遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

パチンコ業界情報なら遊技租界!最新!本日のパチンコ業界ニュースからパチンコ業界の製品情報まで話題満載ブログ!

2011年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年05月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

ついに「在特会」が動き出した【佐渡屋太郎-vol.207】

写真キャプション=申入書を渡すために日遊協に向かう「在特会」の一行


いまは11年4月24日(日)の20時00分。この週末は、パチンコ業界とは異なる業界向けの原稿を書く予定だった。月末までに4本を書き上げなくてはならない。しかし、先週の20日(水)に節電署名の記事をアップしてから、いろんなところから問い合わせがあって、仕事が手につかない状態になった。さらに、その件に関する情報の提供や裏事情の説明を受けたりして、パチンコ雑誌が終わったあとの休養期間は吹っ飛んでしまった。

そんななか、以前から本命として注目していた「在特会」(在日特権を許さない市民の会、桜井誠会長、会員数1万5人)が、ついに動き出した。私が得ていた情報では、「在特会」は「パチンコ違法化・大幅課税を求める議員と国民の会」(代表世話人・荒川区議会議員・小坂英二氏)のバックに付いているとのことであった。その設立大会が地震の影響で、当初予定されていた3月17日(木)から、5月25日(水)に延期された。だから、しばらく動きはないと読んでいたのだ。

しかし今度は地震後に、前回のブログでもお伝えした“節電署名”の動きが出てきた。この運動の主体となっている保守系団体と「在特会」とは直接の関係はない。ところが、その運動の盛り上がりを見たのかどうか分からないが、「在特会」も“節電”をテーマにして、パチンコ業界に切り込んできたのだ。

写真キャプション=ポスターを掲げてパチンコ店の営業停止を訴える会員


具体的には4月20日(水)、パチンコ業界のホール・メーカー・販社などで組織された横断的な団体である日遊協(社団法人日本遊技関連事業協会)に対し、「在特会」は東京電力管内のパチンコホールのすべてに、営業停止を求める申入書を手渡したのだ。少し予想外の早い展開であったが、ついに来るべきものが来たという点では想定内のことではあった。ただ、署名活動を行なっている団体とは少し異なり、この節電を切り口にして、パチンコ業界を舞台にした在日特権廃止の要求を展開することは十分に予想される。それが同会の運動指針でもある。

では、同会は“節電”に関して、どのような要求をパチンコ業界に突きつけてきたのであろうか。今回はそれを中心に見ていくことにしよう。この件に関して、私は取材に行けなかったが、パチンコ雑誌の社長から写真を含めた資料をもらった。それを元に、彼らの論拠を検証していくことにする。今回の要求について、「在特会」は「日遊協」に対し、2通の申入書を提出している。1通目は「在特会」の桜井誠会長名のものだ。それを以下に掲載する。

写真キャプション=横断幕掲げて自らの主張をアピールするデモンストレーション

申し入れ書


社団法人 日本遊戯(ママ)関連事業協会 御中

 東日本大震災によって東電管内の原子力発電所などが被災し、同管内で計画停電が実施されました。現在、電力需要が低下したために停電は行われておりませんが、真夏と真冬に大規模な計画停電が実施されるものと予想されます。在日特権を許さない市民の会(以下、在特会と称す)は計画停電の最中においても、病院等の必要な施設に電力が供給されるよう、社会に何の貢献もせずギャンブル依存症患者を増加させ、多大な電力を無駄に浪費するだけのパチンコホールすべての営業停止を求めます。

とくに今回の大震災における被害が集中した宮城県仙台市では、仙台駅前のパチンコホールが周囲の商店街からの自粛要請を無視して、被災後早々に営業を再開するなど地元民の大ひんしゅくを買っています。あるいは、今回の電力不足を受けて各ホールが照明を落とすなど、節電協力をしていると主張する者も業界関係者にいるようです。しかし、そもそもホール使用電力の大半はパチンコ台そのものにあり、ホールの照明を多少落としたところでほとんど節電効果はありません。

また、半導体の塊とされるパチンコ台は平均で20ワットアワーから最大100ワットアワー以上の電力消費を必要としています。さらにパチンコ台から放出される熱を押(ママ)さえるため、パチンコホールの電力使用はその大半が空調関係となっており、とくに夏場の電力消費量の急増を招いていること周知のことです。今夏、もしこのままホール事業を認めるなら、パチンコホールだけで電力消費量が急増し電力不足に拍車を掛けることは間違いなく、多くの国民がパチンコ産業のために不便を強いられるといっても過言ではない状況になるのです。

今回の電力不足問題に限らず、そもそも違法賭博産業としての問題、現在200万人と目されるギャンブル依存症患者の問題、在日基幹産業(民団新聞より)のパチンコとワンセットとなっている消費者金融においてギャンブルに起因する自己破産の増加問題など、在日の故郷韓国においてさえ違法とされ、取り締まりの対象となっているパチンコ産業にはあまりにも問題が多すぎると言わざるを得ない状況です。

社団法人 日本遊戯(ママ)関連事業協会においては、社会的使命を果たす法人としての自覚を持って、協会加盟のパチンコホール全店に自主廃業を勧めることを求めます。また、上記のとおりパチンコ台そのものを止めない限り莫大な電力使用が避けられないパチンコホールの性質上、電力不足が深刻化することが予想される今夏の営業については、協会の責任において営業の停止を徹底させるように在特会は強く要請します。

以上
 
在日特権を許さない市民の会

会長 桜井誠

〈回答送付先〉
(以下略)

