遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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ぱちんこ情熱リーグ2次予選終了(中章)【佐渡屋太郎-vol.199】

写真キャプション=2月12日(土)、今年はじめて雪景色となった上新庄から大阪の梅田方面を見た様子


いまは2月16日(水)の21時40分。昨日、やっとパチンコ雑誌の3月号が終わった。今回は先月号で落としたマルハン「ECOモデル店」の記事を、8ページにわたって書いたのでスッキリした。記事を書きながら、マルハンの“機動力”と将来と社会を見据えた“視野の広さ”にはつくづく感心させられた。これでは、他のホール企業との“差”はますます拡がっていくばかりだ。

同社は売上高や稼働などでとかく話題になるが、そんな数値だけでは捉えきれない“底力”と“スケールの大きさ”を、今回の記事でも見せ付けられた。数値というのはあくまで“結果”である。その結果を生み出す“仕組み”を見てしまうと、戦意を喪失してしまうホール企業も多いのではないだろうか。

今回の「ECOモデル店」に関しても、08年4月から「3ヵ年機能別戦略」をスタートさせ、“費用対効果3年以内”を条件に、モデル店に導入する様々な設備や機器の検討を行なっている。さらに、このECO対策を“地球環境”と“社会環境”と“労働環境”に対する全体的な環境改善として捉え、実に広い視野に立って自発的に取り組んでいる姿に感動した。この詳細については、次回に取り上げるつもりだ。

写真キャプション=昨年に続き、早めの春を感じに出掛けた大阪城公園の梅林


私は以前、同社の機種データの収集や分析、さらに調整の手法を取材したことがある。オフレコの部分が多くて、詳しくは書けないが、“ここまでやるのか”というところまでやっているのは確かな事実だ。それは機種選択や調整だけでなく、人材教育や接客などでも同様だ。逆に言えば、ここまでやっているホール企業をマルハン以外で見たことがない。だから、勝って当然、負けるはずがないと思ってしまう。

一方、マルハンと競合するホールに行って、経営者の話を聞くこともある。そこでマルハンに対するあることないことや泣き言など聞かされる。しかし、力のあるホールと力のないホールが戦ったら、力のあるホールが勝つのは当然のことだ。その力は、努力によって作られてきた。努力の量が多い方が、より強くなるのも当然のことだ。

ホール組合などに取材に行くと、全国展開の大手ホール企業が“悪”で、自分たち中小ホール企業が“善”であるというような論調が充満している。その延長として、大手に市場を荒らされて、自分たちの中小は危機に瀕しているという“被害者意識”を持つに至る。しかし、マルハンも商売を始めたときは1店舗の中小ホール業者であった。それから努力を重ねて大きくなったのだ。逆に、大きくなれなかったいまの中小の方に、努力不足をはじめとした問題があったのではないかと思ってしまう。より多くの努力をした方が、それより努力の少なかった方に、なぜ批判されなくてはならないのだろうか。その点がいまだによく分からない。

写真キャプション=南高梅が咲く向こうに見える大阪城


最終的に、その努力を評価するのは“顧客”である。顧客に支持されるから、ホールは繁盛し、そのノウハウを持って、また他のエリアに進出していく。そうした流れを見て、これまでは同社の資力やホールの規模によって、各地での競合に勝ち抜いてきたのだと言われてきた。しかし、本当にそれだけなのだろうかということを、近頃よく考えるようになった。設備が整った大型ホールができれば、そのエリアのパチンコファンは、いままでのホールを捨て去って、新たなホールに通い続けるのだろうか。そんな単純な問題ではない。その原点を見ようとしないから、ホールの“本質”も捉えきれないのだと思う。

その一方で、いま郊外の大型ホールの多くが、不振に喘(あえ)いでいる。それどころか、大型店を出店しても、わずか数ヵ月で立ち行かなくなる例も少なくない。また、大手ホール企業でも様々な理由によって、経営的に破綻するところが出てきた。その理由の多くは拡大戦略を取った末の資金調達問題でやられている。これは全国的な有名ブランドやホール規模だけが、ファンの選択肢ではないことを、立証しているのではないだろうか。ファンは実にホールをよく見ていると思う。

ここで強引に、今回のテーマである「ぱちんこ情熱リーグ」に話を持っていく。近頃、「ホールの信頼度」(ブランド)と、「顧客満足度」ということを考え続けている。ファンは自分の通っているホールが、“いいホール”か“悪いホール”かを、すべての五感を働かせて観察している。それは玉の出方、イベントの信頼度、スタッフの対応から、トイレの掃除の度合いまで、実に多岐にわたる。その結果、最終的な判断の分岐点となるのは、このホールは“私たちを大切に思ってくれているかどうか”ということだ。これがつまり、ホールの“信頼度”である。

