遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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小葉田先生との思い出【佐渡屋太郎-vol.253】

『島唄の奇跡-白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病-』(吉江真理子著、2005年、講談社刊)

いまは12年6月28日(木)の16時25分。いよいよ月末の締切り期に入っているが、何だか気合いが乗ってこない。昨日は短い原稿を仕上げて送り、これで波に乗れるかと思ったら、今日は長い原稿で引っかかってしまった。考えてみたら、このブログの原稿も30日(土)までに書かなくてはならない。そこで順序を変更し、このブログを月末に向けてのジャンピングボードにすることにした。

前回はタケノコのことを書いて、ややすっきりした。しかしあと1つ、「本」のことが、ずっと胸の底でモヤモヤしていた。これを書いて吐き出してしまえば、爽快な気分で他の原稿に向かえるのではないかと思ったわけだ。ただ、この件は非常に永くなるので多分、本題には辿りつけそうにない。したがって、パチンコに関する記事を読みたい方は、今回はパスしていただきたい。本題に関しては、これを書いた後ですぐに着手したいと思っている。

さてその「本」とは、与那原恵氏が書いた『美麗島まで―沖縄、台湾 家族をめぐる物語-』(2010年、ちくま文庫)というものである。実は、ここに辿り着くまでにもいくつかの変遷があった。いま考えれば、直接の要因となったのは、部屋の片隅に積み上げてあった『ヤマト嫁-沖縄に恋した女たち-』(吉江真理子著、1999年、毎日新聞社刊)であったと思う。それを読み終わって、この人の年齢が知りたくて調べているうちに、『島唄の奇跡-白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病-』(吉江真理子著、2005年、講談社刊)という著作があることを知り、アマゾンで注文して読んだ。

『街を泳ぐ、海を歩く-カルカッタ・沖縄・イスタンブール-』(与那原恵著、1998年、講談社文庫)

力作であり、名作であった。著者の1つの疑問がどんどんと輪を拡げ、沖縄や石垣島に秘められた歴史の暗部に誘い込んでいく。そこで、これまた部屋の片隅に積んであった与那原氏の『街を泳ぐ、海を歩く-カルカッタ・沖縄・イスタンブール-』(1998年、講談社文庫)を読んでみた。そのなかでカルカッタのハウラー橋での印象的なシーンがあった。私もハウラー橋には強烈な思い出を持っている。この本の中にある著者の行動を見て、面白い感性を持っている人だと思った。それで経歴を調べるうちに、前記の著作があることを知り、アマンゾンで注文して読んだ。力作であり、名作であった。

彼女たちの著作は以前、私が沖縄にはまり込んでいるときに、何冊か読んだ記憶がある。そのときは、書いてある内容に興味のほとんどがあったため、著者に関しては失礼ながら“沖縄好き女の子”程度の認識しかなかった。しかしその後も、いろんな取材を続け、沖縄を中心にした著作を発表していたようだ。そして、両人とも書き始めてから30年近くの時間が経ち、地道に沖縄を掘り続けていくうちに、これだけの名作に辿り着いたことを知った。これは私にとっても大きな感動だった。それだけ沖縄自体が数奇な運命を辿ってきたとも言えるし、それにずっと寄り添って沖縄のことを考えてきたこの人たちの継続的な思いが、大きな感動を生む著作となって結実したのだと思う。

私はまだ懲りずに「感動」ということを、考え続けている。パチンコとはまた別な次元ではあるが、いま「時間の経過」と「偶然」ということを考えている。これも「感動」の大きな要素となる。私と同年代である2人の女性が、沖縄、石垣島、台湾を舞台に、実在した人たちの“時間”を遡っていく。その作業にも長い“時間”を必要としたし、いくつかの“偶然”がなくては真相が究明されなかった。いわゆる“Seek and Find”で、まるで冒険のようなスリリングな緊張感と、闇に隠された事実の全貌が解き明かされたときの静かな感動が、この2冊の本には詰まっていたのだ。

『美麗島まで―沖縄、台湾 家族をめぐる物語-』(与那原恵著、2010年、ちくま文庫)

それで、話は『美麗島まで』に戻る。これはいわゆる“ルーツもの”で、東京で生まれた著者が、父母の故郷である沖縄・首里、さらに母方の祖父が医師として赴任したロシア、医院を開業した台湾、そして戦後に帰ってきて建設した那覇の“オランダ屋敷”までの足取りを辿っていくノンフィクションである。著者は12歳で母を亡くしている。そして、この本を書き始めたときは、父も死んでいた。頼りになるのは、母が残した写真アルバムと様々な文献、そして当時を知る人たちの証言である。

祖父が台湾で開業した医院は、文化サロンのようになっており、多くの著名な人たちが訪れた。そのなかに、小葉田敦という歴史学者がいた。それについて著者は、「南風原朝保(祖父)は、当時の台湾でブームとなっていた『沖縄学』の内地から来た研究者たちと熱心な交流をはかっていた。雑誌『南島』には著名な海事学者・須藤利一や歴史学者・小葉田敦(一九〇五~二〇〇一)らも加わっていた。小葉田は昭和五(一九三〇)年、その二年前に設立された台北帝国大学助教授に着任しているが、彼と琉球史のかかわりのなかでもっともよく知られているのは、十五世紀から伝えられる四百四十年にわたる琉球王国の外交文書『歴代宝案』の発掘、写本の作成である」と記している。

取材で奈良に行ったとき、撮影した近鉄奈良駅前の行基像

ここまで読んで、私の心臓は急に激しく脈打ち出した。さらに文章は、「歴代宝案は琉球王府が保管していたが、廃藩置県後に明治政府によって東京の内務省に保管される。この文書は関東大震災で消失してしまうが、昭和八(一九三三)年、久米村の人たちによってもう一組、秘匿されていることが明らかになる。小葉田らは台北帝国大学在学中の昭和十一(一九三六)年に、この久米村保管の歴代宝案からほぼ完璧に近い形で写本を作った。現在、琉球王国外交の全容が解明されているのは、この台北帝国大学の写本がいまに残されたことに負う部分が大きい。というのも久米島保管の歴代宝案もまた沖縄戦の最中に散逸してしまったからである」と続いている。

そして、最後に「小葉田が『その時代の直接の文書として『歴代宝案』のごときは稀有なものといわねばならぬ』(小葉田敦『史林談叢』)と喝破したことの重みをいま痛感する。小葉田は終戦後二年目に台湾を離れた。その直前に輸送船が米軍の爆撃によって沈没し、妻子を失うという悲劇も体験しているが、それについて語ることはほとんどなかったという」と締めている。この『史林談叢 史学研究60年の回想』という本は、93年に私がいた出版社で作ったものだ。私は打ち合わせで、当時88歳であった小葉田先生のお宅を何回も訪問した。

何回目かの打ち合わせの折に出身地を聞かれ、私は「佐渡です」と答えた。そのときの先生の驚いた顔をいまも思い出す。そして、「では、あんたは本間寅雄、田中圭一、児玉信雄を知っているか」という質問をされた。「本間寅雄は佐渡博物館の館長で、田中先生と児玉先生は私の高校の日本史の先生で、児玉先生からは直接、習ったこともあります」と答えた。先生の専門は、貨幣史・鉱山史・貿易史で、佐渡金山に何回も研究に訪れ、地元の郷土史家とも密な関係を持っていた。69年には『日本鉱山史の研究』で、日本学士院賞も受賞している。それから私は何回も先生に呼ばれ、学士院会員でもあった大学者の前で、佐渡のことを語ることになるわけである。

それから、会うたびに「死ぬ前にもう一度、佐渡に行きたい。あんたが連れて行ってくれんかね」と先生は言うようになった。「連れて行ってもいいですが、佐渡で何かあると、帰りは“クール宅急便”になりますよ」と私は答えておいた。少しも偉ぶることがなく、人の話を熱心に聞き、子供のような好奇心を持った人だった。先生のお宅を出るとき、いつも爽やかな気持ちになった。偉い人というのは、こういう人のことをいうのだなとそのとき思った。その後、私は多くの人と会って話したが、あのときのような“爽快感”を味わうことはなかった。

