遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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関東に進出した関西ホール企業の全貌(その1)【佐渡屋太郎-vol.244】

薩摩藩の船宿であった寺田屋で坂本龍馬も尊皇攘夷派の急襲を受ける

いまは12年4月20日(金)の18時35分。また、週末を迎えた。1週間が本当に“一瞬の光”のように早く過ぎ去っていく。今週はほぼ出ずっぱりの1週間であった。その行く先々でいろんなことを話し合ううちに、新たな課題を抱え込んで身動きが取れない状態になってきつつある。これもすべて、私の“自業自得”である。しかし、こうした“徒労”のなかから、新たな展開が生まれることも少なくない。何しろ、実現不可能と思える企画について話し合うこと自体が、非常に楽しいのだ。その結果、今日も電話が鳴って新たな原稿依頼があるが、取材を終えた仕事にはまだ手が付けられていないという状態が続いていくわけだ。

そして週末を迎えると、またブログの原稿が書きたくなる。悪しき習慣となってしまった。その帰結として当然ながら、月中や月末に原稿締切りの“地獄の苦しみ”を味わうことになるのである。一方、このブログも最近は、これまでにないようなアクセス数を記録するようになった。よく、こんな下らない内容の記事を読む人があるものだと思うが、数字が上がれば人間として書かざるを得ない。この繰り返しで、私は自分で自分の“寿命”を削っているような気がしてならない。何とも因果な商売だと思う。

今日もいろんな“宿題”を抱えながら、このブログに逃避している。さらに今日は、前回の「佐渡屋太郎の思い出(佐渡日記2011③)」を読むうちに、佐渡のことが恋しくなってしまった。そこで、それ以前の佐渡の記事を繰っているうちに、2月24日にアップした「佐渡から“寒ブリ”がやってきた」【佐渡屋太郎-vol.232】に目が止まってしまった。そして、読むうちに泣けてきて、その感動で酒を飲みたくなり、酒を飲みながら2時間も繰り返して読むうちにすっかり酔ってしまった。まったくのアホである。こんなことを繰り返しながら、佐渡屋太郎は死んでいくのであろう。

佐渡を懐かしんで読んだ『江崎玲於奈一家のアメリカ日記』(江崎真佐子著、1976年、サンケイ出版刊)

佐渡が恋しくなったのは、他の理由もある。実は昨日から『江崎玲於奈一家のアメリカ日記』(江崎真佐子著、1976年、サンケイ出版刊)という本を読んでおり、そろそろ読み終わる。先日、東京へ行ったときに古本屋で買ってきた本だ。以前にも買った記憶があるが、読まないうちに佐渡に送ってしまった。著者の江崎真佐子氏は、ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏の元の奥さんである。しかし、3人の子を設けて育て、中年になってから残念ながら離婚してしまった。真佐子氏は佐渡出身であり、私の母親の1年先輩で、私にとっても佐渡高校の先輩である。

その本を読んでいて、ところどころに佐渡の記述が出てくる。その記述が実にリアルで親しみが湧き、佐渡の人間はどの場においても、佐渡のことを語らざるを得ない宿命にあることを感じた。たとえば、「日本へ行ったとき、実家に帰ると、私を五歳のころまで守(も)りをしてくれたキヨが、いつも遊びにくる。漁夫のところに嫁入りしたキヨは、七色に光る美しいすずきや鯛を手に下げて来て『おねえさん、アメリカじゃこんな魚たべんで牛肉ばっかりあがっとるのんか』と聞く」という方言が私にはグッとくる。

真佐子氏の経歴を紹介すると、昭和5年生まれで、佐渡高校を卒業してから日本女子大を出て、昭和31年からソニー㈱の外国部に勤務。そこで江崎玲於奈氏と知り合い、34年に結婚。35年2月から江崎氏のIBM勤務に伴い渡米し、現在でも米国に在住している。子供は3人おり、子供たちは日本語を勉強するため、私のいた小学校に短期間、通っていたこともある。長女の二奈(ニナ)ちゃんとは一緒に遊んだ記憶もある。佐渡屋太郎もまんざら知らない仲でもないのだ。その頃のことも本の中に記述されていた。

「この子(二奈ちゃん)は事実、日本のことをよく話しする。細やかな感覚で観察したことが鮮明な記憶に残っているようであった。身辺に肉親なしに大きくなったこの子が、身内の者の情に幾重にも囲まれてすごす佐渡での夏の日々がどんなに楽しいのか、船が島を離れるときはいつも船縁(ふなべり)にしがみついて泣きじゃくった。たとえ小枝が小さな花をつけたところで、大幹が枯れてしまうんじゃいけない、大幹がしゃんと出来る場所で暮らすのがいいことだと自分自身に納得させて、ここまで来てしまった私」と海外生活者としての葛藤を漏らしている。しかし、船での別れは特別に悲しいものだ。送る側と送られる側――こんな別れを何回も経験しながら、佐渡出身者とその子供たちは成長していく。

佐渡の女性たちも、実に偉い人が多くいる。古くは出雲崎出身で曹洞宗の僧侶・良寛の母親も佐渡・相川の出身であった。さらに、舞台美術家というより『河童が覗いた』シリーズや『少年H』の著者として知られている妹尾河童氏の奥さんも佐渡の人である。その奥さんはエッセイストの風間茂子氏で、『なるほど家事の面白ブック』(1987年、三笠書房刊)、『まま子、実の子、河童ン家』(1999年、文藝春秋刊)などの著書がある。昭和7年に佐渡で生まれ、昭和36年に河童氏と結婚している。名作である『まま子、実の子、河童ン家』は読んでいたが、『なるほど家事の面白ブック』はまだ読んでいない。現在は「知的生きかた文庫」に入っているそうで、早速アマゾンで注文してしまった。

太枝から小枝が出ていることに気付き、その“蘇生”を確信して喜んだ「さつき」

すっかり、佐渡に浸ってしまった。さらに先週からの続きで言えば、もっとも期待していた「さつき」も見事に生き返ってくれた。それがいま1番うれしい。大きな悩み事が1つ消えたような爽快感があり、「さつき」のことを思い出すとついニヤニヤしてしまう毎日だ。この「さつき」は昨年夏に、帰り道にあるマンションの前に、掘り起こされて転がっていたのを拾ってきたものだ。帰って鉢に植え込んだら生き返ったのだが、秋になったら葉が枯れ、全体が“茶色化”してしまった。そこで幹を切り詰め、引越しで京都に持ってきたのだ。

その“蘇生”を発見したのは、ひょんなキッカケからだった。1昨日の朝、ベランダでタバコを吸っているとき、何気なく「さつき」を見るとやけに小枝が出ていた。当初は、昨年に切った枯れ枝の残りだろうと思っていた。しかし、よく考えてみると、太枝にこんな小枝はなかったはずだという疑問が浮かんできた。しかも、その小枝の本数がやけに多く、長く伸びている。ただ、その小枝は茶色なので、全体的に見ると枯れ枝に見えてしまう。おかしいなと思って太枝に目を近づけると、幹の何ヵ所かに新たに小枝を出そうしている突起があった。「これはもしかして、新枝を出しているということか」と驚き、“さつき蘇生”を確信したのである。この「さつき」の件と伏見での三十石船の取材が今週の収穫だった。今回は記事に合う写真がないので、両件の写真を使うことにする。

さて、やっと本題に辿り着いた。今回は関西ホール企業の関東への進出がテーマである。送られてきたパチンコ業界誌を見ていたら2月12日、神奈川県座間市に関西最大手の延田グループが、関東進出第1号店「123座間店」がオープンしたことを取り上げていた。これは、関西に住む人間として取り上げざるを得ないテーマである。そこで延田グループと、もう1つの関東進出企業であるアンダーツリーの店舗一覧でも掲載して、簡単に終わろうと思っていたのである。

今年最後の桜を十分に堪能した伏見の宇治川支流

しかし、確か松原興産も関東に進出するという話を、だいぶ前に聞いたことがある。それでネットを調べていたら、土壷(どつぼ)に嵌ってしまった。松原興産の関東店舗が出てこないばかりか、新たに光輝グループが出てきた。さらに平河商事のARROWグループも東京進出するという情報もあったりして、すっかり混乱してしまった。これは私が考えていた以上に、関西ホール企業の関東進出は大きな流れになっていることに気付いた。関西の有力大手の多くが、“東”を志向している。そこで、分っている範囲で情報を整理していくことにした。目的は、関東をはじめとした関西に馴染みのないエリアに人たちに、関西のホール企業を知ってもらうことにある。そこで、企業概要、関東進出ホール、保有店舗などを列記してみることにした。

