遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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2007年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年01月

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マルハン専用のパチスロ機が登場!【佐渡屋太郎-vol.42】

写真キャプション=マルハンの専用パチスロ機「パンドラ」いまは12月28日(金)の15時30分。世間は仕事納めのようだが、佐渡屋太郎は連日の忘年会でヘロヘロになっており、どうも仕事が納まりそうにない。そんな慌しいなか、マルハンから専用のパチスロ機を導入したというリリースが届いた。これを見たとき、「PB(プライベートブランド)機か!」と一瞬、驚いてしまった。

 そこで詳しいことを聞こうと、同社の広報室に電話を入れた。それによると、“PB機”ではなく、“専用機”であると言う。ここがややこしいところだ。PB機とは依頼者の意向を組み入れて開発を行なうが、今回はすでに保通協を通っていた既存の遊技機をマルハンが独占的に買取り、オリジナルパネルを付けたものであるのだそうだ。

 その遊技機とはアリストクラートの「パンドラ」で、06年11月から12月にかけて各都道府県の検定を通ったもの。完全告知タイプで、筐体上部に3列に並んだ7セグを搭載している。さらに筐体下部には、マルハン創立50周年の記念マークや同社のロゴを入れたオリジナルパネルが嵌っている。

 マルハンが導入したのは、全社で366台である。まあ、これくらいの台数なら “飾り台”程度のものだろう。営業的にそれほどの影響はなさそうだ。すでに東京の「マルハンパチンコタワー渋谷」と「マルハン池袋店」に各5台、「マルハン小岩店」に3台が設置されているそうだ。創立50周年の“宣伝ツール”の1つというところか。

 マルハンはこれまで“PB機”には一線を画し、絶対に乗ってこなかった。しかし今回の例をみると、開発済の機種にマルハンのオリジナル仕様を施すことはありそうだ。現在、同社は220店舗を全国に持ち、全店を合わせれば膨大な台数を継続的に発注しているホール企業である。受注するメーカーにとっては、“大得意様”である。とくに中小メーカーに対しては大量購入を条件に、オリジナルパネルくらいのサービスは要求してもいいだろう。

 逆に、メーカーの方もある程度の導入が確保されれば、マルハン仕様のPB機開発に動き出すところがあっても、決して不思議ではない。何か、この件が今後の不気味な動きの端緒と考えるのは、深読みのし過ぎだろうか。前回、千日前のホールを視察して痛感したが、パチスロの設置台数が急速に減少している。1000台以上の大型ホールでもパチンコ対パチスロの比率が、7対3から7対2へと変化している。中には全台数の18%や16%で、それもパチスロコーナーが2階やパチンコ島の隅に追いやられているのだ。

これではパチスロメーカーも大変だろう。つい1~2年前にはパチンコ対パチスロが6対4どころか5対5の新店があって驚いたのものだ。それも今は昔の話になってしまった。オリジナルパネルくらいでは、パチスロファンは驚かないだろうが、何か大きな起爆剤がほしい今日この頃である。(佐渡屋太郎)
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| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 10:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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年末の狂い咲き 【佐渡屋太郎-vol.41】

写真キャプション=暖かい室内で狂い咲きする「ブーゲンビリア」 いまは12月27日(木)の11時30分。昨夜の20時30分に3ページの原稿を書き上げた。実に爽快な気分である。いまの私の気分を表現すると、冒頭の写真となる。この「ブーゲンビリア」は8ヵ月間、ウンともスンとも言わなかった。

 そのあまりもの無変化ぶりに業を煮やした佐渡屋太郎は、室内からベランダに出して、外気で鍛えることにしたのだ。しかし、11月中旬に紅葉して葉が落ちたので、仕方なく暖かな室内に持ってきた。もともと南方系の植物なので、寒さには弱いからだ。

 そしたらどうだろう。いきなり“狂い咲き”を始めたのである。少し花(正確に言うとガクだが)の色は薄いが、他の窓辺の植物たちを押しのけ、押しも押されもせぬ“主役”の座を射止めてしまったのである。私のなかで“植物の女王”は、何と言っても「ハイビスカス」と「ブーゲンビリア」である。一時期、沖縄に狂っていたことがあり、これらの花を見るとその当時のことを思い出すのだ。

 それにしても、この2日間はよく耐え抜いた。だから、いまの私は「ブーゲンビリア」の花のように、華やかな気分に浸っているのである。今回の原稿を発注してきたのは女性の編集者で、その名を“まお”ちゃんという。そう、フィギュアスケートの浅田真央ちゃんと同じ名前(編集者の方は「真生」ちゃん)なのである。何回か電話で話したが、まだ会ったことはない。しかし、私の頭の中で彼女はもうすっかり、短いスカート姿の浅田真央ちゃんになっているのだ(もう、完全に変態ですな、これは)。

 “まおちゃん”は割と几帳面な性格らしく、よく私に連絡をくれる。一応、原稿の締め切りは12月26日(水)であったようだが(このいい加減さはどうだろう)、「原稿の進行具合はいかがですか」と、1日に2~3回は電話が来るのである。いつもなら、締切日を過ぎたら電話に出ないことにしているのだが、“まおちゃん”の声を聞きたいために、つい出てしまうんですな、これが。これでは、さすがの佐渡屋太郎も書かざるを得ない。

 ただこの間、 “猪八戒”からも矢のような催促があった。こちらは“書く”方ではなく、“飲む”方の催促である。「いま、事務所の近くに来ているんですが、これから飲みませんか」。「いま梅田でメーカーの社長といるんですが、広告を出すから朝まで一緒に飲もうと言っているので、来てくださいよ~」――実に甘い誘惑である。いつもの佐渡屋太郎なら、飛んで行っているであろう。しかし、今回ばかりは“まおちゃん”との固い約束がある。書かざるを得ないのである。

 結局、書き出したのが25日(火)の夕方で、その日は1/4くらい書いて京都に帰った。何よりも健康が大切だ。26日(水)はまた朝イチで“まおちゃん”から定時連絡があり、「今日の夕方まで入れる」と約束をしてしまった。ついに、“愛の罠”にハマってしまったのである。しかし、その日は13時から「中古機レンタル」の件で、人に会わなくてはならなかった。

 忙しい時はこんなものである。結局、書き出したのが16時で、世間ではそろそろ夕方である。それから必死になって書いて半分くらいなったときに、また連絡があった。「今日中には絶対入れるので、安心してください」――何が“安心”なのであろうか。“安心”できなくしているのはお前ではないか。でも、“まおちゃん”は「分かりました。頑張ってください」と言ってくれたのだ。実に嬉しかった。これで書かなくては男ではない。佐渡屋太郎を男にしてくれ~!!。

 そして昨夜の20時30分、無事に原稿を書き終え、写真とともに“まおちゃん”のアドレスのメールした。ドラマは終わった。やっと佐渡屋太郎は男になった。それからパチンコ雑誌の社長と飲みに出かけた。喉はヒリヒリと酒を欲していた。何だかキューブリックの映画「シャイニング」のジャック・ニコルソンのようだった。昨夜は飲んで、飲んで、飲みまくった。途中で遊技機のソフト開発会社の常務(と言っても、私より若いが)がやってきて、「ほしのあき」のことを訊いてきた。彼もこのブログを読んでいるようだ

 それからいつものように事務所に泊まって、爽快な朝を迎えたというわけだ。今朝はゆっくりと植物たちに水をやり、1鉢ごとに声をかけた(この光景は我ながら気持ち悪い。決して人には見せられない)。この開放感を味わうために、仕事をしているようなものだ。パチンコ雑誌の社長には、会員用の有料Webに「もっと書け!」と言われ、他の雑誌の担当者からは1月中旬の締め切りなのに「心配なので年内に原稿をください」と言われても、今日はわが相棒の“猪八戒”と飲まざるを得ないだろう

 ふと気付くと、世間はもう年末である。この前、12月に入ったと思ったら、もう年末ではないか。時間は狂ったように過ぎていく。今日は爽快な佐渡屋太郎からのささやかなプレゼントして、「ペチュニア」の写真も載せることにした。以前、このブログで最初の花が咲いたことを報告した、あの「ペチュニア」である。もうこんなに大きくなって、狂い咲きしている。私の頭もやや狂い咲きしているが、これからの年末にかけて貯まった仕事を片付け、何とかきれいな頭と体で新年を迎えたいものである。(佐渡屋太郎


写真キャプション=大きく成長して狂い咲く「ペチュニア」

| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 17:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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パチスロ商売道日記①【ナイトウ龍司-其の九】

写真キャプション=ポスターが出来上がった!株式会社ビーム(Be-AM)の”満開花桜” 今は12月27日(木)、今年も後5日となりました。毎年の如くジェットコースーターに乗っているかのように季節も時間も過ぎ去って行ったように思えます。
 
 只、その中で当サイト“遊技租界”を立ち上げた事は私にとって素晴らしい財産になった事だけは確信しています。最近は仲間内の業者やメーカーの方によく言われるのは「ナイトウ龍司は何故あまり登場しないのですか?」とか「佐渡屋さんばかり書かせてナイトウさんももっと書いてくださいよ」などの嬉しい指導を受ける今日この頃です。
 
 そこで私も来年に賭け、テーマを掲げてみました!タイトルは『パチスロ商売道日記』です。それは何か?実はこのテーマについては何回かに分けてじっくり取り組んでみたい題材なのです。私の中では前回お話した。“IT事業と業界融合”も大きなテーマですが、現在のスロット業界が低迷の中で何か回復できる方法はないかと考えていた中で何点かはその方法を実行することにより何らしかの答えが出そうなスキームを教えてくれた人に巡り逢えたからなのです。

 冒頭で“遊技租界”を“素晴らしい財産”と述べましたがその理由は私も商売人として今まで色々な方と出会いましたがその都度勉強になり色々と学ぶことが出来ます。その中で人と逢う時に私自身もその方の話を理解出来る様に努力するのですが、中には常識を超える様な発想を持っている方もいて度肝を抜かされる事も度々あります。

 その度肝を抜かされた内の一人、株式会社ビーム(Be-AM)の小川志郎社長を皆様にご紹介して行こうと思います。まず、株式会社ビーム(Be-AM)でお気付きになられた方もいるでしょう。以前当サイトで、“満開花桜”を紹介した来春新規参入予定のスロットメーカーの社長です。私がこの社長と何回かお話をしての感想は小川社長は簡単にスロットメーカーとして参入することは考えていなかった様に感じ取れました。何故なら販売に関するビジネススキームが非常に斬新で“儲け主義”で行う自己中心的な商売とは違うと理解出来た事。そして、小川社長ご自身からも『5号機パチスロ時代の私たちの基本的な考え方』と言う持論を基に“精神論”も含め、今回の“満開花桜”の販売活動をされています。

 写真キャプション=私、ナイトウ龍司も何度も試打した”満開花桜”この機械を使う事により斬新な営業スキームが秘められている。 実はこれから『5号機パチスロ時代の私たちの基本的な考え方』について何回かに分けてご紹介して行こうと考えています。この内容は『パチスロ商売道日記』としたテーマの中では重要な部分となりますので私も一生懸命考えて書こうと思いますので宜しくお願い致します。

 最後に私がブログをあまり書かないのは文章力が無いと自覚しているので考えや思いを上手く表現できないモドカシサが筆を遅らせているのかもしれません。でもそんなの事をぐだぐだ言っても前には進めないので“佐渡屋兄貴”を手本として頑張って書くぞー。(ナイトウ龍司)

| ナイトウ龍司-業界の眼 | 08:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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開戦後の千日前ホール② 【佐渡屋太郎-vol.40】

写真キャプション=多くの人出で賑わう千日前のパチンコストリート

 いまは12月23日(日)の20時15分。3連休の2日目であり、クリスマスの“イブイブ”である。佐渡屋太郎は今日も事務所に出てきて、シコシコと原稿を書いている。一時期の峠は越えたが、書かなければならない原稿が次から次へと湧き出てくる。結局、今年はこんなことを繰り返しながら暮れていくのであろう。

 そんな近況報告は次回にまわすとして、今回は「namBa HIPS」オープン後の千日前ホールの状況について、後半部分をレポートしたい。視察したのは12月16日の日曜の16時30分から17時30分。この日は設置台数の多い“巨艦店”を見て回った。巨艦店は休日の営業が生命線となる。そのため、どのホールでもメインイベントを開催し、火花を散らせていた。では、視察した順番に各ホールの状況をお伝えすることにしよう。

①「キョーイチなんば店」(1833台、P=1421台、S=412台)
 言わずと知れた千日前の最大店舗で、ビックカメラがテナントとして入るビルの地下1階と地下2階で営業する。前回、視察した時に“1円パチンコ”を始めていて驚いたものだ。今回は地下1階の店舗がリニューアル工事のために休店していた。

 地下2階では12月10日から12月16日まで「キョーイチ大還元祭」の開催中で、フロアの一部には “1円パチンコ”のコーナーもあった。全体的な稼働は7割~8割といったところか。片休みにしては客入りが少し淋しいように感じた。全盛期から比べると、勢いに陰りが出てきているようだ。ただ、店舗の入口に「日本最大級から世界一へ」という不気味な看板が立っていた。地下1階のリニューアルで“どエライこと”を仕掛けてくるのだろうか。それにしても訳の分からない看板であった。