奈良公園で鹿と一緒に写真撮影する人間の親子

戦争が終わったとき、先生は家族を先に日本へ帰すため、基隆(キールン)の港に行った。人でごった返す輸送船に、何とか家族を乗せ、岸壁から離れていく船を見送った。そのとき、どこからともなく米軍機の爆音が聞こえてきて、目の前でその輸送船が攻撃された。そして、火ダルマとなった船は基隆の沖合いで、音もなく沈んでいった。その船には先生の奥さんと、3人の息子が乗っていた。それを当時42歳であった先生は、じっと見つめていた。こんなことが実際にあった。これが歴史である。このことは、知り合いであった先生の孫弟子から聞いたような気がする。先生のことを思い出すたび、この光景がまるで自分が体験したことのように、目の前に鮮明な映像となって浮かんでくる。そして、そのたびに私は泣けてくる。こんなことがあっていいのだろうか。しかし、これが歴史である。

先生の本は500部刷って、100部が配り本ということで、先生の買い切りとなった。先生が再婚した奥さんから、「佐渡屋さん、本を書いてお金を払うというのは、一体どういうことなんですかね」と聞かれた。話好きの面白いおばあさんであった。いつも私の佐渡の話を、そばに座ってニコニコして聞いていた。その問いに対し、私は「それが世間というものです」と答えておいた。その意味が、奥さんに分かったかどうか分からない。しかし、その本はほんの数ヵ月で完売となった。佐渡からも大量の注文があった。ここで私はまた、泣けてくる。しかし、重版しようとしたら、社長の許可が下りなかった。これが世間というものである。

鹿とともに写真撮影をする人間の若者

私は95年にその出版社を辞めた。先生は結局、佐渡に行くこともなく、01年8月8日の末広がりの日に、96歳の“大往生”を遂げた。そして、佐渡博物館の館長であった本間寅雄氏(筆名=磯部欣三)は06年に、79歳で亡くなった。『佐渡金山』(1992年、中公文庫)、『良寛の母おのぶ』(1986年、恒文社刊)など多数の著作がある。定説を覆す反骨精神と、何年にもわたって取材を繰り返す粘り強さは、佐渡人の典型であると私は思う。田中先生は佐渡高校教諭から筑波大学の教授に栄転し、退官後は群馬県立女子大学教授となった。87年には『佐渡金銀山の史的研究』で、第9回角川源義賞を受賞している。

ウィキペディアには「身長190cm、体重100kg以上と日本人としてはかなり大柄な体格をしており、高校時代には柔道部に所属し、県大会では優勝を勝ち取ったとされる」とあるが、これはまったくの間違いである。丸顔で小太りの小柄なおっさんである。誰がこんなことを書いたのであろうか。もし、佐渡人の証言なら信用しない方がいい。中国人の如く「白髪三千畳」で、何事も大げさに語るのが佐渡人の特徴である。したがって、私のこの記事も、話半分に聞いておく方が賢明だろう。児玉先生の情報はないが、まだご存命であることを願っている。時間はとめどなく流れていく。歴史は残酷であるが、それが歴史であるということなのだろう。

今回は前フリに力が入りすぎて、本篇を書くスペースと精神的な余力がなくなった。お陰で私の気分はすっきりとしたが、読者の怒りの顔が見えるようだ。明日、当初に想定していた「パチンコ村の構造(後篇)」を書くことにして、今回はこれで終わりたい。最後に、小葉田先生は99年に、『想い出の記 引揚を経験した一歴史家の足跡』という本を私家版で出している。どんな内容なのだろうか。さすがにアマゾンにも出品がない。また、コレクターとしての血が騒いできた。「時間の経過」と「偶然」が身に沁み、すっかり『美麗島まで』に、はまり込んでしまった佐渡屋太郎であった。(佐渡屋太郎)

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パチンコ村の構造(前篇)【佐渡屋太郎-vol.252】

佐渡から宅配便で送られてきた待望のタケノコ

いまは12年6月22日(金)の4時25分。何故か今日は、こんな早朝から原稿を書いている。実は昨日、疲れて22時過ぎに寝たため、今日の3時に起きてしまった。私は1度起きてしまうと、“2度寝”ができない。残された“人生の時間”も短くなってきているので、思い切って仕事をすることにしたのだ。3時過ぎから本を読みながら、いま抱えている原稿の組み立てや、このブログのネタのことを考えていた。

いま窓の向こうでは、何羽もの小鳥がうるさいくらいに鳴いている。そして、さっきまで真っ暗であった外の景色が、次第に形を現しはじめてきている。今日は曇り空のようだが、実に爽やかな夜明けである。窓から湿気を含んだ少し冷たい風が入ってきている。徹夜をするときも、この4時から8時ころまでが最も勢いのつく時間帯だ。それまでだらだらと書いていた原稿を、この時間帯で一気に仕上げることが多い。

ただ今日は“朝一仕上げ”というプレッシャーもないので、だらだらと書いていくことにしたい。ちなみに“朝一仕上げ”とは、編集担当者の出社前に原稿と写真のデータを、“耳を揃えて”メールしておくことだ。具体的にいうと、次のようなシーンとなる。朝、出社して担当者がパソコンを立ち上げると、それまで電話にも出なかった佐渡屋太郎からの原稿一式が、何ときれいに揃って送られてきているのだ。これは大きな“驚き”であり、“感動”であるはずだ。それまで私の顔を思い浮かべ、はらわたが煮えくり返っていた編集者の顔に、安堵と満足の笑(え)みがこぼれてくる。そして、“佐渡屋太郎もやるときはやるんだな”と呟(つぶや)くのだ。そう、佐渡屋太郎は“やるときはやる”のである。

さて、今回はネタが多すぎて悩んでしまった。タケノコと本のことは独立させて、1本にまとめようとも思っていた。しかし、問題が山積しているパチンコ業界の現状を顧(かえり)みるに、それは何とも不謹慎の極みである。だから、パチンコネタと合わせて、分離してそれぞれ前フリに使うことにした。そうすれば、写真も入れることができる。というわけで、今回の前フリはタケノコである。実は6月10日(日)に佐渡から、待望のタケノコが送られてきた。

昨夏、必死になって我が家の竹薮整備をしたので、今年は例年になく無性にタケノコが食べたかったのである。それで2回も佐渡の母親に催促の電話を掛けた。しかし、今年は雨が少なかったので、タケノコの出が悪いという。母親は攻めには強いが、守りには弱い。日ごろ怒(おこ)られてばかりいる鬱憤を晴らすように、私はここぞとばかり、2度も電話を掛けてやったのである。ただ、心の底では昨年、調子に乗って竹を切り過ぎたせいではないかという一抹の不安もあった。事実、弟の佐渡屋次郎が雑木林の木を切り過ぎたために、春先の暴風でいとこであるMの納屋の壁が落ちるという被害が起こっている。

到着して早々に皮をむかれてしまったタケノコ

待ちくたびれたころに、タケノコが米と一緒に届いた。荷物の空いたスペースに、佐渡のイカとワカメ、さらに畑で採れたタマネギも詰め込んであった。そこで早速、一本のタケノコの皮を剥ぎ、ワカメと一緒に味噌汁にして食べた。ちなみに我が家の味噌は、佐渡市真野新町の安達吉平氏が腕によりを掛けた「手造りみそ 佐渡の味」という名作を使っている。つまり、水以外はすべて佐渡で生まれ作られたもので、その味噌汁は構成されていたのである。湯気の立ったやけどするくらい熱いその味噌汁を、一気にすすったとき、佐渡屋太郎の目の向こうに佐渡島(さどがしま)の姿が浮かんだ。