写真キャプション=全体的に満開には少し早過ぎたが、先陣を切って花の盛りとなっていた紅梅


逆に、大型ホールで多くの機種があっても、玉も出ないし、客を客とも思わないような対応をされ、トイレの掃除も十分にされていないホールを、顧客は一体どのように思うのだろうか。その結論は、“金儲け主義だ”、“信用できない”、“心がこもっていない”、“だまされた”と思い、最終的には客を馬鹿にしている“悪いホール”という判断を下す。そして、そんなホールには2度と行かないのである。それは、なけなしのお金を投資する立場に立てば当然の“自己防衛策”と言える。つまり、顧客はそんなホールを信頼できないのだ。

こんな小学生でも分かるような簡単な例を出して、笑われるかもしれないが、実はこれがいまのホールの現状である。私の古い付き合いのコンサルタントは、ホールに入って3分間あれば、そのホールの売上と粗利を7割の確率で当てられると豪語していた。私には、そんなことは全く分からない。しかし、私もこの業界に入って、数多くのホールを見てきた。そして、それらホールの行く末もある程度は見続けてきた。だから、ホールに入って3分間あれば、どの程度のホールであるかが分かるつもりだ。

しかし、そんな破綻したホールを数多く見てきて、一体その駄目な原因はどこにあるのかを考えている。ホールスタッフの対応が悪いのは、ホールスタッフの人格や適性の問題なのか。玉が出ないのは、店長の技術不足なのか。しかしそのすべては最終的に、経営者の“意識”の問題であるという結論に至った。破綻の原因はいくつかあるだろう。しかし、最終的にはホールを維持していく最低の集客ができなくなって、経営者は最終的な決断を迫られるケースが多い。経営者の心がそのホールの“本質”である。それがホールのすべてに表れている。

これとは別に、いくつかのホールの改革を合同で行なうというプランがあって、私も協力したことがある。その改革によって、ホールのイメージも変わった。スタッフも成長した。財務面でも改革を行なって大きな改善を施した。そのホールは良くなるはずであった。しかし、その改革を最終的に阻んだのは、誰でもないホール改革を依頼してきた経営者本人であった。これは業界にいる人なら、よく分かってもらえることではないだろうか。それらの経営者は、そのホールを自分のホールだと思っていた。

。写真キャプション=レストホールの横に展示されていた梅の古木盆栽の見事な姿


これがホール業界の本質である。それはホール組合の実態を見ればよく分かる。外から見ると、まるでに“牛”のような鈍重な組織で、他からムチを打たれれば動くが、自らの意思では一向に動かない業界のように思えてならない。ここまで書いて、次第に怒りが爆発してきた。一方、遊技機メーカーは、現時点の機械を超えた次の機械を作らなくてならないので、“革新的”な志向を持った集団である。誤解を恐れずに言えば、メーカーの遊技機規制や内規を破らんばかりの“革新的”な努力によって生み出された機械を並べて、ホールは営業を行なってきたわけである。しかしホールはメーカーに対して、“文句”ばかりを言ってきた。

では一体、ホール組合は自らの意思によって、“改革”を行なってきたことがあるのだろうか。いまのままで営業が続けられればいいというのが、本音であるように思えてならない。しかし、いまのような営業がこれからも本当に続けられるのだろうか。業界を取り囲む環境は、ここ数年で大きく変化していく。その間、潰れていった組合員のホール企業も多くあった。そんな状態を永年にわたって見ていると、まるで狼に狙われた“羊の群れ”のような印象を持ってしまう。

一方、マルハンは“業界を変える”をポリシーにして、次々と新たな“ホール像“を作り出してきている。ダイナムも顧客が安く遊べるパチンコを目指して、大きな勝負に打って出てきている。それに対し、ホール組合は何をしているのだろうか。先月、東京に取材に行ったら、あるホール団体のトップは、民主党が提案した「パチンコ業法」の不完全な箇所を指摘して、ホール業界5団体は従来の風適法を支持する路線で合意したと声高らかに報告していた。そして、別の業界団体のトップは、「いま風適法の研究をしているが、その改善を図っていけば、50年後には夢のようなホールになっているかもしれない」という挨拶を聞き、私は愕然としてしまった。
 
いつまで、警察の傘の下に入って身を縮めているのだろうか。“牧羊犬”は果たして最後まで“羊”の命を守ってくれるのか。いま、業界を批判する勢力は、警察関係からの“天下り”を問題にしている。それを“癒着”とも表現していた。さらに、某ホール団体との関係のある国会議員の名前も挙げている。それは、これまでの経緯を知らない的外れの指摘だが、世の中はこうした捉え方をする。

いま最も必要なのは、ファンや一般の人たちに理解され、賛同を得ることだと思う。自分たちは弱いから強いものに巻かれますという行き方が、果たして一般の人たちの賛同を得られるだろうか。逆に、回りは敵ばかりだが、自分たちはその状況に立ち向かい、理想を実現するために頑張っていますという行き方が、熱い応援を受けている。前回の孫正義氏のtwitterが、そのいい例ではないかと思う。ではホール業界は、どのようにありたいと思っているのか。その理想の姿になるために、どれだけ頑張っているのか。その理想が見えないし、そのためホール業界全体が具体的にどのような努力をしているかということが、ファンや一般の人たちになかなか見えてこない。