写真キャプション=申入書を読み上げる「在特会」の桜井誠会長


この申入書を見て、まず申し入れ先の表記が間違っていることに驚いた。2つ目の驚きは、なぜこの申し入れをホール経営企業の団体である全日遊連(全日本遊技事業協同組合連合会)ではなく、日遊協に持っていったのか。全日遊連は1万2000店弱のホールが加盟しているが、日遊協に加盟する有志ホールは120店くらいしかない。3点目の驚きは、東電管内のホールに節電ではなく営業停止を求め、さらに日遊協加盟ホールには自主廃業を勧めていることだ。この過激さが在特会の特徴であるようだが、これは行き過ぎだろう。

逆に、パチンコ業界は節電効果をきちんとした数値で、一般社会に対して報告し、納得してもらう必要がある。自主廃業はないにしても、“節電”か“営業停止”かの差は天と地ほどに大きい。実際、節電署名を行なっている団体の中でも、節電ではなく営業停止を求める声は多かった。それに反論するなら、抽象論ではなく、数値を基にした具体的な説明が求められる。ここに至って、“省エネ”に消極的であった業界の“ツケ”が出てきたわけだ。

写真キャプション=申入書の内容を聞く佐藤事務局長ほか日遊協関係者


この件に関しては、パチンコ雑誌の「エコレポート」に書いた。興味のある方はそちらを見てほしい。他から指摘や糾弾を受けないと、動かないのがパチンコ業界の特徴である。そのなかで積み残してきた問題が多く、それがこのような攻撃の標的になっている。これら問題に立ち向かっていくことなしに、社会的な信頼は得られない。しかし、こうした非難があることは、パチンコ業界にとって大きなチャンスであると思う。これを機に一般社会のなかでの“パチンコの在り方”を考え直し、そして“パチンコという遊技の存在意義”を堂々と語れる業界になってもらいたい。さらにもう1つの申入書もあったので、以下に示す。


申 入 書


社団法人日本遊戯(ママ)関連事業協会 御中

 この度の東日本大震災により原子力発電所等が被災し、東京電力管内で計画停電が実施されました。現在、電力需要が低下したために停電は行われておりませんが、真夏と真冬に大規模な計画停電が実施されるものと予想されます。私達は計画停電の最中においても病院等の必要な施設に電力が供給されるよう、パチンコ等の全ての遊戯関連事業の営業自粛を求めます。
貴会は元警察局長を理事に迎える等、警察と密接な関係にあると拝察しております。計画停電が実施されれば信号機が点灯せずに交通整理の人員が多く必要になる事、そしてそれがどれくらいの人数になるのかを既に知っているものと拝察しております。そこで、計画停電が実施される間、パチンコ業界から交通整理補助員、交通事故者を病院へ誘導するための誘導補助員等(ただしいずれも日本国籍を有する者に限る)を積極的に出していただき、円滑な社会運営に貢献していただきたいと切に願うものであります。先月の計画停電においては、病院が強制的に停電させられているのに隣のパチンコ店が営業していたという失態が新聞報道されました。次の計画停電の期間において貴会が警察組織と連携し、パチンコ店営業自粛と社会貢献のための人員提供をしていただけるのなら、貴会の大きなイメージアップに繋がると思います。また、そのような補助員の仕事のために復興予算を確保するよう、我々と一緒になって政治の世界に働きかけていただきたく、ここに申し入れをいたします。

平成23年4月20日
在日特権を許さない市民の会
副会長 八木康洋
(以下略)

写真キャプション=申し入れが終わった後で、「在特会」の要求を街頭で説明する桜井会長


こちらはご丁寧なことに、具体的な提案であった。これらの申し入れに関しては、回答が求められている。その回答書はWebを通して広く一般に公開されることだろう。多くの人がパチンコ業界の対応に注目している。佐渡屋太郎もその1人である。果たして、日遊協はどのような回答書を返送するのであろうか。これはパチンコ業界から一般の人たちに発して届けられる貴重なメッセージでもある。本来なら、求められなくてもWebを介して、業界のことを説明する必要があったのだ。立派な回答書を期待したい。そして、回答したことを本当に実践してほしい。

「在特会」については、私もいろいろと勉強した。今後の動きに連動して、この団体についての説明もしていくつもりだ。私の大学生のころは学生運動の盛りも過ぎていたが、大方の学生は“心情左翼”であった。友人の中には地下に潜(もぐ)った過激な活動家もいて、私のアパートに匿(かくま)ったこともある。2人で外へ出ると、いつも公安の“尾行”が付いてきた。それは遠い昔のことだが、その頃から比べると何かが大きく変わってきた。(佐渡屋太郎)

┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘
banner_22.gifにほんブログ村 パチンコブログへ人気ホームページランキング
ブログランキング★まじめな話題 ブログランキング★パチンコ ブログランキング★パチスロ
┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘
スポンサーサイト

| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 03:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

パチンコ店に“節電”を求める署名活動が始まった【佐渡屋太郎-vol.206】

写真キャプション=横断幕を掲げて道行く人に呼びかけるデモンストレーション


いまは11年4月17日(日)の14時30分。やっとパチンコ雑誌の原稿が終わった。いま、そのゲラが出てくるのを待っている。昨夜はついに“完徹”となってしまった。そのせいで、頭がフラフラしてたまらなく眠たい。何かしていないと眠りそうなので、このブログの原稿を書くことにした。しかし、何も考えることはできないので、他に書いた記事を再録することにした。

今回のテーマは、パチンコ店に“節電”を求める署名活動についてである。この取材をするため、4月3日(日)に東京へ行ってきた。3月31日(木)にも浦安と神田に行ったので、4日間で2回も東京に行ったことになる。お陰で、新幹線の中で読書を十分に堪能し、昔の仲間にも会うことができた。さて、前フリはこれくらいにして、本題に入ることにしよう。実はこの“節電署名”については、すでに有料Webとパチンコ雑誌に原稿を書いている。これで3回目となる。

