遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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神戸でイチローに会ってきた!【佐渡屋太郎-vol.26】

FR/鬼塚喜八郎 045s-
ステージの隅で献花の順番を待つイチローimage_0001.jpg

 いまは11月22日(木)の20時25分。世間的に言うと3連休の前夜である。しかし、哀れな佐渡屋太郎はいま、“原稿地獄”の真っ只中にいる。誰か、助けてくれ~。こんなときには悪いことが重なるもので、“猪八戒”からこのブログの原稿のストックがなくなったという連絡があった。さあ~、大変なことになった。しかし、ここはもう書くしかないだろう。と腹を決めて、ブログの原稿を書き出した佐渡屋太郎である。

 そういえば、このブログに原稿を最後に書いたのが、11月13日(火)であった。その日の前夜は、調査会社のK君と猪八戒と「串カツ」から「カクテル」へと滅茶苦茶な飲み方をして、結局は事務所に泊まった。そして、翌日は朝の9時に起きて、このブログの原稿を3本(「佐渡屋太郎日記」1本、「まいど佐渡屋」2本)も書いて送ったのだ。

 その時点では確か、ストック原稿は5本あったはずだ。これで、しばらくは本業に専念できると、淡い期待感に胸を膨らませていた。しかし、その本業がまさに“地獄”への入口であったのだ。そのときはこのブログの原稿を書かないと先に進めないという状態で、やっと本来の仕事に戻れた喜びに浸っていた。

 それから手を付けたのが11月10日に締め切りが設定されている10ページの原稿だった。これは毎年書いているので、11月14日(木)と15日(金)の2日間で仕上げられるであろう。それから11月15日(木)が締め切りになっている定例のパチンコ雑誌における一連の原稿を、締切日の翌日から順番に書いていこうと思っていた。何という考えの“甘さ”だろう。

 しかし、肝心の14日は頭がふやけていて、一向に原稿を書く気が起こってこない。この時点で、10ページの原稿を“飛ばす”ことを決めた。幸い、この原稿は単行本に掲載されるものだ。私も以前、出版社にいたので、一冊分の原稿が出揃うまでには、ある程度の時間が掛かるのは分かっている。編集者は早く入ってきた原稿から作業にかかっていく。

 したがって、他の連中が早く原稿を入れてくれれば、私の原稿が少々、遅れても最後の方に回してもらえばいい。しかし、雑誌は発行日がキッチリと決まっている。私が原因でまた発行日が遅れると、何を言われるか分かったものではない。しかも、今月号は記事広告といって、取材した記事が広告となり、●十万円のお金をもらう(決して、私がもらうわけではない)ものが2本もある。結局、15日(木)から18日(日)の4日間、パチンコ雑誌の原稿を必死で書いて、直して、また書いて、ついに仕上げたのであった。パチ!パチ!、パチ!。

 そして、19日(月)から始まった今週は、その記事の校正をしながら、“猪八戒”からこのブログのやけに長い説明を聞きながら、知り合いのコンサルタントから依頼された調査をしながら、10ページの原稿を書き続けてきたのである。こんな状態で一体、原稿が書けるんかい!!。と正直、その劣悪な執筆環境に、頭が切れそうになりながらも、シコシコと書き続けたのである

 さすが、佐渡屋太郎は佐渡の生まれである。実に辛抱強い性格なのである。そして、決して諦めない。もうすでに原稿は11ページ分にはなっている。やっと、先が見えてきた。多分、12~13ページくらいになるだろう。「書けるだけ、書いてください」と担当のI君も言っていたではないか。こうなったら、徹底的に書いたるぞ~!。これが締切日から12日も遅れたライターの心意気だ(まったく、狂っている!)。

 しかもそんな中、今日の11月22日(木)は以前から予定に入っていたアシックス・故鬼塚喜八郎会長お別れ会の取材があった。朝の6時30分に起き、3日ぶりでシャワーを浴び、コーヒーを飲んで、花に水をやり、8時30分に京都マンションを出た。そして、10時に神戸・三宮に着き、ポートライナーで神戸ポートピアホテルに向かった。

