遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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ボケが抱えた意外な真実【佐渡屋太郎-vol.295】

Y家にあった植え替え前のボケ鉢。土が減り、幹はトグロを巻くように這っていた

いまは13年8月5日(月)の18時34分。夕方になって酒を飲み出すと、植木のことを思う日々が続いている。今日は用事で15時から外へ出ていて、帰ってから水風呂に入り、残りの仕事を片付けていたら、突然に雷が鳴り響いて激しい雨が降り始めた。大阪の夏は沖縄より暑いと言われる。一方、関西は“亜熱帯”になったと、私はずっと前から思っている。こんな夕方の激しい雨は、明らかに“スコール”である。インドや東南アジアの気候そのものだ。

そんな“スコール”を見ていると、ずぶ濡れになって、チャイ屋で雨宿りしていた若い頃を思い出す。雨が上がると、糞尿とお香の匂いが混じった風が流れてきて、今まで誰もいなかったぬかるんだ道に、牛や色の黒い人間たちが次々に出てきて溢れ出す。やがて、あたりが暗くなり、露店にケロシンライトのギザギザした光が灯り、街角のスピーカーから甲(かん)高い女の歌声やアザーンが響き渡る。その頃になると、濡れていたTシャツはとっくに乾いており、今度は空腹を抱えながら、スパイスの香りにつられるように、また夜の街に彷徨い出すのだ。

よく行く料理屋の席に座ると、どこから見ていたのか、細い路地から仲間が蛆虫のように這い出してくる。そして、当然のように私の近くの席に集まり、今夜の計画をうるさいくらいにわめきたてる。そんな毎日にもいい加減に飽きてきていたが、同意を求めるので仕方なく了解すると、皆が席から腰を上げる。そして、私は痺れるような体の感覚を引きずりながら、その後に付いて薄暗い迷路のような路地に入っていくわけだ。

暗い路地にはいろんな人間がうごめいていた。肩をぶつけるようにしてすれ違う男たちは、強烈なワキガの匂いを撒き散らし、サリー姿の女の足元からは、アンクレットに付けられた小さな鈴の音が聞こえてくる。私はそろそろ次の街に行かねばならないが、なかなかこの街から抜け出せない。果たして、目的地に辿り着けるのだろうか。そして、日本に帰ったら、どんな生活が待っているのだろうか。思うように体が動かないジレンマのなかで、1日1日が飛ぶように過ぎていった。そんな当時の気持ちが、スコールを見ていると蘇ってくる。「何も焦る必要はない。人生はなるようにしかならない」。これが私の結論である。できることなら、その頃の自分に教えてやりたいが、それを言ったところで、真意を理解できるはずもない。なぜなら、経験しないと分からないことだから。

植え替え後の1番鉢。根は付いているが葉がない幹も植え込んである

ただ、“亜熱帯”には数々のドラマがあった。そして、今は植木にドラマがある。前回、ヤマブキのことを書いたが、そんなことを吹き飛ばすくらいの事件が、先週末の8月3日(土)に起こったのである。舞台は想像の通り、枚方のY家だ。その日、私に与えられた任務は、植木や庭への本格的な水遣りと、外回りの点検だった。想像していた通り、屋根のあるところに置いてあった植木鉢はカラカラの状態であった。さらに庭の土もカチカチに乾ききっていた。

そこで水まきにホースを使おうと思って、裏庭にある水道の蛇口をひねったら、つなげてあるホースの接合部から水が吹き出した。接合部にはネジ山が切ってあるのだが、ネジ山を無視して斜めに差し込まれていた。かなり、強引で法則を無視した接続方法であった。だから、その隙間から水が飛び出し、その結果としてホースは使えない状態にあったわけだ。証拠はないが、犯人はY嬢父であろう。自らの意思を完徹させるためには、周囲の状況や法則を無視する発想を取る人間を、関係者の中から洗い出した末に導き出した結論だ。果たして、ホースはこんな状態でどれくらい放置されていたのだろうか。

私にもいささかその傾向があるので、決して非難しているわけではない。ただ、ホースを使いたかっただけだ。この状態を正すために、タオルやペンチを使っていろいろ試行錯誤した。それほど、斜めに深く差し込まれていたのである。Y嬢父はこれを直そうと思って、何回もチャレンジしたに違いないが、その試みはすべて失敗に終わったはずだ。しかし佐渡屋太郎は、最後には素手でその接合部を外すことに成功した。では、なぜそんなことができたのか。それはY嬢父より佐渡屋太郎の方が、“力”があったからだ。言いたかったのはそれだけである。

植え替え後の2番鉢。分断したみきの中で背の高いものを集めて植えてみた

あと1つの重大な発見は、家の横にある通路の実態だった。地植えしてある木は散々に細枝を伸ばし、プランターに植えてあったキクは倒れ、通路を塞いでいた。私は細枝を切り、倒れているキクを紐で括って直立状態に戻し、何とか道を切り開いた。しかしそのとき、恐ろしい光景を見てしまった。踏み固められた通路から雑草が何本も芽を出し、葉を繁らせていたのである。この1件をもって、私が前回来てから誰もこの通路を通っていなかったことが分かった。多分、家を建ててから40年以上にわたり、通路がそんな状態になることはなかったはずだ。倉庫に物を取りに行ったり、植木の水遣りをするために、何万回いや何十万回も、この通路をY嬢の父と母は歩いたはずだ。

しかし人が通らなくなると、今まで踏み固められた土からでも、植物は芽を出して葉を繁らせる。これは単に植物の“生命力”の強さを賛美してばかりはいられない。そこにいる人間の“活動力”が落ちていることの何よりの証拠であるからだ。家はこのようにして荒れていく。いまは植物の生命力の高まっている時期であるから、ほんの数日間で雑草たちはここまで成長したのかも知れない。しかし私には、そこに住む人間の“生命力”が、その敷地内にある植物の“生命力”に負けそうになっているという事実を見せられたような気がして、寒気を覚えたのである。

こんなことが、以前にもあったことを思い出した。私の父が死んでから、佐渡にある畑の“ジャングル植物園”や周りの竹薮は荒れに荒れていたのだ。その現実と直面したのは、思い返せば09年の夏であった。そのとき、竹薮一面を覆うフジツルを見て、私は強烈な“戦慄”を感じた。それは自然の脅威と言ってもいい。しかし、それを見た数分後、次第に“闘志”が湧き上がってきた。これは人間としての本能と言ってもいいだろう。それがあの“フジツルとの闘い”に発展していったのである。今回の件ではっきり分かったことは、あのとき佐渡屋家の“生命力”は、畑一帯の植物たちの“生命力”に負けていたのである。

