遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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換金の合法と社会的容認の距離【佐渡屋太郎-vol.277】

取材に行った時に撮影した日本三大仏の1つである「神戸大仏」(高さ=11m)

いまは13年3月27日(水)の15時40分。目下、月末の原稿書きの渦中にある。にもかかわらず、このブログを書きたくなった。前回、このブログを書いてから、デジカメが壊れるという事件が起こった。まず最初の現象は、スイッチを入れてから撮影OKサインである赤ランプが点くまでに時間が掛かるようになったことだった。そして、その時間が次第に長くなってきたのである。思い返せば、このカメラを買ったのは、06年8月のこと。以来、6年半の間に、果たして何万枚の写真を撮ったことであろうか。十分に元は取っているし、そろそろ寿命であることも薄々、感じてはいた。そして、ついに天寿を全うさせる日がきたことを覚悟したのだ。

そこでネットで新しいカメラを探し、注文する手前までいった。アナログ時代はずっとニコンを使っていたので、次のデジカメはニコンにしようと思っていた。いま使っているカメラは、知り合いに安くて使いやすいと勧められて買ったものだ。確かに使いやすく、つねにカバンの中に入れて持ち歩いていた。何より、アナログ時代と比べ、“軽い”ということが最大の魅力だった。いまでは自分の体の一部のようになり、愛着も持つようになってきたのである。そのせいか、最終的な別れの踏ん切りが付かず、念の為に相談センターの電話を掛けて、最終宣告を受けてみようと思い立った。そしたら、電話に出た女の子は、8,000円ほどで修理ができるというではないか。私はもう寿命でどこかが摩耗か劣化していて、蘇生はできないのでないかと言ったのに、である。

私は新たな希望に燃えて、3月11日に女の子が教えてくれた京都の相談センターへ瀕死のデジカメを持っていった。そこでも、男性の社員に同じことを言われた。私は「へぇー、直るんですか」と感嘆の声を上げたことを憶えている。しかし、間の悪いことに修理に出した帰り道で、2本の取材依頼があった。世の中とはこんなものである。カメラがないことを見透かしたような依頼であった。仕方なく、取材日を21日以降に設定してもらうことを条件にして、その依頼を受けた。相談センターには、修理代が大幅に掛かるとか何か致命傷があったら、事前に連絡をもらうことになっていた。修理期間は1週間から10日間。その間、何も連絡がなかったので、“地獄で仏”に会ったような有り難さを、その相談センターに感じていた。

6年半も付き合ってきたデジカメ「LUMIX」

そして、取材を翌々日に控えた1週間後にもしかしたら届いているのではないかと、相談センターに連絡してみた。そしたら、「工場から交換する基盤が製造中止になっているので、修理不可能というコメントが入っています」というではないか。なぜ、それを早く伝えてくれないのか。至急、ニコンのデジカメを注文した。しかし、1本目の取材には間に合わない。幸い、前に取材したことがある会社で、手持ちの写真データを持っていたのでそれをもらって切り抜けた。そして、2日後に新たなデジカメが届いた。その結果、無事に2本目の取材と前から決まっていた取材2本を、新たなデジカメでつつがなく終了することができた。これからその画像をパソコンに取り込むところだ。

その作業をしていて、ふと気になって古いデジカメを触ってみた。すると、どうだろうか。1回スイッチを入れてもランプは点かなかったが、2回ほど入れ直すとランプが点くではないか。一応、工場で分解して基盤交換以外の修理はしてくれたのであろうか。修理代はまったく請求されていない。気になって何回もスイッチを入れてみたが、2回ほど入れ直すと確実にランプが点く。この古いデジカメの生命力に驚くとともに、ますます可愛さが増してくるという困った状態になっている。怖くて取材には持っていけないが、プライベートでは使える。また、ニコンが壊れたときの予備用として持っていてもいい。その喜びを伝えるために今回のブログを書く気になった。古いデジカメが蘇生したのだ。

新たにネットで手に入れたデジカメ「ニコンD3100」

さて、今回のテーマは“換金の合法化”であるが、これもカメラの修理と同じような“肩透かし”を感じていたので、カメラのスイッチを触っていてふと思い出した。周知のように、ホール企業のダイナムは、最大の関門であると言われた“換金の合法化”問題をクリアし、香港での上場を果たした。その背景には、日本の弁護士が同社の換金システムを日本の法律に照らし合わせ、“違法性はない”と立証する調査結果を香港証券取引所の調査委員会に報告し、それが承認されたことが大きな要因となっている。これまで業界では“換金の合法化”を達成するために、永年にわたって侃々諤々の議論を繰り返してきた。賭博という従来、法律で禁じられているものを特例として認める“違法性の阻却”などという議論があり、そのためにパチンコだけの“業法”の制定が考えられたこともあった。

