遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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モミジを見る(2012佐渡日記③)【佐渡屋太郎-vol.263】

10年6月に掘り起こし、鉢上げしたばかりのモミジ2鉢

いまは12年9月14日(金)の17時55分。このブログを2週間もアップしなかった。今日はやっと落ち着いた時間ができたので、書きかけのブログを仕上げて久しぶりにアップした。前回の記事をアップしてからの間、突然に依頼のあった長い原稿を書き、その空いた時間に本を貪り読むという日々を繰り返していた。仕事の効率は上がったが、まるで穴蔵に入ったような毎日だった。昨日、やっと原稿ができて送ったところだ。しかし、本は今週から佐藤愛子著の『血脈』(2005年、新潮文庫)を読み始めてはまりこんでいる。11日(火)に上巻(637頁)を読み終え、すでに中巻(684頁)も563頁まで読んでしまった。

前にも書いたことがあるが、私はこの本の下巻(664頁)を持っていない。そこで山を降りて樟葉の古本屋に行ったが、あいにく上巻と中巻はあったが下巻がなかった。昨日はパナソニックの名誉会長のお別れ会の取材があったので(この会には野田首相も出席し、献花を行なった)、帰りに京橋の古本屋に寄ったが、『血脈』自体がなかった。その代わりに、桐野夏生著の『柔らかな頬』『顔に降りかかる雨』『天使に見捨てられた夜』『魂萌え』など17冊も買ってしまったではないか。17日(月)には京都大学前学長のお別れ会があるので、京都の古本屋で探してみるつもりだ。

この本を読むきっかけになったのは、『佐藤家の人びと―「血脈」と私』(佐藤愛子著、2008年、新潮文庫)であった。写真入りの貴重な資料となる本で、ここまで読んだら『血脈』を読まざるを得ない。読み始めたら佐藤紅緑氏の一途な生き方の面白さと、息子であるサトウハチロウ氏の破天荒な話の面白さで、久しぶりに本を読みながら腹を抱えて笑ってしまった。痛快で実にスケールの大きなノンフィクションである。以前から佐藤愛子氏の猪突猛進型の生き方が好きでエッセイを読んでいたが、さらなる猪突猛進型の人物たちがこの書の中には充満している。

10年8月に帰省したときのモミジ。生死の境をさまよい精気が減退している

そこで今回のテーマは、私とモミジの“ノンフィクション”である。実はこの夏、佐渡に残してきたモミジの鉢が1つなくなっているのに気付いた。母親に聞いてみたが、そんなことはないという。しかし、私は毎年、モミジのみならず、佐渡の記録写真を多く撮影している。したがって、過去の写真を見れば、もう1鉢あったことが歴然と証明できる。きっと、植物好きの人が持っていったに違いない。そんな人は盗ったものを大切にしてくれるから、私はそれでもいいと思っている。ただ、盗まれたのに気付きもしない母親の鈍感さに、腹が立ったのである。そこで、今回のブログでは2年前から撮ってある写真を列挙し、その事実を究明しようと思っていたのだ。

今日はブログをアップしてからすぐに過去の写真ファイルを調べ、その件を中心にモミジの成長の度合いを写真で検証して楽しもうと、間を開けずに次の記事の執筆に取り掛かったのである。しかし、私が思い描いていたもう1鉢は、どの写真にも写っていなかった。私がなくなったと思っていたのは、最も幹の細かったモミジの鉢であった。確か、細い幹のものが2鉢あって、そのほかにやや太めのものが1鉢。さらに2年前の夏に掘り起こした2本立ちが1鉢。さらに昨年夏に畑の家の横に半ば捨てられてあったモミジとツバキを家に持ってきた。したがって、モミジだけで5鉢あるはずであった。

11年8月の帰省時に撮影した“小”と“中”は、すっかり根付いて成長していた

しかし、写真を見比べて、その真相が判明した。結局、モミジの鉢は合計4鉢で、私が盗まれたと思ったのは全く勘違いであった。その勘違いの背景には2つの要因があったことも分かった。1つ目は細かったモミジのうちの1鉢が、この2年間で急激に幹が太くなっていたこと。2つ目は細い幹の鉢には、2本の枝があったことだ。それが私の頭の中で混じり合い、細い幹の鉢がもう1つあったという勘違いを生み出したようだ。しかし、これは私の言い訳に過ぎない。