正直言って、もう書く気がしない。そこで前述の通り、雑誌に書いた記事を下敷きにして、ところどころアレンジしていくことにする。それにしても、ここのところパチンコへの“非難”が相次いでいる。その根の部分を探ってみると、換金、送金、脱税をはじめとした旧来の問題にぶち当たる。つまり、パチンコ業界の“不透明さ”が、攻撃の対象になっているのである。そんな分りにくさや多くの問題を抱えながら、片方で派手なTVCMや広告・宣伝を行なっている。

とくに不景気や今回のような危機的な状況になると、そんな態度が一般市民の積もり積もった憤懣に火を点け、一気に爆発してくるのだろう。今回、とくに感じたのは、業界の情報がパチンコをしない一般の人たちに、ほとんど届いていないことである。噂や憶測が1人歩きして、半ば“定説”になっている。このブログで何回も言っているが、業界内でウジャウジャ言っているばかりでなく、一般社会に対して説明すべきことは、きっちりと情報発信すべきだ。

写真キャプション=活動前に集まって説明を聞くボランティアたち


そして、旧来の問題に関しては、その問題解決のために努力をしている態度を伝える必要がある。さらに、それら根幹の問題に関し、納得してもらえるような説明をしない限り、いくら献金や社会貢献をしても、この業界に対する不信感は消えないのではないだろうか。一頃、パチンコ業界でも“社会的認知”という言葉が盛んに飛び交ったことがあった。しかし、社会にパチンコ業界を認知してもらうには、パチンコをしない人たちに業界の在り方を説明し、納得してもらう必要がある。果たして、業界は納得してもらうために強い意志を持ち、そのための努力を続けているのだろうか。その点に、私は疑問を感じる。

その態度や気持ちがない限り、この業界は変わらないし、社会には認知されない。ただ、こうした非難に“毅然”とした態度で立ち向かい、自分たち苦難の戦いを滔々(とうとう)と述べられる日が、近い将来に必ずやって来ると思う。その救世主に誰がなるのか。個人的は若い世代に期待したい。実は4日前から梁石日著『シネマ・シネマ・シネマ』(光文社刊)を読み始め、昨日に読み終わった。これは66歳の梁石日氏と30歳代から40歳代の在日や韓国人が、莫大な借金を抱えながら3本の映画を作り上げる物語である。固有名詞は変えているものの、ほとんどが実話であると思う。

実にリアルで、面白い本だった。これを夢中で読んでいて、原稿が遅れたという側面も否定できない。そのなかで、梁石日氏は在日の若者や下の世代を冷静に見ながら、彼らの映画作りのエネルギーに巻き込まれていく。しかし、そこに明るい未来を確信しているのだ。そのなかでこんな言葉が出てくる。「私はつねに世界の未来につい希望をいだいていた。私の個人的な人生についてはどうでもよかったが、世界の未来については大いなる関心を寄せていた。私が小説を書いているのはそのためでもある。それはまた自己救済にほかならなかった。私は小説を書くことで、自己救済と世界の未来を夢見ていたのだった」

写真キャプション=リアルな面白さに読みふけってしまった梁石日著『シネマ・シネマ・シネマ』(光文社刊)


さらに核心は次の部分である。「監督自らが資金調達に奔走し、民族学校の先輩や後輩、在日の商工人、組織などと交渉してみたが、二時間、三時間もの話し合いの中で、こういう映画を作れとか、俳優を指名したり、自分の身内を出演させろと言って、結局、資金調達はしてくれなかった。『在日は口ばっかりで、どうしようもないですよ』申勝鉉監督(崔洋一らしき登場人物)は深い失望の念にとらえられていたが、それでもなぜ在日なのか。それは彼も私も在日だからである。在日という存在理由に未来の希望を託したいからだ」。

これは著者原作(『狂躁曲』)の1本目の映画(書中では『クレージーホース』、実際は『月はどっちにでている』らしい)のときのこと。ちなみに、2本目の映画は柳美里原作『家族シネマ』(韓国人監督パク・チョルス)で、梁石日氏が父親役で映画初出演したときのことが書かれている。ここでは韓国人スタッフと在日スタッフの対立と和解、低予算での映画製作の苦労、上映を巡って日本や韓国で起こった問題など、興味深いエピソードが次々と出てくる。

3本目もこうした苦難を乗り越え、著者原作映画『アパッチ族』(『夜を賭けて』らしい)は完成した。その結果、M新聞映画新人賞、美術賞、映画監督が選ぶ新人監督賞の3つの賞を受賞する。しかし、興行的には失敗で、製作費の4億6000万円はそのまま赤字となった。そして、3年後に話は移る。「ある日、スナック『ふく』で飲んでいたとき、『ソンさん(作家・梁石日らしき登場人物)、今月やっと映画製作費の四億六千万円を全部返済しましたよ』と洪圭夏(映画製作者)は満面の笑みを浮かべた。その笑顔には長く苦しい闘いのあとの何かを成し遂げた充足感が漂っていた。私が貸した資金も順次返済されていた。『素晴らしい。よく頑張ったな』私は心底、評価した。名もなき小さな企業が、しかも解散しかけた崖っ淵から立ち上がり、ひたすら前進してきたのだった」。