しかし、今回の香港証券取引所は、現状のダイナム方式の換金方式に“合法”の判断を下したのである。そもそも違法なものであれば、ダイナムは警察に捕まっているし、同様の換金方式を採用している全国のホールも法律違反を犯していることになる。ただ、警察庁は“直ちに違法とは言えない”という見解を述べ、これまで“合法”というお墨付きを出すことはなかった。考えてみれば、これは警察の伝統的な手法である。たとえば、「これでいいのですか」と聞いても、なかなか「いい」とは言わない。一方、許させると思って新たなことを導入した場合、悪い時はすぐに指導なり、警告が入る。その結果、警察が何も言わないのは「いい」ということだという判断が、業界内に蔓延し、警察と業界の“腹の探り合い”が延々と繰り返されてきたのである。

その判断も地域によって温度差があったし、同じことをしていてもある1店だけが“見せしめ”で逮捕されて、それによって警察の意向を知れという回りくどい手法が取られてきたのも確かだ。それも徐々に改善されてきており、昨今の広告規制などは違反の具体例なども明示されるようになった。しかし、その基準にない新たな抜け穴を探すのが、パチンコ業界のこれまた伝統でもある。さらに、あるラインが許されれば、さらに次のライン、またさらに次のラインと“無限にエスカレート”していく伝統的な性向もパチンコ業界は持っている。だから、警察でも生半可に“OK”を出せないという体験的な学習をしてきているわけだ。かくして、警察とパチンコ業界の“いたちごっこ”は続いてきたのである。

香港証券取引所で上場の挨拶をするダイナムジャパンホールディングスの佐藤洋治社長

今回の換金問題にしても、換金需要を少しでも減らそうとしている警察にとっては、なかなか“換金は合法である”とは言いにくいのではないか。その一言によって、換金需要がさらに高まることになれば当然、パチンコは賭博ではないかという社会的な議論が起こってきて、それを黙認している警察に非難が高まってくることになる。あくまでパチンコは遊技であり、また“時間消費型のレジャー”であり、その結果として賞品が与えられる。さらに、その賞品を遊技者のなかには自分の判断で、第3者に売ってお金に換える人もいるという図式を守りたいのだろう。

そんな言うことを聞かない業界であれば、パチンコの換金なんか禁止してしまえばいいという判断も当然ながらあるだろう。しかし、パチンコ業界はいつのまにか巨大な産業に成長してきた。遊技機メーカーや脱税は多いとはいえホール業界の納める税金は決して少ない額ではない。さらに30万人もの雇用を擁する業界になってきている。また、警察からの天下りや業界との密接な関係も長い間に構築されてきた。こうした現状で換金禁止を打ち出せば、その社会的な影響や自身への反動は予想以上に大きなものとなる。その判断は、相当な世論の高まりがなければできないだろう。ましてや上場企業が誕生するにいたって、その元には多くの株主が存在することも念頭に置かなければならない。それがパチンコ業界の現状ではなかろうか。

一方、ホール企業にとってみれば、今回のダイナムの奮闘によって、これまで閉ざされていた上場への道が、少なくとも香港では果たせるという可能性が生まれてきた。したがって、もう先の見えない換金論議をする必要もない。今後、上場志向の企業はダイナム方式に合わせて、換金システムや社内整備に専心すれば、宿願であった上場が果たせる道が開かれたわけだ。上場の目的は、市場からの低利な資金の導入もあるが、社会的な信用アップを口にするホール経営者が多い。信用度が増せば、より優秀な人材の獲得もできるし、何より従業員が胸を張って仕事に励むことができる。これまで差別的な視線を受けてきた“パチンコ屋の店員”が、“上場企業の社員”になるわけである。そのことを思うと、ダイナムの奮闘は実に大きな功績であったと賞賛したい。

こうした状況を考えると、換金問題はホール企業側から、日本の行政に対して投げ返されたように思える。上場が可能になったホール企業側は、換金問題をあえて掘り起こす必要はなくなった。一方、行政の方でもホール業界に上場企業が生まれることは、業界のレベルアップのためにも歓迎すべきだという見解も発表されているようだ。ここでも二重の“肩透かし”を感じる。それなら、なぜもっと早くホールの上場に協力してくれなかったのか。これは、行政には行政の立場があるから仕方ない。上場企業が増えれば、違法行為はいま以上の命取りになるので、警察の手間も減るだろう。

さらに、資金力を増した上場企業がM&Aによって既存の中小ホール系列化していけば、他のホールとの格差がさらに拡がり、ホール数も減って管理がしやすくなる。一方、上場企業にとっては、警察より一般社会の監視の目がより厳しくなってくるという状況が生まれてくるわけだ。その評価が株価に反映し、企業の在り方そのものが一般社会から問われることになる。これはホール業界の成長や進化の上では、避けては通れない道であると思う。また、それなくしては社会的な認知も得られない。