①延田グループ
【企業概要】
㈱延田エンタープライズ(本社=大阪府八尾市北本町1-2-6)
●設立/1963年1月
●資本金/1億1300万円(グループ連結)
●代表者/延田九弐生
●社員数/2500名(グループ全体)
●グループ企業=㈱延田コーポレーション(大阪市天王寺区)、マスターゴルフ倶楽部㈱(兵庫県三木市)、㈱カメリア(大阪市中央区)、㈱カメリアロサンゼルス支店(米国、ロサンゼルス)
●保有施設/パチンコホール、ボウリング場、ゴルフ場、ゴルフ練習場、レストラン、温浴施設

【関東進出店舗】
●「123座間店」(神奈川県座間市)=936台(P=612台、S=324台)
※神奈川県、東京都に出店予定の情報あり

【保有店舗】(計58店舗、屋号=「123」)
〈大阪府〉=計40店
1.スロット123八尾店(大阪府八尾市)=127台(P=0台、S=127台)
2.123八尾駅前店(大阪府八尾市)=291台(P=222台、S=69台)
3.123ライト八尾店(大阪府八尾市)=200台(P=200台、S=0台)
4.123ファースト八尾店(大阪府八尾市)=650台(P=504台、S=146台)
5.123寝屋川店(大阪府寝屋川市)=297台(P=244台、S=53台)
6.123緑橋店(大阪府大阪市東成区)=834台(P=560台、S=274台)
7.123北野田店(大阪府堺市東区)=298台(P=258台、S=40台)
8.123上六店(大阪府大阪市天王寺区)=239台(P=239台、S=0台)
9.スロット123梅田店(大阪府大阪市北区)=220台(P=0台、S=220台)
10.123江坂店(大阪府吹田市)=822台(P=592台、S=230台)
11.北野田スタジオ(大阪府堺市東区)=500台(P=500台、S=0台)
12.スロットファースト北野田店(大阪府堺市東区)=170台(P=0台、S=170台)
13.123阪南店(大阪府阪南市)=654台(P=543台、S=111台)
14.123貝塚店(大阪府貝塚市)=602台(P=484台、118台)
15.123駒川店(大阪府大阪市東住吉区)=287台(P=245台、S=42台)
16.123春木駅前店(大阪府岸和田市)=387台(P=324台、S=63台)
17.123春木ラパーク店(大阪府岸和田市)=865台(P=626台、S=239台)
18.123尾崎店(大阪府阪南市)=317台(P=255台、S=62台)
19.123黒鳥店(大阪府和泉市)=494台(P=384台、S=110台)
20.123河内長野店(大阪府河内長野市)=809台(P=648台、S=161台)
21.123長居店(大阪府大阪市住吉区)=560台(P=430台、S=130台)
22.123難波店(大阪府大阪市中央区)=908台(P=652台、S=256台)
23.123玉出店(大阪府大阪市西成区)=537台(P=370台、S=167台)
24.123泉北店(大阪府堺市南区)=525台(P=384台、S=141台)
25.123東大阪店(大阪府東大阪市)=680台(P=476台、S=204台)
26.123堺インター店(大阪府堺市西区)=926台(P=648台、S=278台)
27.123弁天町店(大阪府大阪市港区)=617台(P=462台、S=155台)
28.123鶴橋店(大阪府大阪市東成区)=1034台(P=800台、S=234台)
29.123松原店(大阪府松原市)=1000台(P=860台、S=140台)
30.スロットスタジオ松原店(大阪府松原市)=298台(P=0台、S=298台)
31.123羽曳野店(大阪府羽曳野市)=1248台(P=888台、S=360台)
32.123粉浜店(大阪府大阪市住之江区)=392台(P=352台、S=40台)
33.123千林店(大阪府大阪市旭区)=643台(P=511台、S=132台)
34.123泉佐野店(大阪府泉佐野市)=565台(P=457台、S=108台)
35.123門真店(大阪府門真市)=1256台(P=936台、S=320台)
36.123ライト津守店(大阪府大阪市西成区)=160台(P=160台、S=0台)
37.123豊中店(大阪府豊中市)=734台(P=560台、S=174台)
38.123交野店(大阪府交野市)=792台(P=620台、S=172台)
39.123長吉店(大阪府大阪市平野区)=888台(P=648台、S=240台)
40.123+N布施店(大阪府東大阪市)=1320台(P=968台、S=352台)

〈奈良県〉=計4店
41.123郡山店(奈良県大和郡山市)=464台(P=304台、S=160台)
42.123香芝店(奈良県香芝市)=604台(P=492台、S=112台)
43.123橿原店(奈良県橿原市)=1010台(P=594台、S=416台)
44.123天理店(奈良県天理市)=632台(P=480台、S=152台)

〈和歌山県〉=計8店
45.スロット123梶取店(和歌山県和歌山市)=305台(P=0台、S=305台)
46.123塩屋店(和歌山県和歌山市)=770台(P=416台、S=354台)
47.123City!WAKAYAMA店(和歌山県和歌山市)=795台(P=652台、S=143台)
48.123和歌山インター店(和歌山県和歌山市)=563台(P=440台、S=123台)
49.123有田店(和歌山県有田市)=250台(P=210台、S=40台)
50.123初島店(和歌山県有田市)=312台(P=252台、S=60台)
51.123田辺店(和歌山県田辺市)=250台(P=216台、S=34台)
52.123岡崎店(和歌山県和歌山市)=419台(P=313台、S=106台)

〈兵庫県〉=計3店
53.123川西店(兵庫県川西市)=797台(P=504台、S=293台)
54.123神戸店(兵庫県神戸市中央区)=712台(P=392台、S=320台)
55.123岩岡店(兵庫県神戸市西区)=942台(P=600台、S=342台)

〈高知県〉=計1店
56.123はりまや橋店(高知県高知市)=812台(P=572台、S=240台)

〈愛知県〉=計1店
57.スロット123豊橋店(愛知県豊橋市)=435台(P=0台、S=435台)

〈神奈川県〉=計1店
58.123座間店(神奈川県座間市)=936台(P=612台、S=324台)

散った桜の花びらを押しのけながら進む三十石船

こうして全店舗の一覧表を作ってみると、延田グループの全貌が見えてくる。これにしても凄い店舗の数である。さすが“関西最大手チェーン”と言われるだけのことはある。私の個人的な分析でいえば、延田グループが変わった契機は、03年9月に出店した「123松原店」(当時の総台数=1097台)の成功であったと思う。この店舗で当時マルハンの中でも大阪を代表する優良店であった「マルハン松原店」を向こうに回し、その牙城を崩していった。その後の04年8月には、温浴施設付きの「123羽曳野店」(当時の総台数=1256台)を出店して、“巨艦店路線”を推進していったのである。

やっと調子に乗ってきたが、今回はすでに文字量が物凄いことになっている。とてもキコーナ、光輝、ARROWグループのことは1回で書き切れない。したがって、数回に分けてかいていくことにしたい。それにしても疲れた。次回は前フリを短くして、核心に迫りたい。(佐渡屋太郎)

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佐渡屋太郎の思い出(佐渡日記2011③)【佐渡屋太郎-vol.243】

死んだと思っていたが、見事に生き返って若葉を出すイチョウ

いまは12年4月17日(火)の13時25分。今日も春うららかないい天気である。連日の気温の上昇とともに、わが仕事場のベランダでも嬉しいニュースが続出している。だいたい植物は15℃を超えると成長などの活動を本格的に始めるそうだ。今日のベランダの気温は21℃。冬枯れの時代が終わりを告げ、生命力が横溢する芽吹きの時代を迎えている。こと植物に関しては、いまから連休が明けて梅雨が始まる前までの期間が一番楽しく、感動的な時期となる。いわゆる“新緑の季節”である。

まず、イチョウの枯れ苗から、青々とした若葉が出来てきた。てっきり死んでしまったと思っていたので、狂喜雀躍してしまった。1昨年の秋、酒のツマミにしようと思って拾ってきたギンナンの幾つかを、植木鉢の土の中に押し込んで埋めた。そしたら、昨年の春に芽を出し、10cmくらいまで成長した。しかし、夏から秋に掛けて葉が枯れて落ちてしまった。それですっかり諦めていたのだが、見事に生き返ってくれたのだ。植物を育てていて、この“蘇生パターン”が一番うれしい。