こんなコメントは少し臭過ぎるだろうか。自分でも笑ってしまった。しかし、ワカメから染み出した佐渡の海の塩味、湯気から沸き立つ味噌の懐かしい香り、そして我が竹薮の養分を吸ったタケノコのコリコリとした歯ざわり、これを美味いと言わないで何を美味いというのだろう。自分で作ったので、味も私にぴったりであった。大阪人で薄味志向のY嬢では、この味は出せない。要するに、塩分が過剰気味の味噌汁である。これが私の小さい頃に飲んでいた味噌汁の味なのである。

一方、タケノコは「破竹」の子供である。「孟宗竹」のタケノコと比べると、外観は細くて食感は硬い。この硬さが私にはたまらないのだ。先の柔らかいところよりも、根元の硬い部分の方が好きだ。さらに言うなら、大きく成長してほとんど竹になっているようなものほど、私は美味しいと感じる。それを噛み砕くときの、コリコリという小気味よい食感がたまらない。よく食通のタレントなどが、朝掘りタケノコの柔らかさに感嘆の声を上げている。一方、私は“昼掘り”で、半ば緑色になったガシガシの硬さを持つタケノコしか、体が受け付けない。何しろ、そんなタケノコを生まれてから食べていたのだ。これが私にとってのタケノコであり、これ以外のものはタケノコではない。

一緒に送られてきたワカメとともに作られた佐渡屋太郎作の味噌汁

結局、味噌汁を4回つくり、煮物を2回つくったら、タケノコはなくなってしまった。しかし、まだ食い足りない。そこでまた母親に催促の電話を掛けた。その日、やっと3本ほど出てきたので、東京のおばさんに送ったところだという。しかし、話すうちに新たな事実が判明した。しばらく畑へ行かない間に、5本が竹になってしまっていたというではないか。その怠慢を私は激しく非難した。何しろ、こんなときにしか母親を攻め込むことができない。実に勿体ないことをしたと私は嘆いた。母親も電話の向こうで恐縮しているようだった。竹になってしまえば、何の使い道もない。これから出てきたものがあったら、また私のところに送ってくるようにと、きつく厳命して電話を切ったのである。

味噌汁をすすりながら、つくづく私の体は佐渡の土と水と海水で作られていることを痛感した。味噌汁の中にあった佐渡の成分は、驚くほどすんなりと血液に吸収されていき、それが体内各所に送り込まれると、不思議なくらい元気と力が出てくるのだ。例えは古いが、まるでポパイの“ホウレン草”のようなものだと思う。

17日(日)に葬儀雑誌の取材で、海への散骨や樹木葬の話を聞いてきた。その話を聞きながら、私が死んだら火葬にしないで、上半身を佐渡の海に投げ、下半身を佐渡の竹薮の土に埋めてもらいたくなった。もちろん、そんなことは法的に許されてない。しかし、佐渡が育ててくれたこの体を、また佐渡のために役立ててもらいたいのだ。私の死体は、海でワカメの養分となり、竹薮でタケノコの肥料となる。これが最上の“生物連鎖”ではないかと思っている。発想的には、チベットの“鳥葬”に似ている。

ここまで書いてやっと頭がすっきりした。本題のパチンコでは、「ECOパチ」や貯玉に関する記事を読んでみたが、どうも上辺だけの報告記事で、すっきりと納得がいかない。もっと、その奥に重要なことが隠されているような気がしてならない。したがって、もう少し調査する必要があると感じた。そんなことを思いながら、ページをめくっていて、とても重要な記事を見つけた。それは5月22日に、余暇進定時社員総会で述べられた行政講話を伝える記事だった。

お椀に注がれて佐渡屋太郎の元気の元となる味噌汁

講話をしたのは、警察庁生活安全局保安課の玉川達也課長補佐である。それによると、玉川氏はパチンコ業界の現状に、怒りが頂点に達するほど激昂していたという。その怒りの矛先は、広告規制と一物一価に関するものだ。まず、広告に関することから見ていくことにしよう。この件に関しては周知の通り、出玉系イベントが禁止され、宣伝広告も「事実の告知」に限定されるようになった。つまり、「事実の告知」として許されるのは、「新台導入」「有名人招致」「店の所在地」「遊技料金」「設置遊技機の種別・台数」「取り揃え賞品の充実度」などである。逆にそれら以外の宣伝広告は、取り締まりの対象になったわけだ。

この件に関する行政の指示は、これまでに比べて事例まで挙げて分かりやすく、明確なものであったといえる。その根本にあるのは、射幸性を刺激するような広告宣伝を一切、行わないようにすることにある。その趣旨が通達されたのは昨年6月で、「広告宣伝規制の運用方針明確化」という文書であった。こうした厳命にも関わらず、その規制の裏を書くような文言が頻発するようになる。事実、その文書が通達された1ヵ月後に、“広告規制対策”と銘打ったセミナーに取材に行って、愕然とした思い出がある。そのときのことは、このブログでも書いたのではなかろうか。

そのセミナーの講師は、ニヤつきながら自慢げに、「ここだけの話ですが……」などといろんなことを話していた。その内容は、「ある機種の台を一所懸命に磨くんですよ。その目的は何か分かりますか」とか、「ある県ではここまでやっても警察は何も言ってこない」などと言って、その具体例をいくつも紹介していた。今回の講話での具体的な事例を見て、そのセミナーのことを思い出した。セミナーで聞いた“広告規制対策”の内容と、その事例が合致していたからだ。その意味ではセミナーの参加者は、聞いたことを勤勉に励行したまじめな人たちであったようだ。

私はセミナーを聞き、講師の物の言い方に不快感を持ったし、会場を出た後で次第に腹が立ってきた。この業界では、物事の裏を書くとか、抜け道を探し出すのは、“賢い”こととして賞賛される傾向がある。そんな土壌にこうしたコンサルタントも生まれてくるのだろう。需要があるから供給がある。これも“市場原理”というわけか。私は業界に永くいたので、いろんなことを見てきたし、自分だけ優等生ぶるつもりはない。しかしコンサルタントなら、もう後がない崖っぷちに立たされている業界の状況を認識すべきだろう。今回は行政も本気だったのである。講話では、次のような悪用例が紹介されたという。

タケノコと一緒に送られてきた佐渡で採れたワカメ

【広告宣伝規制に違反する悪用例】
●「この遊技機はスタッフがとくに愛情を込めて掃除しました」
●「混雑予想日」
●「リニューアルオープンから●日目」

何とも笑うに笑えない“いたちごっこ”である。昨年11月の行政講話でも、「事実の告知」の悪用については厳重な警告があった。そのうえでの「愛情を込めて掃除しました」であったのだ。これにはさすがの警察庁も“ぶちぎれた”のである。差し詰め、大阪府警なら「お前ら、警察をなめとんのか」といった言葉も吐かれたであろう。これは私の勝手な想像である。念のため。この業界は、こんな“いたちごっこ”をいつまで続けるのだろうか。

2つ目の怒りの対象は、“一物一価”に関するものだ。昨年10月の行政通知で、同一賞品でありながら、貸玉料金別やパチンコとパチスロで交換率に差をつける「一物二価」の是正が指摘された。これに対し、業界では「二物二価」という方法を見つけ出し、“「二物二価」は問題ない”という勝手な解釈が一部で一人歩きするようになっていたという。さらに、“「二物二価」「三物三価」「四物四価」も割り算すれば「一物一価」となる”といった乱暴な発言もあった。

これに対し、玉川氏は「二物二価や三物三価、四物四価は賞品提供時における交換率を巧妙に隠す手段として行なわれている場合が多いのではないかと考えている」として、これらも「一物二価」と同様に取締りの対象になることを明らかにした。つまり、警察庁の見解は、“交換率”を統一せよと言っているわけである。パチンコ25個交換なら、パチスロ4枚、低貸でもそれは同様だ。この前、若い業界誌記者に、「なぜ二物二価や三物三価がいけないんですか」と正面切って聞かれて驚いた。ネットで調べてみたが、この点を明確に説明しているものはなかった。