まず初めに、疑った上にきつい言葉を投げつけた母親に詫びなければならない。さらに、別に怒ってはいなかったが、勝手に存在を作り上げた架空の“植木泥棒”にも謝らなければならない。つまらぬ“濡れ衣”を着せてしまった。母親のボケを心配していたが、一足先に私自身がボケてきたようだ。母親には即刻、電話してもう1鉢のモミジはもともとなかったことを報告した。ついでに、早くナシを送って欲しいという件も伝えた。

しかし、この2年間でモミジはいろいろに姿を変えた。それを写真で見ながら、植物の成長力と時間が過ぎることの早さを痛感した。今回はただそれだけの記事内容だ。まず、順番に写真を見ていってほしい。10年6月に掘り起こして鉢に入れたばかりの1番目の写真は、葉も青々として生命力が横溢している。このとき、佐渡の畑から植木の苗を引き抜き、大阪に持って帰るという発想が、突然に天から私の頭に下りてきたのだ。それと同時に、大きすぎて大阪にもって帰れない苗木を、佐渡の家の前庭に置くという考えも思い浮かんだのである。ただ、前庭は草が生えるのを嫌った母によって、地面がセメントで固められていた。それで、鉢植えにして並べるという現在の形に辿りついていったようだ。

11年8月に大きな鉢へと植え替えを行なった直後のモミジ“大”の勇姿

2番目の写真は、同年8月に帰省したときのものだ。このとき、大阪に持ち帰ったモミジはほとんどが枯れ、大きなものでも瀕死の状態にあった。しかし、佐渡のモミジは見事に生き延びていた。だた、葉の色はさすがにくすみ、精彩が感じられない。鉢上げから3ヵ月、佐渡のモミジたちも必死になって生死の間をさまよっていたのである。その姿を私は酒を飲みながら毎夜ながめては、深遠な生命力のあり方のことを思って、強い感動を覚えたことを記憶している。死線をさまよって蘇生していく植物のドラマは、なかなか日常では味わえない感動を私に与えてくれる。これが、植木にはまりこんだ大きな要因ではないかと思っている。

その年、私は佐渡屋家の伝説として語り継がれるであろう“籐ツルとの闘い”に勝利した。その後のヘロヘロの状態にありながら、佐渡滞在の最終日の夕方に苗木の採集を行なった。そのとき、ジャングル植物園の片隅でひっそりと成長している1mくらいのモミジの若木を発見した。私にとってはまさに突然、目の前に現れた“宝の木”であった。その木を見るや、私はスコップを手にして太い根に何回も突き刺し、狂ったように何本かの根を断ち切った。

いまから思えば、あの年は何かに取り憑かれたような不思議な精神状態にあったと思う。そして、その苗を置いてあった一番に大きな鉢に押し込んで、翌朝に佐渡を離れた。しかし、鉢に植え付ける際にも根が張りすぎて入らず、そのうちの何本かを切り落とさねばならなかった。要するに、木の大きさに比べ、鉢があまりにも小さすぎたのだ。大阪へ帰ってからも、あの状態で“宝の木”が果たして、生き延びられるかが不安でならなかった。これで、“小”“中”“大”(宝の木)が揃ったわけだ。

今年11年8月に撮影した“小”と“中”。幹が太くなり貫禄が出てきた

3番目の写真は、翌年の10年8月に撮影したものだ。1年の歳月が経つことによって、すっかり根付き、目の覚めるような新葉を付けた佐渡モミジの姿が目の前にあった。そう、すっかり生死の危機を乗り越え、新たな枝を延ばし、鉢のなかで根を張り、見事に生き返った雄姿を私に見せてくれたのだ。その年、私が佐渡へかえってまずやったのは、大きな鉢を買い、“大”(宝の木)を植え替えることだった。その1年で“大”も猛烈に成長していた。その途中経過は母から電話で聞いていた。