ホール業界は、ホール組合によって抜本的に変わることはない。もし、変わることができるとすれば、それは先進的なホール企業による“改革”でしかないと思ってきた。その事態がついにやってきたというべきか。こうした“突破者”が状況を切り開くことによってしか、新たな進化や成長がもたらされることはない。それは生物の進化の例を見てみれば、よく分かる。しかし、これで換金問題は終わったのだろうか。そのことを、ダイナムの本を2冊読んだあとでずっと考えていた。確かにパチンコ換金は合法で、ダイナム方式のシステムを取っていれば少なくとも違法ではない。また、ダイナムはホール企業の中において優良企業であり、その社内システムや管理体制、さらに業績において他業種の企業と比較しても、投資をするのに十分な資格を有している。

宿願の上場を果たして喜びを表わすダイナムの関係者

今回の上場で、ダイナムジャパンホールディングスという企業の優秀性は実証された。また、パチンコホール経営という業種が1つの業態として、全世界的に存在をアピールするきっかけにもなっただろう。さらに、その会社の社員や従業員も上場企業で働くという誇りとプライドを持つことができた。確かにパチンコの換金は法的にグレーではなく、ホワイト(白)であるという認識は、これからますます拡がっていくことだろう。では、そのことによって、パチンコホール自体の“社会的容認”は進んでいくのであろうか。それは、合法か違法かというレベルとはまた別の次元であるように思えてならない。

いままでいくつかのホールが違法行為をすると、まるで全体責任のようにホール業界全体がやましいことをしているように喧伝されてきた。1万1,000軒もホールがあれば、悪いことをするホールもでてくるだろう。それは政治家や裁判官、警察官なかに、収賄や痴漢行為で逮捕者が出ることと変わりはない。法を犯せば、法によって罰せられればいい。逆にホール側に立てば、通常に営業できているのは違法行為をしていないということだ。警察庁の外郭団体である保通協の試験に通り、各都道府県の公安員会が認定した遊技機を使い、警察の指導によって営業を行なってきた。

しかし法律を守って営業していても、これまで一般社会から社会的容認は十分に得られてこなかった。さらに広告規制をはじめとした規制はますます厳しくなり、多くのホールが苦しい経営状態に追い込まれている。では、この状態を続けていけば、法律は一般社会からの容認へと導いてくれるのだろうか。法律では射幸性を低減するため、様々な方策が取られている。そもそも賭博であるパチンコを、遊技に留めておくにはかなりの力技が必要になる。その方策を分類すると、遊技機、営業方法、換金などに分けられる。遊技機に関しては遊技機規則があるし、営業方法もいまや規制によってがんじがらめで、ホールの裁量は極めて狭い範囲に留められているのが現状だ。

一方、換金はシステムに関しての規制はあるが、換金の額についての規制はない。換金ができることで、パチンコに射幸性が生まれてくることは、以前に書いたような記憶がある。換金できなければ、パチンコをする人は極端に減ってしまう。遊技によってより多くの金額を得たいと思うのは当然の欲望だ。しかも、その欲望は次第にエスカレートしていく。現在は低貸営業が増えたので、一時期に比べてだいぶ換金額も減ってきた。しかし、日常的な感覚からすればまだまだその額は多い。だから、非日常を求めてファンはホールに通うのだろう。換金システム自体は合法となったが、換金行為や過剰な換金額を問題にする嫌パチンコ派は多い。個人的には賭博とは一線を明確に画す、換金上限額の設定も必要ではないかと思っている。

パチンコが単なる賞品が得られる遊技で、時間消費型のレジャーであるために設けられた、遊技機や営業方法に関する多くの規制にも関わらず、これまでパチンコは様々な社会的な問題を起こしてきた。それは行政側の管理体制に問題があったのか、メーカーやホール側が暴走したのか、いろいろな事例があったことは確かだ。しかし、パチンコが単なる遊技であると言って、果たして納得する人がどれだけいうだろうか。パチンコ依存症をはじめ、その建前を切り崩す反証はいくらでもある。パチンコが賭博ではなく単なる遊技なら、それを国民の誰もが納得できる形にして、賛同を得なくてはならない。それなくして、パチンコの社会的な容認はないと思う。その安心感が、パチンコという業種の信頼感を生むのではないか。そうした単なる遊技としてのパチンコを求める旧パチンコファンも少なくない。いずれにしても大きな犠牲は必要だろう。しかし、最も根源的な問題に蓋をして、やたら規制を強化しても対処療法にしかならない。少なくとも今の規制体制では、明るいパチンコの将来像は描けない。果たして行政側に、ドラスティックな転換ができるだけの勇気があるのだろうか。とにかくダイナム上場を機に、訳の分かりにくい“裁量主義”から解き放ち、一般社会に容認してもらえるホールのあり方を考えてもらいたいものだ。(佐渡屋太郎)

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梁石日と李良枝――『終りなき始まり』【佐渡屋太郎-vol.276】