仕方ないので、私なりに説明してみたいと思う。まず一方に、ホールから顧客に貸し出される「玉とメダル」がある。それをここでは「貸与品」ということにする。これは機械の構造上、玉とメダルに分かれているが、実質的には同じで、100円でパチンコ25玉とパチスロ4枚で貸し出される。現在では、様々な低貸パターンも出てきた。そのもう一方に、持ち玉やメダルで交換される一般景品と特殊景品の「賞品」がある。これも一般景品と特殊景品の区別はなく、同じ賞品であるというのが行政の考え方だ。その中間にホールが定めた「交換率」がある。つまり、「貸与品」と「賞品」は、「交換率」によって常に“1対1”の対応をしなくては、「一物一価」とならない。

安達吉平氏の手によって作られた『手造りみそ 佐渡の味』

では、その方式に当てはめて、「一物二価」から見ていこう。たとえば、「玉とメダル」で交換率を変えているのに、同じ賞品を提供するのは、1つの賞品が2つの価格を持っていることになる。これは当然ながら、「一物一価」を決めた法律に触れることになる。では、「二物二価」はどうなるのか。たとえば、パチンコ用賞品とパチスロ用賞品を導入した場合で考えてみる。この場合、なるほどパチンコ玉と賞品、メダルと賞品は「一物一価」の関係になっているが、今度は玉とメダルという「貸与品」が2つの価格を持つことになる。したがって、「二物二価」は「一物一価」にならないということになってしまうわけだ。あくまで、「貸与品」についても、同率の「交換率」によって、1つの賞品に辿り着かないと、「一物一価」の原則に反することになる。

こんな横道に反れていたら、字数が膨大な量になってしまった。今回のテーマの佳境はこれからの部分にあるのだが、もうこれ以上は書くことができない。仕方ないが、その部分は次回に持ち越すことにした。今日は早起きして仕事をしたので、腹が減ってきた。朝食は、残り少なくなってきたタケノコの煮物を心して食べることにしよう。(佐渡屋太郎)

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カジノとパチンコの違いについて【佐渡屋太郎-vol.251】

買ってから初めて花が咲いて満開となった「サツキ」

いまは12年6月15日(金)の13時25分。今週はサツキの花が咲き出し、あっという間に満開になってしまった。このサツキは昨年、「ぱちんこ情熱リーグ決勝大会」の取材で尼崎へ行ったとき、性懲りもなく買ってきたものだ。阪神尼崎駅に下りたら、駅前でサツキの展示会が開催されており、その即売コーナーで買ってしまった。

夕方まで展示会場で預かってもらっていたが、決勝大会が終わって取りに行き、懇親会やその後の飲み会にもこのサツキを持って移動したのだ。買った当時は3段構造の枝張りであった。しかし、横に広がるいかにも盆栽みたいな格好が気に入らなかったので、2の枝をノコギリで切り落として現在の姿にした。幹も太くて重厚感があり、さらにぜんぜん手の掛からない優等生の植木である。

そうした目で見ると、いまベランダは花盛りであることに気付いた。まず、今年で4年目になる「額アジサイ」(2鉢)の花がいよいよ咲き始めた。また、今年の冬には瀕死の状態であった「ベコニア」も、生き返って多弁の花をいくつも付けるまでになった。これから一気に大きくなっていくだろう。その反対に、つい先日に壁掛け式のプランターに植えた「アメリカンブルー」は、早くも花が咲き出し、急成長している。しかし、一緒に植えた「ナスタチューム」はいま葉が伸びている時期なので、花が出てくるのはもう少し後になりそうだ。地味ではあるが、「ザクロ」の木にもいつの間にか、赤い花が付き出していた。この木は買ってから、もう4~5年になるだろうか。最初は1本だったが、鉢のなかでどんどんと子供を増やしている。

入梅の声とともに咲き出した「ガクアジサイ」の花

実を言うと、私はこうした優等生たちにはあまり興味がない。その反対の手が掛かる問題児の方が可愛くて仕方ない。生死の間で必死になっている問題児たちの姿に、深い感動を覚えるのだ。いま、気になっているのが、先週に手術をした“患者たち”のことである。根巻きを起こしていた「トウネズミモチ」は、すでに新芽を出し始めたので、手術は成功したようだ。しかし、「ボケ」と「むつ紅」の術後の経過がよくない。「ボケ」は新芽が1つ出ているので、その動向を見守っている。一方、「むつ紅」は葉がさらに枯れ、幹も黒ずみ始めている。どうやら、再手術の必要がありそうだ。私は「ボケ」と「モミジ」には縁が薄いようだ。これまでに「ボケ」が1本、佐渡から持ってきた「モミジ」は4~5本を枯らしている。だからこそ、この2本は何とか救いたい。すでに再手術の覚悟を決めつつある。

さらに今週は、時間ができると『よくわかる樹木大図鑑』(平野隆久著、2011年、永岡書店刊)を眺め、ベランダにある植木全種の種名を何とか特定した。とくに、拾ってきたドングリから芽吹いた苗木は難航したが、とてもいい勉強になった。その結果、「イヌガシ」「ナンキンハゼ」「ツブラシイ」「ウバメガシ」「ウラジロガシ」「サザンカ」「ヒサカキ」「シラカシ」「ヤマモモ」など、新たなネームプレートを鉢に差し込んだ。名前が分かると、愛着も深まってくる。いまは、その苗たちが成木となった姿を図鑑でみながら、頭の中に自作の雑木林を想像して楽しんでいる。

冬には瀕死の状態にあったが、やっと生き返って多くの花を付けるようになった「ベコニア」

一方、パチンコ業界もはっきりと特定できない様々な問題が持ち上がっている。それらに関しては、いま少しずつ調査を始めている。これからその1つひとつについて順次、記事を書いていくつもりだ。そこでまず、パチンコという業態を行政はどのように考えているかという根本問題について、業界誌に妙味深い記事があったので今回、取り上げることにした。それは2月17日に開催されたPCSA主催の公開勉強会の内容を伝えるものだった。

その勉強会で講演を行なったのは、自民党前衆議院議員の葉梨康弘氏であった。同氏は1984年の風営法大改正時に、遊技機における技術上の規格などを起草した元警察官僚である。この講演ではカジノとパチンコの違いを比較することで、パチンコの特性を明確にしていくという手法が取られたようだ。それによって行政の考えるパチンコ像、さらに風営法で想定されたパチンコ像と現状におけるパチンコの間にある大きな“乖離”が、より明確になるという実に興味深い結果となった。

比較項目は大きく2つあり、1つ目はビジネスモデルであり、2つ目は遊技機に関するものだった。まず、1つ目の“ビジネスモデル”から見ていこう。この点に関して、葉梨氏は次のように述べている。カジノのビジネスモデルは、出玉率90~95%で、残りの5~10%が施行者の利益となる。一方、風営法から見たパチンコのビジネスモデルは、出玉率は基本的に100%で、売値から仕入れ値を差し引いた景品の利益によって成り立つと想定しているという。

先日、プランターに植えつけたら、すぐに花を付け始めた「アメリカンブルー」

これは一体、どういうことなのだろうか。還元率は100%なのだから、顧客が買った玉数と同じ玉数を還元することになる。これは、いま等価営業での損益分岐となっている10割営業ということになるのだろうか。現状に比べ、顧客にとっては随分と出玉が少なく、ホールにとっては遊技機からの利益は得られなくなる。ちなみに、交換個数による損益分岐は、25個交換=10割、30個交換=12割、33個交換=13.2割、34個交換=13.6割、35個交換=14割、36個交換=14.4割、40個交換=16割となっている。つまり、交換率を下げるほど、出玉を多くすることができるわけだ。

では、遊技機から利益が得られないホール側は、どうするのか。それは景品から得るという図式であるという。ホールが提供する景品には、一般景品と特殊景品がある。しかし、現状では99%近くが換金用の特殊景品と交換されている。等価交換営業の場合は、特殊景品はホール側が景品問屋や交換所の手数料を2%くらい払い、仕入れ値とほぼ同額で顧客に提供されている。これに対し、市場原理に反しているという見解を示したのは大阪府警で、事実上の等価営業が禁止となった。つまり一般景品や特殊景品の区別はなく、すべて同じ景品であり、景品は一般市場と同様に、仕入れ値にホール側の利益を乗せて顧客に提供すべきであるという風営法の解釈だ。