そして、最終ページにはこんな言葉があった。「私は金明雄監督(劇団・新宿梁山泊の座長・金守珍氏らしい)と洪圭夏を信じていたとしか答えようがない。そして、金明雄監督と洪圭夏は、私の信頼に応えてくれたのである」。若い世代の頑張りはものすごかった。それによって、在日文化の新たなページを切り拓き、その後に映画や小説などで新たな人材が次々に登場し、その流れをさらに大きいものにしようとしている。パチンコ業界でも商売ばかりでなく、業界全体を改革してくれるような、スケールの大きい人物が出てきてもらいたいものだ。

写真キャプション=旗やプラカードに書かれた数々の主張


頭が回らないといいながら、ものすごい前フリとなってしまった。では早速、今回のテーマに入っていくことにしよう。まず、概要から説明していく。「パチンコ屋は節電に協力しろ!緊急呼びかけ委員会」は4月3日(日)、JR渋谷駅のハチ公前広場で、第2回目の署名活動を行なった。同委員会は保守系の団体が中心となり、有志によって結成されたものだ。当日は趣旨に賛同した40名のボランティアが集まり、14時から17時まで活動を展開。その結果、900名を超える署名を集めた。

この活動のスタートとなったのは、3月27日(日)に行なわれた署名活動だった。場所はJR新宿駅の南東口で、ボランティア20名が参加。14時30分から2時間で、計350名の署名を集めている。さらに、3回目の活動は4月10日(日)、小田急新宿駅前で決行された。14時からボランティア30名参加し、2時間45分で550名分を収集。この3回にわたる活動によって、得られた署名は計1800名分に上った。同委員会は今後もこの署名活動は続けていく方針で、第4回目は4月16日(土)、1回目と同じ新宿駅南東口で、14時から予定されている。

では、この活動を始めた動機はどこにあるのか。また、具体的にどのようなことを国民に訴えているのだろうか。その趣旨は、同委員会がボランティアを求めるHPに明示されているので、その文書を掲載する。

写真キャプション=呼びかけの趣旨が明記された署名板

パチンコ屋は節電に協力しろ!緊急呼びかけ委員会
 
第2回署名活動の呼びかけ


東北地方太平洋沖地震による計画停電により、『今、わたしたちが出来る事』として多くの方々が節電に心がけています。

震災地の人々を思いやる気持ちがひとつになって震災を乗り越えようとしています。東京電力の管内におけるパチンコ店の1日の電力消費量は約50万世帯分ともいわれています。計画停電の為に病院で手術が出来ない。信号機が点かなく交通事故を起こした。通学の為の電車の運行もままならない。

救われる命が救われずにして生産性無きパチンコ店で巨大な電力が消費されている不条理があります。

23兆円といえるパチンコ産業ですが本当に必要なものでしょうか。誰がみてもパチンコはギャンブルです。しかし何故パチンコ店は摘発をされないのでしょうか。

何故ギャンブルを勧めるコマーシャルをテレビでさせるのでしょうか。

北朝鮮への違法送金。脱税問題。パチンコ依存症からの借金地獄。子供の放置。様々な問題を含むパチンコ産業の巨大電力消費は許されません。国民の怒りは高まるばかりです。

パチンコ店撲滅の橋頭堡になるべく、超党派の幅広い連帯を求めたいとおもいます。

違法賭博を違法としない大いなる不条理を糾し、パチンコ店に節電を呼びかけ、且つ、国会法に基づく請願の署名街頭活動を下記の通り行いますので是非ともご参加ください。(以下、省略)

写真キャプション=この日は900名が趣旨に賛同して署名した


パチンコ業界への批判は、このところ相次いで起こっている。そして、今回の震災を機に、さらなる増幅の機運が顕著になった。この運動の主体となったのは、「日本の心を学ぶ会」「国民社会研究会」「日本再建会議・東京」「そよ風」の4団体だ。しかし、今回は団体全体としての活動ではない。「日本の心を学ぶ会」の代表である渡邊昇氏の主張に賛同した各団体の代表者が、この活動に参加したということであるという。そして、事務局の渡邊氏が中心となって、活動に参加するボランティアの募集を行なうという構造になっている。

参考までに言っておくと、この委員会は先に動きがあった「パチンコ違法化・大幅課税を求める議員と国民の会」(代表世話人・荒川区議会議員・小坂英二氏)とは、全く別の運動組織である。上記の呼びかけ文を読んで、どのような感想を持たれたであろうか。業界関係者であれば、反論の余地は多くあるだろう。ただ、これがパチンコをしない人たち、つまり一般的な市民感覚での“パチンコホール像”に近いこともまた事実だ。いくつかの事実誤認はあるが、主張している論拠は十分に理解できる。

その結果、震災後の心理的な影響があるとは言え、短時間で1800名分の署名が得られたわけだ。つまり、この主張に一般の人たちが賛同する要素が、多く含まれていたということだろう。ある団体の代表は「これまで色んな署名活動を行なってきたが、今回ほど署名が集まりやすかったことはなかった」と印象を語った。

ちなみに、この署名運動は国会法に基づく請願活動であるという。集められた署名は紹介議員の仲介によって、衆参両院の国会事務局に提出される。その後、付託された委員会が、議院の会議に付すかどうかの検討を行なう。つまり国会に対して、パチンコ店の節電を求めるための署名活動となる。当面は期限も決めず、署名数の目標も持たずに署名活動を続けていく方針だ。