春の到来を告げるように咲き出した梅の花

いまは13年3月5日(火)の18時20分。2月分の原稿締め切りを終え、のんびりとした日々を過ごしている。今日は天気がよかったので、朝起きてからベランダに出て、週末に咲き始めた梅の花を愛(め)でた。そろそろ、この男山にも春の兆しが感じられるようになった。原稿の締切りさえなければ、佐渡屋太郎はこのように心静かで、風流な日々を送ることができるのである。思い返せば、先月は20日過ぎから集中的な原稿書きに入って3月1日まで、昼とも夜とも分からない殺伐とした“異空間”でもがいていた。2月が28日までしかないことを忘れていて、それを知った終盤はかなり焦りながらの原稿書きとなった。

それから今日は、3月1日から読み始めた梁石日著『終りなき始まり』の下巻300ページくらいから一気に最終まで読みきった。いま、その最終部分の意外な展開に対する驚きで、半ば放心状態になっている。最後まで読んで、すぐ李良枝(本名・田中淑枝)のことを調べてみた。そのあと、本棚にその著作を探して落胆し、画像を求めてネットをさ迷った。そして、やっとすべての謎が解けて、放心状態に陥ってしまったのだ。いま、作中の人物である「朴淳花」が、『由煕』(ユヒ)で芥川賞を受賞し、37歳で亡くなった「李良枝」(イ・ヤンジ)であったことを知って、梁石日という作家の容赦ない表現と、李良枝の自らのアイデンティティを求め続けた短い人生の対比に頭が混乱している。

梁石日氏の小説は、名前こそ変えてあるが、内容は実話(ノンフィクション)である場合が多い。以前このブログでも取り上げた『シネマ・シネマ・シネマ』(2006年、光文社)も、まさに映画制作を巡って氏の周りで展開されたドキュメントが、そのまま小説となって表されたものだ。『終りなき始まり』の下巻の裏表紙には、「感動の自伝的大河恋愛小説、堂々の完結!」という惹句が書かれている。この本の中にも、主人公である著者自身をはじめ、金時鐘、岡庭昇、故金達寿、新宿梁山泊の金守珍氏など、実在と思われる多彩な人物が出てきて楽しませてくれる。しかし、主人公の愛人であった作中の「朴淳花」が、あの今は亡き故李良枝氏であったとは……。

偶然に探し出した単行本の上巻と、閃いてアマゾンで入手した文庫本の下巻

読者の中には、何を今になって寝言みたいなことを言っているのだと思う人もいるかも知れない。それは、私が古本しか読まないからである。それも本を積み上げて寝かしておいた上で、書名や著者名が気になった本を引き抜いて読んでいるから、時代錯誤の過去の世界に生きている。だから、02年に出版された本を新しく読めるわけである。そして、今になって騒ぎ出しているわけだ。今回も先日のブログを書くため、江副浩正氏の本を探しているとき、『終りなき始まり』の上巻を偶然に見つけた。これは上巻しか買っていないという確固とした記憶があった。だから、今まで読まないで放ってあったわけである。しかし、アマゾンで下巻を手に入れれば読めるのではないかと、そのとき思いついたのだ。調べてみたら、文庫本が1円で出品されていたので注文した。さらにその時の探索で、まだ読んでいない『異邦人の夜』上下巻の文庫本も見つけて、感激した。梁石日氏の本はほとんど読んでいると思っていたが、まだまだ埋もれている本があったのである。

『終りなき始まり』の中で梁石日氏は、主人公文忠明と19歳年下である朴淳花との関係を赤裸々に書いている。さらに、その性描写まで過激で克明に描写している。そんな箇所は作中に数多くあるが、たとえばその1つを抜き書くと、「文忠明が乳房に触れると、それだけで淳花は『あーー』と声をもらした。そして文忠明の首に両手を回し、体をシートに横たえて股を開き、素早く片脚だけパンティーを脱いだ。文忠明もたまらずズボンを半分下ろしてどしゃぶり状態の淳花の中へ挿入した。淳花は呻き声をもらすまいと歯を喰いしばっていたが、喰いしばっている歯の隙間から呻き声がもれてくるのだった。それは錆びた鉄の扉を開け閉めするときの軋みに似ていた」といった具合である。

その一方で、朴淳花を冷静に見つめ、「淳花の過激な性格――熱情、情緒不安定、孤独。淳花は自分の思うがままに生きようとするだろう。たとえ破滅が待っているとしても、その破滅を生きずにはいられないのだ」と、その後の人生を予見している。結局、淳花は忠明と別れ、自分のアイデンティティを求めて伽耶琴を習いにソウルに行き、ソウル大学の国文科にも入学する。そして、別れて4年後、忠明は新聞で、淳花が書いた250枚の小説が文芸誌に掲載されていることを知る。これは忠明にとって意外な出来事であった。