その結果、大阪では等価営業はなくなり、100円に対して112円~168円の提供価格が設定された。つまり、100円での仕入れに対し、12円~68円のホール側の利益が上乗せされたわけだ。交換率で言うと、パチンコなら28~42玉、パチスロなら5.5~8.4枚ということになる。ちなみに、交換率自由化の前は、大阪ではどのホールでも一律、パチンコ42玉、パチスロ8.4枚での交換が行なわれていた。その後、高価志向の高まりとともに、現在のような交換率となっていったのである。

今回の場合で考えると、ホール側の利益は景品の売値から仕入れを引いたものであるから、この100円に対して12円~68円がホールの利益のすべてとなる。利益を多く取ろうとするホールはより低価交換を行なうだろうが、顧客はより多くの金額を求めて高価交換のホールを選択するだろうから、そのあたりがホールと顧客の間で巻き起こる“市場原理”となるのだろうか。現状と比較すると、顧客側としては出玉が少なくなり、ホール側としては交換率を下げていかないと経営が成り立たなくなってしまう。しかし、これが風営法で想定するパチンコ営業のあるべき姿であるようだ。

買ってから4~5年になる「ザクロ」も赤い花を付け始めた

こうして考えると、行政の考えるパチンコ像が次第に浮き彫りにされていく。これ以降は、私の想像であると事前に断っておく。まず、遊技機に関しては、出玉率100%で、それ以上のものは“適度の射幸性”とは言えない。また、ホール側が遊技機の性能を調整することも風営法違反となる。各都道府県の公安委員会で認められた遊技機を、保通協を通った同じ状態でホールに設置する。一方、ホールは遊技機の調整は許されず、景品の提供を行なうことが主業務となる。そして得る利益も、その景品の仕入れと販売の差額がすべてとなる。

これらの条件を見て、私がイメージするのは、祭りなどで見かける露天のパチンコ屋だ。並んだ台の横に店主が座り、獲得した玉を持ってきた客に景品のお菓子などを渡している。そもそもパチンコは、こんな形で営業を始めたのである。いまの1000台を超える豪華なホールなどと比べると、隔世の感がある。確かに、この2つのパチンコ像は余りにもかけ離れている。しかし、それが行政とパチンコ業界の間にある大きな“乖離”であると思うのだ。

さすがに、露天のパチンコ屋は言い過ぎたが、遊技台を設置して、玉を出した客には景品を渡す。これが行政の考えるパチンコ像であるとすれば、各種の指導における根本の理念がよく理解できる。遊技機の射幸性、一般景品の品揃え、広告宣伝の規制強化、イベントの禁止など、「なるほどそういうことなのか」と胸に落ちることも多い。そもそもパチンコとはそんなものであったし、その原点に押し戻そうとする力が、いまカジノ法を前にして大きく働いているのではないか。問題は、最後に残された他業種にはない“換金”の部分を、果たしてどのように処理していくのか。個人的には、その点に最も注目している。

ベランダに並ぶ植木たちの種名を調べるために使った『よくわかる樹木大図鑑』(平野隆久著、2011年、永岡書店刊)

2つ目は、遊技機に関する“技術介入性”に関するものだ。この点に関して葉梨氏は、カジノに設置されるギャンブルマシーンは、どこまでも偶然の輸贏(ゆえい=勝ち負け)に結果が左右される。一方、パチンコ店に設置が認められている遊技機には技術介入性があると違いを説明している。確かに、この点がパチンコやパチスロ機の優れた点であると思う。

カジノのマシーンには台選びの楽しみもないし、結果に対する征服感もない。そこにあるのは、ただの“運”だけである。それに対し、パチンコには釘もあるし、パチスロ機にはデータ表示機器も付いている。各台の個性が認識できる部分があるだけに、台と打つ人間との交流があり、遊技台は擬人化されるほどに“人間性”を持っていた。

しかし、いまの遊技機はどうなっているのか。ますます、“技術介入性”が低下し、ギャンブルマシーンに近づきつつあるのではないか。それは、射幸性を含めた遊技機だけの問題ではない。パチンコ自体が“ギャンブル化”している。いや、いまパチンコをギャンブルではないと思っている国民は一体、何人いるのだろうか。こうした“ギャンブル化”が進んでいくと、なぜ民間営業でパチンコだけが“換金”を許されているのだろうかという疑問を引き起こす。それが“パチンコバッシング”につながるのは、このブログでも紹介した通りだ。

しかしそうした危機感を、パチンコ業界より行政の方が強く持っている。この“主客転倒”の図式が、いかにもパチンコ業界らしいと私は思う。その“逆転の構図”を明確な形で知らしめてくれた点で、葉梨氏の講演は実に貴重な提言であったと思う。行政の指導に不満を漏らすのもいいが、この業界をどのように守っていくかを真剣に考えなくてはならないのは、やはり当事者であるこの業界の人たちではないだろうか。

では、誰が、何を、どうするのか。危機感を共有し、業界全体で共同歩調を取らないと、物事は動いていかない。ましてや、これだけ大きな業界になると、それに必要な力も並大抵のものではないだろう。しかし互いの利益が錯綜し、唯我独尊でバラバラの業界に、そんな統一行動が取れるのであろうか。だから、その代わりに行政が張り切っているのかもしれない。笑うに笑えない“倒錯の構図”である。(佐渡屋太郎)

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ダイナムのPB機について【佐渡屋太郎-vol.250】

根巻きで元気がなくなった「トウネズミモチ」

いまは12年6月8日(金)の14時55分。早いもので、もう週末となった。今週の佐渡屋太郎は差し迫った締切りの原稿がなかったため、園芸と裁縫に明け暮れてしまった。先週からガジュマルの植替えは行なっていたが、本格的な発端となったのが3日(日)のことだ。目的は、葉に元気がない木の救済である。リストに上がったのは、モミジの「むつ紅」、広島で買ってきた「ボケ」、淀川の川岸から採取してきた「トウネズミモチ」(旧名「淀川1号」)の3種だ。私見によると、根が伸び過ぎて「根巻き」が起こっていると予想していた。

しかし、植替えという“手術”を決行して、見立てが当たっていたのが「トウネズミモチ」だけであることが判明した。他の「むつ紅」と「ボケ」は買ってきたままの状態で根が固まり、新たな土に根を伸ばしていないことが分った。そのため、根をほぐして水はけのよい赤玉土を入れるという処置を施した。これに勢いを得て、鉢が小さくなった「金のなる木」の2種、種を蒔いていないのに小鉢で成長したペチュニア2種の大鉢への移行など、計7鉢の植替えとなったのである。

さらに、5日(火)には雑草鉢の撤去と散歩時に採集してきた「サツキ」と「クチナシ」の挿し木。6日(水)と7日(木)は、Y嬢から依頼のあった「アメリカンブルー」と「ナスタチューム」の壁掛け式プランターへの植込みと設置。その間を縫って、買ってきた土に混じっていた木片の切断と食卓椅子の足カバー作りに専念した。混入していた木片と木の皮ははさみで切り、足カバーはすべりがいい硬い布で作ったので縫うのが大変だった。お陰でいま、右手の指先は腫れている。しかし、ろくな仕事もしなかったのに、なぜか大きな充実感に包まれた週末になった。溜まりに溜まったストレスも発散したので、来週はまじめに仕事をしなくてはいけないと真剣に考えている。