“蘇生パターン”といえば、クリスマスプレゼントとしてもらったポインセチアや、Y嬢が買ってきたベコニアからも新たな葉が出てきている。冬の間にだんだん元気がなくなり、頭頂部を残して葉が落ちていたものだ。先日から外に出し、日を浴びせて鍛えている。このほか、佐渡から持ってきたモミジやツバキの枯れ木が何本もある。これらが果たして、環境抜群のベランダに移ってきて、生き返ることができるのかどうか。もしこれらから新芽が出れば、どんなに嬉しいことであろう。手が掛かり、思うように育ってくれないもの方に愛情が傾いていく。

春の日を受けて幹から新葉を出しつつあるポインセチア)

思い返せば、佐渡から持ってきてすべての葉が落ち、すっかり諦めていたときに新芽がでてきたモミジ(大)。さらにそのずっと前、2株であったものを1株ずつに分けて死んだと思っていたが、翌年に生き返ったハイビスカスも、いまでは立派な大木になっている。一方、不思議な木もある。1昨年に和歌山でキャンプをしたときに持ってきた木は、それまで枯れはしなかったが、ぜんぜん成長もしなかった。ところが、昨年秋から枝を伸ばし、現在では50cmを超え、脇枝も伸びたい放題になっている。その成長振りは恐ろしいくらいだ。

はたまた昨秋、道に落ちていた様々なドングリを拾ってきて鉢に埋め込んだ。それがいま、次々と芽を出し始めている。一体、どんな木になるのだろうか。その成長も楽しみだ。また、時間ができたら、この仕事場の周りを散策して、幹にある程度の太さがある若木を掘り起こしてきたいと思っている。そのため昨年、折りたたみ式のスコップも買った。何とか、雑木盆栽に仕上げてみたいのだ。夢は果てしなく拡がってくる。このところ、暇ができると盆栽の写真集を眺める日が続いており、気持ちは野山を駆け巡っている。

さて、昨日は雑事で京都市内を歩き回り、明日は朝早くから取材があるが、今日は少し時間が空いた。それで、パソコンに貯め込んだ写真データをCDに取り込もうと思い立った。もうパソコンがパンパンの状態になっていたのだ。それで取り込む写真のファイルを見ていたら、昨年に佐渡へ帰ったとき撮った写真なかに、いつも眺めていたいと思うものが何枚かあった。

そこで「佐渡日記2011」の③を書き、そこに入れ込んでおこうと閃いたのだ。そうすれば、いつでも眺めることができる。これは極私的なものであるが、佐渡屋太郎はこれらの写真を見れば元気が出てくる。それで番外編のブログ原稿を急遽、書いているわけだ。関心のない人はスルーしていただきたい。これから写真を中心にしてキャプションを付けていく。

昨年の夏に汗まみれになって整枝した松の木

これは「佐渡日記②」でも紹介したとおり、昨年の夏に母の指令によって整枝した松である。前回の写真はアングルが悪く、あまりきれいに見えなかったが、こうして眺めてみると私の腕も満更ではない。整枝前から比べれば、まるで松を丸裸にしたような状態になっている。今年の夏はどれくらい繁っていることだろう。こうして遠目で見ると、もっと下枝を切り込んでもよかったし、“かん抜き枝”になっている箇所も気に掛かる。

佐渡は今年、強い“春の嵐”に見舞われたと母が言っていた。ひどいところでは風速43mもあったという。まるで台風以上ではないか。その結果、いとこのMのところでは納屋の壁が落ちたそうだ。私と弟が畑の周りにある木の枝を切りまくったので、とくに今年は風当たりが強かったという。自然のバランスは複雑で推し量りがたい。納屋の壁が落ちたのは、もしかしたら私たち兄弟のせいかもしれない。また昨年、私があれだけきれいにした竹薮も、その嵐を受けて何本も竹が倒れ、だいぶ荒れてしまっているそうだ。すでに今年の夏の仕事が佐渡で待っている。

昨年の夏に大きな鉢に植え替えてきたモミジ(大)

このモミジは1昨年の夏に、籐ツルとの闘いをしながら、“ジャングル植物園”から掘り起こして鉢上げしたものだ。しかし、植えた鉢が小さなものしかなく、ずっと気に掛かっていた。掘り起こしたのが佐渡から帰ってくる前日で、大きな鉢を買いに行く時間がなかった。それで仕方なく、家にあった有り合わせの鉢に植えたのだ。ところが、さすがに畑ですくすくと育っただけあって、もともとの生命力が強かった。春にはきれいな新葉がたくさん出てきたという報告を受けて、私はわが子のことのように喜んだものだ。

そして、昨年の11年夏に帰ると、すぐにホームセンターにあった一番大きな鉢を買い、念願の植替えをしたのである。いま見ると、これでも鉢が小さいような気がする。ここ数年は、この鉢で我慢してもらうことにしよう。しかし、立派なモミジだ。畑の隅でいじけていたのを苦労して掘り出し、家に持ってきて本当によかったと思う。

10年6月に初めて鉢上げしたモミジの2鉢

これは1昨年の10年6月、新潟であったパチンコホール組合の総会の帰りに佐渡に寄り、初めて鉢上げしたモミジである。大阪に持って帰る盆栽苗を物色しながら、佐渡の家の前庭にも鉢植えの木を置いてみたらどうかというアイデアが突然、浮かんできたのだ。見つけたモミジ苗にうち、大阪に持って帰るのが大変そうな大きなものを、とりあえず鉢に植えて置いてきた。それがどんどん育っているのである。

そのとき、大阪に持って帰ってきたモミジの苗は、すべて枯れてしまった。しかし、まだ未練がましく鉢の中に残してある。彼らが今年、生き返ってくれればまさに“奇跡”である。その“奇跡”を佐渡屋太郎は、もう3年も待ち続けている。ただ、佐渡の家の前庭に鉢植えを置くというのは、大正解だった。夏に帰って夜になると、私は酒を飲みながらこれらの鉢植えを眺めながら、虫とカエルの声を聞くのを大きな楽しみにしている。これが“風流”というものだろう。モミジが好きだった父親の心も分るような気がする。こうして私の“病気”が、どんどん進行してきたわけである。

畑に置き去りにされていたツバキとモミジ

これは昨年の夏、畑の家の周りに置きっぱなしになっていたツバキとモミジの鉢植えだ。犯人は母親で、畑にあったものを鉢上げしてみたという。しかし、何の手入れもせず、そのまま放置されていた。とくに、モミジは1度枯れてしまったが、何年かして生き返ったのだそうだ。日の当たらない木の下に置かれ、また死にそうな状態になっていた。そんな薄汚れた鉢植えを見ながら、これも家に持って帰ったらどうかというアイデアがある瞬間に浮かんだ。これまで何年もこれらを見てきたが、そんなことを思うことはなかった。

それで軽トラに積み込んで、家に持ってきたのである。さらに、前庭において雑草を取り除き、鉢を洗い、枯れた枝を切って姿を整えた。すると、どうだろう。これもいっぱしの植木として通用しそうな1品となった。ツバキは冬にきれいな花を咲かせたという連絡が入ってきた。母親も庭で見るツバキの花の美しさに驚き、ずいぶんと喜んでいた。畑へ行けば、嫌というほどツバキの木はある。しかし、庭で咲く数輪の花が貴重で、格別の風趣をもらすのだろう。

問題はモミジである。劣悪な環境のなかで瀕死の状態になっていた枯れモミジが、日の当たる庭でどれほどの回復を見せるのか。この春が山場で、青々とした若葉を出せば、一気に精気を取り戻すはずだ。私の頭の中には、春の暖かな日差しの中で、若葉で覆い尽くされた活き活きとしたモミジの姿が浮かんでいる。きっと“蘇生”してくれるだろう。

そんな佐渡の鉢植えたちが気になって、その姿をブログに掲載することにした。他人が見たら、単なる貧相な鉢植えに過ぎないだろうが、私にとってはかなりの思い込みがある愛木たちである。それらの写真を見ながらその精気をもらい、これからも原稿締切りのプレッシャーに負けることなく、力強く生きていこうと心に誓う佐渡屋太郎であった。(佐渡屋太郎)

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「マルハンなんば新館」を見てきた【佐渡屋太郎-vol.242】