写真キャプション=節電を呼びかるプラカードの横で署名する女性


その一方で、同委員会の趣旨に賛同する団体が、全国的に増えてきているのが現状だ。都知事選に当選した石原氏も、「軒並みに自動販売機が並んでいるこんなバカな国はないよ。パチンコだってそうじゃないの。社会全体で反省したらいい」というコメントを述べている。こうした危機的な状況に際し、一般市民がパチンコに対して抱いていた日頃の憤懣が、一気に噴出してきたと見るべきであろう。このようにしか思われていなかったという現実を、直視すべきときがやってきた。今後、パチンコをしない一般の人たちに、業界として“パチンコの存在意義”を発信していくことが強く求められる。

かなり高いテンションで書いているが、この件に関しては当日、渡邊氏をはじめとした4団体の代表者に会って話を聞いている。その後も電話で連絡を取っているので、今後も継続して活動の推移を見ていきたいと思う。それにしても、いまのパチンコ業界の態度は問題がある。この前のパチンコ業法に対する態度には愕然としたが、いつまで“逃げ腰”を続けるのだろうか。逃げるものは必ず追いかけられる。もっと前向きに堂々とあってほしい。(佐渡屋太郎)

┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘
banner_22.gifにほんブログ村 パチンコブログへ 人気ホームページランキング
ブログランキング★まじめな話題 ブログランキング★パチンコ ブログランキング★パチスロblogramランキング参加中!
┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘

| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 01:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

マルハン入社式、今年度は大幅減の159名【佐渡屋太郎-vol.205】

写真キャプション=東京で見つけたピンク色のこぶしの花


いまは11年4月6日(水)の16時45分。先週はパチンコ雑誌の取材で、2回も東京に行ってきた。関西にいてはTVをはじめとした情報でしか地震の実態に触れられないが、東京に行くと「計画停電」が実施されていることもあり、やや臨場感をもって迫ってくるものがあった。まだ、被害の全容が把握されるところまでいっていないが、とてつもない大きな被害を受けたことは誰の目にも明らかだ。

これは被災地においてはもちろんのこと、日本全体にとっても大きな“試練”が与えられたことになる。ただ、そんな“試練”には負けていられない。日本は戦後の復興をはじめ、これまで数々の試練を乗り越えてきた経験がある。今回もこれから数年をかけて、失ったものをコツコツと再建していくしか道はない。不幸にして、愛する家族や親戚を亡くした人も多くいる。その大きな悲しみの前では言葉を失ってしまうが、時間をかけてその悲痛を乗り越えていってほしいと願うばかりだ。

私も佐渡で1964年の新潟地震、京都で1995年の神戸・淡路大震災を体験した。しかし今回の東日本大震災は、その地震の規模と被害の大きさにおいて、まさに“未曾有”というべき怪物であった。地震があった3月11日は、大阪でも大きく揺れた。この事務所は8階にあるが、10階の事務所にいた知人は、あまりの揺れで気持ち悪くなったと言っていた。だから、震源地に近いところにいた人たちの恐怖は、想像を絶するものであっただろう。そして、“津波”である。

写真キャプション=東京で見かけた知事選の選挙ポスター掲示板


私も佐渡に生まれたので、“津波”の怖さは子供の頃から聞かされ続けてきた。新潟地震のときも、津波で佐渡が飲み込まれるのではないかと、大人たちはとても怖がっていた。そこで新潟地震のことを調べてみた。発生は1964年6月16日13時01分41秒で、マグニチュードは7.5、震源地は粟島南方沖40km、津波は4m程度であったという。死者は26人。しかし、平日真昼の地震であったにも関らず、小・中・高校生の死傷者が1人もいなかったことが賞賛されたと、教師であった父親が言っていた。

佐渡に関して言うと、宮城県仙台市、山形県新庄市、そして新潟県の新潟市、長岡市、村上市と並び、佐渡の相川町では最高の震度5を記録している。津波については、押し波から始まって、佐渡の両津港で3m、塩谷間で4m、直江津で1~2m、岩船港付近4mとあった。当時、小学校1年生であった佐渡屋太郎は、まだ午前中だけであった授業を終え、家の裏口に近づいた瞬間だった。急にめまいがして歩けなくなって、横を見たら用水池の水が波打ち、その水が四方に凄い勢いで飛び散っていた。次の瞬間、母親が生まれたばかり弟・佐渡屋次郎を胸に抱き、頭にハエ取り紙を付け、いまは亡きばあさんとともに裏口から物凄い勢いで飛び出してきた。2人とも裸足であった。その光景を今でも鮮明に覚えている。

私は海が好きだが、海は怖い。今回はその海が持つ底知れない大きな力と、容赦なき破壊力をまざまざと見せ付けられた。機嫌のいいときは、その恵みを私たちに無償で提供してくれる。しかし1度、機嫌を悪くして荒れ狂ったら、人間たちがコツコツと積み上げてきた生活を、容赦なく根こそぎ浚(さら)っていってしまうのだ。海はやっぱり“野獣”であった。あの10mの堤防を簡単に乗り越え、市街地に乗り込んでくる様(さま)は、まさに怒り狂った“野獣”以外の何者でもない。だから、普通の付き合いはできない。人間の力の限界と、自然の力の大きさを思い知らされた。

写真キャプション=今年度、マルハンに入社した159名の精鋭たち


地震や津波については、どれだけ話しても語り尽きないので、そろそろテーマに移ることにする。今回はマルハンの入社式である。3月31日に東京へ行った目的の1つが、この入社式の取材であった。この件については、有料Webに記事を書いたので、それを再使用しながら、概要を伝えていきたいと思う。まず、入社式が行なわれたのは、地震による“液状化現象”が現れた千葉県浦安市の「浦安ブライトンホテル」であった。