新枝が伸びなくなって植替えを決行した「むつ紅」

一方、パチンコ業界も大変なようだ。このところ他業界の仕事が続いたので、知り合いからの連絡や業界誌の記事をたまにつまみ読むくらいで、パチンコ業界とはほとんど遠ざかっていた。聞くところによると、エコパチ、新基準機の登場、一物一価の厳守通告、来店・遊技ポイントや貯玉再プレイ手数料の事実上の禁止、さらに関西電力管内の節電要請など、だいぶ行政に“差し込まれている”ようだ。これまで看過されていた領域まで、行政の介入がエスカレートしている。

つまり、パチンコ業界の“外堀”が急ピッチで埋められる図式で、これは以前にも書いたように、予め策定された“既定路線”の実践というところだろう。最終的には、パチンコ営業の命綱である“換金システム”の再検証、または新たな規制に行き着くのではないかと思う。一体、パチンコ業界はどこに行ってしまうのだろうか。ここしばらくは、何もできないパチンコ業界に対し、勢いに乗った行政による力ずくの“押さえ込み”が続くはずだ。これも“自業自得”というべきか。

そんななか業界誌を見ていて、興味をそそられる記事があった。それはダイナムのプライベート機(PB機)に関するものだ。八方塞(ふさがり)の現況のなかで見つけた、数少ない前向きの動きであった。実は先週、このテーマで記事を書こうとしていた。そのため、「遊技機」とは顧客にとってどんな役割を担うものであるのかを考えていて、“ドツボ”にはまってしまったわけである。その過程は前回の記事を見てもらいたい。あの時に考えていたのは、「遊技機」と「ホール」の間で繰り広げられている“負のスパイル”であった。

つまり、「遊技機」は顧客をホールに集客するための、“最大の武器”であるという考え方だ。確かに、魅力のある「遊技機」を設置すれば、多くの顧客がホールに来店してくれることは確かだ。そんなパチンコホールの営業形態は、“設置産業”とも言われる。「遊技機」という集客装置を設置することで、商売をしているのである。当然の結果として、いい「遊技機」を導入すれば客が増え、よくない「遊技機」を入れれば客は減っていく。だから、ホールはいい「遊技機」を選ぶことに懸命になり、メーカーはより多くの人にアピールするような「遊技機」の開発に全精力を傾けている。いい「遊技機」を作って導入することは、ホールとメーカーにとって共通のテーマである。

種も蒔いていないのに勝手に成長してきた「ペチュニア」

では、この構造をまずメーカーの方から見ていこう。メーカーの課題は、より集客力の大きい「遊技機」を作って、ホールに供給することだ。そのため、様々な開発技術を導入し、「遊技機」の進化を推進してきた。たとえば、より大当りの感動を高めるために、ブリキのリールが導入され、それが液晶に代わってますます大型化することによってインパクトを強めていった。さらに、大当りまでの演出や台の装飾にも凝っていく。また、より顧客に親近感を持ってもらうために、馴染みのあるキャラクターをモチーフに使い、次第に“版権物”が主流を占めるまでになった。その結果、「遊技機」の価格は10万円台から30万円台、さらに40万円台にまで高騰する現象が生まれてきているのだ。

一方、ホールもいい「遊技機」の獲得に懸命になった。何しろ、いい「遊技機」を“地域最速大量導入”すれば、その情報だけで大量集客が図れたからだ。大量集客できたホール企業は、その利益をホールの多店舗展開や大型化に投入し、地域での“覇権”をますます強固なものにしていった。そしてこの大手ホールの独走は、“弱肉強食現象”とも言われた。確かに、稼働(集客)が上がれば、還元率も高くすることができる。それが本当の“出玉”か“見せ玉”かは分らないが、“客が客を呼ぶ”という現象を巻き起こしたのである。ホールにとって、いい「遊技機」は金を生み出す機械であり、その獲得に必死になった。ヒットメーカーの鉄板機種に関しては、優先導入のための大量購入も、“抱き合わせ販売”という不合理も受け入れてきたのだ。

こうした積み重ねによって、“メーカー優位”という構造が作られてきた。ホールはメーカーから金を生む「遊技機」を、“売ってもらう”という姿勢が強まってきたのである。しかし、価格の高い「遊技機」を勇んで買っても、それがすべて期待通りの集客力を発揮してくれるとは限らない。その意味ではホールは顧客以上に、“大きな賭け”をしているとも言える。1年以上も金を生んでくれる“ヒット機”がある一方で、1台40万円も払って買っても、3ヵ月いや3週間も持たない“クソ台”と呼ばれる「遊技機」もある。

そのリスクはメーカーもホールも負っている。まずメーカーにとって、ヒット機をコンスタントに作り続けるのは、決して容易なことではない。その結果、メーカーはそのリスクを遊技機の価格に上乗せてくるし、前述した「抱き合わせ販売」なる商道徳に反する方法も取らざるを得なくなる。こうしたなかで、メーカーとホールの信頼関係も次第に崩れてきた。

一方、ホールも目算が外れたり、当初から期待できない「遊技機」については、“三即台”という扱いをした。これはまだ中古機市場が活発な時期であったが、その意味は“即買い、即抜き、即売り”というものである。つまり、台が発売されたらすぐ買い、設置したらすぐに機械代の回収に走り、まだ値段が高いうちに中古機市場に売ってそこでも売却費を確保するという方法である。したがって、新装開店から新台で抜きまくるホールも増えてきた。その結果、そうした“騙し開店”によって、ホールと顧客の信頼関係も次第に崩れてきたわけだ。

葉の重さで倒れそうになっている植え替え前の「金のなる木」

さらにメーカーによる遊技機代の高騰が、ホール経営を圧迫していくようになる。中小ホールでは、商売の種となる新台を買いたくても買えないような事態にまで発展した。そのため、ホールは中古機の購買ルートを開拓し、新台の導入台数を減らし、導入機種も厳選するという“自衛策”に打って出るようになった。その結果、「遊技機」の全体的な販売台数も減り、負けの込んだ顧客もホールから次第に遠ざかっていった。これが、「遊技機」をめぐる“負のスパイラル”である。メーカー、ホール、顧客のいずれも得をした者はいない。もし、いるとしたらヒット機を連発した1部のメーカー、遊技機価格が高騰しても従来通りの営業を続けられた大手繁盛ホール、そして、ホール通いを止めた賢明なパチンコファンくらいだろう。

では、この“負のスパイラル”を止めるのは一体、誰なのだろうか。メーカーはいい「遊技機」さえ作れば、ホールは価格が高くても買うと思っている。一方、ホールは不満を漏らしながらも、“鉄板機種”であると判断すれば、競うようにして注文を入れる。これが前回に行き着いた“制御”や“自制”といったこの業界に欠落している点でもある。また、顧客も新台が導入されれば、大きな興味と期待を持ってホールに足を運ぶ。しかし、高い遊技機代を払うのは、最終的には顧客である。遊技機代の負担はホールのみならず、勝ち率の低下となって、顧客にものしかかってくるのだ。それが、遊技客の減少に少なからぬ影響を与えていることは確かだろう。

大きな鉢に植え替えてやっとバランスが取れるようになった「金のなる木」

そんななかで、ダイナムがPB機の導入を始めた。その注目の第1号機は、ベルコ製の「CRデジパチA(エース)」である。この機種は、ベルコが日工組加盟後に初めて市場投入したパチンコ機としても、業界内で強い関心を集めたという。これまでPB機は、ホール組合などで取り組んできた経緯がある。しかし、残念ながらそのほとんどが成功していない。やはり「餅は餅屋」で、ヒットメーカーのノウハウ・技術や経費の掛かる演出がなければ、ヒット機は生み出せないということが、半ば定説になろうとしていただけにこの動きには驚いた。その勇気ある果敢な挑戦に敬意を払い、同機のスペックを以下に記しておく。

「CRデジパチA-DS」(ライトミドルタイプ)
●大当り確率=通常時1/128.5(確変時1/15.9)
●ラウンド=4R・14R
●賞球=3&3&10&11
●カウント=8c
●時短=8回or20回or80回
●平均出玉=約300個or約1050個