しかし、佐渡屋家には遠く離れて暮らしているが、佐渡屋太郎と次郎という“隠し玉”があった。この“生命力”に溢れた息子たちは母親とともに、いままで圧倒されていた自然の“猛威”に対し、果敢に立ち向かっていく戦闘を決行したのだ。以来4年にわたって、畑一帯の整備作業を続けている。それはまさに木たちとの“格闘”であり、“生命力”の強さ比べでもある。生きている限りは、この“闘い”には負けたくないと思う。しかし、今でもその過酷さに頭がフラフラし、息が切れることもある。あと数年後には、私の息子をはじめ、さらなる“隠し玉”の援軍を用意しておかなければならないだろう。

植え替え後の5番鉢。曲がりくねった幹のなかには姿にいいものがあったので小鉢に単独で植えた

それに比べれば、都会にあるY家の自然の力はささやかなものだ。私1人でも十分に勝つことできる。しかし、少し油断をしていると、敵はジワジワとY家を飲み込んでいく力は持っている。あまり自然を“敵視”してはいけないが、管理していくにはそれなりの覚悟を持たなくてはならない。いつもこのことを考えると、自分の中の大きな矛盾に気づく。鉢植えでは、自然の猛威を期待している。しかし、地植えの木に対しては、それらが持つ自然の猛威に、闘いを挑まなくてはならないのだ。昨年は佐渡で、モミジの枝落としを大々的に行なった。植木がこんな太さになって欲しいと思いながら、のこぎりで切り落とした。そして、最終日にはその木の下に生えている苗を鉢に入れ、持って帰ったのである。父は地植えを盛んにやったが、それから比べれば鉢植えは随分と罪は軽いのではないかと思っている。鉢植えは放置しておけば、自然に死んでしまうからだ。

そんなY家の横通路に生えた雑草をきれいに抜き取って、私は佐渡屋太郎の“生命力”を植物たちに誇示しておいた。さらにその雑草の中にセンダンの苗があったので、掘り起こして小鉢に鉢上げして持ってきた。センダンの木はベランダにもあるのだが、その涼やかな姿の苗を捨てることができなかった。と、ここまでは前フリで、いよいよ今回の本題に入る。横通路の整備も終り、家の前に置いてある植木にもホースで水をやった。よく見ると梅やサクラの枝が伸び放題になっていたので、散髪をしてスッキリとさせてやった。その中にボケの鉢が2つあった。1つは私が預けたもので、枯れたと思っていたら生き返っていることに今春、気付いて感動した。しかし、その後よく見ると、成長しているものは別の幹であることを発見した。多分、Y嬢母が挿し木をしてくれたのだろう。それが見事に根付いて成長していた。

植え替え後の3番鉢。この鉢には元気のいい細幹を集めた

問題はもう1鉢のボケであった。これはY嬢母の鉢である。やたらと幹が密生して絡んでいたので、支柱を立てて形を整えてやろうと、駐車場に持ってきて作業を始めてみた。私の植木道具の一式は、Y家の道具置き場にも備えてある。しかし鉢の様子をよく見ると、支柱を立てて整枝ができるような、そんな生易しいものでないことがすぐに判明した。それでとりあえず持って帰り、落ち着いて作業をすることにした。いま思えば、それが今回の“大手術”の始まりだったのだ。

まず、幹が鉢の内縁に沿いながらトグロを巻いていた。この時点で、現状のままでの“整枝”という発想を捨てざるを得なかった。こんな状態のままで成長しても、決して見栄えのいいボケ鉢にならないからだ。それで幹を鉢から引き抜いて、全体の構造を点検してみた。すると驚いたことに、根は幹以上に絡み合いながら大きなトグロを巻いていたのである。その複雑に絡み合った根を丁寧にほぐしていくと、この鉢は3本のボケによって構成されていることが分かった。

幹はそれぞれ長く伸びているのだが、トグロを巻いて地面に這っているため、根元からの“立ち上がり”を見せることができない。佐渡で闘ったフジのような、“ツル状”になっているのだ。これをどのように矯正していくのか。そこで考えたのは、根の付いている部分ごとに、“分断”してみることだった。生け花用のハサミで、バッツンバッツンと幹を切っていった。短くすれば、幹の湾曲はそれほど気にならない。それどころか、曲がり具合に味のある幹も何本か出現し、そのまま幹が太くなれば盆栽になるようなものもあった。思わぬ収穫である。

しかし、調子に乗って切っていったために、切った幹は想像以上の本数になってしまった。さらに、根はついているが葉が付いていない幹も5~6本あった。これは“根伏せ”にすることにした。さて、これをどのように植え替えていくのか。ここでハタと現実に引き戻されてしまった。今数えてきたら、葉がついているものだけで25本もあった。葉のないものを加えれば30本以上となる。普通に考えて、これを持ってきた1鉢に植え込むのは不可能だ。とにかく、植えられるだけ植えていこうと作業を始めた。そのとき、「枝ぶりのいいものは小鉢に単独で植えても面白いな」などという不埒(ふらち)な考えも浮かび、気付いたら1鉢が6鉢に増えていた。

植え替え後の4番鉢。残りものと葉のない幹を集めて植えてみた

こうして、植木鉢はベランダで“飽和状態”になってしまったのである。置けることはまだ置けるのだが、もう日の当たらない場所しかない。今回の6鉢のうち4鉢は、その日の当たらない場所に置いてあるのだ。私が気に入って小鉢に植えたもの以外は、Y家に持っていく予定だが、いま佐渡へ帰るまでの追い込みの仕事をしていて、その時間がなかなか取れない。ただ、Y家に持って行っても水遣りの心配がある。佐渡に行くまでに持っていくか、佐渡から帰ってから持っていくか。佐渡屋太郎はまたもや、“厳しい選択”を迫られているのである。

さらなる心配は、植えてから数日が経過すると、下の方から葉が次第に黄色くなってきたことだ。これは“手術後”の予想していた反応だ。いままで3本のボケは、何ヵ所にも亘って生えていた根から水分を吸収していた。しかし、その根と幹を分断することによって、新たな“吸水経路”を開発しなくてはならなくなった。多分、それぞれの幹についた根を伸ばしたり、増やしたりしながら、幹を維持・成長させていくのに十分な“吸水体制”を確立させていくはずだ。現状ではまだ、その“吸水体制”ができていないので、水分不足になった葉が変色して、落ちていく。

ここで問題となるのが、それぞれの幹が持つ“生命力”だ。強い“生命力”を持つ幹は、過酷なこの状況を克服して根を伸ばし、新たな葉を出し、幹を太らせていく。しかし、“生命力”の弱い幹は、新たな環境のなかで吸水ができず、カラカラになって死んでいく。では、その“生命力”の違いは、どこから生まれてきたのか。それを差配したのは誰でもない、この佐渡屋太郎である。幹と根を“分断”したときに、それぞれの幹に生き延びていけるだけの根を確保することができたかどうかが、これから実証されるわけだ。さらに“術後”の彼らをできるだけ、いい環境のなかにおいてやるという役割も、これまた佐渡屋太郎に課せられた任務となる。