そろそろ芽が膨らんで開花の時期を迎えた仕事場の下にある桜の木

いまは12年4月14日(土)の16時50分。どうやら、今年の桜の花も終わってしまったようだ。何となく寂しい夕方の風景だ。今日は昼頃、窓の外を何か白いものが舞っているので、ベランダに出てみたら何と桜の“花びら”だった。実はこの仕事場の窓の下に、1本の桜の木がある。

冬場は何の木か分らなかったが、春先になって枝が赤っぽくなってきて、桜の木であることが判明した。以来、毎日のように花の咲き具合を見るのが、楽しみの1つになっていたのだ。また、状況の変化に応じて写真も撮ってきたので、今回は咲き始めから、花吹雪となるまでの変化を堪能していただきたい。

大阪では来週から、造幣局の桜の通り抜けが始まるようだ。今回は行くかどうか迷っている。とにかく今年は例年になく、桜を楽しんだ。明日は再度、“背割堤”へ行き、花吹雪を見ながら、桜の見納めをして来ようと思っている。そんなことを考えながら、今日はこの「遊技租界」の目次作りをしていた。本来なら、別の原稿を書かなければならないのだが、これも1つの逃避行動だろう。そのきっかけはブログの原稿を書こうと思い立ったことだった。今週は水曜にアップしたので、パスしようと思っていた。

しかし、習慣とは恐ろしいもので、週末になると他の原稿ではなく(担当のK君、ごめん)、このブログの原稿が書きたくなってしまった。テーマはすでに決まっている。「マルハンなんば新館」の件である。今回はこの出店で千日前エリアにおけるマルハンの台数が増えたので、他社のホールの台数と比較してみようと考えていた。そこで「キョーイチなんば店」の台数を調べてみたら、現在改装中のため、台数が出ていなかったのだ。このホールの台数については、これまでブログで何回か書いた記憶があった。

春の温かい日差しを受けて満開のときを迎えた桜の木

それで、過去の記事をまとめてあるファイルを探し始めたのだ。このファイルは各回のブログ記事を単にプリントアウトしてまとめただけのものだ。したがって、台数がどこに載っているのか1枚1枚ページを繰っていかなければならなかった。せめて、タイトルだけでも分れば、その部分を集中的に見ていけるので、もっと早く見つけ出せるのではないか。そこで、目次を作ることを思いついたのである。これが不幸の始まりだった。

ファイルは50回分の原稿を1冊まとめてある。したがって、現在242回だから5冊あることになる。しかし、なぜか3冊しかなかった。何を隠そう150回分以降は、プリントアウトさえしていなかったのだ。これは我がことながら、決して看過できない“怠慢”である。そこでまず、残り91回分の原稿をプリントアウトした。次に各冊ごとにページの右隅にノンブルを打っていく。だいたい1冊あたり150ページ前後あることが分かった。それをもとに、回数、執筆年月日、タイトル、ノンブルを一覧表にしていくのである。これは大仕事になった。まだ、作業は半分以上も残っている。そのブログを書き終わったら、残りの作業を続けるつもりだ。

参考までに、1冊目の冒頭部分を掲載させていただきたい。これだけの時間を使ってやった仕事なのに、日の目を見ないのは何とも可愛そうではないか。読者の方々にとっては、何の興味もないだろう。しかし、当事者の佐渡屋太郎にとっては、それぞれのタイトルにその頃の思い出が染み込んでいる。タイトルを打ち込みながら、2007年までタイムスリップしてしまった。実に、いろんなことがあった。また、記事を書くために多くの人に会ってきた。やはり、こうして記録を残しておくことは、内容の下らなさはさておき、実に貴重なことであったと自己弁護して、感慨にふけっている。

【「遊技租界」目次①の冒頭部分】
vol.1 2007・9・21 「『遊技租界』開国の辞」……7
vol.2 2007・9・27 「『遊技租界』について」……8
vol.3 2007・9・27 「佐渡屋太郎は一体、何者なのか!」……10
vol.4 2007・9・27 「いきなり大物フィクサー登場」……12
vol.5 2007・9・30 「『大脱走』を追いかけた3日間」……15
vol.6 2007・10・7 「やっと大阪に帰ってきた」……17
vol.7 2007・10・9 「『冬ソナ』は年内に登場か?」……19
vol.8 2007・10・9 「最近よく聞く“スクラップ・アンド・ビルド”の真相」……21
vol.9 2007・10・10 「儲かる話を聞いてきた」……24
vol.10 2007・10・10 「マルハンがカジノ事業に参入」……27

花吹雪のなかで今年の花の時期を終えようとしている桜の木

さて、今回のテーマは「マルハンなんば新館」についてで、4月2日(月)に店舗を見に行ってきた。グランドオープンは3月7日(水)。それに先立つ2月27日(月)に記者発表会があったが、私は原稿の締切りに追われていて、取材に行くことができなかった。したがって、あまり詳しいことは分らないが、個人的な興味に沿って話を進めていきたいと思う。まず、うたい文句として全館禁煙(館内に喫煙室あり)を前面に打ち出し、玉積みなしのホールであった。館内の構成は以下の通り。

【「マルハンなんば新館」の構成】
〈1F=パチスロフロア〉
●20円=373台(全パチスロに対して86%)
●5円=63台(同14%)
計436台
〈2F=パチンコフロア〉
●4円=512台(全パチンコに対して79%)
●1円=138台(同21%)
計650台
総台数=1086台
 
低貸比率はやや低めに設定されているようだ。全店平均はパチンコのみのデータしかないが、24.6%(2011年3月時点)である。しかし、私が最も驚いたのは、出店ポイントだった。その場所を説明すると、東西に走る「千日前通り」から見ると「ビックカメラ」の裏側。南北の「千日前筋」からみると細い通りを隔てて「ビックカメラ」の向かい側となる。この「ビックカメラ」の入る“旧千日前ビル”は、松原興産がダイエーから“1棟買い”したものだ。そして、このビルの地下1階と2階には同社が経営する大阪における最大店舗「キョーイチなんば店」(1833台)が入っている。

マルハンは新たなエリアに進出するようなとき、その地の最強店舗の目と鼻の先に自店を出店し、その最強店舗に勝つことによって、エリア全体の“覇権”を握っていくという手法をよく採る。その構図は端(はた)から見ると、まるで喧嘩を仕掛けているように見える。逆に仕掛けられた店舗にとっては、まるでのど元に匕首(あいくち)を突きつけられたような気になるのではなかろうか。こんな過激な戦法がマルハンのダイナミズムであり、魅力でもあった。

千日前通りに掲げられたマルハンの看板

そして今回、マルハンが出店したのが、大阪の最激戦地である千日前エリア。その巨艦店が密集するなかの最大店舗の何と“隣”であった。この出店地をリリースで見たとき、私は思わず笑ってしまった。実に、マルハンらしいやり方である。しかし、よくそんな絶好とも言える場所に、出店できる土地があったと感心する。調べてみると、以前そこは「国際会館」というビルで、「国際劇場」「国際シネマ」「国際地下劇場」などの映画館が営業していた。昭和の時代から多くの映画ファンを惹きつけてきた老舗映画館であった。それが白を基調にした瀟洒なホールに生まれ変わっていた。周りの人通りも多くなっていたことに驚いた。

それにしても、マルハンは映画館と縁が深い。思い返せば「マルハンなんば本館」も以前は、「東宝敷島シネマ」であった。さらに目を東に転ずれば、「マルハン池袋店」も私が学生時代によく通った「文芸座」があったところである。昔、池袋東口から「文芸座」への道の両脇には、キャバレーやストリップ劇場などが林立していた。その頃はよく途中で沈没して「文芸座」に辿りつけず、おまけにぼったくられて学生証を取り上げられ、翌日に友達から金をかき集めて怖いあんちゃんたちから説教を食らうというような生活をしていた。

また、別のサークルで8ミリ映画を撮っていた山川直人は、名作「ビハインド」を文芸座の主人に認められ、その主人の出資によって16ミリで「アナザーサイド」を撮った。一方、私の自称名作である「俺の魔羅は1人ぽっち」は誰からも注目されることなく、東洋現像所の箱に入ったフィルムは引越しを繰り返すうちに、いつの間にかなくなってしまった。タイトルに差があったのかもしれない。しかし、これもかけがえのない青春の懐かしい思い出だ。あの頃の仲間は、一体いま何をしているのだろうか。話がいきなり横に逸れてしまったが、マルハンが偉いのは、映画館も残しながら出店したところにあると言える。