たとえば、「身近で手軽な娯楽」を提供するという理想に向け、「1円パチンコ」をはじめとした低貸営業を推進していますというメッセージを発信したとする。これに対し、ファンや一般人たちはどのような反応をするのだろうか。なるほど、ホール業界は一所懸命に理想の実現に取り組んでいて、自分もホールに行ってその活動を支援してやろうと思ってくれるのか。はたまた、「ほんまかいな」「ウッソー」と冷笑されて終わるのか。メッセージの信頼性と真摯さも、多くの人たちを巻き込む重要なポイントだ。

写真キャプション=若いころに虜(とりこ)となって読みまくった故開高健氏の展覧会のポスター


その理想や頑張る姿を社会に発信して、賛同者を得る努力が、状況を変える第1歩になると私は思う。ホール業界の先進企業は、自らの主張をファンに投げかけている。しかし、ホール組合は、何をしたいのかも分からないし、いまだ古い“護送船団”のなかにいるように思えてならない。それでは、ファンとして何の魅力も感じないし、味方になりようがない。だから、ホールは単に遊技機が並べられている“場所”で、玉が出るかでないかでしか語られない“比較対象”から抜け出すことができない。

では、ホール組合は、ファンのためにどんな改革をしてくれるのか。その改革は、本当にファンを救い、すべてのファンが喜べるようなものであるのか。それならファンも応援してくれるだろう。ファンのために、行政や遊技機メーカーに提言していくのであれば、それが大きな“大義名分”になる。しかし、それがホール自身の身を守るためのものである限り、業界内の内輪もめで終わってしまう。“顧客本位”と言いながら、“ファンのために”という発想が、この業界では決定的に不足している。

一方、個々のホールで言えば、「私は近くに大きなホールがあるけど、あのホールが好きだから行く」「あのホールの雰囲気が好き」「あのホールは店員が親切だから他には行かない」などというファンをどれだけ持っているのか。これがファンを味方にしたホールと言えるだろう。こうしたホールがどんどん増えていってほしい。こんなホールなら地域のなかにあって、パチンコファンを幸せにしていると胸を張って言ってもいい。

これがホール業界の実態である。この業界は“社会”のことが本当に見えているだろうか。自分たちの営業を支えてくれている“顧客”のことが、果たして見えているのだろうか。“パチンコ営業は行政による許可営業だから”という金科玉条を、どこまで引きずっていくつもりなのか。個人的には、目の向く方向が違っていると思う。こうした現状を見るにつけ、真に業界を変えるのは、一握りの先進的なホール企業しかないと思わざるを得ない。逆に言えば、勇気と真の意思統一と顧客視点がないホール組合は、どこまで行っても業界を変えることはできない。それが私の年来の持論である。

今日は、書くうちに怒りが湧き上がってきて、テーマが吹っ飛んでしまった。恐縮ながら、今回のテーマは次回に移行する。その原因は、昨年12月に取材に行ったマルハンと1月に行ったホール組合での、問題意識や社会に対する考え方の大きな“落差”が、核反応を起こして怒りとなって爆発してしまった。お詫びに大阪城公園の梅林で取った写真を載せておく。いま、「フェイスブック」が端緒となり、北アフリカのアルジェリア、リビア、エジプトをはじめ、バーレーンなど中東諸国にまで“民主化の波”が拡がっている。“民衆の力”は強い。

ホール業界も1500万人の遊技人口を持っている。このファンの力を馬鹿にしてはいけない。このファンを味方に付けて、なぜ改革を行なわないのか。これはパチンコという機械を生み出してくれた先人からの財産である。その財産を自分のことばかり考えているうちに、半分を食いつぶしてしまった。いま、パチンコとパチスロはファンにとって、どうあらねばならないのか。ホールは社会にとって、どのような存在であらねばならないのか。

写真キャプション=「開高健展」でもらってきたチラシ。額に入れて近頃、毎日のように巨匠の姿を眺めている


先日、回顧展に行ってきた我が敬愛する故開高健巨匠は、「風に訊け」と言った。それに倣(なら)うなら、佐渡屋太郎は「客に訊け」と言いたい。今回は深酒と怒りでヘロヘロになってしまった。最後に“民主化の嵐”が、漢民族を主体とする中国と、新潟市立寄居中学校に通っていた横田めぐみさんを拉致した北朝鮮に、盛大に吹いて民衆が立ち上がってくれることを心底から願って終わりたい。(佐渡屋太郎)

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ぱちんこ情熱リーグ2次予選終了(前章)【佐渡屋太郎-vol.198】

写真キャプション=引越し前の部屋に積み上げられた目を通してない新聞の山


いまは1月20日(木)の20時40分。今夜は締め切りの終わった事務所で、静かで穏やかな時間を過ごしている。こんなに落ち着ける日は月に何回もないので、締め切りで硬くなった心を解きほぐし、何もしないでいい自由を堪能したい。実は今日、感動したことが2つあった。1つは、1年4ヵ月前の引越し時に大阪に持ってきた古新聞の整理が、すべて終了したことだ。今日の午前中に記念すべき最後の切抜きをしたのは、4年近く前の2007年3月26日の夕刊であった。