まさにいま、彼らは“生死”の間をさ迷っている。施術者としては誠に不謹慎であるが、私はそんな彼らの“必死”な姿が大好きだ。その末に、新たな葉が出たり、蘇生の兆候を発見したとき、これ以上ないと思えるような感動を覚えるのだ。“よくぞ、生き返ってくれた”――感無量の一瞬である。このところ、様々な症状を持った植木たちが私の目の前に現れ、救済を求めてくる。一方、そんな植木たちを見ると、佐渡屋太郎は血が騒いで放置しておくことができない。

今回のボケも、鉢の中は空洞状態だった。鉢底の土留めを十分にしていなかったため、土が永年の間に流出してしまったのだろう。このボケたちもまた、劣悪な環境の中にいたのである。いま、十分な量の土を与えられて、それぞれが“独立”していこうと必死にもがいている。何とか生き延び、前以上に逞しく成長してくれることを祈らざるを得ない。なお、植え替え後の鉢は6つあるが、植え替え前の写真を入れたので、5つしか掲載できなかった。6番鉢はこれにめげずに頑張ってもらいたいと思う。(佐渡屋太郎)

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ヤマブキの救済【佐渡屋太郎-vol.294】

水不足で枯れの症状が出てきたY家のヤマブキ「大」と「小」

いまは13年8月4日(日)の17時55分。ついに“天国と地獄”を味わう8月に入った。しかし、日常生活は7月から引き続き、植木の水遣りと植え替え、そして原稿書きの毎日を送っている。そんな中で、近頃起こった出来事の“順番”が分からなくなることが多くなった。その日の出来事は記録してあるので、手帳を見れば分かる。また、本業である取材や原稿書きは、締切り順に書くものの計画表を作ってあるから、各月ごとに割と明確に思い出せる。しかし、このごろやたらに増えてきた植え替えに関しては、どれが先で、どれが後にやったものなのか、その前後関係がほとんど分からなくなっていることに気付いた。

今回、書こうとしているヤマブキの件も、写真ファイルを3回も探したが、目指す写真が見つからなかった。終(しま)いには、その植え替えがマカオに行った前なのか、後なのかさえ忘れていることに気付いた。私の感覚では随分前に植え替えをしたように思う。その証拠に、あのときほとんど枯れていた葉が、いまではすっかり青葉に代わっている。それがどれくらいの時間の経過の末に起こったことなのか。手帳を見ないとまったく分からくなってしまった。

なぜ、いまこんなことを書いているかというと、鉢数が増えた原因は、必ずしも私だけの責任ではないとY嬢に主張したかったからだ。Y嬢やY嬢の実家である枚方のY家関連でも、だいぶ鉢数が増えているのである。そのことを分かってもらうために、証拠の写真入りで説明しようと思い立ったわけだ。この“ヤマブキ事件”が起こったのは、手帳を調べた結果、7月10日(水)であることが判明した。その日はY嬢に頼まれ、Y家へ植木の水遣り、クーラー掃除、新聞括(くくり)りをするために行った。いずれも私の得意科目だ。

そのとき、裏庭で発見したのが、写真にあるようなヤマブキの盆栽の変わり果てた姿だった。この盆栽の2鉢は、Y家の鉢植えのなかでも最高の部類に属するものだ。結構、年数も経っており、丈は低いが幹にはそれなりの古相がある。もっと大きなヤマブキは庭に植わっていたが、私が引き抜いて持ち帰り、枯らしてしまった。しかしこの2鉢は、春には狂ったように枝を伸ばし、青々とした若葉を付けていたのである。その後も順調に枝を伸ばし、いつもY家に行くと私の目を楽しませてくれていた。

横に植えてあったナンテンを抜いたので、枯れの症状が軽かったヤマブキの「中」

それがどうしてこんな姿になったのか。それには深い理由がある。Y嬢父とY嬢母の認知症が確実に進行したからだ。「水遣りはワシがやる」と息巻いていたY嬢父は、自分の気に入った植木にしか水をやらないという悪い癖を持っていたものの、それでも1週間に2回くらいは水をやっていたようだ。しかし、記憶力のなくなったY嬢父は、ついに水をやることも忘れてしまったのである。一方、Y嬢父より認知症の進行が早いY嬢母は、重いものを持って腰を痛めてしまった。いままではY嬢父をフォローして水遣りをしていたが、そんな元気もなくなり、いまではまともな会話もできなくなっている。

こうしてY家の植木に、大きな災難が振りかかってきたのだ。外回りの管理を担当する佐渡屋太郎にとって、また頭の痛い問題が1つ増えたことになる。しかも季節は夏を迎えている。1週間に1回の水遣りでは足りないので、今後はどうしようか。そんなことを考えていた矢先の“ヤマブキ事件”であった。水を遣ったとしても、このままここに置いていては、夏を乗り切ることができない。これがそのときに私が下した決断だ。こんな底浅の鉢ではすぐに乾いてしまう。とりあえず持ち帰って、底深の鉢に植え替えることにしたわけだ。

当時の状況を説明すると、2本植わっているのがヤマブキの「大」と「小」である。2本が1鉢に植わっているために、枯れがひどくなっている。一方、1つの鉢に1本だけ植わっているのがヤマブキの「中」である。春にはこの横にナンテンが植わっていたが、枝が伸びてあまりにも不格好になったので、丁寧に引き抜き、私のところに持ってきて深底の6号鉢に植え込んだ。その結果、1鉢に1本だけとなった「中」は十分に水分を摂ることができ、ほとんど枯れの症状が出なかったのだ。これは私のお陰と言ってもいいだろう。

一方、引き抜かれたナンテンはほとんどの根を一緒に採取することができたので、植え替えてからすぐに活発な成長を見せた。それどころか、いまでは子供も何本かでき、株となって一族を形成するまでになっている。前にもこのブログで書いたが、私はナンテンにコンプレックスを持っていた。それは去年の秋か冬に買ってきたナンテンを3株に分けて植え付けたところ、そのうちの2本を枯らしてしまったからだ。その後、Y家の裏庭の倉庫の陰にあったナンテンの子供を持ってきて植えたが、それも枯らしている。

しかし春になり、3本のうち生き残った1本が、すごい勢いで成長を始めた。ヤマブキの隣にいたナンテンと張り合うような勢いである。枝を横に張り、隣の鉢の植木を覆い隠すような成長ぶりで、置くところに困るような存在にまでなっている。そこで気づいたのだが、私は横に広がる植木は好きではない。ベランダに十分なスペースがないということも関係しているだろう。しかし、黙々と上に向かって伸びていく植木が最も私が好むタイプだ。いま正直に言うと、この2本のナンテンには手を焼いている。もうコンプレックスも解消されたし、枝を思う存分に伸ばしてやれるスペースもない。もう少し大きな鉢に植え替えて、Y家に移住させることも考えている。そのY家から持ってきたナンテンの写真も付け加えておいた。