植え替えが終った“大”の姿が、4番目の写真である。いま思えば、もっと大きな鉢でもよかったのではないかと思う。その年は、畑の家の周りに半ば捨てられたように置かれていた、モミジとツバキの鉢植えを前庭に持って帰ってきた。これで、前庭に置かれた私の略奪物は、モミジの“小”、“中”、“大”、“捨てモミジ”、さらに“捨てツバキ”の5鉢となったのである。これを再度、頭の中に刻み込んでおかねばならない。誰かに“濡れ衣”を着せないためには、是非とも必要な作業だ。

今年12年8月に撮影した“大”。幹が傾いて植え替えが必要になっていた

そして、今年の夏がやってきた。植え替えてから3年目の“小”と“中”をみて、まずその幹の太さに驚いた。ますます、貫禄を増して堂々とした風格を見せるようになった。それが5番目の写真である。一方、6番目の写真に映った“大”は、なぜかしら幹が傾いてしまっていた。光の射す方に幹を伸ばしていった結果なのだろうか。しかも、鉢内は半ばユリに占領されているような状態になっている。再度、植え替えて態勢を立て直してやろうと思ったが、今夏は他の労働で疲れ果て、その気力と体力が湧き上がってこなかった。したがって、この作業は来年の帰郷時における第1番の作業となるだろう。しかし、5鉢のそれぞれがしっかりと根付き、着実に成長していることが確認できた。それが私にとって、何よりの収穫であった。

そのことを母に伝えると、「水やりを忘れてモミジを枯らしてしまったら、お前から何を言われるか分からない。それが怖くて、私も必死になって面倒をみてきた」という告白があった。実に見上げた心がけである。その母に対してこともあろうに、私はあらぬ“濡れ衣”を掛けてしまった。そのことに深く反省しながら、その証拠写真を掲載して自らを戒めることにする。(佐渡屋太郎)

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芯を切る(2012佐渡日記②)【佐渡屋太郎-vol.262】

私が切った種類不明の木。この木は柔らかく簡単に切れた

いまは12年9月1日(土)の19時02分。何とか盆休みのあった8月を乗り切り、いまやっと一息付いているところだ。佐渡から帰ってからも、雑用に追われて本業どころではない時期もあったが、いま終わってみれば遠い昔のことのように感じる。とにかく、何回も熱暑のなかを自転車に乗り、山の上と下界を往復した。

そのたびに自分へのご褒美として、古本を買ってきたので、いま部屋の中はえらいことになっている。佐渡から持ち帰ってきたダンボール1箱分の本に加え、それらの本が合流し、せっかく整理したのに、またいつかの“本の山”が形成されしまった。いまレシートを見ながら計算したら、下界へ行くたびに平均14冊の“ご褒美本”を買ってきたことになる。少し買いすぎのような気もするが、それだけ掘り出し物が多かったということにしておこう。

さらにその過程で、私にとっては新たな作家との出会いがあった。その作家とは桐野夏生氏で、いま空いた時間があると、その作家の作品を読んでいる。最初は『対談集発火点』(2009年、文藝春秋刊)で作家自身に興味を抱き、『残虐記』(2007年、新潮文庫)、『東京島』(2010年、新潮文庫)、『OUT』(1997年、講談社刊)と読み継いできた。一度、読み始めるとなかなか抜け出せないので、仕事にもいくらか支障が出るほどになっている。またこの点については、回を改めて報告したいと思っている。とてもではないが、一言では語ることができそうにない。とにかく、オリンピックや佐渡への帰省、さらには思いがけない作家との出会いなど、暑い熱い1ヵ月間であった。