式の冒頭で、韓昌祐会長は、「いまマルハンは売上高2兆2000万円、従業員1万3000人を擁する企業に成長してきた。しかし、決して平坦な道を歩んできたわけではない。過去にはボウリング場経営と海外でのホテル事業で、2度の大きな失敗があった。ところがそのたびに、優秀な社員の力によって乗り切ってきた。そして今回の地震においても、『がんばろう日本』が合言葉となっているが、わが社ではさらに『負けてたまるか』という“マルハン根性”を出し、この危機から立ち直っていく。天が落ちて地球がふさがっても、そこから這い上がる道は必ずあるはずだ」と力強く語った。

写真キャプション=新入社員や同社幹部らに地震被害からの一刻も早い立ち直りを指示する韓昌祐会長


韓会長は1931(昭和6)年2月15日の生まれであるから、今年で80歳になった。パチンコ業界向けには、この入社式しか顔を見せない。今でもマルハンの“総帥”であり、ホール業界を代表するオピニオンリーダーでもある。ただ、この人の話は年に1回、この入社式でしか聞けないわけだ。さらに言えば、これほどの人物はいまのホール業界にはいない。加えて、とても弁が立ち、話がとても面白い。

私もこれまでいろんなところで、話を聞いてきたが、ダイナミックで気力あふれる言葉が聞ける点では、パチンコ業界ではこの人が他を圧倒している。第一、この業界のいろんな団体の理事長や会長らは、ただ原稿を読んでいるだけで、自分の言葉で喋れる人はほとんどいない。当然、そこには感銘や感動はない。韓会長に関しては、個人的には京都の第一物産の創立50周年記念式典での来賓挨拶が、とても興味深くて最も感動した。

ただ、入社式ではここ数年、毎回同じ内容の挨拶が繰り返されていた。しかし、今回は地震という危機に直面し、むき出しの闘志を見せ、“総帥”としての指令を発した。逆に言えば、この地震に対して相当な危機感を持っているという表れでもある。この人の“本性”(ほんしょう)は究極の負けず嫌いであり、さらに図抜けた根性と行動力を持っている。それが今日のマルハンを築き上げてきた原動力であり、そのまじめで真摯な態度が、ファンに信頼されるホールの基礎になったのだと思う。

写真キャプション=韓会長の言葉を真剣な表情で聞く新入社員


具体的に挨拶では、こうした危機に際して、“マルハン根性”を出せと社員に発破をかけた。その根性とは、“負けてたまるか”という分かりやすい言葉であった。創業以来53年にわたり、韓会長はこの言葉をつぶやきながら、自分を奮い立たせてきたのではなかろうか。逆に今では、その闘志が社内で失われることを危惧している。さらに今回、「天が落ちて地球がふさがっても、そこから這い上がる道は必ずあるはずだ」という凄い言葉を聞いた。

この言葉には原典がある。しかし、圧倒的な敗北や膨大な負債を抱えても、その地獄から這い上がってきた男の根性を、この言葉によって思い知らされたような気がする。ボウリング場で失敗したとき、当時42歳の韓会長は60億円、今で言うと2000億円に相当する負債を抱えた。その危機に際し、絶体絶命の自分に光を与えてくれたのが、この言葉であったのではないかと思う。危機を乗り越えてきた人間は強い。厳しい環境が強い人間を作ってくれるからだ。今回はこの言葉を聞けただけでも、東京に行ってきた価値は十分にあったと思う。

一方、今回の地震に関しては、「社内の対策本部では、従業員の安否を確認するために、寝ずの作業を行なった。また、会社からは5億円、社員会から3000万円を寄付し、全国の店舗には募金箱も置いている。合わせると寄付金額は7億円を超えるだろう。我々も決して楽な状態ではない。従業員が無事であったことで安心はしているが、東北では11~12店舗が営業できない状態にある。しかし、わが社はこれからも社会的な責任を果たしていかなければならない。今回、入社式の開催を迷ったが、やってよかったと思っている。諸君は今日の日を永遠に記憶しておいてほしい。今年の新入社員数は去年より少なくなったが、互いに力を合わせて頑張っていこう」と激励した。

写真キャプション=式の最後に「マルハンイズム」を大きな声で唱和する新入社員


今年、入社したのは159名(男性=89名、女性=70名)で、昨年の432名に比べると273名(前年度比37%)の大幅減となった。内訳は、大卒153名(男性=88名、女性=65名)、短大卒3名(男性=3名)、専門卒2名(男性=2名)、高専卒1名(男性=1名)となっている。ちなみに、同社の10年3月期の新規出店は、目標21店舗に対して13店舗。11年3月期は目標17店舗に対して11店舗と、さすがのマルハンも出店ペースが確実に落ちてきているのが現状だ。

一方、他の大手ホール企業の状況を見ると、ダイナムは257名(男性=199名、女性=58名)。前年度の524名(男性=418名、女性=106名)に比べ、こちらも267名(前年度比51%)の大幅な減少となった。同社は09年から「信頼の森」の展開を始め、精力的な出店を行なってきた。その展開が今後、どのような変化を見せるのかということも興味深い。今回の新入社員数の大幅減は、その展開と少なからぬ関係があると思われる。

一方、ガイアは178名(大学卒=136名、短大・専門卒=21名、高卒=21名)。前年度は152名(男性=124名、女性=28名)であったので、こちらは26名(117%)の増加となっている。この新入社員数は各社の状況を反映しており、今後の店舗展開を推し量る上でも重要な指標となるだろう。(佐渡屋太郎)

┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘
banner_22.gifにほんブログ村 パチンコブログへ 人気ホームページランキング
ブログランキング★まじめな話題 ブログランキング★パチンコ ブログランキング★パチスロblogramランキング参加中!
┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘

| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 01:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