5月4日にヤマブキ「中」の鉢から引き抜いて深底鉢に植え替えをしたナンテン

ではこの後、3本のヤマブキはどうなったのか。植え替え直後の写真もあるが、1回に6枚しか掲載でないので、涙を飲んで割愛した。当初は裏庭にあったヤマブキの鉢上げに失敗しているので、自信はまったくなかった。そのとき私は1枚1枚の葉が茶色くなり、1枚1枚が落ちていくのをずっと見続けていた。また今回も、そんな悲しい思いをしなくてはならないのかと、憂鬱な気分になっていたのである。しかし、天は私に味方をしてくれた。

まず、変化が現れたのが「小」であった。植え替えてから5日後くらいから枝が赤くなり、先端に黄緑色っぽいものが見えるようになった。それが新葉であることに気付くころには、
枝のいたるところで新葉が吹き出した。これは早目に救済したのが勝因だった。もう少し、遅れていればどうなったか分からない。ちなみに植え替えの時は、底浅の鉢中に根が回りに回っていた。伸ばすと1.5mくらいあった。樹高を考えれば、恐ろしいくらいの長さである。この1件で、私は何年も植え替えをされずにいたヤマブキたちの歴史を知った。

まず、最初に新葉を出して蘇ったヤマブキの「小」

今となっては病人のY嬢母を責めることはできないが、ヤマブキたちは永年の間、過酷な環境下に置かれていたことが判明した。その根を30cmくらいに切り詰め、おそらく初めての植え替えをしたのである。私が裏庭から掘り起こしたヤマブキの貧弱な根とは大違いであった。あんな根では、生き延びられなかったことにも納得がいく。この「小」が次々に新葉を出す様子を、私は毎朝ながめては、その生命力の強さに感動していた。これから急速な勢いで衰えていく人たちと、鮮やかな新葉を出して生き返るヤマブキ。その厳しい自然の鉄則の前では、いくら私たちが知恵のある人間でも、いまのところ抗うことはできない。Y家において家の中と外で生きてきた人間とヤマブキは、これから正反対の方向に向けて、それぞれが歩き出そうとしているのである。

一番症状は軽かったが、植え替え後に新枝や新葉も出し、幹も太くなったヤマブキの「中」

一方、ほとんど枯れの被害がなかった「中」は、そのまま青葉を維持している。さらに新たな枝や葉を出し、幹も少し太くなったように感じる。問題は「大」である。植え替え当時は枯れが木全体に回っていたし、ほとんど生気を感じることができなかった。他の2本は助けることができても、この「大」は救えないのではないかと思っていた。しかし、新葉が盛んに出てきた「小」を眺めていたある日、「大」の最下部の枝のある辺りから、新たな細枝が出ているのを発見した。その時の感激は今でもよく覚えている。こうした“蘇生”の喜びは1度、悲しみや苦しみ、諦めを経た上でやってくるいわば“逆転劇”なので、なおさら衝撃度が大きい。いまは下の方から徐々に上の方へと新葉が出るようになり、ゆっくりと生き返りつつある。

こうした迅速な処置により、3本のヤマブキは見事に救済されたのである。しかし、この救済によって、鉢が3つも増えてしまった。いずれはY家へ返すことになるが、少なくても夏の間はわがベランダに置いておかざるを得ない。さらにその日の手帳をみると、コギク2鉢の植え替えもしたと記されている。このコギクはY嬢が4~5年も前に買ってきたものだ。最初の1~2年は元気よく春と秋に花を咲かせていた。しかし、3年目くらいから虫がよく付くようになり、多くの葉が茶色に変色した。さらに、花も春にしか咲かなくなった。根が回っているので、根切りをして植え替えなければと、私はずっと思っていた。

最も症状が重かったヤマブキの「大」だが、下の方から新葉が出て回復傾向にある

このコギクに関しては、Y嬢はもう捨ててもいいという見解だった。女性は何とも思い切りがよく、残酷な生き物だ。私は植え替えをすれば虫に負けないくらいの元気を取り戻せると思っていた。何と優しい心の持ち主であろうか。それで状態を確認してみると、根が鉢底から出ており、鉢中にも根がぎっしりと詰まっていた。そこで根をほぐして10cmくらいに切り、腐りかけていた枯れ枝を除去すると、全体の量は半分くらいになった。それを小鉢3つに分けて植え替えてやることにしたのだ。

その結果、1週間後に鉢は鮮やかな緑色の一色となり、茎の背も伸びてつぼみを付けるまでになった。我ながら見事な蘇生術であったと思う。しかし、鉢は2つから3つとなった。ヤマブキも加えれば、この1日で4鉢も増えたことになる。このようにして、植え替えをするたびに鉢数はどんどんと増えていくのである。ただ、この4鉢については私のものではない。そもそもY嬢やY家の関係のものだ。ただ、そのことを言いたかっただけである。

物を求めて集め出してから年数が経つと、今度は逆に物の方からこちらにやってくるようになる。本の場合もそうだった。出版社にいた時は社内に古書部があり、仕入れが終わると、「欲しい本があったら抜いておいて」と私に声を掛けてくるのである。また、著者の先生のところに打ち合わせに行くと自著を渡されるし、自分が作った本も当然ながら持って帰る。今も取材に行くと取材の参考にというとで、自著を渡されるケースが多い。さらに友人や知人が本を出した時には、贈呈本が送られてくる。自分でももちろん買うが、何もしなくても生きているだけで、本が集まってくるような仕組みが出来上がってしまった。

植木もそんな感じになってきた。散歩や取材に出れば種や挿し木を持ち帰ってくるし、Y家に行けば、植木の方から救いを求めて私の方にやってくるのである。ただ、本は溜まるたびに佐渡の畑の家に送っているが、植木の場合は送る先がない。いずれは広大な庭に見渡す限りの盆栽棚を作りたい。また、大きなビニールハウスも作って熱帯植物の鉢植えも並べてみたい。その棚を巡りながら手入れをしていると、1日が終わるような生活もなかなかいいものだと空想している昨今だ。(佐渡屋太郎)

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13年における挿し木の中間報告(その2)【佐渡屋太郎-vol.293】

ボケ、クチナシ、ユキヤナギ、エンジュなどが根付いた挿し木鉢1号

いまは13年8月2日(金)の19時25分。昨日は電通関西支社で開催された「JIRフォーラム」に行ってきた。私は京都に来たばかりの頃、贋(にせ)コピーライターを一時期やっており、私の師匠(師匠は関西では有名な“本物のコピーライター”であった)とともに、電通に通っていたことがある。あれから25年ぶりに電通に行ってきた。当時は放浪生活からカタギになったばかりで、アホなことばかり言っては笑われていた。一方、私は会議に集まった学者や評論家、プランナーなどを、何といい加減なヤツラだと生意気にも思っていた。