②「大東洋千日前店」「CLUB-D」(756台、P=405台、S=351台)
 このホールは1階のパチンコ専門店「大東洋千日前店」と、地下1階のパチスロ専門店「CLUB-D」で構成される。1階の「大東洋千日前店」の稼働は8割ほど、地下の「CLUB-D」も7割~8割の稼働があった。実は少し前の平日に視察したとき、「CLUB-D」はガラガラの状態だったが、休日にはキッチリと客を付けている。当日は「大東洋はどこよりも凄い」という“自己陶酔型”のイベントを開催していたが、そのイベントがこれだけの集客力を持つということか。梅田でもかつての名ホール「チェスター」を買い取って、エリア4店目の「大東洋東通り店」(405台)をオープンするなど、力強さを見せている。千日前でもしぶとい底力で戦線に食らいついてきている

③「難波123」(914台、P=746台、S=168台)
 地下1階、1階、2階の3層で構成されるホール。1階はほぼ10割近い稼働があり、そのほぼ満席の顧客が打つ玉音が唸りのように、ホール内に渦巻いていた。これは実に迫力のある光景だった。以前の「ナンバグランデ」時代を超えてしまったと言ってもいいだろう。しかし、2階のスロットフロアの稼働は7割程度で、地下1階「ハイパー海ワールド」も8割弱で少し弱かった。この当たりが今後の課題だろう。当日はプレミアムイベント「出玉の王道」を開催していた。台数の少ない2階のスロットは仕方ないだろうが、地下1階への誘客を促進する強力な企画が必要なような気がした

④「マルハンツインパークなんば店」(1072台、P=738台、S=334台)
 このホールは、地下2階から地上2階の4層構造になっている。さすがマルハンと言うべきか。これまで日曜に視察することはあまりなかったが、地下2階から1階が9割以上の稼働があり、2階はほぼ10割でさらに立ち見客までいた。実際ホールに入っても、待たないと打つ台がないという状態だった。オープン直後である「namBa HIPS」の「アロー」を除けば、客入りではマルハンが最高だった。イベントは恒例の「マルハンの史上最大の週末/週末極玉祭“極”」を開催していた。このエリアでは次々と巨艦店が出店してきたが、いつの間にか他を制圧して1番店に納まっていた

⑤「ジャンボエンターテイメント」(1119台、P=879台、S=240台)
 地下1階のワンフロアで展開するホール。パチンコ879台のうち、20%に当たる181台で“1円パチンコ”コーナーを展開し、ペアシートも82台分ある。そのなかで最も稼働が高いのが“1円パチンコ”コーナーの9割で、客層は年配客が多かった。一方、4円パチンコが6割、パチスロもほぼ6割の稼働だった。確かに“1円パチンコ”だけ見れば、成功しているように思われる。しかし、4円パチンコやパチスロの稼働が日曜でも6割という点が、今後の大きな課題と言えるようだ。

⑥「キョーイチミナミ店」(1466台、P=1142台、S=324台)
 1階(パチンコ)と2階(パチンコ、パチスロ)の2フロアで展開する。2階には141台で構成する“1円パチンコ”コーナーを創設する。1階の稼働が6割、2階の“1円パチンコ”が9割、4円パチンコが5割、パチスロは4割稼働といったところだった。2階の“1円パチンコ”以外のコーナーに空席が目立った。2階には240台の甘デジも設置されている。当日は「年末感謝祭」が開催されていたが、他店に比べて稼働の落ち込みが大きいように感じた。設置台数が多いので、最終的にはこうした結果になるのだろうか。

 さて今回、千日前の中心となるホールをざっと巡って見て、最も強く感じたのは全体的な客数の減少である。エリア全体の客数が以前に比べ、絶対的に減ってきている。「namBa HIPS」がオープンし、客数のピークになる休日でも空き席が目立つホールが出てきているのだ。それも中心的な大型ホールでもこんな状態なので、他の中小ホールではさらに厳しい状況にあると思われる。

 あと1つは、中心的な大型ホールの中でも“2極分化”の現象が出ていることだ。数年前までは多少の差はあっても、ほぼ満遍なく集客ができていた。しかし、これまで通りの集客が維持できているホールと、極度に稼働を落としているホールの差が歴然としてきた。これは全体の客数が減ってくれば、必然的に出てくる現象である。こうした状況の中で、「アロー」の1100台の新店が出店してきたのだ。

 今の時点では「namBa HIPS」の出店による相乗効果は、あまり他のホールでは認められない。確かに「アロー」の新店や高稼働店からの“こぼれ客”はいるだろうが、それが低稼働店に流れる構造になっていない。よって、エリア全体の稼働を底上げするのには至っていないのである。逆に、いまでもオーバーフローなところに、さらに1100台の新店ができて、その傾向がさらに強まったと見る方が自然だろう。

 つまり、一時期のキョーイチによる大型店の出店攻勢(「ジャンボエンターテイメント」「キョーイチミナミ店」)で、エリア全体の台数が急増した。その後、遊技機規則の改正などの要因で客離れが起こり、エリア全体の客数が減少する。その結果、エリア内の台数のオーバーフロー現象が次第に明らかになり、減少する顧客を巡る各店の競争がより激烈化する。そして、高稼働店と低稼働店の差が大きくなる。そこに1100台の新店が出店し、さらに競合に拍車がかかるという流れである。

 この状況が今後、どのように変化するのか。また、このまま状況が進展し、競合の激化が新たな事態を生み出すのか。これは継続的な観察が必要だろう。最後に昨日の12月22日(土)、法善寺横町で忘年会をした帰りに、面白い光景を目にした。それは難波エリアで最初に“1円パチンコ”を導入した「ツインドラゴン」が、大阪プロレスのレスラーを呼んでイベントを行なっていたのだ。その写真を撮ってきたので、掲載しておくことにしよう。(佐渡屋太郎

写真キャプション=「ツインドラゴン」でイベントを行なう大阪プロレスのレスラー

| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 14:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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クリスマスエレジー【ナイトウ龍司-其の八】

写真キャプション=業界は激動となる1年だったが今年も子供達には気付かれずサンタになれた事にホットする『ナイトウ龍司』
 今は12月25日午前1時近く、今年も無事に子供達には気付かれずサンタクロースになれた私でした。実は今、めちゃくちゃ酔っ払っています。それは何故か?(今回は酔っ払っているので内容がめちゃくちゃになりそうなので最初にご無礼を陳謝いたします。)
 
 それは只、今年もサンタクロースになれた安堵感だけでしょうか・・・冒頭のタイトルに謳う”クリスマスエレジー”は業界の皆様にはご理解してもらえるとは思いますが、私も独立するまではこの業界の一営業マンでした。実は結婚しているのですがこの業界に入った月日と同じく家族を持って今年で15年目になりました。その15年の間に家族に何もして上げられなかったのは事実です。何故この写真を載せたかったのは?実は初めて今日、家族とゆっくりクリスマスパーティーを過ごしたからなのです。一般の方がこの話を聞くと理解しがたいですが我々の業界に携わる者はとかく家族がらみのイベントには無縁な職種なのです。家内の誕生日、子供の誕生日、結婚記念日、全てが仕事ではタブーになりえる業界です。

 関西だけかも知れませんが我々業界の話の中で離婚の話も絶えないのが業界らしさかも知れません。よく私と話をする業者の方がこんな事を言います。『ナイトウさん、家族を大事にしている話は営業のネタですか?』と聞かされる時がありました。

 正直、憤慨しますね。出が貧乏なので家族愛を未だに理解出来ないので必死なんですよ。だから、仕事ネタに出来る余裕もないし、みっとも無いけど家族も仕事も今が全ての答えです。

 (酔っているので話材を変えます)今年を総括するには早いのですが、今年は私に取っては厳しい年でしたが色々勉強にはなりました。それは仕事が成り立つのは綺麗ごとではなく家族があるからだと実感できました。ここ十年かは食わしてきたと慢心に浸り家族の存在を軽薄に映してきた私でしたが今年に入り何も出来ない私自身を一番守って来てくれたのが家族だと今更気付いた私は正直愚かで勉強になりました。

 今日はクリスマスです。子供の頃、貧乏だった私が唯一、サンタクロースだけは信じていました。当時貧乏だった我が父親もサンタクロースだったのでしょう!?当時、私の無理も聞いてくれた様に思います。代は変わり私は今年もサンタクロースになれました!きっと、来年は良き年になりましょう!皆様にも幸多かれ!Happyメーリークリスマス!(ナイトウ龍司


 

| ナイトウ龍司-業界の眼 | 01:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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開戦後の千日前ホール① 【佐渡屋太郎-vol.39】

写真キャプション=11月30日にリニューアルオープンした「四海樓本店」 いまは12月19日(水)の17時55分。昨日はついに原稿3本を書き切れなかった。2.5本分くらいまで書いたところで、“猪八戒”から連絡があり、飲むことになってしまったからだ。さきほど2本目は残りの0.5本分を書き足し、完成させて送った。この2本目は、思わぬ“渾身の大作”になってしまった。そして間髪を入れず、この3本目に突入しているのである。エライ!。

 例によって昨夜も、事務所に泊まってしまった。飲み会をした当初の目的は、落ち込んでいるという“猪八戒”の元気付けと、2ページを落としたというもののよく頑張った佐渡屋太郎を慰労するためであった。加えて大変な苦労の末に、やっと本格的に「EC-SHOP」を立ち上げた“猪八戒”の努力も称えなければならない。“酒飲み”は何かと理由をつけて、酒を飲みたがるものである。

 しかし、「EC-SHOP」はよくやった!。こうして形を作ってくれれば、私もいろんな商材を陳列することができる。これからどんどん、ぶち込んでいくぞ~!。それで私のテンションは上がってしまい、京都に帰ることを断念した。逆に、“猪八戒”は落ち込んだとき、よくサウナに行くそうで、私も付き合うことにした。それがニュージャパンの「王様コース」である。いや~、あの1時間のマッサージは実に気持ちよかった

 とくに気持ちよかったのは頭と目の周りで、バリバリに凝っていた背中もなんとか柔らかくなった。しかし、マッサージ嬢はかよわい女性であったが、力のあることに驚いた。そのひと押し、ひと押しが、ことごとく佐渡屋太郎の秘蔵のツボに入りこみ、「アヘ~、アヘ~」と谷岡ヤスジ状態になってしまった。「お主もやるナ」――終わったら涙とよだれでグチョグチョであった。たまには、こうした体のケアも必要だろう。

 さて、下らぬ近況報告もしたので早速、本題に入ろう。今回は「namBa HIPS」のオープンに対し、千日前エリアに巨艦店の対策を総覧することがテーマである。実は、「開戦前夜の千日前ホール」というタイトルを考えていたのだが、気が付いたらもう“戦争”は始まっていたのである。何という間抜けだろう。

 仕方なく、「namBa HIPS」のグランドオープン後、初の日曜日でこのエリアが集客の“ピーク”となる12月16日(日)の16時30分から17時30分に取材を敢行したのだ。正直に言って、この日は私も疲労の“ピーク”に達していた。それでも会員用の有料Webで約束していたので、行かないわけにはいかないのだ。腰をさすりながら、足を引きずりながら、佐渡屋太郎は千日前をフラフラと流離った(さすらった)のである。

 最初に視察したのが、四海樓グループの総本山で、11月30日(金)にリニューアルオープンを敢行したばかりの「四海樓本店」である。ここはご存知の通り、地下2階の「四海樓ANNEX」(238台)、地下1階の「四海樓EXナンバ」(364台)、1階の「四海樓」(400台)で構成されている。この3店舗を総称して「四海樓本店」(1002台)という。難波の老舗ホールで、この一帯の“盟主”でもある。台数的には「namBa HIPS」のアロー(1100台)とほぼ互角の規模を持つ。

 四海樓としては総本山の目と鼻の先に「namBa HIPS」を持って来られたのだから、面白いはずはないだろう。ただ、60年も難波で営業してきた“盟主”としてプライドがある。だた、この競合戦において、四海樓は“静観の構え”を決め込むものと思っていた。しかし、実態はその逆だった。前述のように「namBa HIPS」のオープン前に大規模な改装を敢行し、11月30日(金)にリニューアルオープンを行なって先陣を切ったのである。私はどんな改装をしたのか見ていなかったので、とても楽しみにしていた。

 まず、地下道を歩いていて、大変なものを見てしまった。その壁面には「四海樓総本山の本店の本気を見せます!/本店3フロア合同イベント/四海樓本店祭12月15日~12月19日」というポスターが貼ってあったのだ。もう完全に “ガチ勝負”に出ており、その気迫がこちらまで伝わってくる。「namBa HIPS」の内覧会のあった12月11日(火)に前を通りかかったら、「四海樓本店/新台入替えらいこっちゃ祭」というリニューアルイベントの看板も店先に立っていた。