「キョーイチなんば店」の向かいに出店した「マルハンなんば新館」

さて、この「マルハンなんば新館」の出店によって、千日前のホールの勢力図はどのように変わっていくのだろう。実は、こんなことを過去に何回も書いてきた。しかし、このエリアにおいて、「123難波店」の前にあった「ナンバグランデ」(旧常盤会館)くらいしか、大型店で撤退したホールはない。それだけ集客力のあるエリアであるとも言えるし、経営するホール企業が資本力を持っているとも言える。ただ、今回はマルハンが2店目の巨艦店を出店したことで、弱っている大型店にとっては少なからぬ打撃になるだろう。その結果、勢力図が大きく変わる可能性もある。では、この新店は規模レベルにおいて、どのくらいの位置にあるのだろうか。千日前エリアで総台数の多い順から見ていくことにする。

【千日前エリアにおける大規模店トップ7】
①「キョーイチなんば店」=1833台(P=1421台、S=412台)(現在、改装中)
②「マルハンなんば本館」=1217台(P=817台、S=400台)
③「キョーイチミナミ店」=1132台(P=713台、S=419台)
④「ARROWナンバHIPS」=1100台(P=791台、S=309台)
⑤「ジャンボ千日前店」=1096台(P=801台、S=295台)
⑥「マルハンなんば新館」=1086台(P=650台、S=436台)
⑦「四海樓本店」=1063台(P=901台、S=162台)

このように、新店は1000台以上の巨艦店の中に、がっちりと食い込んできたわけだ。ただ視察してみると、台数は多いが稼働の状態に大きな差が見られた。実際の稼働台数を見ると、1000台以上のホールより700台~900台クラスのホールの方が多い例もあった。問題は、ホール規模に合わせた集客力を持っているかどうかということだろう。少ない客数で、よく持ち応えていると思う巨艦店もいくつかあった。ただ、全体的な規模で言えば、今回の出店で最多台数を持つキョーイチグループ(松原興産)に次ぐ、保有台数となった。それを具体的に見ると以下のようになる。

【千日前エリアにおける企業別の保有台数】
①キョーイチグループ
「キョーイチなんば店」=1833台
「キョーイチミナミ店」=1132台
「ジャンボ千日前店」=1096台
合計=4061台
②マルハン
「マルハンなんば本館」=1217台
「マルハンなんば新館」=1086台
合計=2303台
③四海樓
「四海樓本店」=1063店
「スロットシアター四海樓」=400台
「四海樓法善寺」=241台
「四海樓おくちょー」=192台
「四海樓道頓堀」=131台
合計=2027台

さらに、平河興業も「ARROWナンバHIPS」=1100台に、大国町の「ARROW浪速店」=1200台を加えれば2300台となる。また、同じく大手の「123難波店」=908台や「代東洋千日前店」と「CLUB-D」=756台も、変わらぬ健在振りを見せていた。客数減少や規制によって勢いの落ちた現在のホール業界において、久し振りの活気のあるニュースではあった。マルハンに巨艦店を横に付けられ、現在改装に入っている「キョーイチなんば店」が、どのように姿を変えて対抗していくのか。こうした緊張感によって、エリア全体の集客力もさらにアップしていくことだろう。私もホールを見て歩きながら、久し振りに興奮した。(佐渡屋太郎)

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ダイナム香港上場の目的(その3)【佐渡屋太郎-vol.241】

見事なしだれ桜の下で釣りを楽しむ親子

いまは4月9日(月)の14時55分。もう、外は春爛漫である。今日は窓を開け放ち、春の暖かな風を受けながら仕事をしている。これほどの幸せはあるだろうか。人生は短いので、今ある幸せの一瞬を心して楽しんでいきたい。その心構えに徹した結果、「ダイナム香港上場の目的」の続篇をすぐ書くと言いながら、週末の2日間のすべてを花見で楽しむことに使ってしまった。しかし桜の花の下で飲む酒は、どうしてあんなに美味いのだろうか。眠気を誘うような柔らかな日差しの中、遠くで騒ぐ子供たちの声を聞きながら、まったりとした時間を過ごしてきた。

まず、7日(土)に行ったのが、その名も男山美桜にある「さくら近隣公園」である。ただ、この日は少し寒かったので、さすがに花見客は少なかった。男山に引っ越してきて半年、道路から見えない奥に立派な公園があることを発見した。これは大きな収穫であったが、公園内は“バーベキュー禁止”というボードがいくつかあった。この日は“偵察”であったので、弁当を食べておとなしく帰ってきた。帰り道では釣堀場内に大きな“しだれ柳”が6本あった。その姿は実に素晴らしく、男山で見た限りでは“最高の桜”であった。道行く人も金網に噛り付きながら、感嘆の声を上げていた。

翌日はY嬢が「市民だより」を見て、京阪電車「八幡市駅」近くの川沿いの桜を見に行きたいという提案があった。写真を見ると、確かに堤防沿いに多くの桜の木が並んでいて壮観だった。「八幡市駅」と言えば、正月に初詣に行った岩清水八幡宮がある。展望台から辺り一円を見たが、そんな桜並木があることには気付かなかった。もちろん、冬場に桜並木はないので当然だろう。ここは国営公園「淀川河川公園背割堤地区」というのだそうだ。

1.4kmの堤防に249本が植えられた「背割堤」の桜のトンネル

通称「背割堤」(せわりてい)で、木津川と宇治川を分ける背割堤に桜が植えられて、花のトンネルを形成している。植栽された桜は「ソメイヨシノ」で、その数は249本。他に「ハナミヅキ」も52本が植えられ、1.4kmにわたって歩道が付けられている。京都市内に住んでいたときは毎年、出町柳の高野川沿いで花見をしていた。しかしこの「背割堤」は、規模ではそれをはるかに超える。何より、1.4kmにもわたって延々と桜並木が続くので、朝早く起きて“場所取り”をする必要がない。さらに極めつけは、“バーベキュー”どころか、タープを張ってキャンプ気分を味わっているグループも多くいた。

これで来年からの花見の場所は決まった。家からバスに乗っていけるので、駐車場の心配をすることもない。できれば、今週にもう一度「背割堤」に行きたいとさえ思っているのだ。昨日はバスの時間と私の酒の飲みすぎがあって、歩道の途中で引き返してきた。しかし、“踏破”しなかったことが、帰ってきてから悔しくてならない。さらに、できれば七輪でも持ていき、せめて熱々の豚汁くらいはすすりたい。来年まで生きているという保証は何もないではないか。いまできることは、いまやっておきたいのだ。仕事や雑事に対しても、これくらい意気込みがあれば、佐渡屋太郎はもっと尊敬すべき偉大な人物になっていたと我ながら思う。

桜の下で思い思いのスタイルで花見をする人々

さて、今回のテーマのことをすっかり忘れていた。これで終わるわけにはいかないだろう。仕事のことになると、いきなり消極的になってしまう。前回はダイナムにおける香港上場の目的は、直接的にはモンゴルへの投資であり、その活動はグループ内で着々と進められてきたということを見てきた。では、なぜ本業以外に海外の事業に力を入れるのか。その目的は何なのか。それが今回の問題の“核”であると思っていた。確かに、ダイナムの佐藤会長がずっと以前から、モンゴルに通い、熱く語っていたことも聞いていた。具体的な活動の内容も調べれば出てきた。

しかし、“何のために”という一番の核心が分らなくて、私自身がどうしても納得することができなかった。佐藤会長は哲学的な人間であると私は思っている。これまでに、チェーンストア理論の故渥美俊一氏、日本初のヨーガ行者であった故中村天風氏に大きな影響を受けてきた。また、同友会からPCSAにわたって、パチンコ業界改革やホール企業改革に積極的な取組みを見せてきてきたのは周知の通りだ。その探究の先には一体、何があったのだろうか。パチンコ営業の方はある程度、分かる部分が多い。その下敷きになっているのは、チェーンストア理論のホール経営への敷衍であろう。

では、モンゴルをはじめとした海外での活動の基には何があるのか。そのことを知りたくて、ネットで調べていたら「ワンアジアクラブ」(One Asia Club)というキーワードにぶつかった。さらに、そのキーワードを追っていくうちに、佐藤会長の海外活動に対するコメントを拾うことができた。そして、このコメントには十分に“核心的な部分”があり、それまでの疑問がたちまちのうちに消えていったのだ。では、まず「ワンアジアクラブ」の説明が始めていこう。