当時の私はリハビリが必要なくらいの“旅ボケ”であった。日本人の行動の1つひとつが奇異に感じ、その姿を見るだけで腹が立ったものだ。しかし、そのボケ状態が完全に回復したわけではなかったのである。昨日の誕生日にY嬢と話していて、何と私は自分の歳を1つ上であると勘違いしていたことが判明したのだ。この勘違いは、どうやら昨年から始まったものらしい。昨年から今年に掛けて、離婚の手続きや戸籍の移転などいろいろな書類を書いたが、その間違いを指摘してくれた人は誰もいなかった。私もいい加減であるが、世の中もいい加減なものである。

まさか、いい歳をして自分の年齢を間違える人間もいないだろう。当時の私は“旅ボケ”であったが、いまはもっと重症の“本格ボケ”に突入しているのかもしれない。Y嬢からは“歳相応の自覚を持ってよ”とよく言われるが、自覚を持ちすぎて歳を1つ上に間違えたようだ。この“いい加減”が私の1つの特性であると確かに思うが、“いい加減”には悪い面ばかりではなくいい面もある。“歳相応にならない”ことによって若い気持ちを保てるという利点もあるのだ。

とにかく今回は、1つ上に歳を間違えたことによって、1つ歳を得したような気持ちになっている。大体、平均寿命も延びているのだから、昔の年齢より15歳くらい引いて考えるのが妥当だろう。事実、私も飲み屋に行くと15歳くらい若く見られることが多い。多分、精神年齢がそれくらいだと思われているので、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない。しかし、“いい加減”なヤツは、そんなことでは決して悩まないのである。

挿し木したクチナシのほとんどが根付いて成長した挿し木鉢2号

さて、フォーラムのタイトルは「IR(統合型リゾート)~カジノと関西広域観光~」というもので、かなり面白い話が聞けると期待をしていたが、大いに期待はずれだった。もっと具体的な構想が論じられるのかと思っていたら、話は茫洋としたままで終わってしまった。まだまだIRを具体的に落とし込んでいくのには、時期が早過ぎるということなのだろうか。しかし、IRへの関心は非常に高く、このフォーラムは定員が200人と聞いていたが、当日は300人が押しかけるほどの盛況であった。日本のIRに関しては、地方が積極的であり、そこに電通や博報堂をはじめ各種のコンサルなどが、情報提供や提案、サゼスチョンを行なうような構図になっている。

都会型IRに比べれば、地方型IRは規模的に小さくなるが、ビッグプロジェクトであることは確かだろう。各地方では世界の代表的なIRの視察を行ない、報告書を作り、自らの地方におけるIRの構想をまとめている。私もそのうちのいくつかを見たが、実にボリューム的には立派なものが多かった。これもその地方でカジノ付きIRの認可を勝ち取るためのプレゼンの一環である。しかし、個人的には実際の施行はどこがやるのかということに関心がある。日本は作り上げるまでは一所懸命やるが、出来上がったらそれで終わりという傾向が強い。いわゆる“土建屋的な発想”である。本当に難しいのは、できたIRが厳しい競争を勝ち抜いていくための対策や、継続的に話題を提供し、リニューアルを行なって集客を維持していくことであると思う。

確かに、カジノやIRを作ろうと思えば、日本は世界でも最高レベルのものを作り上げる技術は持っている。しかし、そのオペレーションでは経験を持ったアメリカ系をはじめとした海外企業の方に“一日の長”があることを認めざるを得ないと私は思う。実際の施行を“オールジャパン”で行くのか、海外企業に丸投げか提携を図っていくのか。その点に個人的な興味がある。カジノが未経験の日本であるが、カジノコンサルタントなる人物もたくさんおり、それなりのオペレーションノウハウを持っている。そんな人物の1人とマカオであったが、かなりの場数を踏んでおり、カジノを見る目つきが違っていた。実に眼光の鋭い人であった。一見、ヤクザか犯罪者ではないかと思ったほどだ。

背の低いクチナシを集めて植え込んだ「一番鉢」

ただ、IRを維持していくのには、巨額の費用が必要であるし、調子が悪くなってからの不屈の闘志がないと危機は回避できない。スタンレー・ホーやスティーブ・ウィンとは言わないまでも、裏も表も知り抜き、全責任を取って陣頭指揮する人物が必要だ。日本に果たして“カジノ王”と呼ばれるような人物が誕生するのかどうか。そして、誕生するとしたら、それはいったい誰なのか。その点にも興味がある。一方、日本にはテーマパークで数々の失敗を繰り返してきた悪しき“実績”があるし、連合を組んで失敗した時の“無責任体質”の数々も見てきた。技術的には秀でているが、商売は下手(へた)というのが、海外からの日本の評価であると思う。ここまでは施行に関する問題である。

一方、構造的な問題もある。マーケット的には他のアジア諸国とは比べものにならないくらいの大きさを持つ。しかし、海外や国内の旅行客を日本の何処に集めるのか。東京や大阪は当然ながら、その筆頭格だろう。しかし、都市型で海外の観光地と競争をしていくのなら、カジノを含むIRのある程度の集積は必要だ。東京に来て、カジノはお台場に1つだけというのでは、何ともアピール力に欠ける。東京だけでも、少なくとも3~5ヵ所は必要であると思う。それぞれに特色を持ったIRを“回遊する”という楽しみが大きな魅力になるからだ。

また地方型のカジノでも、今日は北海道で明日は徳島、その次は沖縄とその土地の雰囲気を楽しみながら、日本の地方を巡っていけるようになれば、滞在日数も延びていくだろう。そして、行く先々で昼間はゴルフや観光やショッピングやエステ・温浴、夜はその地方の料理やショー、そしてカジノを楽しめればそれなりに対抗はできる。まだ、カジノ自体が許可されるかどうか分からないのに、フォーラムを聞きながら、そんな将来の姿を想像してみた。9月には徳島でIRセミナーの取材があるので、地方がどのようなIRを構想しているのか聞いてきたい。

背の高いクチナシを集め、それにユキヤナギやエンジュを加えた「2番鉢」

さて、前フリが長くなったが、これからが本題の“挿し木問題”である。前回は“第1次鉢上げ”の様子を報告した。その成功に自信を深め、7月29日(月)に挿し木鉢4つからの植え替えを行なった。もう1つ、小さな挿し木鉢もあったが、それはパキラの挿し木2本を植えたら順調に育っていたので、そのままにしておくことにした。この“第2次鉢上げ”の問題点は、もうこれ以上に鉢数を増やすことができないという厳しい規制があったことだ。つまり、広口底浅鉢から狭口底深鉢にどのように移し替えるかということが、大きなテーマになったわけである。