 この“本気モード”が実にいい。これがエリア全体に活気を生み出すのだ。さすがの四海樓も“えらいこっちゃ”と“本気”になっているのである。さて、今回の改装で最も驚いたのは、アイ電子の「パーフェクトシステム」を導入していたことだ。店先の看板には「玉箱なんてもう古い/『パーフェクトシステム』」と過激なコピーが踊っていた。そういえば、マルハンの北海道の新店でもマースの「パーソナルシステム」を導入して、大きな話題になった。

 ホールはこれまで“玉箱積み”の呪縛から逃れることができなかった。それから考えれば、先進的な試みであることは確かだ。いくら島間を広くしたと言っても、あれだけ玉箱を積まれては何の意味もない。一方、「アロー」はその玉箱積みの技法では、大阪でも最高水準にある。空きスペースに積み上げられた玉箱の造形は芸術的であるし、何よりの販促手段でもある。果たして、顧客はどちらを選択するのか。それも大きな興味の1つである

 新機種の導入としては、「CRハイパー海物語INカリブ」136台、「CRスーパーバレリーナS3」36台、「CR宇宙戦艦ヤマト」30台が主だったところだった。私が視察した時間帯の稼働は、全館で7~8割といったところで、まあまあの対抗振りではあった。1階の「CRハイパー海物語INカリブ」に空席が目立ったことが少し気になったが、“難波の盟主”が必死になって頑張る姿に、やや安心した佐渡屋太郎であった。前を歩いていたら、四海樓のフリーペーパー0号とポケットティッシュをもらったので、参考までにその写真を添えておく。


写真キャプション=四海樓が発行をはじめたフリーペーパーとリニューアル記念ティッシュその次に行ったのは、その斜め向かいにある「namBa HIPS」である。この複合施設の全貌については、前回に詳述した。今回は4層で構成されるパチンコホール「アロープラチナム」と「アロープログレス」(1100台)を重点的に見てきた。いや~、さすがである。近頃はグランドオープンと言っても、いきなりコケるホールも少なくない。そんな中で、本格的な複合施設の集客力の強さを、まざまざと見せ付けられてきた。地下道や地上の人の流れが、「namBa HIPS」への動線となっていたのだ。

 客層の特徴は、カップル客とファミリー客が多いことだった。新し物好きの大阪人が一目見ておこうと大挙して駆けつけたようだ。それなのに、「ヤバフォ」はベアリングの破損で、運休していたのである。これは大きな失態と言えるだろう。来店客の中にも落胆の声が多かった。しかし、私が乗ったときは大丈夫だったのだろうか。今になってそのことが気になり出してきた。

 パチンコ&スロットフロアはほぼ満席で、立ち見客や4層の中を上ったり、下りたりする“回遊客”も多くいた。この状況をみると、“こぼれ客”も相当いるはずで、周辺ホールはいくらかの恩恵に預かったことだろう。その意味で言えば、パチンコ客を難波に吸引し、エリア内に相乗効果をもたらすという当初の目的は達せられたように思われる。あとは、この状態をいつまで維持できるかにある。それとどれくらいの数の“こぼれ客”を出せるかという点も興味深い。

 ただ、前回も紹介したが、「CRハイパー海物語INカリブ」239台(全パチンコ台の30%)という機種構成の偏りがある。逆に京楽のモニター店といいながら、京楽の台は「CRぱちんこ必殺仕事人Ⅲ」85台のほか、「CRぱちんこ黒ひげ危機一髪」8台だけしかない。全体的に見ると、台数の割に機種数は決して多くない。これを今後の入れ替えで、どのように展開していくかも見所だろう。来年、「冬ソナ2」がずらっと並べば、かなりのインパクトになるはずだ

 その点は大阪の地で永らく営業してきた平川商事のお手並み拝見ということになる。前に各フロアの島構成を紹介したが、資料を見ていたら格好の島図があることを発見した。今回はそれを添えておく。


写真キャプション=「namBa  HIPS」のパチンコ&スロットフロアの島図

 ここまで書いて、ものすごい原稿量になっていることに気付いた。まだ、マルハンやキョーイチなど千日前の巨艦ホールことを書いていない。それは次回に回してストック原稿を増やしていくことにしよう。では、今回はこの辺で……。
佐渡屋太郎

| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 23:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「namBa HIPS」の全貌③ 【佐渡屋太郎-vol.38】

※今回は写真量がかなり多いので画像処理はFOTZでさせて頂きました。
(写真①=4階のゲームセンターに並ぶパチスロ転用機) 
 いまは12月18日(火)の17時30分。本日における2本目の原稿である。前回は要らぬゴタクばかり並べて、肝心の「namBa HIPS」内にあるパチンコ以外の施設紹介ができなかった。今回はサラッと写真入りで突っ走っていきたいと思っている。

 実は、先日の内覧会では「ヤバフォ」と写真撮影に夢中になり、各施設の構成に関してあまり真剣に見ていなかった。そこで12月16日(日)に客入りの点検とともに、各施設をもう一度、じっくり視察してみたのだ。お陰で各層の特徴がやっと頭の中に入った。

 その中で気付いたことの1つは、7号営業と8号営業の“完全分離”である。2階にあるパチスロフロアから3階のゲーセンターには行けない。ゲームセンターには1階からエスカレーターかエレベーターでしか入れないのだ。しかし、3階からは2階へは下りのみのエスカレーターで行くことができる。これも警察の指導によるものだろう。

 こんなことは、書き出すとキリがなくなる。今日はもう1本、千日前にある大型ホールの対抗策も書くつもりでいるのだ。それでは3階から上にある施設の説明にいくぞ~。ちなみに地下2階~6階までは平川商事の直営で、7階から10階の施設はテナントであるという。

【ゲームフロア】(3階~5階)
●「ゲーム GASINO(ガジノ)」(3階~4階)
 ゲームとカジノが融合したゲームセンターがコンセプトで、主に若者をターゲットとした機種構成が行なわれている。3階には「G-IホースパークEX」(右下の写真参照)をメインに、「モノポリー」、「ゴールデンルーレット」、各種スロットマシン、パチスロ転用機を設置する。
 
 4階のメイン機種となるのは「グランドクロス」(左下の写真参照)で、パチンコ転用機(20台)やパチスロ転用機(47台)も並ぶ(冒頭の写真①参照)。そのほか、「スピンフィーバー」、「機動戦士ガンダム戦場の絆」、「三国志大戦」、「マリオカートアーケードグランプリ2」も配置されていた。なお、3階と4階を合わせて“メダルゲーム200台”というのが売りになっているようだ。
(右下写真=3階のメイン機種になっている「G-IホースパークEX」)
(左下写真=4階のメイン機種となっている「グランドクロス」)

(右下写真=4階に並べられたパチスロ転用機)
(左下写真=4階に並べられたパチンコ転用機)

●「ゲームフェイス ナンバ」(5階)
 3~4階とは異なり、こちらはファミリー向けゲームセンター。UFOキャッチャーをはじめとしたクレーンゲームやプリクラ、「投球王国ガシャーン」などのスポーツ系のゲーム機が所狭しと並ぶ。フロア全体の色調がピンクなどの暖色系で、可愛らしくてほのぼのとした雰囲気が溢れている

(下写真=ファミリー向けのゲームセンター「ゲームフェイス ナンバ」)
【“ヤバフォ”エントランスフロア】(5階)
●「ヤバフォ」(5階)
日本初のビル壁面設置型フリーフォール。最上部となる地上74mまで上がり、全長60mにわたって落下する。落下の最高速度は秒速22mで、搭乗時間は上りと下りで約5分。ワゴンは6人乗りとなっており(下の写真参照)、料金は1人につき1000円。御堂筋沿いから大阪難波の街を見下ろしながら、一気に落下するスリルを味わう。ちなみに、キャッチフレーズは、「2人で乗れば、恋に落ちる。Fall in LOVE」である。
(下写真=「ヤバフォ」の6人乗りワゴン)
【ゴルフ&ボディースタジオフロア】(6階)
●「GOLDIA(ゴルディア)」
本格的なゴルフレッスンができるカメラとモニター付きコースと、アスレチック機器を設置したエクササイズルームで構成される。また、運動後に休憩できるレストスペースも備える。都会の真ん中で体力づくりができる健康スペースとして、先進の環境が整えられた。

(右下写真=アスレチック機器を備えたエクササイズルーム)
(左下写真=カメラとモニターが設置されたゴルフレッスンコーナー)
【スパフロア】(7階)
●「CHAKRA SPA by SUNDARI(チャクラ・スパ by スンダリ)」(7階)
日本初上陸となるスンダリによるラグジュアリースパ。「スンダリ」はスーパーモデルのクリスティ・ターリントンがプロデュースし、2人のパートナーとともに99年に立ち上げたセレブ愛用のスキンケアブランドで、高級スパなどで使用されている。そのスンダリが、インドに伝わる伝統医学「アーユルヴェーダ」をコンセプトに展開したのが、このチャクラ・スパである。フロアは男女でスペースが分かれ、オリジナルトリートメント、温浴施設(スパ、フットバス、ストーンスパ、サウナ)、食事(共用)が楽しめる。とくに神秘的なムードのなかで、特別なスキン・トリートメント・プログラムを体感できる贅沢感をアピールしている

(右下写真=オリジナルトリートメントを行なうシングルルーム)
(左下写真=エスニックなムードが漂うレセプションカウンター)
飲食フロア】(8階~10階)
●「豆仙坊なんば店」(8階)
 手造り豆腐と湯葉料理の店。季節の御膳や鍋会席など、自家製の手造り豆腐と旬の食材に、一つひとつ工夫を凝らした創作料理を提供する。「季節限定御膳」や「季節の豆腐会席」から「豆乳寄せ鍋」、「鴨の豆乳鍋」まで、さらに要予約で「活クエ鍋」、「活てっちり」も用意している。

(下写真=落ち着いた佇まいを見せる「豆仙坊」のエントランス)
●「難波自己解放酒場 串まる」(8階)
串カツ、牛ホルモン串カツを中心メニューにした大阪風大衆酒場。モチーフとなっているのが通天閣の周辺にある串カツ屋で、コテコテでディープな大阪の雰囲気を再現した。守り神は店舗奥にある「ビリケンもどき」で、自己中でやたらにうるさい大阪人がたくろする酒場になりそうだ。

(下写真=ディープな大阪の雰囲気を再現した「難波自己解放酒場 串まる」)
●「エルトリートなんば店」(9 階)
米国最大のメキシカンディナーレストランチェーン。本格的なメキシコ料理を提供するレストランとして、88年に誕生した。タコスはもとよりメキシコ風ピザの「ケサディーヤ」、メインディッシュとして人気のある「ファヒータ」、定番の「トルティーヤスープ」など、メキシコ人もビックリの多彩なメニューがある

(下写真=本格的なメキシコ料理が食べられる「エルトリートなんば店」)
●「牛庵清風亭難波店」(10F)
厳選された素材を使用したしゃぶしゃぶ、焼肉店。特選和牛(A-5)やイベリコ豚(ベジョータ)などの厳選素材を、リーズナブルな価格で提供する。“和とモダン”を融合させたシャレた店内にはジャズが流れ、最上階の夜景を見ながら料理を楽しめる。メニューは牛しゃぶしゃぶ、豚しゃぶしゃぶ、焼肉、焼肉会席などがあり、落ち着いた空間でくつろぎの時間を過ごすことができる。

(下写真=落ち着いたムードのなかでしゃぶしゃぶや焼肉が楽しめる「牛庵清風亭難波店」)
これでやっと全館の紹介が終わった。想像をはるかに上回る“渾身の力作”になってしまった。「namBa HIPS」のHPでも、これほどの詳しい説明はしていないだろう。まるで、平川商事の“回し者”にでもなったような気分である。なぜ、ここまでやる必要があるのか。それは何を隠そう“読者”のためである。エッヘン!。と、ここで休憩しているわけにはいかない。次に行くぞ~、次へ。次の原稿に突撃するぞ~!。(佐渡屋太郎

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「namBa HIPS」の全貌② 【佐渡屋太郎-vol.37】

写真①=8階のエントランスにある「難波自己解放酒場串丸」の巨大看板 いまは12月18日(火)の15時13分。こんな早い時間からブログの原稿を書けるのは、とても有難いことだ。昨日は朝早くから名古屋に行って取材をして、先週から続いていたバタバタ状態がやっと小休止した。その取材というのは葬儀雑誌の特集で、先週の金曜日に東京に行っていたとき、急に飛び込んできたものだ。

 特集のタイトルは、「葬儀における『飲食強化』戦略」(仮題)で、何と精進揚げの弁当(6500円)を食べながら取材をしてくれという依頼だった。佐渡屋太郎は即座に引き受けることにした。こんな取材なら毎日でもいい。この取材では企業の戦略として、とても面白いことを聞いてきたので、また後日にお伝えすることにしよう。

 今日は何としても、「namBa HIPS」と千日前周辺のホール状況を片付けなければならない。その後に書くことがどんどん貯まってきていて、便秘状態になっている佐渡屋太郎なのである。プレイベントの記事から始まった「namBa HIPS」の特集も、そろそろ終わりに近付き、今回はパチンコ以外の施設を紹介することにしよう