佐渡高校の“甲子園決戦”と野球の思い出【佐渡屋太郎-vol.204】

写真キャプション=中央に黄色で佐渡島の形を彩った佐渡高校応援団


いまは11年3月26日(土)の21時05分。いま佐渡と佐渡屋太郎にとっての、永い1日が終わろうとしている。今日、佐渡高校野球部は確かに甲子園のグランドに立ち、和歌山智弁高校との決戦を行ない、8:1で敗退した。しかし、3塁側アルペンスタンドには、佐渡から来た生徒たちによる1100人を超える応援団と、全国各地から駆け付けた同校のOBや佐渡出身者、さらにその家族など数1000名が集まり、懸命の応援を繰り広げた。

ある報道によると、佐渡の人口6万3000人のうち、5000人が駆けつけたとも書いてあった。このあたりの数のいい加減さは、いかにも佐渡らしくていい。何人かははっきりしないが、とにかく想像を超える“大応援団”だった。それほど、島民や佐渡出身者の期待や激励をしたいという気持ちが大きかったのであろう。試合には負けたが、佐渡高校が甲子園に出場したという事実は、佐渡の歴史にこの日、深く刻まれたのである。その奇跡を起こした佐渡高校野球部のメンバーと、深井浩司監督をはじめ関係者の健闘を称えたい。

写真キャプション=和歌山智弁に全身全霊を掛けて立ち向かった鎌田投手


実はいま、私はこんなことを書いている場合ではない。月末締切りの原稿を4本、合わせて8ページ分を抱えている。そのうち2本は、私が月末と言っているだけで、東京の編集部内では25日締め切りになっているそうだ。だから、佐渡高校の試合が終わって、Y嬢と昼食を摂り、上本町で少し遊んでから、あらゆる誘惑を断ち切って、大阪・難波の事務所に出てきたのである。

しかし、事務所に来てから、興奮で放心状態となり、酒を飲みながら窓の外の夕暮れ風景を1時間も眺めていた。それは春を迎える前の弱々しい光ではあったが、空気が冷たいだけに、緊張感を持った輝きであったような気がする。佐渡高校野球部の今日の戦いを象徴するような夕暮れであった。確かに今日、佐渡の勇士たちが甲子園の土を踏んだ。しかしそれがいま、まるで夢のような気がしてくる。興奮は残っているが、実感がまだ湧いてこない。ただ、その“歴史的な場面”に居合わせることができたことに対し、私は“佐渡人”としての誇りと幸福を感じる。

写真キャプション=佐渡高校野球部の理念を掲げた掛け幕


そして、日が暮れてからブログを見てみると、今月で最高のアクセス数を示していた。少し、踏み込んだ記事を書いたときにはこの3倍以上の数値を上げることもあるが、最近は平凡な記事しか書いていない。不思議に思って、都道府県別の解析を見てみると、東京都に次いで、新潟県が第2位の数値となっている。いつもは、4~5位であるので、これは佐渡の記事を期待する読者の見えざる声であると思った。ただ、今週は25日(金)に記事をアップしているので、通常なら新たに原稿を書く必要がない。

しかし、ここが佐渡屋太郎のアホなところである。今日、撮影した写真データをパソコンに取り込み、ネタに必要な資料をWebで探していたのである。自分のいまの立場を省みず、佐渡ファンのために、新ネタを提供しようと思い立ったのだ。しかしその結果、物凄いことを発見してしまった。以前、佐渡高校野球部のOBに、「日刊スポーツ」の社長がいるということは読んだ記憶がある。佐渡高校は、東京芸大の学長や大阪の民博の館長など、実に偉い人を多く輩出している。だから、そのなかに「日刊スポーツ」の社長がいても、それほど驚くことではない。佐渡高校出身の年老いたおっさんだと思っていた。ところが今日、その人の名前を見て驚いてしまった。

写真キャプション=佐渡人の願いか込められた飾りもの


その人は、中学校の野球部で1年先輩のM君であった。先輩に「君」づけは失礼であろうという意見もあるだろうが、実際に私たち後輩はM先輩を「M君」と呼んでいたのだから仕方がない。ちなみにMは苗字ではなく、名前である。当時、中学3年生のM君がショートで、中学2年生の佐渡屋太郎がファーストであった。何回もM君の投げる球を佐渡屋太郎は受けた。そしてその年に、わがM中学校の野球部は学校創立以来、初めて佐渡の郡大会で優勝し、船で新潟に渡り、新潟地区大会に出場したのである。

いま、酔った私の頭の中には、その頃の思い出が次から次に思い浮かんでくる。地区大会の会場となったのは、巻農業高校のグランドで、近くに豚舎があり、とても臭いがきつかった。宿舎は巻駅前の旅館で、夜中まで隣のビアガーデンから尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が聞こえ、ネオンの光が部屋まで入ってきて、明るくて眠れなかったことを覚えている。遠い昔の出来事である。しかし、M君や佐渡屋太郎がそれほどの実力を持っていたわけではない。ピッチャーであったS君(3年生)が強い“地肩”を持ち、図抜けた剛速球を投げたことが最も大きな勝因であった。

写真キャプション=佐渡高校の女の子も随分と可愛くなった。私のいた頃は、学年に2人くらいしかいなかった


さらに練習もしなかった。その年は、このブログでも前に書いたことがある2年先輩で“野球の鬼”であったT君が卒業し、野球好きの顧問のH先生も転勤になった。ちなみにH先生は私が1年生のときの担任で、クラブをサボると必ず次の日の朝に問い詰められた。だから、T君とH先生がいなくなって、正直みんながホッとした。それまでの厳しい練習から、ダラダラの練習となった。しかし、試合になると不思議な連帯感が生まれた。その結果、前年にあれだけ練習しても1回戦か2回戦で負けていたのに、その年はあれよあれよという間に、気が付いたら佐渡で優勝していたのだ。この構造をいま興味深く考えている。