引越しのとき、大阪に持ってきた新聞は全部で20束以上はあったと思う。それらは狭い廊下に積み上げられていた。思い返せばあの“魔の引越し”のとき、2トン車で“必要最低限”の荷物という条件のもと、本と植木と衣類と新聞を山のように積み込んで、京都から大阪に運んだのである。新聞の束は落ちそうになっていたが、必死になって荷台にロープで括り付けた。やっと大阪に着いたのは、夜の10時過ぎだった。

連日に亘る佐渡送りの荷物の梱包で、佐渡屋太郎の体はすでにフラフラになっていた。しかし、その日中に荷物を運び上げなくては、明朝10時までに車を返しに行けない。1階のおばちゃんに苦情を言われながらも、台車で8階まですべての荷物を運んだ。作業が終わったときは午前1時を回っていた。しかし、一連の騒動なかで最も嬉しかったのは、最初は「そんな新聞は持って来ないで」と言っていたY嬢が、最終的に「年末までに整理するのならいい」という“心の広い判断”をしてくれたことだった。

写真キャプション=別の部屋にもこのような新聞の山が散在していた


その有難い言葉は疲れた佐渡屋太郎の体に、電流のような“希望”と元気を与えてくれた。お陰で私の引越しは、自分のなかでは“完璧”なものになった。それは大切なものを捨てることなく、想定していたすべてを守り切ることができたからだ。この“感激”は我が人生のなかでも、5本の指に入るほど大きなものであった。ひょっとしたらY嬢は、“大人物”ではなかろうかと思った。このブログはY嬢も読んでいるので、主に上新庄方面に強く発信しておきたい。佐渡屋太郎はこの10倍以上の“恩返し”をしたいと、そのとき心に強く刻んだのである。

それから2回目の年末が過ぎ去っていった。しかし、新聞整理はまだ終わっていなかった。人間(というか私)は物を忘れやすい。これが現実である。その間、仕事の空きができたときには、思い出したように、まさに断続的に、細々と新聞整理の作業は続けられてきた。今の時代に新聞の切抜きをする意味が問われている。そんな膨大な時間を使うなら、もっと仕事をしろという現実的な効率論も身辺では起こっている。しかし、これは単なる“紙切り”の作業ではない。過去5年間に目を通せなかった新聞の整理をするというのは、私に背負わされた“課題”である。意味があろうとなかろうと、効率的であろうとなかろうと、自分がやろうと決めたことを最後までやり抜くことに意味があるのだ。

写真キャプション=切抜きが終わり、廊下に戻された最後から2番目の新聞の束


この遠大な“課題”を今日の2011年1月20日に、佐渡屋太郎は見事にやり遂げた。“ヤッホー”である。昨夜、酒に酔った佐渡屋太郎はY嬢に、「明日、やっと新聞整理が終わる予定だ」と報告した。それに対するY嬢の返答は、「遅すぎる」という一言のみであった。実に厳しい。吉本の芸人なら、みんなコケてしまうような“返し”である。でも、“これでいいのだ”と思うことにした。この喜びは誰にも分かってもらえない。しかし、佐渡屋太郎はまた“一大事業”を成し遂げて今夜、誰もいない事務所で泣きながら美味い酒を飲んでいる。これでいいのだ。


あと1つは、孫正義氏のtwitterを読んだこと。先日、録画でたかじんの「ノーマネー」を見た。そこに孫氏が出演していて、“夢”と“志”の違いを語っていた。“夢”は個人的なもので、多くの人たちの“夢”を実現しようと立ち上がることが、“志”であるという。今日、「光の道」構想に関するフォロワーたちの熱き支援の言葉に感動した。自分の思いをぶつければ、それに応えてくれる人がいる。その輪が拡がれば、1つの運動や活動に結びついていく。その醍醐味を、twitterでのコメントで堪能させてもらった。

その一方で、昨日からパチンコのバッシング本を読んでいる。内容的な抵抗感から、積極的にその書名を記す気にもならない。書いてあることは、確かに正論ではある。しかしこの本を読みながら、パチンコを禁止しろという意見に、パチンコファンはどのような反応をするのだろうかという興味を持った。本の中では、パチンコ依存症になった人やその親族からの賛同の声が紹介されていた。現在のパチンコが多くの問題を抱えていることも確かだ。

写真キャプション=整理が進んでいる最後の1束の新聞


しかし、パチンコをすることによって、癒しや活力を得ている人も多くいる。私が酒を飲まなくては生きていけないように、パチンコがなくては生きていけない人たちもいるはずだ。何事も程度の問題で、私もパチンコ依存症や財政的な破綻者の取材をしたことがあるので、その深刻さは十分に分かっているつもりだ。その対策は必要だと思う。では、被害者が多く出ているので、パチンコは禁止すべきなのだろうか。パチンコは必要とされたから、これまで70年以上も存在し続けてきた。