 前回は地下2階~2階の「パチンコ&スロットフロア」を説明した。したがって今回は、3階から上の複合部分になる。パチンコ業界が仕掛けた複合施設は、これまでに様々な形態があり、永きにわたって試行錯誤を続けてきた。ゲームセンター、温浴施設、アスレチックス、カラオケ、飲食、物販、シネコンなど、いろんな組み合わせが試みられてきたのである。10数年前の“第1次複合ブーム”のころは、ブックストア、ランドリー、ヘアサロン、パソコンショップ、レンタルビデオショップなんていうものまであった。

 果たして、パチンコと相性のいい業態とは何なのか。その結論を求めて、いろんな組み合わせが登場しては、消えていったのである。もちろん、その施設の立地や周辺の客層によっても、その組み合わせは微妙に異なるだろう。そのなかで、ゲームセンター、飲食はほぼ合格点が付いている。規模が大きくなれば、温浴(温泉・スーパー銭湯)、シネコンなどを展開するところもあるが、回収に時間がかかる。いまは、プールのない小規模アスレチックスが注目を集めている。これなら街中の空中店舗でも集客できるし、中高年層比率が高いエリアでも安定的な稼働が得られるという。

 「namBa HIPS」の施設を見ると、ゲーム、アスレチックス、温浴、飲食で、まずは無難な組み合わせになっている(下の写真②参照)。パチンコ業界では、こうした都心型の大型複合施設は少ないので、これからの貴重な事例となるだろう。郊外型の場合は、駐車場が大きな問題として浮上してくる。パチンコ客は滞留時間の長いので、他施設の利用客との調整が難しいのだ。その結果、広大な駐車場が必要になるケースが多い。


写真②=「namBa  HIPS」の施設案内 ところが、「namBa HIPS」には駐車場がない。地下鉄「なんば駅」とつながっているとはいえ、これには正直言って驚いた。私はビルの上部の何層かを駐車場に当てるのだと思っていたのだ。その点では、完全に都心型の商業ビルということだろう。“カーパチ客”は200m南にある系列店「アロー浪速店」(1200台)へ誘導し、顧客のセグメント化を図っているのかもしれない


 一方、想定する客層に関しては、若者~ファミリー層をターゲットにすることを打ち出している。それを各施設で検証してみよう。ゲームセンターは3層に分かれ、3階と4階は若者向けで、5階はファミリーの“子供向け”に機種構成を行なっている。6階のゴルフ&ボディースタジオフロアは、ファミリー層の“パパ向け”。7階のスパフロアは男女共用ではあるが、主にファミリー層の“ママ向け”であろう。


写真③=7階のスパフロアのエステルーム

 8階~10階の飲食フロアは、8階の「豆仙坊なんば店」「難波自己解放酒場串丸」(冒頭の写真④参照)はどちらかと言えば、ファミリー層のママとパパ向け。9階の「エルトルートなんば店」は若者向け、10階の「牛庵清風亭難波店」はファミリー向けになっている。

写真④=8階の「豆仙坊なんば店」と「難波自己解放酒場串丸」

 こんなゴタクを並べているうちに、もう1回分の原稿量になってしまった。本来はこの次に3階~10階までの各施設を写真入りで紹介しようと思っていたのだ。しかしせっかくここまで書いたので、各階の紹介は次回に回し、その分をストック原稿にすることにしよう。これで少し楽になった。では、次回にご期待を!。佐渡屋太郎は休息せずに、続けて書いて書いて書きまくるゾ~。(佐渡屋太郎

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「namBa HIPS」の全貌① 【佐渡屋太郎-vol.36】

写真①=地下1階「アロー プラチナム」のパチンコフロア

 いまは12月16日(日)の18時30分。今日は事務所に来る前に、グランドオープン後初の日曜日を迎えた「namBa HIPS」と、その周辺にある千日前のホールを視察してきた。これは会員用の有料Webで、「namBa HIPS」のオープン前に、周辺の他ホールがどのような対抗策をとるのかレポートする約束をしていたからだ。16時30分から17時30分まで、1時間をかけて取材してきた。疲れたぞ~!。

 そのレポートはこのコーナーでも、3回後に掲載しようと思っている。しばし、お待ちをお願いしたい。その前に「namBa HIPS」の全貌を、紹介しなければならないからだ。これで佐渡屋太郎はストック原稿を作ろうと、企んでいるのだ。それにしても「namBa HIPS」は順調にスタートを切ったようだ。パチンコフロアは若者客で溢れ、立ち見客も多くいた

 近頃はグランドオープンを失敗するホールも、決して少なくないのが現状だ。さすが平川商事と言うべきだろう。ゲームフロアもそこそこの客入りで、すでに若者のスポットとして認知され出している。今日、「ヤバフォ」は機械の調整のため運休していたが、あれが動けば通行客にも大きなアピールとなるに違いない。周辺の他ホールの対抗策も実に面白いものがあったが、乞うご期待ということにしてもらいたい。

 さて、これから2回に分けて「namBa HIPS」の全貌を紹介していこうと思う。今回は注目のパチンコフロアで、次回にその他のフロアの順で報告することにする。まず、パチンコフロアは4層で、そこに2ホールが入るというダブル店舗構造となっている。

 そのホールは、地下2階と地下1階の「アロー プラチナム」(564台)、1階と2階の「アロー プログレス」(536台)で、2ホールを合わせた総台数は1100台の巨艦店となる。ちなみに、2ホールのパチンコは791台、パチスロは309台で、パチンコが全体の72%、パチスロは28%という比率である。では、各階ごとに説明していくことにしよう。

●地下2階「アロー プラチナム」(パチンコ=172台、パチスロ=122台)
「アロー プラチナム」の全体的なコンセプトは「ラグジュアリー」で、高級感溢れる遊技空間を目指す。この地下2階は4フロアのうち、唯一となるパチンコとパチスロの併設フロア。島はパチンコの長島、パチスロの短島で構成され、中央通路で区切られている。

●地下1階「アロー プラチナム」(パチンコ=270台)
この地下1階はパチンコフロア。構造的にはエントランスから放射線状に伸びる変則島が特徴で(下の写真②参照)、奥には壁際に続く長島が壮観を見せる(冒頭の写真①参照)。また演出的には、天井と床が7色の光で変化する“異空間作り”が行なわれている。通常、こうした光の演出はパチスロコーナーに多いのだが、それをパチンコフロアに持ってきたのは面白い。“エキサイティングなパチンコフロア”とでもいったところだろうか。このフロアは地下鉄「なんば駅」と直結しているので、ここから入店する顧客も多いはずだ

写真②=放射線状に伸びる島配置と天井の光演出

●1階「アロー プログレス」(パチンコ=349台)
 4フロア中、最多の台数を設置したパチンコ専門フロア。1階であることも含め、このフロアが全パチンコフロアの“顔”になる。したがって、パチンコの看板機種や新機種、さらに固定ファンが多い定番機種が設置されている。「海シリーズ」をはじめ、ビッグタイトルが並んでいる。さらに、「京楽モニター店」にもなっているので、来年になると「冬ソナ2」も1番導入されることだろう。

写真③=「京楽モニター店」として「CRぱちんこ必殺仕事人Ⅲ」並ぶ1階パチンコフロア

●2階「アロー プログレス」(パチスロ=187台)
 この「アロー プログレス」は文字通り、「進化」がコンセプトになっている。それを象徴するのが、この2階のパチスロフロアだ。地下1階の演出が「光」なら、このフロアはこれまでなかなかなかった「」というテーマに挑んでいる。具体的には、壁面に取り付けたイコライザーが、掛けている音楽に合わせてシンクロしていくのだ。他でも小規模なものは見たことがあるが、これほどフロア全体で意図的に展開しているのは初めて見た。この演出はフロア自体に動き、さらに言えば躍動感を与えている。実に面白い演出である。構造は宇宙船を思わせるような円形の景品コーナーを中心に(下の写真④参照)、パチスロのR島が3層にわたって取り囲む。その曲線とイコライザーが、独特の雰囲気を作り出している(下の写真⑤参照)。一見の価値はあるだろう。このフロアが空間的には最も面白く、完成度も高い

写真④=2階の中心に置かれた円形の景品コーナー
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写真⑤=R島と壁面のイコライザーが醸し出す“近未来”的な雰囲気

 さて、これで終わるわけにはいかない。問題は機種構成である。内覧会のとき、担当者は4層の各フロアの設置機種を、ネットで公表すると言っていた。佐渡屋太郎はついその言葉を信じてしまった。駆け出しの頃は、島を巡りながら設置機種を記録していたが、もうそんなことをする元気は残っていない。それが分かれば、もっとフロアごとの営業的なコンセプトを明確にできたはずである。

 正直に言えば、あの内覧会の日に私の頭の中にあったのは、「ヤバフォ」に乗ることだけであった。それを果たして、もう仕事が終わったような気になってしまったのだ。具体的に話を聞きたいのだが、平川社長の取材は1月にならないとできないという。しかし、そんな取材は他の雑誌でもやるから、あえてやる必要もないだろう。各層別の機種構成も紙上で公表されるはずだ。ここでは設置機種の多い機種のベスト5を並べて、お茶を濁しておきたい。これを見れば、分かる人には分かってもらえると思う。

(パチンコ)
①「CRハイパー海物語INカリブ」=239台
②「CRぱちんこ必殺仕事人Ⅲ」=85台
③「CRF創聖のアクエリオンSF-TV」=68台
④「CR倖田來未SF-T」=52台
⑤「CR新世紀得エヴァンゲリオン・奇跡の価値はSF」=39台

(パチスロ)
①「アイムジャグラーEX」=72台
②「2027」=42台
③「リングにかけろ」=26台
④「赤ドン」=24台
⑤パチスロ「機動戦士ガンダムⅡ~哀・戦士編~」18台

 では、今回はこのあたりで終わることにしよう。しかし、写真を並べればいいと思っていた計算が大きく崩れ、だいぶ時間が掛かってしまった。今日はもうこれ以上は書けない。他の施設に関しては、また明日にでもお伝えすることにする。(佐渡屋太郎

| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 01:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ほしのあきを撮ってきたぞ!【佐渡屋太郎-vol.35】

写真①=「ヤバフォ」の“落ち初め”に挑戦する「ほしのあき」

  いまは12月15日(土)の19時20分。やっと嵐のような1週間が終わった。今日は夕方に事務所へ出てきて、久し振りにゆっくりと植木の全鉢に水をやった。そして、コーヒーを飲みながらこのブログの原稿を書き始めている。

 本来なら、今日はパチンコ雑誌に載せる最後の2ページの原稿を必死になって書いているはずだったが、時間切れで来月号に回すことになった。まあ、腐るネタでもないのでいいだろう。お陰でこのブログを書く時間ができた。アッ、ハッ、ハッ。

 昨日は東京に行って「エコプロダクツ2007」の取材をし、すぐに大阪に帰ってきてパチンコ雑誌の校正をした。校正紙を見ると滅茶苦茶なレイアウトだったが、仕方がない。その後にも約束があり、直している時間がないのだ。仕方なくゲラを返し、パチンコ雑誌の仕事は終わった。

 それにしても、いま世の中は“エコ”で持ちきりである。この展示会にも会社関係者から女性や小学生の社会見学まで、たくさんの人出であった。出展品も意欲的な取り組みが多く、日本の技術力をまざまざと見せ付けられた。これはいいことだろう。詳細については、また別の機会に書くつもりだ。

 さて、テーマは「ほしのあき」である。12月13日(木)は朝7時に起き、この写真を撮るためだけに京都から大阪・難波の「namBa HIPS」に向かった。ほしのあきのファンであったらまた別の感情も沸き起こってくるのだろうが、疲れでボロボロになっている私には何か虚しいものがあった。しかし、これも仕事である。写真はしっかりと撮ってきた。

 当日はまず、簡単なブリーフィングのあと、いきなり「ほしのあき」によるフリーフォール「ヤバフォ」の“初落ち”となった。5階のデッキでカメラマンの場所取りが終わると、真っ赤なコートをまとったほしのあきが登場してきた。それが下の写真だ。私のまえにカメラを突き出す不届き者がいたが、彼らも必死なのである。とにかく狭いデッキでの押し合いへし合いの撮影で、朝っぱらから汗をかく激しい仕事となった。


写真キャプション②=5階デッキに登場してくる「ほしのあき」

 そして、簡単なあいさつの後、いよいよ「ヤバフォ」のブースの乗り込む。同乗者はなく、1人での“落ち初め”となった。2日前の私と同じ状態だ。これは見ている人は何とも思わないだろうが、かなりのプレッシャーがある。体験者でないとこの孤独感は分からない。懸命に笑っているのだが、実は必死に恐怖感と戦っているのだ。
写真キャプション③=ブースに1人で乗り込み、カメラマンに笑顔を振りまく) やがてブースはスルスルと天空に向かって上がっていく。トップまで昇りつめると動きが停止する。そして、例によってカウントダウンである。それが終わるとブースが凄い勢いで落ちてくる。そこで新たな発見をした。乗っているのも怖いが、落ちてくるブースを下から見上げているのも結構、怖いのである。まるで自分の頭の上に落ちてくるような気がするのだ。これは新たな発見であった。