次々と幹と枝を切り落とされていくモミジの木

しかし、4~5日前に原稿を書いていて、ふと蝉の声が聞こえていないことに気が付いた。さらに、自転車で走っていると、セミの死骸をよく目にするようになった。それで、“セミの季節”も終わってしまったのかと寂しい気持ちになっていたのだ。しかし、どっこいセミは生きていたのである。今日、やっと8月分の仕事が終わって、しばし放心していたら、窓の外から地響きのようなセミの声が湧き上がってきた。鳴く時間は確かに短くなってきているが、まだまだ必死に生き延びている“猛者たち”がいるのを、この耳で確かに確認した。したがって、2012年の夏は終わっていない。夏が終わるまでに、佐渡屋太郎はもう“ひと暴れ”したいと、真剣に考えている。

さて、今回のテーマは“畑の楽園”の木についてである。8月分の原稿は何とか書き上げたが、頭がまだ佐渡の後遺症を引きずっており、完全に戻っていない。今年の後遺症は例年に比べ、かなり重症のようだ。前回の土の山に加え、今回の木、さらに竹や植木、本や荷物整理に関して書かないと、気が収まらない状態になっている。それほど、印象の強い作業をいくつも体験してきたということだろう。それを適宜、形に残して記録しておきたいと思っている。

木に関しては昨年、佐渡屋次郎が貴重な戦力となり、畑の西側にある雑木をかなり切り込んだ。その結果、薄暗かった西側全体が明るくなり、健康的な雰囲気に生まれ変わった。私もジャングル植物園の前列に並んでいる松の枝落としをやらされた。したがって、今年は春の暴風で倒れたという竹薮の整備くらいでいいだろうと考えていたのだ。しかし今回、母親から出たのは、“木の芯を切れ”という大胆な命令であった。つまり、木が高くなるのを防止するために、主幹を切って“縦の成長”を抑え込もうという作戦であった。枝落としという“横の成長”を止める対症療法からさらに一歩進め、ついに“芯切り”という根本療法へ乗り出す決心をしたようだ。ただ、その“芯”を切るのは、当然ながら母親ではなく、私たち兄弟の任務となる。

弟によって切り落とされたモクレンの木

この作戦自体に関しては、実に“的”を射ていると思う。いくら毎年、枝打ちをしていても、木はどんどんと成長を続けていき、最終的には我々の手に負えないような高木(こうぼく)・巨木になってしまう。そうならせないためには、枝ではなく幹を切り、上への成長を止めておかなくてはならない。しかし、その作戦はもっと早い時期に展開しておくべきであったと私は思う。すでに、“畑の楽園”の周りにある木々は、十分な高木へと成長してしまっている。その主幹を切れといっても、その幹はもう十分な太さになっているのである。

一方、私たちが持っているのは、いとこのMの家から借りてきた5mほどの三脚ハシゴと、ノコギリしかない。これからはチェンソウが必要なことを痛感した。5mのハシゴを掛けて木に登り、先の方の幹を切るといっても、これはかなりの重労働となる。その辺の現場の苦労への想像力が、“ゆうだけ番長”には少し欠けていたと思う。その結果、作業は昨年を上回る大規模なものとなり、私たち兄弟の体力と根性が試されることとなったのである。

弟の主戦場となったのは、昨年と同じ畑の西側の雑木群であった。そこでの一番の大木は杉であるが、これにはさすがに手を付けることができない。幹は太いもので直径50cmくらいあり、高さも15mは超えているであろう。これはいずれプロに頼むか、チェンソウで根元から切り倒すしかない。弟が格闘していたのはモクレンの大木である。芯となる主幹の直径は、30cm以上もあった。それをハシゴに登り、小型ノコギリでシコシコと切り進み、ついにその丸太を切り落としたのである。本人にとっては、物凄い達成感であったと思う。こういうことに異常な“やりがい”を感じるのは、小さい頃、木こりになりたいと思っていた弟の本能と大きな関わりがあるのではないかと思う。

弟によって芯切りされた西側の雑木林

焼却場で焼いたときも、その丸太は最後まで焼けずに残っていた。弟は「これはおれが切った丸太だ」と言って、感慨深げに焼いていたのが印象的だった。そのほか、柿の木や椿など、情け容赦なく太い幹が切り倒されていった。その結果、不気味な高木の密林から、中木(ちゅうぼく)の可愛らしい雑木林へと変わっていったのである。もちろん、全体が昨年よりさらに明るくなり、林から庭といった感じになった。いま、あの時の労働風景を思い浮かべると、いよいよ来年はチェンソウの登場だという気がしてならない。一度、いとこのMから借りて、その効力を試してみる必要がある。