韓国がパチンコ(メダルチギ)を法律的に禁止したのは、歴史が浅いために法律やシステムの整備、さらに営業者や関連業者の管理体制が追いつかなかったからだ。その間、韓国の当局は日本でのパチンコのシステムも随分と勉強したようだ。その結果、禁止となったが、射幸性を抑えた機械を並べたゲームセンターはあるし、非合法で換金が行われているところもある。

酒やギャンブルやタバコは、やりすぎれば体や生活に悪影響を与える。これはいいか悪いかといえば、悪いものだろう。では悪いものをすべて排除すれば、人間は身も心も健康になり、“健全な社会”が生まれるのだろうか。そんな国や時代がこれまであったことは寡聞にして知らない。ましてや国家の力によって禁止しろという意見には、反発を覚えざるを得ない。パチンコなんか要らないと国民の大多数が思えば、ホールに行く顧客も減り、その結果としてパチンコホールは自然に淘汰されていくだろう。それはそれで仕方ないと思う。

これは人間や社会というものに対する認識の問題であると思う。中学校のときに“necessary evil”(必要悪)ということを習った。パチンコや酒やタバコやギャンブルや風俗営業を禁止したら、それらは地下に潜っていくだけだ。もっと厄介な問題になる。逆に言えば、それだけ根強い需要があるということだ。人間(愛好者)にとっては、酒やギャンブルやタバコは切っても切れないものであると思う。そのなかで風紀や健全性を乱さずに社会的な均衡を保ていくのが、先進的な法治国家の腕の見せ所だ。ただそれは、非常に難しい。かくして、営業者と警察の“いたちごっこ”が続いているわけだ。

写真キャプション=記念すべき最後の新聞となった2007年3月26日(月)の夕刊


しかし、これが違った意味での“健全な社会”であると私は思う。こうして表に出ている“自由”の有難さに感謝すべきだろう。それが文明国の1つの“尺度”でもある。人間の欲望に対する制限つきの“権利”が認められており、その一方で社会人としての“責任”が課せられている。依存傾向の強い人たちは、パチンコがなくなってもまたほかのものに依存の対象を移す傾向が強い。ただ、その数を減らしていく努力は、パチンコ業界でも続けなければならない。

もし、禁酒法が日本で施行されたら、私は外国に逃げ出していく。飲酒を禁止するような強権的で独裁的な国には、一刻たりとも住めない。逆に、酒が飲めないイランにもいたことがある。当時のイランはイラクとの戦争中で、酒や色気もない上に、兵隊にも随分いじめられ、一刻も早く通り抜けたい国であった。国境の厳しい検査を潜り抜け、トルコのエルズムスで飲んだビールの味は忘れられない。レストランのTVにはアメリカのチャーリーズエンジェルが映り、新聞の1面にはミニスカートのトルコ女優の写真が掲載されていた。このとき、“自由”の有難さをしみじみと感じて涙が出てきた。酒が飲める自由、パチンコができる自由があることは、実に素晴らしいことだ。その“自由”を死守することを、営業者と愛好者がもっと真剣に考える必要がある。その自由の有難みを忘れ、許容の“限界値”を超えたときに、こうした短絡的な意見が沸き起こってくる。

そして、孫氏のtwitterとこの本を読んでいることが相俟って、2つのことが頭に浮かんだ。1つ目は、パチンコがこうした非難を受けたとき、孫氏のフォロワーのように、パチンコのことを擁護してくれるパチンコファンがどれくらいいるかということだ。それはエンドユーザーであるファンが訪れるホールの問題でもある。パチンコが禁止されることになったとき、それに反対運動を起こし、パチンコやホールを守ってくれるファンがどれくらいいるのだろうか。それはホールにおけるこれまでの“営業姿勢”も大きく影響してくるだろう。果たしてそれぞれのホールは、自分の“味方”となってくれる“顧客”をどれくらい持っているのか。

それは地域社会のなかで、ホールがどれだけの役割を担ってきたのかが判断基準になる。その基準は、献金を初めとする社会貢献活動ではないだろう。多くの人たちは、パチンコ業界の社会貢献活動を“罪滅ぼし”としか考えていない。問題は本業のパチンコで、地域の人たちをどれだけ幸せにしてきたのかということだと思う。この点が、最終的に問われている。昔のパチンコを評価する人たちは多いが、現在のパチンコに関しては批判が多い。では昔のパチンコと今のパチンコは、どこが違ってきたのだろうか。私は個人的に、顧客に対する考え方だと思う。

これまで新台を入れるだけで、他業界では信じられないような売上と粗利を上げてきたホールは、多大な投資を行なって新店の店舗展開や店舗の大型化などの“拡大戦略”を推進してきた。その結果、エリア内でのオーバーフローによる“過当競争”が起こり、店舗同士の“淘汰の時代”があった。そして最終的には“1円パチンコ”をはじめとした“低価格競争”が蔓延してしまった。これは業界が衰退していくときの、絵に描いたようなモデルケースである。この間、ホール経営者の頭にあったのは自店の売上と粗利の額であり、ライバル店との競合に勝つことであった。