 取材はそれから室内に移り、記者会見と撮影タイムとなった。ここでも押し合いへし合いである。何を話しているか聞いている余裕はない。しかも室内は暖房しており、多くの取材陣が押し込まれているので非常に暑い


写真キャプション④=記者会見を行なう「ほしのあき」 撮影タイムでは、いろんなサービスポーズを披露してくれた。そのすべてをお見せできないのが、誠に残念だ。私は“巨乳好き”ではないので何とも思わないが(ホンマかいな!)、読者のために必死になって撮影した。その結果の1部が下の写真だ。
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写真キャプション⑤=記者会見でのサービスショット

 それから「ほしのあき」の後輩である「さゆり」と「福田麻衣」さんの2人も「ヤバフォ」に挑戦するという。記者の仲間に「もう帰りませんか」と誘われたが、「最後まで取ろうぜ」と佐渡屋太郎はねばることにした。このページを少しでも華やかに飾りたいという願いがあったからだ(ホンマかいな)。まずは3人のMCがあった。
写真キャプション⑥=ほしのあきとさゆり・福田麻衣さんの3人によるMC

写真キャプション⑦=「ヤバフォ」に挑戦した「さゆり」と「福田麻衣」さん そして、さゆり・福田麻衣さんと他のスタッフが6人乗りのブースに乗り込み、当日2回目の“ヤバフォ落ち”が行なわれた。これが12月13日の取材のすべてである。この日も疲れたが、これを書いている今日も非常に疲れている。それにしてもいい運動になった。近頃、午前中にこれだけ体を動かすことはほとんどない。爽快な気分で「namBa HIPS」を出て、パチンコ業界誌の記者と近くでコーヒーを飲みながら情報交換をした。そのなかで収穫だったのが、“1円パチンコ”もそろそろ下り坂になっているということであった。他にもいろいろ聞いたが、ここで書けないことばかりだ。今回はこんなところで終わりにする。(佐渡屋太郎

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「namBa HIPS」に行ってきたぞ!【佐渡屋太郎-vol.34】

写真1=ついに全貌を現したフリーフォール「ヤバフォ」 いまは12月12日(水)の10時40分。なぜこんな早い時間に、佐渡屋太郎は事務所にいるのか。そう、常連の読者にはお分かりの通り、また飲んで事務所に泊まったのである。そして、昨日はついに注目の「namBa HIPS」の内覧会に行ってきた。そして、皆さんとの公約どおり、あのフリーフォール「ヤバフォ」にも2番目に乗ってきた。エッヘン!。当然、今回から数回にわたり、遊技租界は「namBa HIPS」の特集を組むことにした。

 前回までの記事でお分かりの通り、先週の佐渡屋太郎は“昔の放浪時代”の思い出に浸りきっていた。その結果、もう“パチンコの世界”に戻れないのではないか、という不安さえ抱くようになっていたのだ。正直に言って先週の一時期は、このままこの「遊技世界」を「グレート・ジャパニーズ・タローの世界放浪日記」に替えてしまおうかと思ったこともある。誠に不届きな私であった。パチンコファンの皆さん、スイマセン。

 しかし、そんな不安と迷いは今週に入って、一気に消し飛んでしまった。そのキッカケは2つある。1つ目は“周りの反応”である。昨日、パチンコ業界誌の記者や販社の人たちと飲んでいて分かったのだが、「チベットの佐渡屋太郎」は概ね不評であった。その人たちはこの「遊技租界」のファンで、出社するとまず「遊技租界」を見てくれているそうだ。皆さんもこの習慣を見習うように!。先週の記事はその人たちにとって、“驚き”はあったが“共感”はなかったのである。事実、このブログへの訪問者も先週はやや減っている。これが何よりの反応だろう。厳しい現実である。クッ、クッ、クッ(佐渡屋太郎は泣いている)。

 2つ目は“時間”であった。失恋は時間が解決してくれる。ではなかった。不安と迷いは“時間”が解決してくれたのであった。何しろ今週は、いやというほど“パチンコ漬け”のスケジュールになってしまったのだ。12月11日(月)は先週、「ぜひ取材に来てください。お願いします」と女性の声に負けて、船井総研の「スタッフ流出撲滅セミナー」に行ってきた。

 12日(火)はいま書いている「namBa HIPS」の内覧会。13日(木)は同じ「namBa HIPS」で、ほしのあきの「ヤバフォ落ち初め」の取材(実はほしのあきより私の方が先に落ちたぞ。どうだ、どうだ、どうだ!!。お前は子供か!)。14日(金)はパチンコ雑誌の広告クライアントの依頼による「エコプロダクツ2007」という展示会の取材で、東京に行かなければならない。さらに、パチンコ雑誌は今週末が1月号の締め切りで、それら取材の合間を縫ってパチンコ関係の原稿を書かなくてはならない。これでは不安や迷いを抱いている時間や余裕がないではないか。

 というわけで、佐渡屋太郎はまた“パチンコの世界”に戻ってきたのである。さて、前フリはこのあたりにして、とにかく「ヤバフォ」(写真1参照=ついに全貌を現した「ヤバフォ」)である。昨日は6時30分に起き(結局、3時間しか眠れなかった)、コーヒーを飲みながら精神統一をして、8時20分に京都のマンションを出発した。「namBa HIPS」の内覧会は10時に受付が始まり、先着順で「ヤバフォ」の試乗ができることになっていた。多分、試乗希望が殺到すると思い、同じパチンコ雑誌の仲間に早めに行って順番を取るように厳命しておいた。私はよく取材に遅刻するクセがある。さらに夜遅い私は、午前中の行動には全く自信がないのだ。

 しかし、「namBa HIPS」についたのはちょうど10時だった。そして、受付に着くと先にきていたその仲間から渡されたのが、ヤバフォー試乗に関する「同意書」であった。何だ、何だ、何だ、この同意書は!。つまり、ヤバフォに乗った取材で何か事故がおこった場合、すべて取材者の自己責任であることに同意するというものだった。ということは、乗っていると何か事故が起こるということか!と突っ込みたくなった。しかし、乗るためにはいやいやながらも同意しなくてはならない。仕方なくサインして5階のデッキに行くと、取材陣はたくさんいたが、試乗者は私の前に1人しかいなかった。

 再び、何だ、何だ、何だ、である。「皆んな、乗らんのかいな」と顔見知りの記者たちに聞くと、「エッ、佐渡屋さん、乗るんですか。おれはイッス」と尻込みするではないか。何だ!、近頃の若モンの情けなさは。仕事は命がけでするもんだ!(ちょっと、命がけの意味が違うような気もするが、この際そんなことはどうでもいい)。「オレは乗るぞ。1人でも乗ってやる。乗って事故を起こして、難波の空に散ってやる!!」と息巻きながら順番を待っていたら、先の乗った中年のおっさんと同じく、本当に私も6人乗りのゴンドラに1人で乗ることになってしまった。


写真2=「ヤバフォ」が落ちてくる全長60mのレール この「ヤバフォ」のキャッチフレーズを知っているだろうか。ゴンドラの上の看板には「2人で乗れば、恋におちる。Fall in LOVE」と書いてある(写真2参照=この全長60mを一気に落ちるのだ)では、1人で乗ったらどうなるのか。「1人で乗れば、地獄に落ちる。Fall in DEATH」とでも言うのか。と、喚きながら恐怖心と戦っていたら、ゴンドラは静かに地上74mの天空に昇っていった。そして、アナウンスの「スリー、ツー、ワン、ゴー」という掛け声とともに、落下がはじまった。その瞬間、尻がムズムズして、目の前が真っ暗になった。風景を見ている余裕などない。本当に空から落ちているような気がした(実は本当に空から落ちていたのだ)。飛び降り自殺をしたときには、こんな感じなのだろうなと思った。空気の圧力が意外と強かった

 「ああ~、止めてくれ~」。このまま落下が続いたら、気が狂うのではないかと思ったころに、急に速度が弱まってガクンと衝撃がきた。危うく、むち打ち症になりそうだった。やっと正気に戻ったら、周りに取材陣がたくさんいて、ニヤニヤしながら私を見ていた。そうだ、やっと地上に戻ってきたのだ(といっても5階だが)。そして、私は生きている。気も狂わなかった。失禁もしなかった。その上、見事に公約も果たした。どうだ、どうだ、どうだ!。ついに、佐渡屋太郎は「ヤバフォ」に乗ったぞ~!!。実に、大仕事をやってのけてしまった。エッヘン。

写真3=「ヤバフォ」を征服して余裕の表情を見せる佐渡屋太郎

 しかし、冷静に考えると、人より少し先に乗ったというだけの話ではある。その後、近くにいたパチンコ業界の仲間に、地上に降り立った瞬間の記念写真をもらった(写真3参照=「ヤバフォ」を征服して余裕の表情を見せる佐渡屋太郎。しかし、その表情はフェイクで見えない)。「もっと、怖そうな顔をしてくださいよ」と彼は注文をつけてきた。実は怖かったのである。ただそれは天空にあったときのことで、誰もその取り乱した姿は見ていない。何しろ私は、幸か不幸かゴンドラに1人で乗ったのだ。「こんなもの、何ともないぜ」と答えておいた。アッ、ハッ、ハッ。

 これが私の「ヤバフォ」搭乗記である。猪八戒が近頃、イライラしながら原稿を待っている。取り急ぎ、この原稿を送っておこう。明日の12月13日(木)になってしまえば、多くの人が「ヤバフォ」に乗ってしまう。そうすると、この記事は何の価値もなくなってしまうだろう。“1日の命”しかない原稿なのである。パチンコやパチスロのフロアはこれから追って原稿を書くことにする。ちなみに、4層のパチンコフロアの総台数は1100台であった。では、次回の記事を楽しみにして待っていてほしい。(佐渡屋太郎

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アフガン人のゾウのこと(後篇)【佐渡屋太郎-vol.33】

写真キャプション=雪解け水の沐浴場に入る美少女とばあさん

 いまは12月8日(土)の20時35分。今日は事務所に置いてある自転車「ベンツ号」のタイヤチューブの交換修理をした。やはり、想像していた通りの大仕事になった。少しチェーンの調子はおかしくなったが、パンクはこれで完全に直った。その復活した「ベンツ号」に乗って、酒を買いに行って帰ってきたところだ。

 しかし、自転車が使えないと、不便で仕方ない。「namBa HIPS」がオープンする前に、千日前のホールを視察したいと思っても、“足”がなくてできなかった。また、ちょっとした買い物をしようと思い立っても、もう歩いて行く気はしない。そのため、近隣への行動がすべてストップしていたのである。今日は仕事も一応の区切りが付いたし、何より事務所の酒が切れたので、ついに“大修理”をする決心がついたというわけだ。いま、「ベンツ号」で買ってきた酒を飲みながら、この原稿を書いている。ウィ~、満足、満足

 それにしても近頃のこのブログは、旅行関係のものかと思われるほど、横道にそれ出している。まあ、“横道”が大好きな佐渡屋太郎なので、仕方がない。しかし、これから 果たして“パチンコ”に帰っていけるかどうかが、少し不安になってきている今日この頃である。

 この“横道”は元を辿れば、中村医師の本がキッカケだった。しかし、私が若い頃に行けなかった「カイバル峠越え」と「カラコルムハイウェー」への思いが、この年になってもまだ体の中に残っていることを知って驚いた。また、いつの日かその思いを何とか果たしたい。そこでアフガンのゾウの話に戻っていくのである(前フリが長過ぎる!)。


写真キャプション=このブログでは2回目の写真掲載となるアフガン人の「ゾウ」 そう、また今回も写真を掲載したアフガン人の「ゾウ」とは、いつの日かアイツの生まれ故郷であるカブール(アフガニスタンの首都)で、また会おうと言って別れたのである。そのことを中村医師の本を読みながら、思い出したわけだ。これで3回分も話を引っ張るのだから、佐渡屋太郎も“悪”よのぅ~。ただ、昔のことに思いを馳せながら書いているので、原稿が一向にはかどらない。ここでガツンとストック原稿をつくるつもりだったが、逆に日々の原稿に追われている有様だ

 前に書いたとおり、ゾウとはダラムサラで最初に会った。それから私たちと微妙な距離を取りながら、何かと理由をつけながら、ずっと付いてきたのだ。私たちとは、私とそのとき一緒に旅をしていた女性の相棒である。「近頃、ゾウを見かけないな」と話しながら次の街へ移動すると、そのバス停の前にあるチャイハネから、さも私たちを偶然に見かけたように「へ~イ、グレート・ジャパニーズ・タロー!」と大声を掛けてくる。わたしたちの方が先に街を出ると、あとから追いかけてきて泊まっているホテルへ必ずやってくる。よく、このホテルが分かったなと聞くと、ジャニパーズの2人組を見かけなかったと尋ねれば、誰でも教えてくれると胸を張っていた。