江副氏の本を探しているとき、『終りなき始まり』とともに出てきた『異邦人の夜』

2人が付き合っているとき、淳花は在日同胞の季刊誌から20枚の原稿を依頼された。しかし、2週間もかかって書き上げた原稿を見せられ、忠明はあまりの悪筆に何が書いてあるのか分からなかった。さらに、「誤字も多かった。意味をまったく無視して同音の漢字をでたらめに当てているのである。したがって、意味不明の文章になるのである。それを指摘されると淳花はまた羞恥心に打ちひしがれて泣きだしそうになった」とある。その淳花が5作目でA文学賞を受賞するのだ。そして、別れてから13年後に、それまで見たことのなかった淳花の夢を見た。別れてから1回も会っていなかった淳花は、夢の中で黒いドレスを着て、羽ばたくように両手を広げて微笑んでいた。その日、淳花は心不全で死亡した。享年、37歳。

この最後の展開を、梁石日氏は上巻の単行本365ページ、下巻の文庫476ページの計841ページの長編において、最後の15ページで畳み込んできた。それまではいささか緩慢な流れであっただけに、この意外で急激な展開の最終部に、読んでいる者は圧倒されずにはおられないはずだ。少なくとも私は、しばしの放心状態に陥ってしまった。まだ読んでいない人がいるのに、ここまで説明していいものかどうか迷ったが、書いてしまった。まだ、読んでいなかったのは私くらいのものだろう。また推理小説ではないので、結末を知っていても十分に堪能できると思う。読み終わってから私は、李良枝氏の本を探してみた。しかし、買った記憶はあるが、1冊も発見できなかった。確かに、『ナビ・タリョン』と『由煕』は買った憶えがあり、『由煕』は読んだ記憶がある。しかし、それらは08年の引越しで佐渡に送ってしまったようだ。両方とも1円でアマゾンに出ているし、93年には講談社から全集も出ているようだ。いま、どうしようか迷っている。

ネットを探していて見つけた李良枝氏の画像

李良枝氏は1955年、山梨県南都留郡西桂町生まれ。小学生の時に両親が日本国籍を取得。山梨県立吉田高等学校から、1973年に京都府立鴨沂高等学校に編入して卒業。75年、早稲田大学社会科学部に入学するが、1学期で中退。80年に初めて韓国を訪問。82年、ソウル大学校国語国文科に入学。留学中に書いた「ナビ・タリョン」を『群像』に発表し、第88回芥川賞候補作となる。以後、「かずきめ」(83年)、「刻」(84年)も同賞の候補作となった。88年、ソウル大学校を卒業。そして翌89年、「由煕」で第100回芥川賞を受賞する。この作品は韓国女性の視点から、韓国語ができず自分のアイデンティティを求めてもがき苦しむ在日韓国人留学生の姿を描いたものだ。その後、92年に長編「石の聲」を執筆していたが、5月22日に急性肺炎を罹患し、ウイルス性の心筋炎を併発して死去した。享年37歳。とウィキペディアにはある。著作としては、『かずきめ』(83年、講談社)、『刻』(85年、講談社)、『由煕』(89年、講談社)、『石の聲』(92年、講談社)、『李良枝全集』(93年、講談社)。

実は『終りなき始まり』も92年5月22日、淳花の死んだ日で物語が終っている。その日の夜、酔った文忠明は淳花のことを回想し、「あの夢は何だったのか。この世の最後の別れに、おれに会いにきたのだろうか。輝くばかりの微笑をたたえて誘うように暗闇に消えていった淳花。おれは淳花を裏切ったのだ、という思いが、文忠明の胸の奥で疼いていた。文忠明の目に涙が溢れた。その涙で曇っている瞼に、幾千億光年の宇宙の彼方へ飛翔していく淳花の姿を一瞬、垣間見たような気がした」という描写で最後を締めくくっている。1人の人間が死に、神になっていく瞬間であろうか。かつて愛した1人の女性が、自分の手の届かないところに旅立っていく厳粛な摂理を、ただ見ている梁石日氏の姿があった。

それにしても、高校時代に詩を書き出してから、56歳で1冊の詩集と3冊の小説を刊行した92年までの生活を、リアルに書いた壮大な自伝小説であった。荒々しさとリアルさ、さらに在日社会の濃密な人間関係に惹かれて氏の小説を読んできたが、この『終りなき始まり』は私にとっては最高の一作となった。2人の子供がいる妻と愛人との生活の葛藤は、離婚経験者である私にとって、リアルで懐かしい思い出も誘ってきた。どうして、今まで読んでいなかったのかと不思議に思うくらいである。それは、氏の作品があまり古本屋に出ないからだ。その後、『異邦人の夜』(上・下)(2006年、幻冬舎文庫)も早速、読んでみた。これで手持ちの梁石日作品は全部、読み尽くしたはずだ。その一方で、李良枝氏のことも気になってきている。この事実を知って読んだら、また異なった面が見えてくるかもしれない。「李良枝」というよりは、「朴淳花」のその後の生き方を知りたいという気持ちが強くなってきた。