まず作業としては、すべての挿し木鉢から苗木を取り出すところから始めた。この作業は赤玉土であったため、すぐに土が崩れてその中にあったそれぞれの根が姿を現してきた。なかでもクチナシが、こんもりとするくらいに大量の根をはやしていたことに驚いた。ボケも逞しく長根を伸ばしていた。その作業で一番うれしかったのが、何回かの失敗の後に差した最後のツツジが、大量の根を出して生き残っていたことだった。ツツジに関して言えば、当初は簡単に挿し木で増やせると本に書いてあって楽観していたが、長期間は持つもののある程度の日数を過ぎると茶色に変色して、ことごとく失敗していたのだ。その間、成功したのは枯れたウメの鉢に植えた1本のみだった。だから、クチナシの葉に隠れて見えなかったサツキ第2号の健闘が、意外性もあって私を喜ばせたのだ。

次の作業は、これから植え込む培養土70%、赤玉土30%の鉢への編成である。樹種は前回に報告したようにサクラ、ボケ、クチナシ、ユキヤナギ、エンジュ、ツツジという構成だ。数としては①ボケ=9本、②クチナシ=7本、③エンジュ=3本、④ユキヤナギ=2本、⑤ツツジ=1本となった。このなかのクチナシに背が高いものと低いものがあることに気付いた。また、健気に生き延びてくれたサツキも背が低い。まず、「1番鉢」には5号鉢を使い、背の低いクチナシ=3本とサツキ=1本を植えることにした。クチナシ3本といっても、枝分かれしてそれぞれ新葉が次々に出ているので、小さな5号鉢では密集しているように見える。この「1番鉢」がいま一番生気に溢れた鉢となり、多くの黄緑色をした新葉の成長をワクワクしながら眺めている。

「2番鉢」には6号鉢を使い、残りの背の高いクチナシの残り4本を集め、さらにその開いたスペースに枝が長く伸びたユキナヤギ1本とエンジュ1本を植えることにした。さすがに大きなクチナシ4本を集めると水吸いがすごく、枝の途中からも葉が吹き出してきている。いま、さらに根を伸ばし、巨体化する準備を進めているところなのだろう。こういう成長期にある植木は見ていても気持ちがいい。人間にも何でも吸収して、大きくなっていく時期がある。顔がつやつやとして、目が輝いており、貪欲に人に向かっていく。そんな清々しさが、この「2番鉢」にはあるような気がする。

中程度の背の高さのボケ4本を集めて1鉢に仕上げた「3番鉢」

次の問題は、最も本数が多くていずれも背の高いボケをどのように編成することだった。とりあえず根が長いので6号鉢を使うことにして、鉢底石と下土を入れてから、果たして何本を植えることができるか仮置きしてみた。その結果、根の量も勘案すると4本というのが妥当な線であることが分かった。また、4鉢に全て収めなければならないので、最後の1鉢との兼ね合いも考えなければならない。そこで一番大きいものと小さいものを省き、中程度の大きさの4本を選び出し、「3番鉢」に植えることにした。したがって、この鉢は“ボケ鉢”ということになる。“大ボケ”の私としては実に親近感を感じる鉢となった。

ボケはいま成長期にないため、植え替えてからほとんど変化は現れていない。ちなみに下に植え込んであるのは、先日よこに広がりすぎたサツキの盆栽を散髪したときに出た切り枝である。挿し木鉢に植えてあったのだが、今回の移植で新たな鉢に移動することになった。植え替えの時に見たが、根は全然出ていなかった。また、いま見てきたが、これ以外にボケがまだ4本あることに気付いた。広島から買ってきて枯れたボケの鉢に3本、前述したパキラの2本を植えた鉢とは別に、パキラの3本目を植えた小鉢にも1本あった。したがって、ボケの挿し木で根付いたのは計13本ということになる。ここでお詫びして訂正したい。

今回の主人公である桜と最も背の高いボケを中心に据えた「4番鉢」

そして、残る最終の「4番鉢」には、メインであるサクラ1本を主人公として持ってきた。それに対するのは、高さも同じくらいの最大のボケである。いわば“主将決戦”といった大物鉢となった。その脇に中程度のボケの残り1本と小さなボケ1本、さらにエンジュ2本とユキヤナギ1本を配した。これですべての挿し木は4鉢へ綺麗に収まることができたのである。しかし、肝心のサクラの葉が昨日から黄色く変色を始めている。先端のつぼみはだいぶ大きくなってきているので、まもなく新葉が出てくると思うが、新たな心配がまた1つ増えた。一方、ボケに関して言うと、このあとにある事件が起こって、さらに6鉢も増えることになってしまった。その件に関しては、別の回に報告したい。

これで“第2次植え替え”の報告は終了する。「13年における挿し木の中間報告」としては、前回の分を訂正してもう一度、整理して列記すると、①ボケ=13本、②クチナシ=8本、③サクラ=3本、③エンジュ=3本、③ユキヤナギ=3本、⑥ツツジ=2本が根付いたものの総計である。同種が多過ぎ、もっといろんな樹種を集めたかったが、これも今の私の実力だから仕方ない。ただ、これらが成長して独立した鉢が必要になったときにどうするか。これ以外にも昨年にどんぐりを植えた実生ものやガジュマルの挿し木ものが、どんどんと背を伸ばし、幹を太らせている。それぞれの鉢の今後、さらにベランダ全体の将来を考えると、私の頭はクラクラしてくる。

近頃、中庭があって鉢植えの植木を見ながらコーヒーや紅茶が飲める“植木屋喫茶店”を作る夢をよく見る。私自身はいろんな山を軽トラで巡って様々な植物を採取し、店の片隅の作業スペースで鉢上げする。この鉢上げの作業が大好きだ。そして、それを中庭に並べ、来店した植物愛好家たちに販売するという夢である。近頃では通販でもいろんな植木が販売されているようだ。実際の私に関しては、人が買ってくれるようなものを作り上げるには、まだまだ修行が必要だ。ただ、空想しているうちにそれが本物になるということを、いままでに何回か経験している。この植木たちは私に何をさせようとしているのだろうか。今後の展開は恐ろしくもあり、楽しくもある。いまはそれぞれの鉢を広い場所に並べ、じっくりと鑑賞できる場を作ることを懸命に考えているところだ。(佐渡屋太郎)

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13年における挿し木の中間報告(その1)【佐渡屋太郎-vol.292】

挿し木鉢から植え替え直後のサクラ2本

いまは13年7月31日(水)の14時28分。さて、とり急いで“植木シリーズ”の第2弾に突入する。我が“植木歴”を振り返ると、昨年の12年における特記事項は“実生”(みしょう)であった。11年秋から12年の初めにかけて、歩いている時の見つけた木の実をやたら鉢に埋め込んだ。その結果、誕生したのがナンキンハギとシラカシである。まだ、十分に成長はしていないが、ツブラシイの3本もその頃のものだ。今年になってなぜかシナノキが4本出てきて、種で植えたものかどうか確信が持てなくなっている。