一方、私の担当は、畑の家への通路脇にある高木の芯切りと、ジャングル植物園内にある植木の剪定であった。最初に取り組んだのは、ジャングル植物園内にある植木の剪定。昨年、枝落としをした一列に並んだ松は、1年のうちに驚くべき成長を遂げていた。高さは4~5mほどだが、これくらいになるとドンドンと成長速度を上げていく。そこで今回は母の指示に沿い、頭頂部の幹を中心に刈り込んでいった。さらにその作業が終わると、園内にある背の高い木の主幹や太めの横枝を、容赦なく切り落としていったのである。これらは父が観賞用の植木にするために、あちこちから持ってきて植えたものだ。

それが30年の歳月の経過によって、高さ3mを超す雑木林に変身しようとしている。さらに、将来の姿を想像することなく無闇やたらに植えたために、木と木の間隔が成長とともに狭くなり、ジャングルのようになってしまっている。これでも母は、父の死後に松の1列を切り倒し、さらに邪魔になる何本かの木を切って、風が通るように整備したのだという。このことを知ったら父は激怒するに違いない。しかし、死んでしまった人間には手も足でない。それをいいことに、その後さらに成長してきた木々の管理を今度は息子に任せ、さらなるジャングルの開拓を目指しているのである。

弟によって無残にも頭を切り落とされたツバキの木

しかし、私には父と同じように収集癖があるし、植木育てにも並々ならぬ情熱を傾けている。だから、木の切り方にも愛情がこもっていた。自分の植えた木たちが、こんなに成長したならどんなに嬉しいかと思う。ただ、さすがの私もこのジャングル植物園の現状を見ると、手を下なければならないと決断した。木々の頭を落とし、張った横枝を払って、それぞれ独立した木として見られるまでに形を整えた。

そして翌日、弟は昨日に切った大量の幹や枝の焼却に専念することになった。しかし私は、畑の家への通路脇の整備の仕事が残っている。ここにはモミジ、ヒバ、ねむの木などが茂っていた。それら上部の幹や枝を次々と切っていくのである。私はいま京都で必死になってモミジの木を育てている。その人間が片方で、佐渡で育ったモミジの大木の枝を切り落としているのだ。何たる矛盾であろうか。そんなことを考えながら作業をしていると、枝運びに疲れた母親が、私の作業を座り込んで見ている。その姿を見たとき、私は悪い予感がした。昨年もこんな状況からひどい目に遭っている。

私によって芯切りされたヒバなど通路脇の木々たち

しばらくすると、やはり母親から声が掛かってきた。その声は、「その横も切れ」「その上の枝も切れ」といった内容である。これは幼い頃からの習慣であったと思われるが、人が仕事をしていると指示をしなければ気が済まないという性分を母親は持っている。危ないことはするなと言いながら、発せられた指示は実に危険で過酷なところまでの枝切りを要求しているのだ。その指示により、モミジの枝は次々と通路に切り落とされていった。

ここまで切っておけば日が差し込み、その下で育っている小木もすくすくと育っていくに違いない。事実、通路と竹薮の間には、多くのモミジの苗が群生していた。それを掘り起こして京都に持ってきたのは言うまでもないだろう。その件は、また回を改めて報告したいと思う。それにしても2日間にわたって、木を切りに切りまくった。いま、ベランダでは昨年に挿し木したガジュマル、ドングリから目を出したシラカシとナンキンハゼが急成長し、1mを超えるくらいに伸びてきた。この芯切りをしようかどうか迷っている。3年前、和歌山から採ってきたウラジロガシはすでに芯切りをしてしまった。鉢植えの芯切りは、ハサミで簡単にできる。このブログを終わったら、まずガジュマルの芯切りから、決行しようと思っている。(佐渡屋太郎)

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