 しばらくそんなことを続けるうちに、人懐っこくて何か憎めないゾウに対し、「アイツはアホだが、悪いヤツではなさそうだ」と見解が一致した。そして、マナリではほぼ1ヵ月、毎日のように会って、いろんなことをして遊んだ。聞くと、アフガンのカブールで生まれ、14歳のころから1人でインドに来て、“ヒッピー”をしていると言っていた。兄さんの1人はイランでテレビ局に勤めているとも言っていた。当時は私より年上で、30歳だったと記憶している。では“ヒッピー”をしているとは、どういうことなのか。そんな野暮なことは聞かないでほしい。

 カブールはその昔、インドからヨーロッパへ陸路で向かう旅行者の“溜まり場”として有名だった。ヒッピーもたくさんいたことだろう。そんなヒッピーを見ながらゾウは育ち、自分も“ヒッピー”になってしまったというわけだ。そういう意味で言えば、マナリもヒッピーの溜まり場であった。ゾウもここに来るのが目的であったようだ。もう何回もマナリには来ていると言っていた。

 あるときは、山の中にある沐浴場に連れて行ってもらった。それが冒頭の写真である。この沐浴場は雪解け水を引いており、驚くほどに冷たいのである。奥側のばあさんの顔がその冷たさを何よりも如実に語っている。私も入れと勧められたが、片足を入れただけで神経が麻痺してしまった。ゾウはここでも大人たちには冷ややかな目を向けられていたが、子供や若い娘たちには結構な人気者であった。そして、ゾウをみると子供たちは、「レッツ・ゴー、ゾウ」「レッツ・ゴー、ゾウ」と口々に叫び出した。

 そのときのゾウの姿を、私は今でも忘れることができない。やおら着ている服を脱ぎ捨てると、パンツ1丁になって沐浴場に歩き出し、いきなり冷たい水をめがけて飛び込んでいったのだ。その表情はいつもの“にやけたイヤらしさ”が消え、実に真剣そのものだった。その雄姿が下にある写真である。要するに、大阪流に言うと“カッコをつけていた”のである。結局、ゾウは続けて3回の飛び込みを行ない、最後は子供たちに手を振りながら帰って来た。


写真キャプション=冷たい木浴場に飛び込む「ゾウ」の雄姿

 アイツはその姿を見せたくて、あの山の中の沐浴場まで私たちを連れて行ったのかもしれない。そして、私たちに付いてきたのも、私の相棒とお友達になりたかったのかもしれない。それはそれでいいだろう。確かに面白い男だった。私も旅の途中でいろんな人間にあったが、マナリの山中でゾウと過ごした1ヵ月は、かなり鮮明な思い出となって残っている。何かこのゾウは、このブログを一緒にやっている“猪八戒”と似ていると思うのが、どうだろう。読者の皆さんの公平な判断を仰ぎたい。

 それにしてもゾウはいま、どうしているのだろうか。私はそれからカイバル峠越えをしてカブールに行きたかったのだが、戦争中でそのルートを断念せざるを得なかった。仕方なく、パキスタン南方のバルチスタン砂漠を越え、イランのシラーズから北上してテヘランに入る“大迂回の南ルート”を進むしかなかった。その途中、イランの兵隊には随分いじめられた。

 私が描く夢は、カブールで年老いたゾウがチャイハネをやっているというものだ。そこにグレート・ジャパニーズ・タローが突然、訪ねていく。ゾウは歓迎してくれて、互いに抱き合う(お前は「世界ウルルン滞在記」の再会シリーズのレポーターか!)。店の奥では、キレイだが気のきつそうな奥さんが、2人を不思議そうに見ている。ゾウは涙を流しながら私の耳に口を近づけ、「あのときのお前の相棒を連れてきたんだろうな」と厳しく問いただすのである。

 いずれにしても、ゾウはゴアあたりで野垂れ死にしているか、インドでその商才を生かして莫大な財を成しているかのどちらかだろう。カブールはいまだゾウが帰れるほどに環境は整っていない。これは実に悲しいことだが、そんなことは世界に一杯ある。「お前の名前は日本では“象”という意味だ」と言ったら、「俺もカブールにいるときは“エレファント”だった」とゾウは答えた。そんなことを思い出しながら、私は中村医師の本を読んでいたのである

 これで1週間前の12月2日(日)に書いた原稿の説明は終了する。それにしても、このテーマで1週間を乗り切った。もう、そろそろパチンコに帰っていかないといけないだろう、と思っている佐渡屋太郎であった。(佐渡屋太郎

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アフガン人のゾウのこと(前篇)

写真1=これが話題のアフガン人・ゾウである いまは12月6日(木)の20時20分。今日、このブログを開いてみて、ビックリしてしまった。トップページに何と「新垣結衣」の写真が載っているではないか。てっきりページを間違えたのかと思いながら、じっくり見入ってしまった。この写真には、凄い威力があることを実感した。一方、遊技租界はオトコ2人でやっているので、むさ苦しくていけない。やっぱり色気が必要だ、色気が……。色気を持ってこい!!。猪八戒!ソコントコ、何とかせんかい!

 そのお返しと言うわけではないが、逆にむさ苦しい写真をお目に掛けよう(写真1参照)。これが、前々回の原稿で訳の分からない叫びを上げてしまった「ゾウ」である。そう、今回も前々回の原稿の説明をするために書いている。彼はれっきとしたアフガニスタン人である。“イヤらしそうな印象”を多くの人が持つだろうが、まさに正解。彼は実際、“イヤらしい”のである。

 無類の女好きではあったが、実にいいヤツだった。最初に出会ったのが、インドの北にある「ダラムサラ」という山間の町だった。インドに詳しい人なら知っているように、この町にはチベットの亡命政府がある。私もここで、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世と握手をさせてもらった。インデラ・ガンジーの父・ネルー首相が、チベットを逃れたダライ・ラマ14世にために用意してくれた土地でなのである。

 しかし、この町には松が生えていることでも分かるように、標高が低くて湿気がある。一方、チベットの首都であるラサの高度は3650mで富士山の頂上くらいあり、しかも極度に乾燥している(写真2参照)。ダラムサラに住むチベット人は、「ネルーに騙された」と言っていた。湿気のために神経痛をはじめ、いろんな病気にかかる人が多いからだ。そのうえ、若者たちはインドでフラフラしているヒッピーたちと恋仲になり、その多くが国外に出ていってしまうのだ。


写真2=チベットのラサにあるポタラ宮。ダライ・ラマ14世は1959年3月17日、この王宮を去ってヒマラヤ山脈を超え、インドへ亡命していった

 そういえば、チベットもよかった。私はシルクロードを巡ったあとで西寧(シーニン)まで戻り、そこからチベットに向かって中国人用のオンボロバスで登った。途中の鳥魯拉山(5220m)も超えたが、一向に高山病に罹る気配もなく、酒を飲みながら1泊2日でラサに到着した(しかし、さすがに高地のため、酒の回りは早かったように感じた)。

 しかし、チベット特有の“藍色の空”を1度見てしまうと、2度と忘れることができない。あの“天空”に近い爽快感は人間を神聖にもするし、その“天空”に吸い込まれそうな不思議な高揚感も与えてくれる。つまり、“神聖なハイ状態”になるのだ。それと人懐っこいチベット人がよかった。

 チベット人は今で言うところの“アウトドアライフ”が大好きで、休みの日などは離宮や公園などに絨毯を敷き、チベットビールともいうべき“チャン”を飲みながら宴会をするのだ。私も決して嫌いな方ではないので、よく呼ばれて“ご一緒”させてもらったものだ。実にワキアイアイの楽しい宴会だった(写真3参照)。


写真3=同じチベット文化圏であるインドの「レー」での宴会。ビンに入っている泥水のような液体が“チャン”である

 それですっかりチベットにハマってしまい、最後には高山病に罹ったと仮病を使って、ビザを延長してもらった(中国公安の諸君、ビザ延長をありがとう)。それから、ゆっくりギャンツェ、シガツェ、ラツェ、ニュラムを巡りながら(写真4参照)、「文化大革命」で壊された寺などをいくつも見た。いまは再建が進んでいるようであるが、当時は親しくなったチベット人のことを思い、その暴挙に対して私のはらわたは煮えくり返っていた。それは、筆舌に尽くしがたい悲惨な光景だった

写真4=シガツェまで行く途上で出会った「ヤク」の隊商

 それから、当時やっと開いたばかりのネパールのボーダーを目指して、チベットの“天空”から“下界”に下りていった。あの最後の急降下は、実に感動的なものだった。1日に3000mくらいを一気に下りてきたのではなかったろうか。赤茶けた荒土に次第に緑が混じり出し、チベットでカサカサに乾き切った体に湿気が蘇ってくるのが手に取るように分かった。

 チベット側で最後に泊まったのがニュラムの町だった。それは川沿いに家が転々とある山間の村という言った方がいいだろう。緑の濃い静かな村だった。そこの宿屋に荷物を降ろし、川に突き出した“自然的水洗トイレ”に入った。入口と側面の仕切りはあるが、正面の壁はない。正面にあるのは黒々とした山々である(その村に着いたのは夜だった)。そして、かなり下の方を川が流れている。

 その“絶壁トイレ”で遠くの川音を聞き、用を足しながらゆっくりと一服した。そのとき、木々の香りやジットリとした湿気のなかで、私は自分の体がその風景の中に溶けていくような感覚に陥った。実に快かった。そこでつくづく自分が“日本人だな~”と思ったのである。だから、逆にチベット人が湿気の多いところに住む苦労が分かる。やはり、日本人の体は日本の湿った環境の中で作られ、チベット人の体はチベットの乾いたチベットの環境のなかで作られているのだ。

 そんなことを考えながら、当時の“グレート・ジャパニーズ・タロー”は、闘争心を駆り立てながら次の目的地・第2の故郷であるネパール、インドへと向かったのである。ネパールはまだいいが、インドでは闘争心がないと生きていけない。いままでの弛んだ精神を引き締め、ふんどしのヒモを締め直し、厳しいがこの上なく面白いインドへまた向かっていったのである(写真5参照)。


写真5=チベットの山を下りて、中国とネパールの国境に向かって歩く若き日の“グレート・ジャパニーズ・タロー”(帽子の男) また、話が大きく横道にそれてしまった。ダラムサラのチベット人が、佐渡屋太郎を“チベットの世界”に連れていってしまったようだ。「アフガン人の『ゾウ』は一体どうなったのだ」という読者の声が、いま私の耳にガンガンと響いている。まあ、いいではないか。急ぐ旅でもあるまいし、ここは佐渡屋太郎を“昔の世界”に浸らせてほしい。ゾウのことは次回に書くことにしよう

 実はこの記事の臨場感を出そうと、佐渡屋太郎は必死になって昔に撮った写真の選択を行なった。その写真を見ながら、また“あの頃”のいろんなことを思い出してしまった。最初の旅でインドを1周して、ネパールに入ってポカラとカトマンズを堪能し、タイを縦断して日本に帰ってきた。
 
 それからネパールで出会った師匠の故郷である九州の小倉で1年ほど勇伏して、修行を積んだ。そして、その次の挑戦は上海からシルクロード、チベットを経てネパールに入り、インドから一躍、陸路でヨーロッパに入り、ポルトガルのロカ岬まで行ったら、その先は海だった。陸路と海路でユーラシア大陸を横断したことになる。

 その間、撮影した写真はかなりの枚数になっている。久し振りでその写真を通して見てみた。やはり、心は大きく動いた。やはり、平常心ではなかなか書くことができないことが分かった。これが今回の大きな収穫である。まだ、修行が足りない。また、変な世界に入りそうだ。今日はここで止めて、明日はいよいよ「ゾウ」のことを書くゾウ。(佐渡屋太郎


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前回の原稿に関する落とし前 【佐渡屋太郎-vol.31】

写真キャプション1=うるさいパキスタンの人々

 いまは12月5日(水)の18時35分。実は昨夜の21時、2ページの原稿を何とか片付けたので、しばしの開放感を味わっているところだ。しかし、このブログのストック原稿がなかなか貯まらない。前回の12 月2日(日)がストックの格好のチャンスだったのだが、アホな佐渡屋太郎は酒を飲みながら、昔の“放浪時代の思い出“にハマってしまった

 ちなみにそのお詫びとして、私は昔の写真を探し出して持ってきた。今回はパキスタンの南部にある“魔のバルチスタン砂漠”を、バスで越えたときのものを掲載することにした。そのオンボロバスには、パキスタンから追われたアフガン難民も乗っていた。難民の一族はモンゴル系のカザフ族で、私も同族だと思っていたらしい。

 そのナベ・カマを持った一族と一緒に、戦時であったイランのボーダーを越えた。しかし、あの国境の街は、ゾクゾクするくらいスリルのある“租界”であった。(写真キャプション1=うるさいパキスタンの人々、2=ラクダと暮らす土漠の家族、3=メッカに向かって定時のお祈りをするバスの乗客)


写真キャプション2=ラクダと暮らす土漠の家族

 12月2日(日)に書いた原稿は結局1本だけで、それも訳の分からない支離滅裂なものになってしまった。今週の12月3日(月)にたまたま “猪八戒”と飲むことになったのだが(と言いながら、私たちは事あるごとに飲んでいる)、あいつも“一体どうしたんですか”と心配していた。私も本当はあの原稿を “没”にしたかった。しかし、ストック原稿がない悲しさで、“無慈悲な”猪八戒に翌日早々、アップされてしまったのだ。