 「私は戦争に行き、多くの戦友が死んでいく場面を見てきた。彼らは何のために死んでいったのか。新しい日本という国を作るために死んでいったのである。そう、私は考えることにした。そう考えないことには、若くして死んでいった戦友たちが浮かばれないではないか。しかし、現状はどうか。いまの青少年たちに、新しい国を作っていこうという気概が全く感じられない。これら青少年を健全に育成するには、健全な心と体をスポーツによって養う必要がある。だから、私はスポーツシューズ作りに一生を捧げる覚悟をしたのだ

 これが戦後、子供たちが非行化していく現実を見て、鬼塚喜八郎が思ったことだ。そう思い立つと、靴など作ったことがない男が、靴工場に見習いとして入った。「若い連中に夢を与え、りっぱな社会人に育てあげる、そんな仕事がしたいんや」――いや~、久し振りに泣いてきた。鬼塚喜八郎は立派な男である。

 晩メシにタコ(場所柄から考えて、たぶん明石のタコだろう)を食べていて、その吸盤をバスケットシューズの靴底に貼り付けることを思いついた。こんなすごい男なのである。お別れ会に全米バスケット協会の会長も、駆けつけてきたほどだ。あの「鬼塚タイガー」から現在の「アシックス」へ――本当に、多くの青少年とアスリートを育て上げてきた。

 先日、佐渡に帰ったとき、弟の佐渡屋次郎にこの取材のことを話したら、随分と羨ましがっていた。あいつは我らの母校である高校に、初めて「サッカー部」を創った男だ。サッカーの強い大学に入り、休みになると母校に帰って後輩を指導していた。エライ!。見上げたスポーツマンである。佐渡の諸君、もしわが母校が間違って全国大会にでも行けた折には、グランドの隅でもいいので、佐渡屋次郎の銅像を立ててやってほしいものだ。

 まさに、“健全な身体に、健全な精神が宿る”のである。これを体現したのが、前述の佐渡屋次郎である。逆に、“不健全な身体には、どうしても不健全な精神が宿ってしまう”のである。これを体現しているのが、何を隠そうこの佐渡屋太郎なのである。しかし、この不健全な世界は実に奥が深く、それなりのスリルと面白さがある。だから、私は死ぬまで抜け出せそうにない。これもまた、1つの楽しい選択である。イッ、ヒッ、ヒッ(おまえはアホか!)。

 そのお別れ会には、日本を代表する多くのアスリートたちも駆けつけてきていた。まず、極めつけはあのイチローである。近頃ではだいぶ落ち着いてきて、貫禄さえ感じるようになった。ちょうど、古本屋で買ってきた“チチロー”の本を読んだ後だったので、イチローの凄さをその姿とともに実感した。喪服姿のスタイルがよく、全身にゴムのような弾力を感じさせた

 あと1つの名シーンは女性陣である。指名献花で35名が壇上に上がって献花をするのだが、その順序が面白かった。女性アスリート陣として、まず壇上に上がったのが有森裕子で、その次が高橋尚子、そしてその次が先日の東京国際女子マラソンを制し、五輪代表を“当確”にした野口みずきだった。五輪メダリストの揃い踏みで(決して土俵入りではない)、高橋のあとを野口が続いていくその図柄が何か象徴的なものを感じさせた。それを見て、“女の涙”や“女の一生”という言葉が、思わず浮かんでしまった佐渡屋太郎だった。

 さて、時間がないと言いながら、またアホみたいに書き込んでしまった。1回分の原稿量としては多すぎるくらいだ。週末になるまでに最低、もう1本は書かなくてはならない。今回はこんなネタで勘弁してもらいたい。では、ゴメン。(佐渡屋太郎)

FR/鬼塚喜八郎 066s-

故鬼塚会長に献花するため、壇上に上がった高橋尚子(左)と野口みずき(右)
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| 佐渡屋太郎の徒然日誌 | 05:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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