このブログを書いているうちに訪れてきた春の夕暮れ

思い返せば一時期、鷺沢萠氏を集中的に読んだことがあった。彼女は執筆の取材の過程で、父方の祖母が韓国人であることを知る。それを契機に韓国に留学し、『君はこの国を好きか』などを書いた。しかし04年4月、自宅で自殺する。享年35歳。いまは在日関連の女性作家では、柳美里氏の一本槍になった。彼女は荒々しくてなかなかいい。数年前からブログで、苦しみながら作品を生んでいる様子を見て、密かに声援を送っている。「死ぬ、死ぬ」と言いながら過酷な日々を送っているようだが、あと10年生きていたら飛んでもない名作を物にできると思う。その過酷な日々の連続が、そのまま小説の題材になるからだ。ひとり息子の丈陽君が成人したときの感慨を読みたい。この人も図抜けた才能を持っていると思う。

ところで、先ほど李良枝氏の実物の姿を見たいと思って、ネットを探しまくった。その中に、少し格好を付けすぎだと思うが、生まれ故郷である山梨で、富士山をバックにしたいい写真があった。しかし、無断転載禁止と明記してあったので、ここへの掲載は断念した。見たい人は「まいまい写真部、李良枝」で検索すれば出てくる。それにしても、私の中では「李良枝」と「朴淳花」のギャップが大き過ぎて、いまだに戸惑っている。この戸惑いを解消するには、李良枝氏の作品を読んでみるしかない。しかし、今すぐアマゾンで注文するのか、夏に佐渡へ帰ったとき、“畑の家”に置いてある2万冊の蔵書の中から見つけ出して持って帰ってくるのか。大きな迷いの中にいる。いま、仕事部屋は本で溢れかえっている。また、次に読みたい本も目白押しの状態にある。今読むか、夏以降に読むか。「李良枝」と「朴淳花」、そして、“今”か“夏”か――“いつやるか。今でしょう”というテレビCMもあるが、『終りなき始まり』を読み終わった佐渡屋太郎は、二重の“戸惑い”のなかで激しく揺れ動いている。(佐渡屋太郎)

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骨のゆくえ――永代供養のニーズ【佐渡屋太郎-vol.275】

07年6月に開園した「北摂池田メモリアルパーク」の入口

いまは3月1日(金)の18時25分。やっと2月分の原稿書きがすべて終わった。今月の記事でいちばん面白かったのが、大阪にある墓地・墓石の会社を取材したものだった。葬儀業界では“直葬”や“家族葬”に代表されるように、過去の葬儀に対する価値観が崩れ、新たな多様なニーズが噴出している。それは葬儀だけに限らず、埋葬の方法においても“散骨”や“樹木葬”など従来では考えられなかったような形態が生まれてきた。その一方で、“孤独死”や“独居老人”など少子化や超高齢化の進行、さらに家族形態の変容によって、老人たちが極めて厳しい状況に直面しなければならない社会的な側面もある。

私は数年前から“終活セミナー”の取材を続けてきた。そこでは、死を迎えるまで(エンディング)に片付けておかなければならない問題が、次々と取り上げられ、その対策法がレクチャーされた。介護、病気、認知症、成年後見、葬式、納骨、相続など、それらと真剣に向かい合えば、“死ぬ暇もない”くらいに忙しくなる。以前であれば、息子や娘がそれらの問題をすべて片付けてくれた。しかし、今は息子や娘が遠く離れて暮らしていたり、近くにいても頼りにならないケースが増えてきた。さらには、前述のように1人で暮らしている老人も急増している。だから、自分の後始末を自分で付けておかなくてはならなくなってきているのだ。逆に、それらの問題を早めに片付けておけば、以後の人生の充実度は増し、安心して過ごせるようになる。

こうした事態に対し、これまで葬儀業界が中心となり、様々な取り組みを行なってきた。その中の1つとして、これらの問題にワンストップで対応できる窓口を作ろうという動きがあった。銀行、弁護士、行政書士、保険会社、葬儀社、遺品整理会社などのネットワークを作り、たとえば駅前の相談窓口に行けば、どんな相談内容でも直ちに専門家を紹介してもらえるというシステムだ。私はその件で、昨年は奈良に何回も通った。しかし、先月にある会社に取材して、あるひょんなきっかけから潜在的なニーズを知り、何の気負いもなく淡々と終活問題に取り組み、さまざまなアイデアと精力的な活動で難題をクリアしている姿を見て感動した。そのことを今回の記事で書いてみたいと思う。

永代供養を行うため09年3月に開設された「なごみ霊廟」の全景

その会社とは㈱墓地・墓石のヤシロ(本社・大阪府池田市)で、社名の通り、墓地や墓石の販売会社である。関西地方に住む人なら、浜村淳氏のテレビCMでお馴染みであると思う。葬儀業界においては、葬儀社→花屋→葬送品会社→仏壇・仏具会社→墓地・墓石会社などという流れがあり、墓地・墓石会社は最も“川下”にあると言われてきた。大体において葬儀社が中心になり、仏壇・仏具や墓地・墓石の仲介をしている。しかし、この会社はあることをきっかけに、家族葬ホールを作り、終活サポートセンターまで開設し、“川下”から一気に“川上”の、それも最先端まで駆け上がってきたのだ。そして、いま終活の諸問題と取り組み、ユニークな商品開発を行なっている。しかし、ここまで辿り着くまでには、厳しい紆余曲折があった。

