遊技租界 『佐渡屋太郎のパチンコ商売道日記』

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佐渡の“いとこ”が自殺をした【佐渡屋太郎-vol.122】

写真キャプション=外海府の二つ亀から見た外海の夕日

 いまは11月9日(日)の18時30分。葬儀雑誌の原稿をやっと終えて、すぐパチンコ雑誌の12月号に取り掛からなければならない局面を迎えている。いよいよ年末の“超繁忙期”が始まったようだ。しかし、佐渡屋太郎の身辺には、相次いでいろんな事件が起っている。まず前回に少し書いたが、付き合いのある社長の会社が、それまで聞いていたより凄い事態に陥っていることが分かった。今後の推移を見守った後、またいずれ新たな動きがあるだろう。さらに先週の11月6日(木)には、佐渡の母親が倒れたという連絡があったようだが、私は知らなかった。

 前日は、以前から“猪八戒”に頼まれていた大手ホール企業の関係者と京都で飲んだ。その人たちと別れた後も、感激した“猪八戒”に先斗町まで連れて行かれ、“はしご”をしながら飲み歩いた。さらに翌朝も私は京都の“拠点”で飲み続け、ついにダウンしてしまった。その頃、付き合いのいい母も倒れてしまったようだ。私は通常、飲んでも“二日酔い”にならない。いくら飲んでも数時間の睡眠さえ取れば、元通りの体に戻ることができる。ところが、その日は寝ながら気持ち悪く、しかも苦しかった。これは尋常ではない。しかし、佐渡屋太郎はそこでひるまず、果敢に立ち上がって水を大量に飲み、吐くこともなく何とかその苦しさを乗り切った。

 その苦しさの原因は、前夜いろんな種類の酒を“ちゃんぽん”で飲んだからだろう。事実、その朝に奈良に帰って行った“猪八戒”も、途中で“凄く苦しかった”と言っていた。しかし、この1件を私は次のように解釈する。佐渡で倒れた母親の苦しさが、その救いを求める本人の意志によって息子の私の体に乗り移り、それを頑強な息子の意志と体によって打ち負かすことができた。つまり、佐渡屋太郎は母親になり代わって苦しみを引き受け、その苦しみに打ち勝つことによって、母親を助けたのである。母が倒れたのに、ただ飲み潰れていたわけではない。佐渡屋太郎は飲み潰れながらも、しっかりと母を死の淵から連れ戻すという“大仕事”と格闘していたのである。このことは、とくに佐渡方面に向けて、大声で叫んでおきたい。

 お陰で母は助かった。私は佐渡へ帰る準備をしていたが、現地からの報告によると、その必要もないという。あとは母方の親戚の人々が面倒を見てくれると言っていた。ということで、佐渡からの電話は終わりかけた。しかし、最後に父方のおばさんの息子が自殺をしたということが何気なく付け足された。おばさんの息子といえば、2歳年下のいとこ“K”ではないか。すぐ、亡き父の実家に電話をかけた。あいにく、いとこの兄ちゃんである“Tちゃん”はいなかったが、おばさんが詳細を説明してくれた。1週間も家に帰ってこなかったので、近隣の人たちが辺りを探してみたら、自宅の“たばこ納屋”で首を吊っていたという。ほとんどアル中で、仕事も転々とし、そればかりかフィリピン女性を追いかけて毎月、フィリピンに通っているようなアホな男だった。今年の夏に佐渡へ帰ったとき、いまや父方の一族を束ねる私より3歳年上の“Tちゃん”が、親族を代表して“K”に意見をしたと言っていた。
写真キャプション=内海府から見た小佐渡の島影

 佐渡は“日本のチベット”と言われている。そのなかで、さらに“佐渡のチベット”と言われているのが、父の実家がある山の村である。地元の人は“K山”と呼んでいる山の中の村落である。そこに夏休みになると、よく泊まり掛けで遊びにいった。山の野生人である“Tちゃん”を先頭に、街中生まれの佐渡屋太郎と、街外れの畑作農家に生まれた“K”の3人は、原始的な山の中で様々な冒険の日々を送ったのである。“K”はいつもヘラヘラしながら後を付いてきた。しかし、ナヨナヨしながら不思議な“しぶとさ”はあった。

 なぜ、アイツはまともに生きられなかったのだろうか。私も人のことは偉そうに言えないが、“変人”には“変人”なりの生き方を確立しなくてはならない。これは1つの戦いでもある。佐渡には不思議と“厭世的な人間”が多い。それを島の人たちは“変人”と呼ぶ。私は政治や芸術の血の“不達成感”が、人を“厭世的”にしているのではないかと思っている。理屈を言わせたら物凄いが、実践が伴わない。これを佐渡の言葉で“理屈こき”という。

 アイツも一端(いっぱし)のことは言うが、何もできず、人の言うことも聞くことができない奴だった。端(はな)から実力がなかったのかもしれない。この世の中は、そんな生易しいものではない。佐渡にいる頃、最初は“厭世的”な人々の哲学的なところに惹かれたが、やがてそれは“負け犬の遠吠え”にしか過ぎないと思い、自分も同類の“変人”だからこそ佐渡を出ないといけないと思った

 佐渡には京都から流されてきた政治犯、さらに江戸時代に佐渡金山に流されてきた犯罪者、さらに金山の隆盛を見て全国から集まってきた山師と腕利きの各種職人の末裔たちが多く住み付いている。順徳天皇、世阿弥、日蓮が流れ着き、いまや1竿100万円以上の「佐渡箪笥」(さど・だんす)を造り上げるような職人たちも全国から集まってきたのである。政治犯と生粋の犯罪者、さらに腕利きの職人の複雑な“血の結合”で成り立っているのが佐渡である、と私は思っている。その職人の血が凝縮されると、東京芸術大学の学長を務めた宮田亮平氏や、日本芸術院会員の中村琢二氏のようになる。政治犯の汚名を着せられたのが、わが先輩の北一輝先生であった。あと残っているポストは、生粋の犯罪者と山師しかない。
写真キャプション=佐渡島の北端にある「海府大橋」から望む断崖の景観

 多分、“K”も何かやりかったことがあったのであろう。それを見つけることも大変だが、それを実際にこの世で形にしていくことはもっと大変なことだ。それができないと、“厭世的”になってしまうが、“厭世的”では生きていけないのである。その結果、お前は死んだ。1週間も誰にも発見されず、タバコの葉を乾す納屋でぶら下がったままだった。もう、八方塞りで生きていけなかったのだろう。仕方ないと思う。情けないと思う。何よりおばさんが可哀想だ。お前は長男だが、しっかりした次男坊も悲惨な事故死を遂げている。とにかく、昨日は訳の分からない怒りで仕事ができなかった。

 私は小学校から高校まで一緒で、東京に行ってからも近くにいてよく会っていた友達(こういうのを“親友”と言うのだろうか。愛情の薄い佐渡屋太郎には分からない)も、自殺で亡くしている。アイツは神経衰弱に陥り、武道館から飛び降り自殺をした。私たちがともに21歳のときだった。生きるのは大変だが、死ぬのは簡単だ。それから、その母親と文通するようになり、アイツはいかに “アホ”であったのかという詳細が分かってきた。お前は周りの人のことを考えなかったのか。人間は殺されても死なないような、しぶとい“存在”にならなければならない。また、人生はすべて“笑い話”で終わるような、面白いものでなくてはいけない。そのために私たちは必死の思いで生きているのである。(佐渡屋太郎)

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