 それなら早く新しい原稿を書いて、あの原稿をトップページの下に降ろそうと思っていた。しかし、先に触れた2ページの原稿に追われてそれどころではなかったのである。そして、やっと今日になってその時間が取れたというわけだ。そこでまず、前回の原稿の“落とし前”をつけなければならない。

 まず、中村哲医師の件だが、これについては私より皆さんの方が良く知っているのではないだろうか。中村氏は1946年生まれの福岡県出身で、県立福岡高校を経て九州大学医学部を卒業した。母方の叔父は小説家の日野葦平、さらに祖父は北九州・若松で海運業「玉井組」を営んだ玉井金五郎である。まさに日野氏が書いた『花と龍』(映画では高倉健と藤純子が主演。少し古すぎたかな~)の世界が生んだ落とし子とも言える。

 父は戦前の筋金入りの闘士、リベラリストで国粋主義者であった中村勉氏。このあたりでわが北一輝先生と結びつく。その父が息子に対して、耳にタコができほど言い聞かせていた言葉がある。それは「早く大きくなって、日本の役に立つ人間なれ。お前は親を捨ててもいい。世の中のためになる人間になれ」――という名言である。これで私はグッときた。

 中村氏は身長わずか160cm、体重56kgの小兵である。本来は精神科医であるのだが、福岡登高会のヒンズークシュ(ティリチ・ミール峰、7708m)遠征の登山隊付き医師として78年にパキスタンに行ったとき、山村で私宅監置されたハンセン氏病患者を見た。それが中村氏をパキスタンに引き付けたのである。

 『ドクター・サーブ』のなかで、その理由を著者の丸山氏は探し求めた。しかし、自分のことを語りたがらない中村氏からは、その背景について納得のいく答えは得られなかった。最も近い回答は、「医者の“仁義”がそうさせた」という言葉だった。「医者であれば、1番必要とされるところで喜ばれるのが、本望というものでしょう。(だから)なんべん考えても、ほかに選びようがなかった」とも語っている。
 
 それが契機になり、幾多の紆余曲折を経て、現在は「ペシャワール会」(現在の会員=約1万2500人)の支援により、パキスタン北西辺境州とアフガニスタンに、1病院と4診療所を運営している。年間の診療患者は16万人(03年度)に上る。また、00年夏からは旱魃に見舞われたアフガニスタンの村々に、1000ヵ所以上の水源(井戸・カレーズ)の確保作業も継続して行なっている。

 ただ、そこまでの過程はまさに波乱に次ぐ波乱の連続であった。まず中村氏は84年5月、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の派遣ワーカーとして、「ペシャワール・ミッション・ホスピタル」に赴任する。その派遣を前に83年9月、支援組織の「ペシャワール会」は福岡市で発足した。

 一方、隣国アフガンでは79年10月のソ連軍の進攻を契機に、共産政府対ゲリラ勢力、さらに部族抗争による“内戦”が続いていた。そのアフガンから流入する難民の窮状をみて中村氏は86年暮れ、日本側の援助を仰ぎながら、アフガン人によるアフガン人ハンセン氏病患者のための医療チーム「ALS」(アフガン・レプローシー・サービス)を立ち上げる。

 2年後の88年には「ALS」を発展改組し、難民すべてを対象にした医療組織「JAMS」(ジャパン・アフガン・メディカル・サービス)の旗揚げとなった。やがて事態は変化し、88年5月からソ連軍の撤退が始まり、翌89年2月をもって完了する。このあとに起こったのが、アフガンの“復興援助”という名のカネのバラまき合戦だ。最大の援助資金拠出国は日本で、その額は60億ドルだった。

 その一方で、中村氏はアフガン国内への診療所開設を精力的に進めていった。91年=ダラエ・ヌール診療所、92年=ダラエ・ピーチ診療所、94年=ワマ診療所で、パキスタン北西辺境州北部のラシュット診療所を合わせれば4つの診療所ができた。しかし、本拠であった「ペシャワール・ミッション・ホスピタル」で異変が勃発することになる。

 まず同ホスピタルの病院長はハンセン氏病棟を、欧米ミッション団体からの寄付金集めの道具としか思っていなかった。結局、中村氏は病院から追い出され、病棟のパキスタン医療チームを連れて「JAMS」本部に身を寄せる。しかし、ここも名声を得るようになったアフガンスタッフが100名以上の一大勢力となっており、パキスタン医療チームを蔑視するのだ。設立当時の初心を忘れた“変質”と言うしかない。カネと名誉が人間を変えてしまったのだ

 そこで中村氏は自分が作った「JAMS」とも、袂を分かつことになる。そして、パキスタン医療チームと「JAMS」の古参メンバー数名を引き連れて、「PLS(ペシャワール・レプロシー・サービス)医院」をスタートする。このとき、中村氏は“自前で統合病院を建設する”という決心をする。そして「PLS」と「JAMS」を統合し、すべてをペシャワール会直轄とする新組織「PMS」ペシャワール会・メディカル・サービス)を設立するに至るのである。

 そして94年に発案したこのプランは、96年から建設が始まり、98年4月にはついに「PMS統合病院」が開院する。敷地が約2000坪で、その半分の土地に造られた地上2階、地下1階の白亜の病院である。しかし、読めば読むほどタフな人間である。また、「ペシャワール会」もよく中村氏の活動を支えてきたと思う。本人は単純なストーリー化を嫌うそうだが、これは誰が見ても“一大事業”と言うしかないだろう。

 やっと、ここまで書き上げた。この本は話が入り組んでいるので、それを整理するのはひと仕事だった。お陰で私自身がこれまでの経過がよくわかった。これは飲みながらでは書けない。これで、前回の不明点の1つが分かってもらえたと思う。実はあと1つあるのだが、またいつものように原稿量が1回分を超えてしまった。続きは次回にして、ストック原稿を増やすことにしよう。

 挿入写真は昔、私がアジアからヨーロッパあたりをうろついていた頃のものを使うことにする。懐かしいな~、実に懐かしい。また、飲みたくなってきた。
佐渡屋太郎


写真キャプション3=メッカに向かって定時のお祈りをするバスの乗客


| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 10:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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あっという間に師走になった!【ナイトウ龍司-其の七】

近日OPENする【EC-SHOP】での関連商品 『2008新垣結衣カレンダー』 今年も早12月に入り、怒涛の中で1年が終わろうとしている。12月を感じさせたのが事務所にチラホラと送られて来た、お歳暮を見た時だった。 独立前からも取引先からは色々、時節ごとにご配慮を頂いていたが今年は私自身の気持ちの中では受け止め方が複雑であった。

 何故か?それは毎年なら何なりかと仕事を流せていたのが今年は思う様に改装の関連の段取りが上手く取れず、取引先には私自身が貢献出来なかった事が一番、悔やまれる1年となりそうだからです

 そんな気持ちですが、私(ナイトウ龍司)としても落ち込んではいられない!前進こそ新たなる確信を生むのである。(偉そうの言っても根っこのやせ我慢かも知れない?!)

 只、この数年間は設備や建築などばかりをメインにして仕事をしていましたが、今年は年初からそういう流れがなく、業界に対しては金融関連不振にもなるだろうと不況も予測していたので新しい事業へと実行して行きました。中でもこのブログなどやIT関連に業務展開を図った事が今年一番の課題と難関でした。今でも毎日が厳しい勉強の一言です。 しかし、何故か今までの仕事とは違った意味でやりがいも感じています。当ブログの佐渡屋太郎兄貴とのコラボで実現したこの”遊技租界”も今はやって良かったと感じています。

 話は変わって、IT関連のパチンコに関して、皆さんはもう既にご存知かとは思いますが3Dのバーチャル世界である『セカンドライフ』と言うサイトの中で12月20日にパチンコ島がオープンすると言う話があります。 仮想空間の中でのパチンコが立体的に遊技できるのか?(注:パチンコ島の内容はまだはっきり見ておりませのでアシカラズ)興味深い所ですが、近年この様な2次元でのパチンコを遊技する人口が急速に増加している気がします。

 セカンドライフについてはこう言った記事も見受けました。(記事引用)『セカンドライフのなかにはカジノで一儲けする人もいるようで、実際にスロットマシーンなどを備えたカジノがセカンドライフに多数存在しているが、こちらのほうは日本の法律上問題がないとは言い切れないようだ』
 
 現状、パチンコでは無理ですが記事内容の様にカジノ仕様の”スロットマシーン”なら遊技出来る内容からすると、「リンデンドル(L$)」という仮想通貨と同様の物が適用されれば・・まんざら不可能では無いかと思うと今後の2次元パチンコ店の出店は可能かも?となり業界でも大きな変革になるでしょう。ぱちんこ特有の何かが消失されそうな気がしているのは私だけでしょうか?リアルショップを構築して行く仕事を携わる私としては驚異に感じます。

  只、飛躍しすぎてもダメですね!現状では記事の中に”日本の法律上問題”とありましたがオンラインゲームの仮想通貨をめぐるトラブルなどに詳しい落合洋司弁護士は次のように語っています。(記事引用)

 「賭けているものがバーチャルマネーであっても換金の可能性があるわけだから、刑法上『財物』に当たる可能性があり、賭けて遊ぶ行為は賭博罪あるいは常習賭博罪に当たる可能性がある。(警察が)捜査しづらいという点もあるが捜査できないことはない。オンラインカジノで摘発された例もあり、セカンドライフのなかとは言え、同じことが当てはまるわけで、利用者はリスクがあることを十分にわきまえる必要がある」

 以上の内容で業界的には当分は2次元パチンコ店の出店は無いかと思いますね!

 今回の話は”業界の今後”について私自身が考える事の一つですが、IT関連事業を用いてリアルマーケット(実在店舗)と上手く融合しする事が必要だと考えているからです。この話は又、これ以上長々と語れないので次回から徐々にお伝えしたいと考えております。

 最後に冒頭の写真は近々OPENさせて頂きます”EC-SHOP”の商材です。季節商材やカレンダーや景品・部備品関連等の商材も置かせて頂きますので皆様、当サイトも含めご愛顧の程、宜しくお願い致します。(ナイトウ龍司

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一山越えたらもう12月に入っていた 【佐渡屋太郎-vol.30】


わが友となった華麗な植物たち いまは12月2日(日)の18時45分。窓の外はもう真っ暗になっている。週末にこうしてコーヒーを飲みながら(今日はまだ酒を飲んでいない)、ブログの原稿を書くのは実に久し振りのような気がする。そう、佐渡屋太郎は今週、必死になって原稿を書き、年末進行の一山を越えたのである。エッヘン!。

 まずは、毎年恒例となっている大きな原稿2本をついにやっつけて、一息ついているところだ。全体の量から言えば4割ほどだが、“大物”をとにかく片付けたのでホッとしている。あとは飛び込みの原稿依頼がない限り、小さな原稿を1週間ごとにコツコツ書いていけばいい。今年もやっと先が見えてきた。

 実は11月30日(金)が締め切りの原稿を2ページほど抱えているのだが、少し休ませてもらうことにした。このブログの方も、先週末からストック原稿なしの“超低空飛行”を続けてきた。今日は休息をしながら、ブログの原稿書きにはまり込むことにした。どうせ週明けには、“猪八戒”から矢のような催促がくるのに決まっているのだから。ここで自分を楽にするためにも、今日は3本くらいストック原稿を作っておきたいと思っているのである。

 まず、1本目は今日のことをダラダラ書いていくことにする。今日は隠れ家で7時30分に起きて、テレビの政治番組をハシゴしながら観ていたのだが、「サンデープロジェクト」が終わり、「週刊えみぃSHOW」のはじめあたりで寝てしまったようだ。目を覚ましたら、「たかじんのそこまで言って委員会」をやっていて、寝ぼけながらそれを最後まで観てしまった。いつもこの番組はビデオに撮ってもらって観ている。

 それからY嬢が「クリスマスローズ」がほしいというので、その買い物に付き合うことにした。ところが、そこで佐渡屋太郎の“悪い病気”が出てしまったのである。最初、「白梅」を見ていて、胸の内にある“盆栽心”が揺れ動いた。寒いなか、可憐な白い花を付ける梅のけなげさを思うと、ぜひわが同志としてそばに置かなければならないという使命感に陶酔してしまった。

 それで一線を越えてしまうと、やたらにカゴに植物を入れている自分がいた。原稿書きの殺伐とした “穴倉生活”に、少しの変化と感激を与えてくれる救世主を求めてなぜ悪いのか。そこで佐渡屋太郎は居直ったのである。これは人間としての当然の権利であろう。私は人間らしく生きたい!!。何やらわめきながら、事務所に持ち帰ってきたのが、冒頭にある写真の華麗なる植物たちである。もう置く場所もないのだが、うっとりと満足感に浸っている佐渡屋太郎であった。


『ドクター・サーブ――中村哲の15年』(丸山直樹著、石風社刊、2001年7月発行) あと1つ、今週の私の心を奮い立たせてくれたのが、『ドクター・サーブ――中村哲の15年』(丸山直樹著、石風社刊、2001年7月発行)という本である。ひょっとしたら今年に読んだ本のなかで、最も深い印象を与えてくれた本になるかもしれない。アフガニスタンで地道な医療活動を行なっている中村哲という人は知っていたが、こんな無鉄砲で頑固オヤジだとは知らなかった。