ことの始まりは07年6月、大阪府池田市に「北摂津メモリアルパーク」を開園したことにあった。総面積10万8,000㎡で、2,500区画を擁し、2期計画としてさらに2,500区画の開発も想定した大事業であった。初年度は460区画が売れ、順調な滑り出しを見せた。しかし、その翌年に“リーマンショック”が全世界を襲うことになる。この霊園もその例に漏れず、09年にはほとんど販売が止まってしまうことになった。何か、打開策を考えなければならない。そこで社長の八城氏は、そのとき札幌市で話題になっていた5万円での永代供養墓を視察に行った。この永代供養墓とは、墓参りできないに代わってお寺が責任を持って永代に亘って供養と管理をしてもらう墓のことをいう。

八城社長は少子化や核家族化の影響で、継承者のない墓が増えていることは知っていた。また、いずれ永代供養を導入しようと納骨堂など施設も一応、霊園内に作ってはいた。ただ、現実的にその件に関しては、一歩も踏み出していなかったのである。しかし、札幌の事例を見て「これしかない」と心を決めた。これまで霊園を開発すれば、墓地や墓石が売れていたので、何も考えなくてもやってこられた。しかし、墓地の販売がストップして、初めて真剣に墓地や墓石の将来について考えてみた。するとそこには、墓地も墓石も必要としない人たちが存在していたというわけだ。

「なごみ霊廟」の正面に設置された千手観音像と墓銘板

同社が始めることになった永代供養の方法は、5万円で1年間、遺骨を預かって供養し、その後は合祀するというシステムであった。その間、遺骨は近代的な納骨堂に安置され、月に1度、僧侶によって法要が行われる。5万円でここまでしてもらえば、十分に満足できる丁重さである。もちろん、5万円では採算が取れないが、とにかく人に来てもらいたいという一心で、09年3月に「5万円の永代供養」を敢行したのだ。そして、ここから意外な展開が始まることになる。まず、同社ではCMを担当してもらっている浜村淳氏に依頼し、毎日放送のラジオ番組「おはよう浜村淳です」(月~土、8:00~10:00)で取り上げてもらった。

この番組は高齢者のヘビーリスナーが多く、「5万円の永代供養」はその人たちの“ニーズのツボ”にヒットした。その結果、初年度には1,500件を超える問い合わせがあったという。フリーダイヤルの回線を従来の4回線から8回線に増やしても、対応できないくらいの反響があった。採算を度返しして敢行した窮余の一策が、潜在していた永代供養という巨大なニーズを掘り起こすことになったわけである。つまり、困りに困って放った矢が、思いがけない“宝の山”に当たってしまったわけである。これには同社も驚いた。そこで初年度は、霊園も含めテレビ・ラジオ、インターネット、折込などで広告を全面展開することになる。

そこで実証されたのは、この現象が一時的なものではないということだった。2年目以降はさらに問い合わせ件数が増え、2,500~3,000件に達するまでになった。具体的に、集計データを見ていくと最近3年間(10~12年)の問い合わせ件数は、2,999件→2,471件→2,879件。そのうち契約数は、498件→712件→1,127件と急増している。さらに、反響はそれだけに留まらなかった。それまで売れなかった墓地にも波及し、同じく永代供養を初めて以降の(10~12年)の墓地契約数を見ると、一般墓地が197件→210件→260件。期限付き墓地は129件→162件→230件という相乗効果をもたらしたのだ。

近代的なデザインの「なごみ霊廟」の中に安置された遺骨

その間、同社でも様々な工夫をして、新たなニーズに対応しようと努力をした。期限付き墓地という発想もその1つだ。たとえば、夫婦なら後に残った人が亡くなって何年後かに合祀され、永代供養が行われるというシステムになっている。さらには永代供養墓である樹木葬の「さくら」、ゆったりとした空間の芝生墓地「きらら」といった商品も開発されている。その結果、すでに2,500区画のうち2,000区画が契約され、今年中には所期の目標をクリアし、2期工事(2,500区画)の申請ができるまでになった。

こうした経験を通して、同社は葬儀や納骨に関して、新たなニーズがあることを知った。そして、真剣に顧客の声を聞き、そのニーズを形にして提案することの重要性に気づいたのだ。12年6月には、永代供養と家族葬をセットにした「あんしん50」を開発した。これはお骨引き取りパックを始めたとき、「葬式もやってもらえないか」という要望を受けたものだ。これは、永代供養を5万円、30人までの家族葬を45万円(仏事費用、食事代別)の計50万円で行なうというもの。つまり、「葬儀」「永代供養」「納骨」まで同社が責任を持って遂行する一貫システムだ。そのため、霊園内に家族葬ホールを作り、葬儀事業にまで乗り出すことになる。