これはホールの思い上がりで、1人ひとりの顧客がどのような気持ちでパチンコを打っているかを見てこなかった。その結果、3000万人もいた顧客が半減してしまった。そんな顧客のことも考えないようなホールに、一体どれくらいの人たちが味方になってくれるのだろう。そうしたホールの思い上がりに対する反発が、いま全国に蔓延している。一方、ホール側でも“拡大戦略”が破綻したことの根本原因が、なかなか分かっていないのが現状だ。そのなかで、1部の大手やその原因が分かった経営者たちが、ファンの心を掴んでいくと思う。それは営業形態ではなく、経営方針の問題であると思う。したがって企業やホールの規模ではなく、経営方針による第2の“淘汰の時代”が、これから何年間にわたって静かにゆるやかに進行していくと思う。このままの営業形態を続けていけば、余程の有力機の出現がない限り、全体的な下降傾向は続いていくはずだ。

写真キャプション=「第2回ぱちんこ情熱リーグ」で決勝大会進出を決めた「DAIICHI J&Z 平野店」(大阪市平野区)


2つ目は、こうした非難を受けたとき、孫氏のようにその全てを受けて立つ“パチンコ業界の代表”とは、一体だれなのだろうかということだ。“パチンコ業界の顔”が見えない。以前どこかの報告書を読んだら、パチンコ業界は色んな団体が乱立していて、意思統一がなかなか図れないといった分析がなされていた。まさにその通りだと思う。顔や声がないから、勝手な憶測が生まれ、根拠のない噂話が1人歩きを始めてしまう。

事実、孫氏のtwitterにも民族問題などかなりひどい書き込みもあったが、本人は「そんなことは誤差の範囲だ」と一向に気に掛けない人間としての“太さ”がまた魅力になっている。一方、何かといえば非難の対象となりやすいパチンコ業界であるが、業界内でウジャウジャ言っているだけではなく、言うべきことはしっかり社会に向けて発信していかなくてはならないと思う。ファンとの対話がないところに、決して“一体感”は生まれない。あのtwitterでの熱い意見交換と既存勢力に立ち向かっていく“連帯感”をみて、この活力がいまのパチンコ業界にないことを痛感した。

締め切り後の開放感で、また前フリが永くなった。今回のテーマは、「ぱちんこ情熱リーグ」の2次予選の結果報告であった。しかし、その結果はほとんどの読者は知っているはずだ。ただ、メインはその後に開かれた「フォロー勉強会」の内容にあった。もう、その複雑な内容を書く気力と体力はなくなっている。今回は、2次予選を突破し、決勝大会への進出を決めた5ホールを紹介して終わることにする。ただし、そのなか「JOY STAGE EVOLUTION」と「JOY STAGE 大洲店」は㈲ミヤマ実業のホールで、決勝大会には合同で臨むことになった。したがって、6位の「ジャンボ30防府店」が繰り上がりで決勝大会に出場することになった。(佐渡屋太郎)

情熱リーグ/2次予選結果


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入魂篇/佐渡高校野球部が夢の“甲子園”に出場する【佐渡屋太郎-vol.197】

写真キャプション=佐渡高校球児を生んだ佐渡島のやさしい夕暮れ風景


いまは1月28日(金)20時45分。Twitterでも報告した通り、佐渡高校が甲子園に出場することになった。もう今日は18時30分から個人的に祝杯を挙げていて、すでにかなりいい気持ちになっている。先程、酒が残り少なくなったので、新たな酒とツマミ(大阪流にいうとアテ)も買ってきて、いまイカの足を咥(くわ)えながらこれを書いている。

やはり佐渡屋太郎は、紛れもない“佐渡のおっさん”であった。欲を言うなら、BGMに「佐渡おけさ」がほしい。明日は知り合いのキムちゃんの結婚披露パーティがあるが、今日は徹底的に飲むことにする。と言いながら、実は毎日飲んでいる。嬉しい。実に嬉しい。この気持ちをどのように表現したらいいのだろうか。佐渡高校の野球部については、08年からこのブログでも何回か書いているので、興味のある人は遡って探してほしい。本来ならその原稿ナンバーをお知らせすべきだろうが、今日は興奮していて、そんなややこしい作業はできなくなっている。

この嬉しさを伝えるために、Y嬢と猪八戒と弟の佐渡屋次郎に電話を掛けた。スポーツマンの佐渡屋次郎は、この件をまだ知らなかった。昨年、県大会の決勝戦に進んだとき知らせてもらったので、今回はそのお返しにこのビッグニュースを教えてやった。詳しく知らない読者のために、概要を説明しておこう。わが母校の佐渡高校は昨年の2010年10月10日、第123回北信越高校野球県大会の決勝戦に進出した。これも選抜の予選では学校創立以来、初めての出来事であった。その結果、残念ながら対戦相手の強豪「日本文理」に、6-1で敗れてしまった。