「CRデジパチA-DN」(甘デジタイプ)
●大当り確率=通常時1/99.9(確変時1/18.4)
●ラウンド=5R・10R
●賞球=3&3&10&10
●カウント=8c
●時短=8回
●平均出玉=約320個or約650個
 
このスペックを見て、読者の方々はどのように感じたのであろうか。ただ、遊技客の反応を現場で観察し、多くの遊技データを持っているホールの意向を、「遊技機」に反映させることは必要だろう。このブログでも以前、「ホールが遊技機に求めていること(前・後篇」(vol.226、227)と題して、記事を書いた。そのとき感じたのは、今ではメーカーもホールの意見を聞く姿勢になっているということだ。ダイナムはもともとPB機の開発には積極的であった。それは同友会やPCSAでの活動を見ても分る。しかし、今回は単独でPB機の開発に乗り出した。その背景には、同社が経営の基盤とするチェーンストア理論がある。

つまり、チェーンストアの理想は、企画・製造から販売までの一貫したシステムを保有することにあるのだ。顧客のニーズを吸い取って商品を企画し、製造を管理してより良質で低価格となる開発を行ない、消費者のよりよい生活を支援することを、チェーンストアの社会的使命としているからだ。ダイエーやイオングループなどのPB商品も、この考えに基づいている。その基盤となっているのが多店舗展開だろう。多くの店舗を持てば、その直販システムや扱うロットの多さで、低価格化が実現できる。ダイナムも100店舗の出店達成前に、そんな理想を語っていたような記憶がある。

壁掛け式のプランターに植えた「アメリカンブルー」と「ナスタチューム」

しかし、いまや同社は全国に344店舗(11年7月現在)を持つ業界最大のビッグチェーンとなった。遅ればせながら、その理想実現に動き出したというわけか。さらに、同社が推進している“低貸営業”に合う遊技機が少ないという事情もあるのだろう。仮に1店舗に5台ずつ導入しても、5台×344店舗=1720台で完全買切りとすれば、メーカー側も採算ラインに合うのではないか。また、低価格の遊技機供給を条件に掲げれば、同社が取り組んでいるボランタリーチェーン作りにも拍車が掛かるかもしれない。逆に、ボランタリーチェーンの店舗数が増えれば、導入する遊技機の台数も増え、更なる低価格化が進んでいく可能性も十分にある。

前述の通り、ヒット機を生み出すのは容易なことではない。しかし、遊技機価格が低下することで、ホールの負担が軽減され、その台をじっくり育成することもできるだろう。聞くところによると、同社は遊技機の企画も行なう「ダイナムPトレーディング」という子会社を擁しているという。何とか、メーカーとの有機的な連携を図りながら、実用に耐える遊技機の開発を実現してもらいたいものだ。遊技機の開発には巨額の資金や時間が必要であるし、継続的な取組みがなければ水準以上の遊技機の市場投入はできない。同社の取組みは、もちろんこの1号機だけで終わるのもではないだろう。その点を見越して、遊技機の“負のスパイラル”に風穴を開けてくれる稀有な取組みとして、今後も注目していきたい。(佐渡屋太郎)

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パチンコと「感動」について【佐渡屋太郎-vol.249】

成長したので一回り大きな鉢に植え替えたガジュマルの苗木

いまは12年5月31日(木)の8時45分。今日の佐渡屋太郎はこんな早い時間から、原稿を書いている。実は一昨日の29日(火)に、今年2月から“焦げ付いていた原稿”をやっと仕上げて、関係者全員の了解を取り付け、印刷所に回すことができた。長い間、この仕事をしていると、1年に1本くらいはこんなことが起こる。それをどのように解決へ導くかが、ライターとしての腕の見せ所でもあるのだ。しかし、今回ばかりは“仏(ほとけ)の佐渡屋太郎”もさすがに関係者の態度に怒りが心頭にまで達し、原稿を書く気になれず、放って置いていたものだ。

しかし、私は駆け出しのライターではない。そろそろ片付けなければならないと、雑誌の担当者や取材先、さらにその本社の担当者に電話を掛けまくり、心を殺して調整役に徹した。その結果、私の含めた4者が何とか前向きにこの問題を考えるまでになり、互いの意思を尊重する“合意点”を見出すことができた。そして、その線に沿って原稿を書き、無事に原稿チェックが終了したというわけである。これは私にとって大きな「感動」であった。つくづくこの仕事をしていてよかったと思う。そこで昨日は自分に褒美を与えるために、朝からホームセンターに土を買いに行き、2鉢のガジュマルの植替えを行なった。心が晴れ渡ったなかでの、「感動」の植替えであった。

そんななかで、別に書き続けている原稿にも思わぬ展開が生まれてきた。これは膨大な量の原稿であるのだが、今週は迷走に迷走を続け、当初の構想までもがぐらつき始めていた。しかし、今日の明け方、その解決策となるアイデアが、夢の中に出てきた。多分、“焦げ付いた原稿”を処理したことで、頭の中が整理されて余白ができ、その余白に天からアイデアが降りてきたのだと思う。そこで6時に飛び起き、忘れないうちにその概要をパソコンに打ち込んだのだ。いま「感動」が「感動」を呼ぶ展開になってきている。こういうときには畳み掛けて仕事をしなければならない。なぜなら、“流れ”がこちら側に来ているからだ。

先日、「靫公園バラ園」で撮ったバラの写真

それでこのブログも書く気になった。実は、週末にダイナムのプライベートブランド機(PB機)について書くことにしていた。しかし、前回に書いた「ホッケースティックグラフ」が頭の中から消えず、ここ数日は“感動”という言葉がグルグル回るような状態となった。考えていたのは、“遊技機”と“感動”と“リピート率”のことだ。佐渡屋太郎は大学で「演劇」を専攻してから、“感動”や“ドラマ”は常に身近で接してきた大きなテーマであった。さらに青春時代には、“感動”と“ドラマ”を追いかけて奔放な生活を続けたために、最後には父親からついに“勘当”されてしまったのである。これは“感動”と“勘当”を掛けている。念のため。したがって、“感動”という言葉を持ち出されると、過敏に反応してしまう性向があるのだ。

そのせいか、前回の「ホッケースティックグラフ」で検証された「満足」と「感動」の間に横たわる深くて暗い川ではない、高くて厳しい山のことを考えていた。「満足」と「感動」は一体、どのように違うのか。レストランで出される料理、ミュージシャンが発表する楽曲、私がよく読む書物、私の回りにいる人々、私が熱中している数々の趣味など、身の回りのことに置き換え、いろいろと自分なりに検証してみた。そこで分ったことは、確かに「満足」だけでは、次なる行動には結びつきにくい。逆に、「感動」したものは、その対象を貪欲なまでに追い求め、どんどんと自分のなかに取り込んでいく傾向がある。

卑近な私の例で申し訳ないが、食べ物で言えば、天下一品のラーメン、ルー・デリーのカレー。これは「うまい」という感動がまずあって、それから中毒のように通いだした時期があった。そして、今でも定期的に通い続けている。ただ、ルー・デリーは残念ながら、数年前に閉店してしまった。そのほか、本、音楽のCD、映画のDVD、フィギア、植木、釣り、キャンプなど、いまハマっているものとの最初の出会いには、今となってはもう明確に思い出せないが、大きな「感動」があったはずだ。また、ミュージシャンや作家など最初の出会いで「感動」を与えてくれた人たちの作品は、多少の期待はずれはあったとしても、その人たちが大きく期待を裏切らない限り、ずっと聞き、読み続けている。それほど、「感動」には大きな力があることを再確認した。

そこはかとない色気を感じさせるバラの花びら

さて、これから本題のパチンコと「感動」の話に入る。前回はスタッフの接客が、顧客の再来店意思に大きな影響を与えていることを見た。しかし、よく考えてみると、顧客をホールに引き付けている最も大きな要因は、遊技機であり、勝って儲けられるという期待感ではないかという結論に至った。いくら素晴らしいスタッフがいても、負けると分かっているホールに客は行かないからだ。その点で考えると、パチンコは実に「感動」的な要素を持った優れた遊技であることが分る。その「感動」の威力は、最盛期には3000万人の遊技客を擁し、一時期より減ったとはいえ、いまなお多くのパチンコファンを持っていることからも証明できるだろう。