男山美桜にある「さくら近隣公園」の入口部分

この「ワンアジアクラブ」を一口で言えば、アジア版欧州連合(EU)を作ることを目的とする民間団体となる。具体的には、近い将来、アジア諸国がEUのような1つの共同体として形成されるように、民間の目線で様々な支援活動や活動の環境整備を行なうことを目的とする。そのために、当面は経済交流、文化交流、人的交流を支援することを推進していくとしている。そもそもこの発想は2000年、当時の駐日韓国大使館の外交官であったキム・ギュテク氏(現・ワンアジアクラブソウル理事長)と佐藤洋治会長の話し合いから生まれたものだ。そのとき、「アジアはなぜEUのようになれないのか。20~30年後にアジア共同体が誕生できるように、私たちが礎石になろう」と意気投合したという。

その後、2003年にNPO法人「ワンアジアクラブ東京」を設立。同年8月にはNPO法人「ワンアジアクラブ東京」設立総会兼第1回交流会が、ダイナム伊豆高原保養所「天麗301」で開催されている。さらに2009年には佐藤会長が個人資産100億円を出資して、一般財団法人「ワンアジア財団」を設立。この出資金を活用してアジアの大学での講座開設を支援し、今後はもっと出資する予定であることを発表している。現在では日本の東京、大阪、福岡、札幌、韓国のソウル、光州、中国の北京、モンゴルのウランバートル、バングラデッシュのダッカ、ミャンマーのラングーンの6ヵ国・10都市に拠点が拡大している。ちなみに、東京のクラブは法人20と個人30人が会員で、大阪のクラブは景品会社・大商の国澤良幸氏が会長を務める。

2011年には大学での講座開設に関し、さらに具体的な計画を発表している。中央日報によると、その目的について「アジアが1つになるためには、まず若者がアジアを理解する必要があるので、今年(2011年)は日本・韓国・中国・台湾・モンゴル・タイの6ヵ国・22大学でアジアを理解する講座を開設したい。さらに5年以内にアジアの100大学で“アジア共同体論”講座を開設する予定だ」と語っている。また、講座開設の経緯に関しては「アジアが1つになるためには、まずアジアの近代史をよく知らなければならないのに、このごろの日本の若者たちはあまり知らないので、講座開設を計画した」と説明した。

具体的な講座内容は、「講座では歴史以外にアジアの政治、歴史、伝統、文化と地域共同体の概念、欧州連合(EU )などについても考え、アジアに対する理解を広め、国家を超越する新しいアジア共同体について研究する」としている。実に壮大な計画である。確かに、いまのネットなどを見ると、“狭量”な若者たちが増えてきたことを痛感する。世界は広いし、そこにはいろんな人が住んでいる。その人たちと話し合うことが、どれほど楽しく心を豊かにしてくれることか。

いつもの散歩道にある見事な桜

佐渡屋太郎にとっても、若い頃の“放浪三昧”の日々の思い出は、“宝の輝き”をいまだに失っていない。酒に酔うと、その限りない思い出話の数々を延々と語り、Y嬢に嫌われている始末だ。一方、近頃では浅薄な知識による思い込みで、偏見に満ちた言動を多く見る機会も増えてきた。彼らは批判する対象の人たちの状況を真剣に考え、それらの人たちと話し合ったことがあるのだろうか。面と向かえば、その人たちも同じ人間なのである。そこからすべての関係が始まるのだと思う。

佐藤会長は韓国系の日本人で、祖父母が植民地時代に日本へやってきて定住し、父母の代で日本に帰化したという。その境遇が、今回の「ワンアジアクラブ」の発想に大きく影響しているのは確かだろう。実は、その問いに対する答えを中央日報が取材して、報道している。その記事を偶然に見つけて読んだとき、私が疑問に思っていた佐藤会長の海外活動への強い信念や積極果敢な行動の“核”が、はっきりと見えてきたように感じた。そして、それは方法論はともかくとして、実に有意義な活動であると感銘を受けた。その記事を以下に紹介したい。ただ、日本語としておかしい部分もあるので、若干の訂正を行っている。

――どうしてそんな考え(「ワンアジアクラブ」の発想)をしたのか。
「私は幼い頃から、『生きることはどういうことなのか』『私は一体誰なのか』というような哲学的な悩みを持ってきた。そのため、世界の哲学者が集まる会合にもたびたび参加してきた。また、在日韓国人たちが厳しい暮らしを強いられているのを見ながら、その改善方法をいろいろと考えることもしてきた。その結果、欧州連合(EU)のように、アジアの人々が共同体を作ることに尽力する決意をした」

――クラブの基本精神は。
「民族・国籍・思想・宗教を超えて交流しようというものだ。過去、日本では明治時代に“皆が日本人だ”という思い違いで、北海道のアイヌ人と沖縄の住民たちの文化をなくそうとしたため問題があったが、2度とそんなことが再発しないようにしようというのがクラブ設立の趣旨だ。さらに、私たちのクラブには政治に関与しないという鉄則もある」

――クラブではどんな活動を主にしているのか。
「アジアで市民・文化・経済交流を拡大する方針だ。インターネットでの情報発信やホームスティなど民間同士の出会いを拡大し、アジアの多くの都市で毎年2回、共同音楽会を開催する計画もある。アジア経済を研究する専門家たちも育成する。現在は、1年に1回ずつ7クラブの会員たちが会って交流を行なっている。さらに、アジアの多くの都市にクラブを拡大するため、東京にあるアジア各国の大使館にも支援を要請してきた」

――鳩山氏が主唱した「東アジア共同体」とどこが違うか。
「他のアジア諸国と区別して韓国・中国・日本だけの共同体を作ろうというのは、むしろ差別的だ。文化と歴史が全然違ったアジア諸国とも1つにならなければならない」

東京都荒川区西日暮里にあるダイナムの本社

前回、このブログで「マルハンジャパンバンク」のラオス、ミャンマーへの展開を報告した。マルハンの韓会長もずっと以前から、アジア全体を視野に入れた活動を行なってきた。そして今回も、ダイナムの件を探っていくと壮大な“アジア構想”が見えてきた。奇しくも、ホール業界におけるリーディング企業のツートップの視線は、日本を超えてアジア全体を見据えているということか。

考えてみれば、マルハンの韓会長は82歳、ダイナムの佐藤会長は66歳になる。いずれもパチンコを舞台に“激動の人生”を送ってきた。そして、そろそろ人生の仕上げの時期に入っているのも確かだ。そのなかで、自らの存在証明や存在意義を考えた上で、それぞれの方法でアジアへの支援を打ち出したことは興味深い。自らの資産をいかに有意義に、いかに有効に使うかを考え、自らが納得して出した結論であろう。これは多分に出自とも関係があるはずだ。

その真摯な気持ちが、また新たな人の和を作って、自らの世界を拡げていくことにもなる。順調に行っていれば、そろそろ中国あたりでアミューズメントに関する新たな動きが出てくるかも知れない。いずれにしても、いまの日本のパチンコを巡る環境は、劣悪を極めている。メーカーのみならず、ホール業界においても海外を視野に入れた活動は、今後ますます活発化していくことになるだろう。(佐渡屋太郎)

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ダイナム香港上場の目的(その2)【佐渡屋太郎-vol.240】

「キレハアラリア」と「金のなる木」が同居した“手術”を控えた鉢の様子

いまは4月6日(金)の15時15分。今日は天気がよかったので、朝から鉢植えの植え替えをした。実は、以前から気にかかる1鉢があり、思い切って“大手術”を敢行したのだ。その鉢はもともと「金のなる木」が植えられていた。しかし、4年前から何も植えていないのに、名も知らぬ木が芽を出し、どんどん成長していったのである。今では5本に増え、昨年に上部を切ったにも関わらず、一番背の高いものは80cmにも達している。

一方、本来は主役であったはずの「金のなる木」は全然、成長せず、かなり貧相な姿になってしまった。同時期に採集してきて植えた兄弟たちは、すでに大鉢に収まり、枝をたわわに繁らせている。昨日、水をやっていて、その姿があまりにも可哀相になったので、植替えの決心をしたわけだ。しかし、名も知らぬ木の根にがっちりと絡みつかれた「金のなる木」を、うまく分離できるかが問題であった。当初から“大手術”が予想されたのだ。