写真キャプション=佐渡高校のある佐和田の浜からみた穏やかな真野湾


しかし、10月23日から始まった北信越大会には、新潟県代表として1位=日本文理、2位=佐渡、3位=北越の3校が出場。この大会(5県16校出場)で佐渡高校は、1回戦で長野県2位の「佐久長聖」と戦い、6-0で完封負けを喫した。これで春の甲子園への道は途絶されたかに見えた。しかし12月15日に全国9地区から選ばれた「21世紀枠」のなかに、佐渡高校は北信越地区から推薦されたのだ。

そして今日の11年1月28日、「第83回選抜高校野球大会」の出場校を決める選考委員会が、大阪市の毎日新聞大阪本社で開催された。そのなかで21世紀枠特別選考委員会は、大館鳳鳴(秋田)、佐渡(新潟)、城南(徳島)の3校を、「21世紀枠」の出場校として選出した。これは佐渡高校野球部が創部以来、永年にわたって夢に描いてきた“甲子園出場”が、実現された瞬間でもあった。部外者の剣道部であった私から見れば、まさに“奇跡”というしかない。最も多くの予算を取りながら、新潟へ行っては負けて帰ってきたのが、当時の野球部だった。その野球部が甲子園を目指していたというのも、3年前に同窓会の新聞で読んだOBの言葉で初めて知った。本当にあの当時からそんな“野望”を抱いていたのだろうか。

しかし、3年前から状況が一変した。思い返せば08年7月23日、鉄腕・中河達哉を擁する佐渡高校は夏の高校野球大会の新潟県予選において、対戦相手を次々に破って決勝戦にまで進出した。決勝の相手は「県央工」で、延長11回の熱戦の末、3-2で負けてしまった。甲子園まであと1歩のところで涙を飲んだのである。ただ中河君は決勝までの6戦で、712球を1人で投げ抜いた。まさに佐渡が生んだ“傑物”で、その後は國學院大學の野球部に進んだ。

そして今日、中河君を初め、前々代のメンバーが果たせなかった甲子園への夢が遂に実現した。それどころか、創立から115年になる佐渡高校において、開校以来“初”となる快挙だった。この快挙を祝うために、佐渡屋太郎は個人として何ができるのかを飲みながら、書きながら酔った頭で考えた。その結果、私にできることは、佐渡高校や佐渡高校野球部のことをもっと多くの人に知ってもらい、喜びを分かち合ってもらうことであるという考えに至った。幸いにして、私は佐渡高校や野球部に関する写真を僅かながら持っている。そこで今回は、それらを総編集してお届けしようという趣向である。実はすでに飲み過ぎていて、文章を書く気力が萎えてしまった。下手な文章よりは、“百聞は一見に如かず”路線でいくことにしよう。

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これが佐渡高校の校門。生徒たちの玄関は昔、体育館の横にあったので、こんな校門があったことは3年前の撮影時まで知らなかった。もしあったとしても、毎朝、遅刻ぎりぎりで石段を“脱兎”のごとく駆け上がっていたので、校門を見る余裕などなかった。

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校門の脇にあった位置を示す石碑。碑文にあるように、本間氏の居城であった「獅子ヶ城」の跡に校舎が建てられた。かなりきつい坂を上がった山の上にあるが、今回その高さが僅か海抜28メートルであることが分かった。

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佐渡高校の正面玄関。私がいたときは木造であった。そういえば何年か前、校舎を建て替えるので寄付をしろという手紙が来ていたような気がする。個人的には悪事を働いたときに「父兄召喚」となり、母親が学校に呼びつけられたことがある。そのとき母親は、この玄関から校舎に入っていったことだろう。私は自宅謹慎で反省文を書きながら居眠りをしていた。

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これが佐渡高校のグランドで、野球部もここで練習をしている。3年前、ブログにこの写真を載せたとき、「この何もないグランドが、果たして“甲子園”につながっているのだろうか」という誠に失礼な文章を書いてしまった。それに対し、野球部の球児たちは何もないこのグランドが、確かに夢の“甲子園”につながっていたことを証明してくれた。この壮大な“ドラマ”の前では、すべての言葉を失ってしまう。お詫びの意味を込めて、県大会における佐渡高校ナインのオーダー表を掲載しておく。
①鈴木(センター)
②和田(ショート)
③荒井(サード)
④石見聖(ライト)
⑤相田(レフト)
⑥鎌田(ピッチャー)
⑦渡部哲(キャッチャー)
⑧仲川(ファースト)
⑨石見翔(セカンド)

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これは1昨年9月、引越し後の整理のために、佐渡へ行くときに撮影した佐渡高校野球部のメンバーである。直江津から佐渡へ向かう佐渡汽船で偶然、メンバーたちに出遭った。運命の出会いである。この年は春予選が1回戦、秋予選は3回戦で負けたとメンバーから教えてもらった。多分、秋季予選の帰りではなかったかと思う。弟・佐渡屋次郎の友達である野球部OBによると、今年のメンバーは「監督は総合力のチームと言っているが、ピッチャーの鎌田が投げる方だけでなく、打つ方でもチームをリードしている」ということであった。