いま数えてきたら、ナンキンハゼが7本、シラカシが6本もあった。現在、ベランダの鉢置場は飽和状態になっており、このナンキンハゼとシラカシを少々、持て余している。いずれもがどんどんと大きくなっているのだ。昨年の秋に刈り込みを行なったが、そのとき伐採した枝の挿し木の何本かも根付いてしまった。今後はさらに刈り込んで幹に曲を付け、盆栽仕立てにしても面白いだろう。いずれにしてもこのまま置いておくことは物理的にできない。

植え替えから13日が経過し、大きな新葉が出てきたサクラ2本

そして、13年となる今年の特記事項は、何といっても“挿し木”である。3月ころから散歩や取材から帰ってくるときに、新葉の出た枝を無闇と持ち帰ってきた。この木に対する収集願望がどこからくるのか自分でも不思議であるが、いまだによく分からない。とにかく、木をみるとそれが鉢のなかで縮小された形で根付き、元気に育っている姿を想像して、ムクムクと収集欲が湧いてくる。本来ならもっと形を良くする作業をしなければならないのだが、私の実力はまだ全然そこまで達していなくて、いまは根付かせることに精一杯の状態だ。来年あたりからそうした作業に着手していくことになるだろう。

しかし、いまは盆栽の本やブログを見て、いろんな樹種を集めることに夢中になっている。最近はガジュマルやフジが盆栽になっているのを見て、大いに意欲を燃やしているところだ。ガジュマルならベランダに5~6鉢はあるし、フジは09年に佐渡で“格闘”した。竹薮に入れば、その残党がいくらでもあるはずだ。それを盆栽に仕立てて、垂れるような花が咲けばどんなに綺麗であろうか。そんな盆栽の写真を見てうっとりしている。いまは“針金掛け”のいろんな技が編み出されているようだが、私はあまりこれが好きではない。さらに平べったい盆栽鉢も嫌いだ。樹形は味わい深い方がいいが、懸崖などあまり作り込んだものには感動しない。自然で古味を感じさせ、さらに生気に溢れているもの。今年の冬は成長した植木たちを大胆に刈り込み、少し針金を掛けて整形してみたいと思っている。

植え替え直後のクチナシ

さて今年の挿し木は、サクラ、ウメ、クチナシ、ハナミヅキ、サツキ、ツツジ、スズカケノキ、ユキヤナギ、アカシア、カエデ、ユリノキ、エンジュ、ハギ、ボケなどを採ってきた。そして本を読んで、水はけのよい赤玉土の鉢に次々と植えていったのだ。その赤玉土の鉢が満杯のときは、他の植木の鉢にも見境なく植えたこともある。その結果がいよいよ明らかになりつつある。成否は樹種によって大きな偏りがあるのが特徴だった。成功率の高いものを順に並べると、①クチナシ(80%)、②サクラ(70%)、ボケ(60%)がベストスリー。そのほか成功したものを挙げると、ツツジ、ユキヤナギ、エンジュの6種であった。

ちなみに、それぞれの本数は、①ボケ=9本、②クチナシ=8本、③サクラ=3本、③エンジュ=3本、③ユキヤナギ=3本、⑥ツツジ=2本という内訳になった。このなかで一番うれしいのはサクラのソメイヨシノで、この部屋から見えるサクラの木から採取してきた。サクラ好きの佐渡屋太郎は、まさかあのサクラを鉢の中で育てられるとは、正直言って夢にも思っていなかった。いつの日か、これらの木に花が咲くことを想像するだけで、興奮してくる。と思っていたが、実は事務所に置いてあった「街道桜」を、Y嬢の実家である枚方に預けてあるのを思い出した。今年も綺麗な花が咲いていた。しかし、それは盆栽を買ってきたもので、一から育てたソメイヨシノは感激が一味ちがうだろう。

植え替えから13日が経過し、右の枝から新葉が出てきたクチナシ

そのサクラの葉のふちが茶色くなり、まるまり出したのだ。これが植え替えを決断したきっかけだった。赤玉土は水はけがいいが、逆に水持ちが悪い。水をやってもすぐ下皿に流れ出てしまう。こんな状態で暑い夏を乗り切れるのだろうか。おまけに鉢の下からすでに根が出ていた。これは根付いている証拠であり、さらに先端部からは新たな葉が出ようともしていた。そこで7月18日(木)に、まず試験的にサクラ2本、クチナシ1本、ユキヤナギ1本が植わっている鉢の植え替えをしてみることにした。これが今回のテーマである。いわば挿し木植え替えの“第1弾”の結果報告だ。

しかし、肝心な植え替え前の写真を撮るのを忘れてしまった。私としたことが、何とも言い訳のできない大ボケであった。植え替え後のものなら再撮影できるが、植え替え前のものはもう2度と撮り直しができない。貴重な写真を撮り逃してしまった。作業はまず、サクラの2本を6号鉢に、次にクチナシとユキヤナギをそれぞれ5合鉢に植え替えた。実に贅沢な植え替えである。あとで考えて見たが、この配分で植え替えをしていったら、鉢を置くスペースがなくなることに気付いた。

植え替え直後のユキヤナギ

しかし、その成果はあった。サクラの2本はそれからグングンと新葉を出していき、その大きな新葉の重みで頭を垂れるほどになったのである。植え替えの時に見たが、3種とも立派な根が大量に出ていた。植え付けてから4ヵ月近く、ほんの小枝であった挿し木がこれだけ大きくなり、根も逞しいほどに多くの本数でそれぞれが長く伸びていた。想像以上の根の発達度合いであった。よくぞ、ここまで育ってくれたものだ。あとはその根でしっかりと水を吸い上げ、枝を伸ばし、葉を茂らせてほしい。

サクラだけでなく、クチナシもユキヤナギも植え替え後、すぐに新しい葉を出してすごい勢いで成長を始めた。赤玉土から培養土70%、赤玉土30%に切り替えたが、別に問題はなさそうだ。これまで1日おきに水をやっていたが、3日に1回くらいで済むようになった。何より底深の鉢なので根が十分に伸びることができるし、少し水遣りを忘れても保水力が格段にアップしたので、すぐに危機的な状況になることもない。私が心配しているのは佐渡行きである。今回はY嬢も連れて行くので、植木に水をやる人間がいなくなる。Y嬢は7日間、私は10日間以上、佐渡にいる予定だ。途中でY嬢の姉が水やりに来てくれることになっているが、その間を乗り越えられるかどうか。

植え替えから13日が経ち、新葉が出てきたユキヤナギ

前の赤玉土では100%アウトだろう。しかし、培養土になったことで乗り越えられる可能性が格段にアップしたのだ。以前、京都のマンションに住んでいて、息子と一緒に佐渡に帰るときは、すべての植木を1Fまで下ろし、管理人に水やりを頼んでいったこともある。たかがチンケな植木であるが、私にとっては“宝物”だ。1鉢でも犠牲を出したくない。そんな長期的な視野に立っての植え替えでもあったのだ。このあと、“第2弾”の植え替えに突入していく。(佐渡屋太郎)