そして今朝、いよいよその“大手術”が決行された。名もない木は調べてみると、「ポリシャス・フィリキフォリア」という立派な名を持っていることが分った。和名を「キレハアラリア」という。夏は涼しげな葉が風に揺れ、なかなか風流な趣(おもむき)を持っている。ただ、どんどん大きくなることと、虫が付きやすいので手が掛かる。すでに、より大きな鉢に3回も植替えを行ない、秋になると虫に食われた葉が大量に落ちてくる。今年は幹を切って太らせ、盆栽仕立てにしても面白いと思っている。

“大手術”を終えて4つの鉢に植え替えられた「金のなる木」たち

“手術”は想像より簡単に済んだ。それは「キレハ」の根が思ったより、回っていなかったためだ。慎重に「キレハ」の根を解(ほぐ)し、「金のなる木」を救出していった。取り出してみると、「金のなる木」の根は実に貧相なものであった。これでは成長できないはずだ。より逞しい生命力を持った「キレハ」の根に妨害され、さらに栄養も吸い取られて、本来的に持っている“ポテンシャル”が発揮できなかったのだ。私はその5本の「金のなる木」を、4つの小鉢に植え替えてやることにした。これで誰にも邪魔させることなく、すくすくと成長していくことであろう。

「金のなる木」は本来的には強い生命力を持ち、成長も早い木である。ただ夏の暑さには弱く、葉が落ちることがあるだけだ。私が心配しているのは、5年間の過酷な環境のなかで、本来の“ポテンシャル”を失ってしまったのではないかということだ。人間も環境によって変わってしまう。そんな人間をこれまでに何人も見てきた。わが「金のなる木」たちには、今回の植替えで最高の環境を与えることができた。それでどれだけ、本来的に持っていた“才能”を伸ばしていけるのか。わが子のような気持ちで、今後における彼らの成長に期待している。

と、悠長なことを言っている場合ではなかった。この植替えによって4鉢が増えてしまった。いま数えてきたらベランダの鉢植えは80鉢になっている。さらに「金のなる木」はすでに8鉢もあった。そのうち4鉢は大鉢でかなりの面積を占有している。この大鉢をY嬢の実家に“里子”に出そうと画策しているのだが、植物好きの母親の固いガードに遭っている。思い返せば、3年前の事務所引越しの際、かなりの鉢数を引き受けてもらった。いま、実家の庭は私の鉢で埋まっている。最後の手は、この建物の共用の花壇に置くことだ。見ると、自分の鉢を置いている人もいる。また、何とも頭の痛い問題をまた抱えてしまった。

さて、前フリが長くなってしまったが、今回のテーマは、ダイナムの香港上場の件である。先週の金曜に調査を依頼していたコンサルから連絡があったのだが、私は携帯電話を忘れて東京に行ってしまった。そこで月曜に連絡を取り、今回の上場の概要を聞いた。結論から言うと、今回の上場はダイナム本体ではなく、投資顧問会社での上場であり、日本のホール経営には直接的には関係ないということであった。上場の目的はモンゴルへの投資のためで、その投資のためには香港での上場が必要であったという。

ということは、先日のニュースはまったくの“ガセ”であったということなのか。この件に関しては、ダイナム自体もあまり騒がないでほしいと言っているようだ。いささか“肩透かし”の結果であったが、仕方ないだろう。私自身もやや騒ぎすぎて反省している。しかし、モンゴルへの投資と聞いて、ある程度は納得できる部分もある。それは以前から、食糧確保のためのモンゴルの北朝鮮近くでの農地開拓やそれに伴う投資の話を聞いていたからだ。これは純粋に発展途上国への支援や国際協力の次元での動きであると考えた。

前回、必死になって探したダイナムの店舗写真

その後、モンゴル関係の動きはどのようになっているかと調べてみて、2つのことが分った。その1つ目は、ダイナムホールディング内におけるモンゴルへの動きだ。調べてみると、まず、グループ会社の1つに、㈱エリンインターナショナルという会社がある。これは同社のHPによると、「日本とモンゴルのJoint Venture企業です。ウランバートル市内に経済特別区(保税区)の認可を受けた約55,000坪の敷地を有し、敷地内の倉庫、コンテナー・ヤード、鉄道引込み線等の大規模な設備を利用して、国際運送事業を行っています」とある。

さらに、詳細な説明を見ると、「ウランバートル市内に約55,000坪の敷地と以下の設備を有し、国際運送事業の一貫サービスを提供しています。また、モンゴル国税関法および関連諸法令に基づき、経済特別区(保税区)の認可を得ております。敷地内にウランバートル税関派出所、食品検査所、銀行支店なども併設し、スムーズな税関手続き、検疫検査や税金等の支払手続きがその場でできるようになっています。今後の計画として、ホテル業、観光事業、建設業、ショッピングセンターの経営などの開発を考えています」となっている。設立は2008年5月で、本社はウランバートル市内にある。その他、興味深い点を以下に挙げる。

【㈱エリンインターナショナルの概要】(2004年1月14日現在)
●資金/US$2,736,800(1$=80円として、2億1894万4000円)
●出資会社/㈱ダイナム綜合投資=75%、Erin Trans Co,Ltd=25%
●代表者/代表取締役社長=Ya.Erkhembayar、東京事務所長=ロブサンドルジ ・ガルダ

ここで興味深いのは、社長のYa.Erkhembayar氏はモンゴル国家大会議(日本における国会)の予算委員会委員長であり(1999年時点)、東京事務所長のロブサンドルジ・ ガルダ氏はモンゴル航空(OM)の日本支社長(2011年時点)であるということだ。そのモンゴルにおける要人をトップに据えた同社の事業は、その内容から見てまさにモンゴルの国家的プロジェクトと言ってもいいだろう。その壮大な計画に、ダイナムが参画していることになる。

このローコスト店舗も一時期、大きな話題を業界に提供した

もう1つ、社内でモンゴルに関係するものに、㈱チンギスハーン旅行がある。事業内容は、「ダイナムグループ社員の国内出張管理・チケット発券サービスと、モンゴル航空の航空券販売(販売代理店)・モンゴル旅行商品の企画販売・モンゴル語翻訳通訳サービスを行なっています」とある。しかし、もっと詳細な説明をHPで見ると、「アジアにおける国際的な交流をより深く浸透させたいという思いから設立された会社です。ワン・アジアクラブはアジア各国の市民レベルでの国際交流を目的とするNPO法人です。このワン・アジアクラブのネットワークを通じアジア各国での人的交流が深まる結果、これまでにない旅行プランの現実が可能となっています。もちろん、企画内容もそうですが、旅行代金の面でもこれまでになかった設定なども可能になります。これまでにまったく知られてないコースや土地の魅力を新たに知ってもらうことが目的であり、ひとつひとつ手づくりで、より市民生活に密着した旅行商品をこれから提供していきます」とある。

さらに続けて、「会社の名前のとおりチンギスハーン旅行は旅行業界におけるチンギスハーンを目指します。チンギスハーンは侵略者というように誤解されがちですが、実際はそれぞれ侵行した国々あるいは地域の文化や習慣、宗教や人種を尊重し、同等につき合うことによって、大帝国モンゴルを築くことができたと言われます。チンギスハーン旅行はこの精神に基づいた考えでアジアの人々がお互いに理解しあい、信頼しあうことで将来的に大きなワン・アジアになるためのお手伝いを人的交流・旅行を通じてサポートしていきたいと考えています。2003年は日本の旅行業界にとってはSARSの発生にともない、大変厳しい一年でありました。特にアジア地域においては前年の40%減益の結果となりました。しかし2004年以降はアジア地域における新しい商品の提供とこれまでの経験を生かすことによりさらなるアジア旅行の発展を目指します」と熱い思いを語っている。

同社の設立は2003年11月で、社長は前出のロブサンドルジ・ ガルダ氏が務めている(2004年1月14日現在)。ここで出てきたのが、2つ目の興味ポイントである「ワン・アジア」というキーワードだ。しかし、下らない前フリを長々と書いたために、1回分の文字量をすでに超えている。実は、本当に書きたかったことは、この「ワン・アジア」の件であった。この件も相当な文字量が予想される。したがって、今回はこれで中断させてもらいたい。ここで休憩して、後半は引き続き書き続けていくので、それほどのインターバルなくアップする予定だ。少し、酒でも飲みながら気分転換することにしよう。(佐渡屋太郎)