 中村氏は福岡県出身で、永年にわたりパキスタンのペシャワールに本拠を置いて、アフガンの無医村の巡回診療を続けている。ここでそのことを語り出すと今日、京都へ帰れなくなるので、本の内容には触れられない。自著として『医は国境を越えて』、『ペシャワールにて――癩そしてアフガン難民――』、『ダエラ・ヌールへの道――アフガン難民とともに――』(いずれも中村哲著、石風社)も読まなければならない。ただ、私はそれを古本で見つけ出す。

 ライターの丸山直樹氏の人懐っこくて、真摯な筆致もよかった。あとがきで「中村はそれを語らず、周囲の証言に核心なく、わけても私の眼力が、足らなかった。/ひとがひとを書くことの難しさを、改めて思い知った」と書いているが、読者には伝わっている。その核心を求めようとする丸山氏の“心”の方向がいい。決して、中村氏の核心などつかめないだろう。

 書きながら酔ってきた。また、佐渡屋太郎は飲み出している。もう京都へ帰らなければならない時間となった。支離滅裂である。いままで穴倉に閉じこもっていたので、うまく自分の言葉が出てこない。ただ、ペシャワール、フンザ、カイバル峠といった言葉を聞くだけで、わが若き日の“血の騒ぎ”が再び体の中を駆け巡っている。アフガン人のゾウ――まだ、生きているか。生きていたら、また、アレをまたやりたいな~。

読んでくれている人には、何のことか分からないと思う。誠に申し訳ないが、今日は久し振りの開放感で、飲んで逆に“シラフ”になっている佐渡屋太郎であった。今日はこの辺で止めておいた方がよさそうだ。もう、フラフラになっている。(佐渡屋太郎

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マルハンの海外進出を総覧する 【佐渡屋太郎-vol.29】

今後、大きな注目を集めるカジノ事業の動向 このブログで以前、マルハンのマカオカジノへの投資の件を書いたことがある。実はその後、海外進出の動きが急激に活発化している。カンボジアでの現地法人や銀行の設立、さらに韓国の大手建設会社との協力関係構築の覚書締結など、やたらと忙しい。傍目で見ていると、次期の中長期事業計画に向けて、まさにフル回転といった感じである。

 こちらとすると、そのたびにリリースを出してくれるので、いいネタにはなってくれる。隠すから詮索されるのであって、積極的な情報公開を行なうことによって、企業としての好感度もアップすると思う。と思っていたが、各種のネットを見てみると案外そうでもないようだ。

 しかし、事実は事実として知っておいた方がいいだろう。そこで、これまでのマルハンの海外進出に関する動きを総覧してみることにした。この前は、マカオでのカジノ事業への参入まで書いた。したがって、その後の動きをリリースによって時系列で辿ってみることにしよう。

①07年10月26日発信〈マカオサクセス社の株式取得について〉
 株式会社マルハン(以下当社)は、マカオサクセス社の発行株式のうち、18.2%(2007年10月26日現在)を取得いたしました。

 マカオサクセス社は、平成19年10月1日に当社が出資を契約した、大型カジノテーマパーク「ポンテ16」へ出資するワールドフォーチュン社の親会社であり、より強固な関係を築くための今回の株式取得となりました。

●平成19年10月26日現在取得株式の状況
 マカオサクセス社:発行済株式=24億1946万株
         :当社取得株式=4億4000万株(18.2%)

②07年11月9日発信〈カンボジアにおける現地法人設立について〉
 株式会社マルハン(以下当社)は9月20日、カンボジア王国において当社が100%出資する現地法人『Maruhan(Cambodia)Corporation』(取締役社長・朴瑛玉=Park Young Ok)の会社登録を完了いたしました。

  今回の現地法人設立の背景には、今後高度な経済成長が見込まれるカンボジアへ早期に進出することで、中期事業戦略である海外事業について布石となることを、目的としております。
 
  また、本法人設立にあたり2007年7月18日、現地の首相官邸にて、当社会長とカンボジア王国Hun Sen(フンセン)首相と会談を行い、当社会長より「企業としてカンボジアの経済発展に役割を果たす一方、個人的にはカンボジア国民に希望と勇気を与えたい」と述べたことに対し、フンセン首相は「大歓迎するとともに、政府側も支援を行なう」とのお言葉を頂戴しました。

③11月12日発信〈ポスコ建設との覚書締結について〉
 株式会社マルハン(以下当社)は10月11日、韓国の鉄鋼大手企業であるポスコ社の傘下企業であるポスコ(POSCO)建設との協力関係構築のため、覚書を締結いたしました。
 
今回、締結した覚書により、当社が事業を展開するなかで発生する開発事業などに対し、ポスコ建設より積極的な協力を得ることになります。
 
事業内容としては、ロシアのウラジオストック、サハリン、カンボジアのプノンペン、アメリカ合衆国のグァム、韓国、香港、マカオ、中国、ベトナム、フィリピン、タイ(プーケット)における不動産開発およびリゾート開発に関し、業務を考えております。
 
  とくに、アメリカ合衆国のグァムなどの地域においては、不動産開発およびリゾート開発に関するポスコ建設の事業性の調査を終え、当社との協同開発を進めていく予定です。

④07年11月26日〈カンボジアにおける銀行設立について〉
 株式会社マルハン(以下当社)は去る9月20日、カンボジア王国において会社登録した『Maruhan(Cambodia)Corporation』の設立に続いて、カンボジアにおいて銀行設立に着手いたしました。
 
  この銀行は、カンボジアにおいて初めて日本企業が出資する商業銀行で、地元有力事業家であるHuot Vanthan(フオット・パンタン)氏の経営する投資銀行へ当社が出資を行なうことで、商業銀行としての認可を目指すものです。
 
  設立予定の商業銀行MARUHAN JAPAN BANK PLC(マルハン ジャパン バンク)は、2010年に予定されるカンボジアの証券取引所開設に向け、上場を目指す企業への融資や、貧困層に対するマイクロジレットと呼ばれる融資事業を行なうことを計画し、今後、東南アジアに支店を持つ銀行として事業を拡大していきたいと考えております。

⑤07年11月30日〈マカオにおける事業参入について〉
 株式会社マルハン(以下当社)では平成19年10月1日(月)、マカオにてカジノホテル「ポンテ16」の開発事業を計画するワールドフォーチュン社と、その事業に出資する香港の上場企業であるマカオサクセス社の株式を取得することを決定しました。

 当社では、7月末より事業に対するデューデリジェンスを実施、9月末時点で評価を完了し、出資を合意したもので、今後マカオに建設予定である大型カジノテーマパーク「ポンテ16」の事業を行い、49%の権益を持つワールドフォーチュン社の株式を10.2%取得し、その親会社であるマカオサクセス社の株式を9.1%引き受ける契約を締結いたしました。

 さらに10月26日現在において、マカオサクセス社の株式を市場から9.1%取得したことで、当社の保有するマカオサクセス社の株式は18.2%となりました。以上の取引による当社の投資総額は、約126億円となります(投資内容は下記の通り)。

 今回の契約は当社が海外事業へ出資することで、パチンコ業以外のレジャー事業についてノウハウを学び取ることを目的とし、将来はカジノ業を中心とした大型レジャー施設の展開を視野に入れた、当社の中期事業戦略の一つとして位置づけております。

 マカオにおいては、2006年のカジノ売り上げが65.5億アメリカドル(約8400億円)に達し、これまで世界最大であったアメリカのラスベガスの推計65億ドルを超え、世界最大のカジノ都市となりました。カジノ市場の対外開放からわずか4年で、カジノ都市として世界首位に躍り出た背景には、膨張する中華人民共和国の経済からあふれ出る「チャイナ・マネー」と、新たな市場であるマカオの国際カジノ産業に流れ込む外資があると分析されています。

【投資概要】
● 事業代表=香港ワールドフォーチュン社(同社はマカオサクセス社の傘下企業)
● 事業形態=中華人民共和国マカオにおける大型レジャー施設の運営
● マルハン出資
① 「マカオサクセス社」の株式を約18.2%保有(投資額=約72億円)
② 「ワールドフォーチュン社」の株式を約10.2%保有(同社に対する貸付融資投資額=約54億円
● 投資総額=約126億円


日本にカジノホテルが誕生するのは、果たして何年後になるのだろうか   以上が、これまでのニュースリリースである。これを鳥瞰してみると何か見えてくるような気がしないでもない。しかし、カジノホテルを建てられそうな場所が多い。ちなみに『Maruhan(Cambodia)Corporation』の資本金は300万米ドル(約3億3000万円)であるという。着々とマルハンの海外事業も骨格が出来上がろうとしている。

 その骨格の上にどんな肉付けがなされるのだろうか。国内では資金ショートでどん底の苦しみを味わっているホール業者が多いなか、こうしたマルハンの事業展開は実にまばゆいばかりである。今後のリリースの到着が楽しみになってきた。今回はリリースを打ち込むのに疲れたので、まだ書きたいこともあるが、このあたりで終わることにする。(佐渡屋太郎

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「namBa HIPS」が12月13日にオープン 【佐渡屋太郎-vol.28】

いよいよ12月13日のオープンする「namBa  HIPS」  いまは11月30日(金)の18時55分。今日は11時から播磨屋の取材があって、14時過ぎに事務所へ帰ってきたら、平川商事からのリリースが届いていた。それを見ると、以前このブログでも紹介した「namBa HIPSナンバヒップス)」が、12月13日(木)にグランドオープンするという内容だった。

 “ついに来たか”――これが正直な感想だ。11月下旬から会員募集をしていたので、12月の頭にはオープンするのかと思っていた。取材の折の雑談で聞いたのだが、四海樓の本店は工事を終えて今日、リニューアルオープンしたという。いよいよ戦闘開始までのカウントダウンに入ってきた。大阪のホール関係者は、千日前エリアの“冬の陣”の動向に関し、固唾を呑んで注目していることだろう。何かエリア全体の空気が、“静かな緊張感”に包まれている今日この頃だ。

  さて、平川商事12月13日のオープンに先立ち、まず第1弾としてプレス内覧会を12月11日(火)に開催する。12時までに受付をすれば、20時まで施設内を内覧することができる。さらにこの複合施設の最大の目玉となる「ヤバフォ」にも、先着順で試乗できるというではないか。しかし、これに1番乗りをするのには、かなりの勇気がいるだろう。

 前の記事を読んでいない人のために、この「ヤバフォ」の説明をもう1度しておこう。これは日本初のビル壁面型フリーフォールで、ゴンドラに搭乗してそのまま落下していく乗り物なのである。写真を見てもらえば分かると思うが、ビルの中央部にあるレールをゴンドラが落下していくわけだ。最上部の高さは74mで、全長60mにわたって落ちていくのである。アーメン!。

 その落下の最高速度は秒速22m(こんな数字で説明されても、私にはその怖さが理解できない。一体、どれくらいのもんなんじゃい!)で、1回に最大6人の乗車が可能だという。ラスベガスで夜に乗ったときは、正直言ってかなりのスリルがあった。しかし、これに乗って気を失ったり、失禁したりしたら、一生にわたって業界の笑い者になってしまうだろう。当日は紙オムツでもしていこうかと、真剣に悩んでいる佐渡屋太郎なのである。


 その他の見所としては、6階には都会にいながら本格的なゴルフのレッスンや、シミュレーションゴルフが楽しめる「GOLDIA」。7階には日本初上陸となる「CHAKRA SPA by SUNDARI(チャクラ・スパbyスンダリ)」もオープンする。そして、業界人にとって注目せざるを得ないのが4階から下に展開されるゲームとパチンコフロアであろう。

 まず、4階~3階がゲームとカジノが融合した「ゲームGASINO(ガジノ)」。簡単に“融合”と言うが、一体どんな融合なのだろうか。2フロアでかなりのスペースがあるので、その機種構成も大きな見所となるだろう。さらに2階~地下2階は、平川商事が展開している「アロー」ブランドのパチンコ&スロットフロアとなる。このあたりの説明がほとんどないのが、何ともじれったい。“見てのお楽しみ”ということなのだろうか。

 そして、第2弾が12月13日のオープン当日の10時~10時30分に行なわれる「ヤバフォ・オープニングセレモニー」である。これはヤバフォの“落ち初め”(果たしてこんな言葉はあるのだろうか)のイベントで、その栄えある大役を務めるのは、同社のイメージキャラクターでもある「ほしのあき」さんだという。実にうまい演出ではある。当日はきっちり写真を撮ってくるので、そこんとこ期待の方、ヨロシク!

 というわけで、今週の最後となる原稿が終わった。疲労困憊の極致に達している。しかし、依然として“ストック原稿ゼロ”を引きずったままの綱渡りの1週間だった。また、土日の訪問客用に、明日は書きまくる決心をしたので、そこんとこもヨロシク!。といいながら佐渡屋太郎は、いそいそと“隠れ家”に帰っていく。(佐渡屋太郎



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