも不思議な現象であるが、知らず知らずのうちに体がうごいてしまう。これは“木”の神が私に下りてきたというしかない。これが私を何処に導くのかは知らないが、しばらくはこの流れから逃れられないだろう。行くところまで行くしかない。

ボケとエノキを植えた“挿し木”用の植木鉢。その後、いろんな樹種が植えられるようになる

ここで終わってしまっては、パチンコファンは怒るだろう。したがって、その関連の話題も付け加えなければならない。いま4月分の原稿を書きながら、来月のマカオ取材のための打ち合わせを進めている。この雑誌はシンガポールやマカオに在住している若者たちとの連携によって、作り上げていくことになる。またカンボジアやベトナムで動いている人間たちも表と裏で繋がっていく。ずいぶん、生臭い話もあるようだ。それらの人間とマカオで顔を合わせることになる。こちらの方面でも、佐渡屋太郎の血は騒いでくる。全体的なスケジュールで言うと、参院選後の国会にカジノ法案の素案提出。その5年後のカジノホテルオープンというのが目下の流れらしい。シンガポールでも、カジノ立ち上げまでに7~8年も掛かっている。

つまり、その5年くらいが雑誌としての活躍の場となる。しかし、日本のメーカーやホール企業は水面下ですでに積極的な動きを見せている。ある大手ホール企業は、カンボジアのカジノ買取りで話を進めていたが、最後で手を引いてしまったという。また、韓国であるメーカーがカジノ会社と共同でカジノホテルを立ち上げるという話もある。さらに、大手ホール企業の経営者がとりあえず私費でカジノ経営に乗り出すという情報もあった。その一方で、オンラインカジノの動きもある。そんな様々な情報を聞きながら、逆に「佐渡屋さん、いまパチンコはそんなにダメなのですか」と聞かれてしまった。「あなたが思っている以上に、日本のパチンコはダメになってしまった」というのが私の見解である。

昨年、広島で買ってきたボケが枯れたので、近所から採ってきた男山産のボケを挿してみた

図体が大きくなってしまったメーカーや大手ホール企業は、今の低貸営業、加えて広告規制をはじめとした行政の締めつけのなかでは、その巨体を維持することができない。さらに、そのノウハウを駆使すれば日本だけでなく、少なくともアジア地域、さらに世界的なギャンブル市場に展開できる可能性がある。そのチャンスに前向きに取り組まない経営者は、役割的な怠慢と言うしかない。ただ、相手は百戦錬磨のアジアンマーチャント集団である。その駆け引きに、日本を地盤としたコリアン、チャイニーズ系、さらに純血ジャパニーズ企業が、果たして太刀打ちできるのか。いよいよ舞台は、日本を含めたアジア全域へと拡がっていく。アジアの熱気がまた体の中に蘇ってきて、どうにもムズムズとして仕方ない。(佐渡屋太郎)

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