さらに、地区大会でも面白いことがあった。巻に着いた初日の夜に、街へ散歩に出たらボウリング場を見つけた。当時、佐渡にはボウリング場はなかった。私もそこで生まれて初めてボウリングをした。それがとても面白かったのだ。そのとき、キャプテンのY君が「明日の試合で勝てば、またボウリングができるぞ」と言った。それは凄い発想であったと思う。そして皆がその意見に賛同し、“心”が1つになった。その結果、死に物狂いで戦い、1回戦で勝ち、2回戦でも勝って、夜に旅館をこっそり抜け出して、ボウリングに興じていたのである。

しかし、3回戦の相手は手ごわかった。ここで修正がある。以前、その相手をのちに横田めぐみさんが通うことになる寄居中学校と書いたが、今回ネットで調べてみたら、双葉中学校であることが判明した。“寄居”は私が大学生の頃に同棲していた女の子と、八高線を巡る旅をしていたときに泊まった埼玉県の“寄居”であった。ぼけた頭で混同していた。しかし、横田めぐみさんを思う気持ちは変わらない。その双葉中学校は試合前に、40人くらいの部員が全員、カッコいいユニフォームを着て、グランド一杯に散らばって練習をした。

一方、佐渡のM中学校は補欠を含め、13人しかいない。このとき、中学2年生であった佐渡屋太郎は、初めて“佐渡”というものを自覚したのではないかと思う。田舎者で少人数ではあるが、都会者の大軍勢と戦うのが、“佐渡人”の生まれ持った宿命であると思い知らされた。それは以後の人生において、ずっと付きまとってきたテーマでもあった。では少数の“佐渡人”は弱いのか。決して、そんなことはない。

写真キャプション=甲子園の土の上に立つ先輩たちを必死で応援する後輩たち


佐渡という島は、それに打ち勝つ武器として“佐渡魂”を与えてくれた。“佐渡魂”というとき、私の頭にはいつも冬の外海府の荒れた海が思い浮かんでくる。そこには“波の花”も散っている。“波の花”とは、厳冬の荒波にもまれた海中の植物性プランクトンの粘液が、石鹸状の白い泡を作る特殊な現象だ。佐渡における冬の風物詩でもある。海が荒れた日の海岸沿いの道には、シャボン玉の塊(かたまり)のような“波の花”が舞っているのだ。その姿は悲しいほどに美しい。それほど、冬の佐渡の海は荒れるのである。

“過酷な環境が、強い人間を作る”ということは、真実であったといまの私は確信している。さらに規模を大きくして言えば、“少人数がいかにして大軍に勝てるのか”、または“弱いものがいかにして強いものに勝てるのか”――その課題が佐渡人に課せられている。私が高校生時代に、ずっと考えていたテーマでもある。

これは意外性という意味において、まさにドラマである。すなわち、佐渡人にはドラマチックな生き方しか用意されていないのである。佐渡高校野球部の今後も、その路線を行く以外に、道は用意されていない。逆に言えば、佐渡高校野球部の今後の行く末は、そのまま佐渡人の生き方を象徴しているとも言える。だから、みんなが応援するのだ。今回、佐渡高校野球部が味わったような屈辱は、ほとんどの佐渡人は自分の人生で何回も何回も体験している。

だから、心配することはない。私たち佐渡高校の先輩たちは、そんな屈辱や負けは何回も何回も経験してきた。そのたびに立ち上がって、自分の道を切り拓いてきたのだ。そして、最終的には必ず、勝てるのである。これは酒飲みの佐渡屋太郎が言っては説得力がないが、東京芸大学長の宮田亮平氏や国立民俗学博物館館長の須藤健一氏、さらに日刊スポーツ社長のM君など、偉い先輩たちの生き方が示してくれているのではないだろうか。“勝負は勝つまでやれば、必ず勝てる”――これが佐渡屋太郎の大局観だ。その執念と粘り強さが、佐渡人の特質である。

写真キャプション=甲子園出場にあたり、これまでなかった応援団に名乗りを上げた有志の団長と団員たち


今日は爆酔しながら、良くここまで話を持ってきたと思う。自分でも感心している。前半はどうなることかと思っていた。しかし、最後に言いたいことがある。私の左足の第2指は第3指よりも短い。それは先述した地区大会で、双葉中学校との試合のとき、スパイクで踏まれたためだ。ファーストを守っていたのだから、それも仕方ない。試合中、スパイクの中がネトネトしていた。そして試合が終わってスパイクを脱いだら、白いソックスが真っ赤に染まり、血が滴っていたっていた。そのとき、私は初めて負けて悔しいと思った。

それから、私の左足第2指は成長を止めてしまった。足の爪を切るとき、いつも地区大会のことを思い出す。もう40年近い昔のことだ。その第2指を見るたびに、闘志が湧き上がってくる。当時の佐渡屋太郎は、都会人は汚いと思った。しかし、相手のスパイクを踏んででも、塁に残ろうとする勢いに負けたような気がする。いま思えば新潟も田舎である。そんなことで歴戦を経てきた佐渡人は、決して動じなくなってしまった。(佐渡屋太郎)

┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘
banner_22.gifにほんブログ村 パチンコブログへ 人気ホームページランキング
ブログランキング★まじめな話題 ブログランキング★パチンコ ブログランキング★パチスロblogramランキング参加中!
┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘┘

| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 01:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。