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≫ EDIT

マルハンに前年度比69名減の90名が入社【佐渡屋太郎-vol.239】

90名の新入社員に向かって祝辞を述べる韓昌祐会長

いまは3月31日(土)の16時55分。久し振りで、ゆったりとした週末を過ごしている。これも3月分の原稿を早めに書き上げた賜物だ。一昨日は0時過ぎまで掛かって必死になって原稿を書き上げ、昨日は6時に起きて東京へ行ってきた。東京での用事は、マルハンの入社式取材とダイナムの本社や店舗の写真撮影、さらに編集者との企画打ち合わせをすることだった。しかし、また罪を犯してしまった。

マルハンの入社式取材のあと、少し時間が空いていたので、また本を買ってしまったのだ。内訳は単行本23冊、文庫本1冊の計24冊である。本来は、打ち合わせが終わってから行きつけの古本屋にハマる予定だった。しかし、入社式があった新浦安で古本屋を見つけてしまった。実は、少し早く新浦安についてしまったので、入社式の前にすでにその古本屋を見つけ、物色を始めていたのだ。そして、入社式の終了後、脱兎のごとく駆けつけ、じっくりと至福のときを過ごした。やはり東京(正確にいうと千葉県)は、いい“獲物”が多い。その結果、重い袋を2つ抱えて、東京の街を歩き回ることになった。

いま、その“獲物”を眺めながら、ニヤニヤしている。実に、充実した狩猟であった。今回の最大の“獲物”は、きれいな山の写真を満載した『日本百名山登山ガイド〔上〕〔下〕』(山と溪谷山岳図書編集部編、山と溪谷社刊)ではなかろうか。原稿書きに疲れたとき、眺める本としては最適だ。その他にも面白そうな本が積み上がっており、これまで溜まっていたストレスが一気に吹き飛んだ。しかし正直に告白すると、体の節々や足が少し痛い。その痛みも昨日の“激闘”の結果であり、いまの私には快い思い出となって達成感を増幅してくれる。さらに、Y嬢には「草加せんべい」のお土産も買ってきたので、怒られることもなかった。“めでたし、めでたし”である。

韓裕社長に対して「決意表明」を読み上げる新入社員の代表

さて、今回のテーマは前フリでもお分かりの通り、マルハンの入社式だ。「ダイナム香港上場の目的(その2)」を期待している読者も多いと思うが、もう少し待っていただきたい。調査を依頼していたコンサルタントから連絡があったので、次回にじっくりと報告をしたいと思っている。マルハンの入社式には、もう16回も取材に行っている計算になる。その間に、同社は追い風に乗ってホール企業のトップとなり、さらに売上では2位との差を大きく広げて“独走状態”となる過程でもあった。ホール業界全体が低迷しても、マルハンだけはつねに“別次元”にあり、その勢いがホール企業の本来的に持っている“ポテンシャル”でないかと、勇気付けられることもあった。

しかし、昨年あたりから、その勢いに陰りが見えるようになった。それは「パチンコは不況に強い」という“神話”が崩れていったときの感覚に似ている。“神話”が崩れていったときに、その“実体”が見えてくる。さらに先月、別の業界の社長に取材をしていて、「企業寿命は30年、ビジネスモデルの寿命は20年」という点で、かなり突っ込んだ話をした。現在ではそのペースはもっと速まっていることは確かだろう。

その意味で言えば、ホール業界も新たなビジネスモデルが必要な時期に来ていると思う。店舗規模、出店エリア、出店ペース、営業方法など、これまでの手法が通用しなくなってきている例が増えている。マルハンで言えば、2011年度あたりから、明らかにこれまでのペースとは異なっている。それは新入社員数にも表れているので、まずそのあたりから見ていくことにしよう。

【マルハンにおける直近8年間の新入社員数の変化】
●2005年度……283人(男子=213人、女子=70人)、前年度比
●2006年度……356人(男子=270人、女子=86人)、+73人
●2007年度……362人(男子=274人、女子=88人)、+6人
●2008年度……384人(男子=299人、女子=85人)、+22人
●2009年度……335人(男子=266人、女子=69人)、-49人
●2010年度……432人(男子=308人、女子=124人)、+97人
●2011年度……159人(男子=89人、女子=70人)、-273人
●2012年度……90人(男子=62人、女子=28人)、-69人

ちなみに、2012年度における新入社員に内訳は、大学卒=85名(男子=58名、女子=27名)、短期大学卒=2名(男子=1名、女子=1名)、専門学校卒3名(男子=3名、女子=0名)の計90名であった。この一覧表でも分るように、2011年度から急激な減少傾向にある。これまで最高であった2010年度の432人から比べれば、2011年度は約1/3、そして2012年度は約1/5にまで減っている。さらに、2012年度はこれまでの3桁からついに2桁に落ち込んだ。この背景には何があるのか。新入社員数と密接な関係にあるのが、新規出店数である。そこで新規出店数についても見ていくと、次のようになる。

【マルハンにおける直近8年間の新規出店数】
●2005年度……27店舗
●2006年度……27店舗
●2007年度……27店舗
●2008年度……21店舗
●2009店舗……21店舗
●2010年度……13店舗
●2011年度……11店舗
●2012年度……8店舗

これだけのことを調べるだけで、ひと騒動となってしまった。移転以降、積み上げたままになっていたパチンコ雑誌を年月順に並べ替え、本棚に空きスペースを作って収納した。さらに、自分が書いた月別の原稿一覧帳を繰って、該当する号を取り出して記事を見つけ、数字を書き出していくという作業をしなければならなかった。その結果、求める数字を並べてみると、我ながら壮観であると思う。新入社員数は、明らかに新規出店数と相関関係にあることがひと目で分るようになった。さらに2010年度から同社の出店ペースが落ちていることも一目瞭然だ。

「マルハンイズム」を唱和する新入社員

これまで会場一杯に新入社員が溢れるような入社式を毎年見てきたので、さすがに今回の入社式は一抹の寂しさがあった。しかし、新たにマルハンマン、マルハンレディになった新入社員は元気一杯で、清々しさを感じたことは例年の通りだった。配属されたそれぞれの店舗で、“業界を変える”というテーマに向かって頑張ってもらいたいと思う。私もそのテーマには共感しているので、微力ながら協力していくつもりだ。また、今後の同社の展開にも大きな興味を持っている。低迷する業界の中で、果たしてさらなる“突破口”を切り開いていけるのかどうか。リーディング企業に寄せる期待は大きい。

ところで、今回も楽しみしていたのが、韓昌祐会長の祝辞であった。今回は笑えた点が1つと、興味深い発表が1つあった。まず笑えたのが、長期計画を発表したときで、「諸君が30歳になった8年後の2020年に、わが社は売上4兆円という目標を掲げている。これは間違いなく達成できる数字である。だから私は社長に、もうちょっと早く達成できないかと言っている。8年後というと私は90歳になる。私はマルハンが売上4兆円を達成するのを見て、あの世に行きたいと思っている。しかし、90歳まで生きていられるかどうか自信がない。だから、1年でも2年でもその目標達成を早めてもらいたいと社長に頼んでいる」と語った。会場からは押し殺したような笑いが聞こえてきた。

さらに続けて、力強い言葉も聞かれた。「何も数字だけがすべてではない。売上4兆円になる頃、わが社の社員は4万人になっている。会社の質、社員の質がもっとも大切だ。名実ともに超一流企業になることを目指していく。そのためには会社と社員が一体にならなくてはならない。私はマルハンを皆さんの子供や孫が入社したくなるような会社にしたい。そのために、業界を変えることと社会貢献に取り組んでいる。しかし、この業界に対する偏見はまだある。それに対して我々は闘っていく。住友や三井の創業者も、最初の頃は偏見に苦しんだと聞いたことがある。偏見をなくするためには、社会貢献と社員の質の向上しかない」と言い切った。実に明快で、真摯な指針の提示であった。この人は13歳で日本に来てから、70年にわたってこの偏見と闘い続けてきたのである。この闘いはいつまで続くのであろうか。

一方、興味深い発表は、カンボジアに設立した「マルハンジャパンバンク」に関するものだった。確かに、この銀行に関してはいろんな噂があり、そのいくつかを私も聞いている。それに対し、韓会長は「4年前に設立してから、順調にいっている」と現状を報告した。さらに、ラオスにも出張所を出す許可を得ているし、民主化の進んだミャンマーにも許可を得ていることを明らかにした。その背景にあるのは、「アジアの人々のために貢献していく。発展途上国に日本の良さをもって貢献していく」という理念であるという。こちらの展開にも注目する必要があるだろう。ホール業界もこのところ、海外での話題が多くなってきた。この入社式が終わると、また新年度が始まっていく。(佐渡屋太郎)

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