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カエデとハナミヅキの今後【佐渡屋太郎-vol.291】

葉が茶色に変色して瀕死の状態にある“奇跡”のカエデ

いまは13年7月31日(水)の12時35分。やっと7月末締切りの原稿書きが終了した。あと2ページ分ほど、書いておきたい原稿があるのだが、先方に送った質問状がまだ返ってきていない。到着次第、その原稿も引き続き片付けて、負担を軽くしておきたいと思っている。何しろ8月分の原稿は8月11日(木)までに片付けて、8月12日(金)から待望の佐渡への帰省を決行する。取材の関係で書き切れない分は、8月22日過ぎから月末にかけて“超特急”で書き上げる予定だ。いずれにしても、例年の通り“天国と地獄”の8月となる。

このブログに関しても、せめてマカオの件だけは帰省前に片付けたいと思っているが、本業の原稿との兼ね合いでどうなるか分からない。次は、いよいよ期待のコタイ地区のカジノである。しかし、少し書きかけたものの本業の原稿を優先したために、投げ出してあるのが現状だ。そして、本来なら“いま”書かなくてはならないのだが、7月分の原稿書きに疲れて、コタイ地区に突進していく闘志とエネルギーが全く不足している。そこで7月分の原稿の本数を稼ぐために、頭を使うことなく書ける“植木ネタ”を2~3本かいて“お茶を濁す”ことにしたい。

ただ、“植木ネタ”を集中的に書いた5月中旬から現在の7月末まで、我がベランダでは数々のドラマが展開されている。それらの件を書きたくてたまらなかったのだが、カジノに対する興味も強く、そちらを優先していたのだ。ここらで溜まりに溜まった欲求不満の“ガス抜き”をしておきたいと思う。この間に起きた数々のドラマを“ネタ的”に分類すると、瀕死の小ギクの救済、Y嬢の実家での枚方にあったヤマブキの救済、3月から始めた数々の挿し木たちの成長、昨夏に佐渡から持ってきたツバキたちの急成長、育ち過ぎた植木たちの整枝と伐採、増えすぎた植木鉢の抱える問題などが挙げられるだろう。

そして、いま一番気に掛かっていることは何かというと、運良く根付きで採集できたカエデとハナミズキの生死である。カエデはいま最も欲しいと思っている樹種で、“モミジ病”が少し軽くなったと思ったら、今度は“カエデ病”が発症してしまった。実はカエデはこの建物の前庭に若木があり、私の散歩道にも大木が何本も植わっている。それを鉢上げしたくてたまらず、これまで若枝を採集してきては何本も挿し木をしてきた。しかし、これがすべて失敗に終っているのである。

そんな状況下にあった7月24日(水)の夕方、Y嬢と近くのラーメン屋に晩飯を食べにいく途中で、凄いものを発見してしまった。駐車場のアスファルトとブロックの狭間から30cmくらいのカエデの若木が逞しくそそり立っていたのだ。そのとき、私は自分の目を疑った。自分がいま最も欲しいと思っているものが、目の前にある。私はあまりの驚きで、自分の直面した状況がしばらく理解できなかった。“神”が仕事と勉強に一所懸命の励んでいる私に、“ご褒美”をくれたのだろうか。しばらくして、やっと思考が戻ってきた。そして、興奮で震える手でやさしく引っ張ってみると、主根と5本くらい脇根をつけたままスルリと抜けた。これも“奇跡”である。完璧な採集であった。この一連の出来事に“神”の意思を感じざるを得ない。この逞しい生命力を持ったカエデは、さぞや鉢の中でメキメキと成長してくれるに違いない。

よく見ると、枝がいくかに分かれていた。きっと芽を出してから2~3年は経っているはずだ。その間、アスファルトとブロックのわずかな隙間に根を張り、成長してきた“根性カエデ”なのである。乾燥しないようにラーメン屋においてあるフリーペーパーに挟んで家まで持って帰り、根を切り込みすぎて仮死状態になっているシルバープリペットの鉢に植え込んだ。しかし、2~3日後から青々としていた若葉が、次第に黄ばんでくるようになった。お前のこれまで持っていった“根性”はどうしたんだ。その根性でメキメキと根を伸ばし、新枝を張っていくはずではなかったのか。このところ、私はそんな声を“根性カエデ”に掛け続けている。“神”は私とカエデを見捨てたのだろうか。これからは時間ができたので、赤玉土の鉢を作って、最後の救命作戦を決行しようかどうか、いま迷っているところだ。

何とかまだ生きて成長をしている根付きのハナミヅキ

一方、ハナミヅキの挿し木もすべて失敗した。赤玉土と培養土の両方に植えてみたが、いずれも結果は同じだった。ただ、培養土に植えた方はだいぶ長持ちして新葉を出したものもあった。一時期は完全に、“挿し木の成功”を確信したこともあった。しかし、陽射しが強くなるとともに、葉が茶色に変色していった。ところが7月21日(日)、Y嬢と参院選の投票に行った帰り道で、草刈機で若木の頭を切られ、その切り口から新枝を出しているハナミヅキを発見した。若木は非常に小さく、引き抜いたら簡単に根を確保することもできた。

家の周りにはハナミズキがたくさんあるのに、何故か鉢上げできない現状に、私はすっと苛立っていた。何としても鉢植えにしてあの可憐な花を見たい。その思いが数々の失敗を繰り返すごとに強まってきたのだ。それは“執念”といってもいいだろう。採集してきたハナミズキは数日間、水に付けておき、水揚げを確認してから、親木が枯れて子木2本の挿し木が根付いているヒサカキの鉢に植えてやった。幸い、いまのところは新葉が出るなど順調な成長を続けている。ただ、鉢の水分が少なくなると頭を垂れるので、日々の細やかな観察を続けながら、水やりには十分に気を付けている。

7月末分の原稿を書いている間も、私はこの2本が気になって仕方がなかった。さらに、6つの鉢に分散している挿し木たちをどのように鉢上げするのか、ということも考えながら毎日、鉢を眺めていた。それは悩みでもあり、楽しみでもある。早く原稿を書き上げて、思い切り植え替えをしたい。植え替えを終わって生き生きとした姿になった植木たちの姿を想像しながら、シコシコと原稿を書いていたのである。そして、また自由な時間が返ってきた。そこで今日は念願であった挿し木の植え替えを行なったのだ。

実は、今回のブログは「13年挿し木の中間報告」というタイトルで書き始めた。しかし、カエデとハナミヅキのことを前フリで書いているうちに、1本の原稿となってしまった。掲載写真の点数も少ないので、とりあえずこれだけでアップすることにした。これからカエデとハナミヅキの写真を撮って、アップ作業を行なう。そして引き続き、挿し木の鉢上げとヤマブキの救済の話を書くつもりだ。これからもう2本の原稿が書けるかどうか。とにかく急いで作業をしていこうと思う。(佐渡屋太郎)

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