さらに、葬儀や納骨以外にも様々な悩みがあることを知り、新たに「ヤシロ終活サポートセンター」を設立。昨年11月から終活セミナーを始め、ファイナンシャルプランナーや行政書士、遺品整理会社などと連携し、トータルサポート体制の構築を目指している。その第1弾として企画したのが、葬儀、永代供養、遺品整理、死後事務委任契約までをパッケージにした「小規模短期保険」を利用した新たな展開だ。ひとり暮らしのお年寄りなど、この保険を使えば、死後の処理はすべて同社が引き受けてくれる。今後もさらなる新サービスや商品が開発されてくることだろう。私たちの日常生活から、「死」が遠ざけられて久しくなる。しかし、前回の中村先生の受け売りではないが、人間は生殖期を過ぎたら(男性60歳、女性55歳くらい)、“いかに死ぬか”が大きなテーマとなる。死後に憂いをのこしたくなかったら、その前にトラブルとなりうることを回避しなくてはならない。

「なごみ霊廟」での永代供養をアピールした霊園への送迎バス

それは、すべて具体的な決断と行動が伴う。決して“タブー”なんて言っておれない時代となったのである。核家族化が進行している現在、親を送ったように、自分も同じように送ってもらえると思ったら大間違いだ。またその死に方には、尊厳死や葬儀方法など、自分の意思を反映させることも大切だ。終活セミナーを聞いていたら、家庭裁判所への相続関係の相談数は、98年の7.6万件に対して08年は15.9万件と、この10年で倍増しているという。具体的には、「私のところは財産がないから大丈夫」と言っているところが危ない。実際、たかだか数十万円をめぐっての争議が数多く起こっている。また3~5年前に相談しておれば、その多くはトラブルを避けられたという。「死」を具体的に考え、「死後」の対策を考えておくことの重要性はここにある。その意味でヤシロの取り組みは、具体的すぎて引く人もいると思うが、これが現在における「死」の実像であると私は思う。

「死」というと、私は「メメント・モリ」(死を想え)という言葉を思い出す。インドから帰って、藤原新也氏という作家を知り、ずっと読み続けてきた。しかし、小説を書き出してから読むのを止めてしまった。その思い込みが鼻についたからだ。ところが昨年10月、古本屋でたまたま『渋谷』(東京書籍、2006年)を見つけて読んで痛く感動した。それは藤原氏が若者と真剣に向き合っている態度に、この人の変わらない求道的な姿勢を感じたからだ。この時代においては“真剣すぎる変なおっさん”であるが、年をとっても常に新たな“人間現象”に鼻をヒクヒクとさせている、犬のような69歳に感服したのである。

死体を食う犬の写真を表紙にした『黄泉の犬』(藤原新也著、文藝春秋、2006年)

それから、まだ読んでいない氏の著作をアマゾンで取り寄せて、読み始めた。その中で最も印象深かったのは、『黄泉の犬』(文藝春秋、2006年)であった。これはオーム真理教の深層を追いながら、自身のインド体験を対比させるという実に興味深いテーマの著作であった。これまで氏のインド放浪の概要は読んで知っていたが、この本ではどこで誰と会い、どのような体験をし、何を思ったが具体的に書かれている。実に深い本だ。ここに藤原氏の体験と思索のすべてが詰まっていると思う。3回は読み返さないといけないだろうが、私の心に残った言葉は、次のようなものだ。

「即身成物(中略)人は死んだら、ただのモノになるのだ、という観想」
「世界はマーヤ(幻影)だという考え方がある。それは最初にインドのある聖者が唱えた世界観だ。現世はもとより来世も、聖も俗も、善も悪も、悟りも迷妄も、そして解脱による真我さえも、それはマーヤ(幻影)であり、ひとしずくの夢である、と。地球が燃え尽きたところからはじまるように、あらゆる存在や価値はあらかじめ燃えつきた灰の上に咲く徒花に過ぎない、と。それゆえに、世界はこよなく癒(やす)らかなのだ、と」(括弧内は筆者の補注)。つまり、自分やそれを取り巻く世界という存在は一時(いっとき)の幻影であることを知れば、この世のすべてが自然法則の上に踊っていて、微笑ましいものであると私は解釈した。これは天空の上から見たこの世の姿かもしれない。

そして、人は死ねばモノとなるし、その残された骨もいずれは粉になって溶けてしまう。そのつかの間の“幻影の時間”を、人間たちはどのように過ごすのか。それは天から与えられた個々によって異なる限られた時間であるだけに、“起承転結”を付けた面白いドラマ仕立てにしたいものだ。とくに私の場合、これまで怠けてきただけに、これから“転と結”を同時に演じながら終末に辿りつかねばならない。まだ、骨は水々しくしっかりとしているが、これからまさに“粉骨砕身”の作業をしなければ、自分の気に入るような粉に仕上げることはできないだろう。人間の枯れ方も、大きな見せ所である。(佐渡屋太郎)

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