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通称“遅刻坂”の下から見上げた佐渡高校の校舎。私がいた頃、坂の両脇は田んぼであったような気がするが、いまはこのように家が建て込んできた。野球部はどうか知らないが、剣道部は裸足でこの坂や正面玄関につながる石段を毎日、せっせと走り回っていた。

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高校のある佐和田の商店街。以前は両津に次ぐ佐渡で2番目に賑やかな商店街であったが、だいぶ寂しくなってしまった。いまは高校の下にある国道沿いに郊外店が集積して、多くの人を集めている。あの頃、昼に学校を抜け出したり、クラブが終わった後で食べた諏訪町交差点にある「かねふく」のラーメンが懐かしい。「かねふく」でラーメンを食べながら『愛と誠』を読み、岩清水の「早乙女愛よ、岩清水弘はきみのためなら死ねる!」という言葉に感動していた高校時代であった。あれから30年以上も経ったが、その頃から私はほとんど成長していない。人間はなかなか変われないものだ。ちなみに「かねふく」はいま、「ラーメン大学かねふく」という店名になっているそうだ。いつから“大学”になったのであろうか。佐渡高校“御用達”の名物ラーメン屋であった。

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これは私が探し回った末に、やっと手に入れた佐渡高校野球部のTシャツである。昨年11月に佐渡から送ってもらい、写真も撮ったのだが、いままで掲載を躊躇していた。その理由は、それを着ている私の体型に愕然としたからだ。知らないうちに、人にお見せできないような体になってしまった。それが恥ずかしくて掲載を見合わせていたのだ。しかし、佐渡高校が甲子園に出場するに至って、そんな小さいことは言っていられない。現在の佐渡屋太郎は身長174cm、体重82kg。佐渡高校に入学したときは、身長169cm、体重52kgであった。30kgも成長してしまった。人間は変わるものである。しかし、このTシャツを着て、佐渡屋太郎は堂々と甲子園に行き、母校の後輩たちが全国の強豪たちと“死闘”を繰り広げる姿を見てくる。

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そのとき、周りには“佐渡人”たちが結集していることだろう。果たして、何台のバスを仕立てて、佐渡から甲子園に乗り込んでくるのだろうか。すでにバスのなかで酔いつぶれているおっさんも、何人かいるに違いない。しかし、島で生まれ育った人間は、厳しい環境を共通体験として、心は自然と1つになっている。みんなが島の子供たちに、夢にまで見た甲子園で、せめて“1勝”させてやりたいと、泣きながら声を枯らしているはずだ。それを想像すると、私も泣けてくる。その背景には、“島の人間”が持つ異常な連帯感がある。その声援は永年の間、虐げられてきた島人(しまびと)たちの、歴史的な“叫び”であるのかもしれない。さらにその応援自体がひょっとすると、甲子園を舞台にした“佐渡一揆”の代償行為に近いものがあるのではないか。少し、表現がオーバーになって、妄想が入ってきてしまった。しかし折角、甲子園に立つのだから、何としてもこの子らに、勝たせてあげたいのだ。私も事務所の中で酔いつぶれる寸前だ。いま、佐渡の“血”が体のなかで沸き立っている。

一方、島が生んだ子供たちは、いくつもの決戦を戦い抜き、見事に夢を実現した。しかし、歴戦のうちに成長して“戦士”となった英雄たちは、さらに“日本一”を目指して晴れ舞台に上がるのだ。その勇ましい姿と、佐渡人たちが懸命になって声援する必死な様子を想像するだけで、また泣けてくる。やはり、佐渡は“偉大な島”であった。そしていま佐渡は、全国に対して勝負を挑んでいるのである。そこで、佐渡高校の吹奏楽部に1つ要望がある。「佐渡おけさ」をアップテンポにアレンジして、応援歌にしてほしい。佐渡と言えば、「佐渡おけさ」である。「相川音頭」も「両津甚句」もいいが、やはり佐渡の“戦士たち”を勇気づけるには、「佐渡おけさ」しかないだろう。甲子園にこだまするアップテンポの「佐渡おけさ」――考えただけで頭がジンとしてくる。今日は酔い過ぎているので、ここらで終わることにしたい。本当の決戦は、3月23日から始まるのだ。

最後に、佐渡高校野球部の皆んな、感動をありがとう。私は君たちを“誇り”に思う。夢の甲子園では“佐渡人”らしく、思いっきり勇ましく闘ってほしい。私も何があってもすべての予定をキャンセルして応援に行き、その姿を目に焼き付けくることを楽しみにしている。決して対戦相手や多くの観客たちに飲まれることなく、自分のすべてをさらけ出し、悔いのない闘いをすることを祈っている。(佐渡屋太郎)

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