それを前回の図式に当てはめて考えると、パチンコという遊技が持つ「感動」が、顧客の「再来店意思」(リピート率)を高め、多くの顧客を得ていることになる。要するに、パチンコ営業の根幹は、パチンコという遊技が本来的に持っている「感動」という要素にあるわけだ。では、その「感動」はパチンコという遊技のどの部分から生まれてくるのか。これも前回の顧客の回答を拝借すれば、「期待を超えるような出玉があった」からではないだろうか。ではなぜ、パチンコファンはホールに行く習慣を身に付けたのだろうか。多分、遊技を始めた初期の段階で大勝ちして、「感動」した経験を持ったからだろう。

こんな分りきったことを、何をいまさら言うのかと思っている人も多いと思う。ここから話を徐々に詰めていこうと思う。まず1つ目は、パチンコにおける「感動」の質と、「再遊技意思」との関連性だ。「感動」の質から言えば、パチンコで勝ったときの「感動」は他ではなかなか得られないほどの“強烈”なものである。これはギャンブルにも共通したものがある。さらにその「感動」は、他では見られないような強い「再遊技意思」に結びつくという特徴だ。

たとえば、パチンコで大勝ちした翌日は、時間が許せばまた同じホールへ行き、同じ台で打ってみる人は多いだろう。一方、釣りで大物を釣り上げたり、レストランで感動するほどおいしい料理を食べたとしても、翌日にまた行く人の比率はパチンコほど多くない。それには、時間的な制約や体内的なシステムもあるだろう。逆に言えば、身近で手軽なパチンコは、その気になればいつでも行ける環境がすでに出来上がっている。

見事に咲きそろったバラの赤と緑のコントラストがいい

では、パチンコで得られる「感動」はどれくらいの強さがあるのだろうか。正論を言えば、違った質の「感動」、価値の異なる「感動」を比較することはできない。それを承知で比較するとして、パチンコで5万円ほど勝ったときの「感動」、好きなミュージシャンや作家の新作から得られた「感動」、大物を釣り上げたときの「感動」、レストランでおいしい料理に出会ったときの「感動」を、血圧や脈拍などの“興奮度”で比較するとどうなるのか。パチンコで勝ったときの「感動」はかなりの強さを持っているように思う。

ただ、その「感動」は釘の読みやテクニックなどの要素が介在するが、多くの部分は偶然性に支配されている。また、本を読んで賢くなるとか、名画や名曲に接して人生を豊かにするという生産的な「感動」ではなく、ストレス解消や癒しのための非生産的な「感動」の部類に属するのではないかと思う。だから、パチンコやギャンブルの感動は“射幸心”(偶然の利益や幸福を得ようとすること。まぐれ当たりをねらうこと)などと言われ、あまり良いものとは思われていない。それどころか、この“射幸性”が高まると風紀や社会秩序が乱れると危険視さえされている。さらに、この「感動」の強さは当然の結果として、これまた強い「再遊技意思」を生み出すことになる。その結果、「パチンコ依存症」や経済的な破綻を引き起こす例も現れてくるわけだ。

たくさん撮ってきたバラの写真を2回にわたって掲載した

では、なぜパチンコという遊技が、これほど強い「感動」や「再遊技意思」を生み出すのか。確かに、パチンコやパチスロは面白いゲームであると思う。穴に玉が入れば気持ちいいし、絵柄が揃えば達成感を得られるだろう。しかし、その「感動」の源泉は、ゲームの結果が金品での報奨に結びつくからであると思う。大当りしても何も得られない純粋なゲームであったら、これほどの多くのファンは得られなかっただろう。それはゲームセンターに導入されたパチンコ機やパチスロ機の動向を見ればよく分る。

こうして考えると、パチンコという遊技の面白さや「感動」は、“換金”と大きな関係を持っていることが見えてくる。これが他のレジャーやアミューズメントと異なる点である。ゴルフや釣りに賞金が掛かっていれば、もっと遊技人口は増えるだろうし、逆に競馬やマージャンに当てたり勝ったときの見返りがなければ、あんな馬の競走を見に行ったり、徹夜で牌を並べる物好きはそんなにいないだろう。こうしてみると、パチンコの「感動」は勝った時の達成感とその見返りに、多くの部分を因っていることになる。そして、それはギャンブルの構造とほとんど変わらない。

では、ギャンブルはどうして大きな「感動」や強い「再遊技意思」を生み出すのか。それが、先の「射幸性」(偶然性)という言葉に結びつく。たとえば、ゴルフや釣りに大きな賞金が掛かっていたとしても、プロやセミプロなどの実力のある人がかなりの確率で勝ち取ってしまう。小説や音楽などヒットが出れば大きな報酬が得られるが、そんな才能のある人はごく1部に限られている。だから、一般の人はその作品を買い、創り上げられた「感動」を分け与えてもらっているのではないだろうか。

一方、ギャンブルは偶然性の要素を多く持っているので、誰でも勝てるチャンスはある。その可能性に賭けて出資し、スリルを味わって楽しみ、勝てば大きな達成感を味わって「感動」する。しかし、その勝負に負け続けても、強い「再遊技意思」に支配されて依存症となるケースもあり、家庭崩壊や財政破綻を招く危険性も多く孕(はら)んでいる。また、ギャンブルの技術を努力して磨いても、それが仕事や勉強のように着実な成果として現れにくい。対象となるギャンブル自体に、直接的な生産性がなく、多くの偶然性に支配されているからだ。したがって、ギャンブラーに対する社会的な評価も低い。

バラはどのように撮っても絵になるからうれしい

大体、こんなところがパチンコにおける「感動」の構造だろうか。しかし、世の中にはギャンブル好きは多くて、破綻しない程度にやっている分には、他から文句を言われる筋合いはない。ただ、強い「再遊技意思」が生まれるだけに、その点は十分に注意する必要がある。逆に、パチンコ業界はこの強い「再来店意思」に長い間支えられて、今日までやってきた。実に、恵まれた業態であったと言えるだろう。しかし、その「再来店意思」にも翳りが見えてきている。

その原因は、パチンコにおける「感動」が少なくなっているからだと思う。この「感動」とは、前述のように「遊技機よって期待以上の出玉を得る」ことだ。しかし、人間の脳は1度味わった快楽にはすぐ慣れて、さらに強い刺激でないと快楽を感じられなくなってしまう構造を持っている。まさに、井上陽水が歌う「限りない欲望」である。その結果、登場してきたのは歴代の“爆裂機”である。しかし、そのたびに規制が掛かり、一進一退の攻防を続けている。ただ、この路線を続けていくと、顧客が痛んでいくし、社会的な非難も高くなる。もうこの路線以外を目指すとしたら、出玉や換金額に限度を設けて、せめて「勝ち率」だけでも上げていくしかなくなる。

こうして考えてみると、パチンコ業界というのは、人間の“欲望”に乗った恵まれた業態であると感心する。しかし、あるときは、その“欲望”と戦わなくてはならない局面も出てくる。この“欲望”は人間の本能に根ざすものであるから、実に強烈なものだ。だからこそ、欲望に乗りながらも、限りない欲望を制御していくことが求められる。そうした毅然とした切り替えがないと、欲望に業界自体が押し潰されてしまう。逆に言えば、そうした制御を行なうことを条件に、稀有な業態の営業が許されているわけだ。

結局、分りきったことをなぞって、当たり前のところに着地してしまった。しかし、個人的には最後に“制御”という言葉に行き着いたことで、先が見えてきた。考えてみれば、この業界で最も欠けているのが、“制御”や“自制”ではないかと思い当たった。次回の遊技機価格の高騰に対する“PB機”の登場も、この視点で考えるといろんなことが見えてきた。(佐渡屋太郎)

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